終わりなき明日
ここは町外れにある一軒家。東向きの小さな窓から、眩しいばかりの朝日が差し込む。
「皆さ〜ん、起きてくださ〜い! 起床時間ですよ〜!」
ナンシーの声とフライパンを叩くけたたましい音が家中に響き渡り、長いようで短い一日が始まる。
まずはじめに、例の仕事の後、ナンシーの家にお世話になっているマクレガーが起き出してくる。いつも通りの険しい目つきだが、スリッパを左右逆にはいているのは内緒だ。
続いて、低血圧で朝の弱いレイが、ふらふらになりながらも地下の階段から上がってきた。普段はつやつやとした髪の毛が、ぼさぼさになってしまっている。
レイから遅れること約五分。地下室から、床を揺るがすほどの音が聞こえた。レイとマクレガーは、その音でようやく夢うつつから解放される。
「はい、どうぞ。コーヒーですよ。熱いんで気をつけてくださいね。
それにしても、ジークさん遅いですね。また階段から落ちたのかしら?」
先ほどの音に少しも動揺することなく、ナンシーは二人の前に、湯気の立つコーヒーの入ったマグカップを置いた。こんなことにいちいち気を使うようでは、怪盗と同居なんてやってられないのだろう。
しかし、日頃一緒に生活していないからだろうか。マクレガーがレイにぼそりと、心配そうに声をかける。
「おい、今すごい音がしたぞ? 大丈夫なのか? 一度、見に行った方がよくないか?」
「大丈夫よ、いつものことだし」
レイは実にめんどくさそうにマクレガーの言葉を左手で払いのけた。
「それならばいいのだが……」
さらに遅れること約五分。ようやくジークが階段から抜け出してきた。まぶたは半分以上閉じ、キッチンに近づいてくる途中で、あらゆるものにけつまづき続けている。それでもかろうじて歩く方向があっているのは、朝食のソーセージの焼ける匂いに誘われての事だろう。
ようやく席についたジークに、レイが声をかけた。
「ジーク、あなた今日は何したの?」
ジークは寝ぼけ眼で返事をする。
「ん……。ベットから出て……、階段に向かって歩いとったら……、マグナム踏んでしもて……」
マクレガーがコーヒーを吹き出した。
「おいおい、人の銃を踏みつけるってどういうことだよ」
しかしながら、マクレガーの抗議も、今のジークの耳には残念ながら届かないようだ。
「滑って転んで頭打って……、マグナムはどっか飛んでって……、壁にぶつかって暴発して……、弾が頭の上をかすめて……」
ジークはそれだけつぶやくと、テーブルの上に突っ伏した。レイが苦笑いしながら、マクレガーに目配せする。マクレガーも仕方なさそうに、にやりと笑ってコーヒーを口に含んだ。
「ジークさん、起きてくださいよ〜。今日はお礼に、この前テレビで紹介してたレストランに連れてってくれるって言ってたじゃないですか〜!」
ナンシーが、ほかほかと湯気の立つスクランブルエッグを大皿に盛り付けながら、ジークに声をかける。
「お礼って?」
レイが不思議そうにナンシーに尋ねた。ナンシーは口をとがらせながら答える。
「一昨日の大仕事ですよ、ジャネットさんの。それでお手伝いしたんです」
「そうなの!?」
レイにとって、またしても初耳の事実だ。
「はい。
一応監視カメラはつぶしておくけど、万が一アルバートの供述でジャネットの名前が出てきたら、罪にならないにしても国家物理学者の称号は間違いなく剥奪だ。その時のために、君に身代わりをやってもらって、アリバイを確保してもらいたいんだ、って言われまして。んで、あの時間帯を見計らってジャネットさんの知り合いの教授の所におしゃべりに行ったんです」
それを聞いたレイがコーヒーでむせた。
「ちょっと待ってよ。特殊メイクはジークがいるから大丈夫だけど、声も違うし、第一専門知識なんて……」
「ああ、その点は大丈夫や」
いつの間にか復活していたジークが、コーヒーをすすりながら口をはさむ。
「声色をまねんのは、ナンシーの得意技や。それにナンシーの親父さんを思いだしてみいな。な、大丈夫やろ? 実際、面白かったらしいしな」
『まぁ、そうやな。でも、俺の親父に比べたら、国家物理学者ってゆうてもあんまし大したことなかったなぁ』
ナンシーが、ジークと同じ声でレイに笑いかける。レイとマクレガーは同時にため息をついた。
「んで、ナンシー。親父さんはどこ行ったんや?」
パンをほおばりながら、ジークが尋ねた。
「分かりません。昨日の夜まではいたんですが、今朝見たらいなくて……」
「さよか、また厄介事持ち帰られたらかなわんねんけどなぁ」
ジークはぼんやりした様子でぼやく。朝の気だるげな食事のワンシーン。これだけは怪盗といえど、普通の人間と変わらないようだ。
「ところで、アルバートがどうなったか知ってるか?」
マクレガーがジークに声をかけた。ジークは無言でうなずき返す。
「お前のとったカセットテープが決め手になったらしいな。精密な声紋調査でもって、あれがつくりもんやないって証明できたらしいで」
「本物に決まってるだろうが、俺がとったんだから。にしても、国家反逆罪で絞首刑か……。哀れな男だな」
「まったくや」
ジークはこんがりと焼けたソーセージにかぶりついた。
「ジャネットちゃん、これから大丈夫かしらね」
あっという間に食パン二枚を平らげたレイが、誰ともなしにつぶやく。しばしの間、沈黙が続き、やがてジークが口を開いた。
「あの子なら、大丈夫やろ。ああ見えて芯のしっかりしてる子や。これからもやっていけるやろうし、いつか世の人に役立つ発見をするんやろな」
言い終えて、ジークはぱんと両手を合わせた。
「ごっつぉさん、っと。
せや、マック。お前いつまでここにおるつもりや?」
「そうだな。あまり長居しては迷惑をかけるし、今日にでも向こうに帰るさ」
「さよか」
ジークはマクレガーの手に、黒光りするマグナムを押し付けた。
「こいつはやっぱりお前に返すわ。俺が持っててもしゃあないし、それもお前に使てもらえる方が嬉しいやろ」
マクレガーは驚いた顔をジークに向ける。
「構わないのか? 俺はこいつで人を殺すかもしれないんだぞ?」
ジークはふっとやわらかい笑顔になった。
「かめへんよ。俺とお前の仲や、なにがあっても人の命をとるためにソイツの引き金を引けへんやろうって信頼しとるからな」
二人はしばらくの間、じっと顔を見合わせていたが、突然どちらともなしに吹き出した。
「ぷわはははっ! だから、お前にはそのセリフ似合わへんって!」
「バカヤロ、それは俺のセリフだ。第一、俺は一言もしゃべってないじゃないか!」
その二人の間に、ナンシーが割って入る。
「はいはい、二人ともその辺で止めて、片付け手伝ってくださいな」
「はいはい」
ナンシーが、楽しげな音を立てながら洗い物を次々に片づけてゆく。と、その時。
「ジーク! 依頼人さんよ!」
レイから声がかかった。レイに案内されてやってきたのは、ひょろりとした中年男性だった。
「初めまして、奥へどうぞ」
ジークが挨拶しながら、本棚の横のレバーを引く。本棚が真横にスライドし、ぽっかりと地下室につながる階段が現れる。その階段を降りきると、そこは怪盗のための応接室だった。
ジークは依頼人に席をすすめ、自分も相手の向かい側に腰を下ろした。
「改めて初めまして、ジーク=ラントシュタイナーです」
「こちらこそ、初めまして。クレーメンス=ドッペルハウアーと申します。あの、こちらで盗みの依頼を受けてもらえると聞いたのですが……」
「もちろんですとも」
ジークの返答に、男の頬がゆるんだ。
「あのですね、実は家宝の宝石を取り返してほしいのです。詐欺にあってしまい、借金のカタに持って行かれてしまって……。ヤツら、はじめから狙っていたに違いありません。よろしくお願いします!」
レイが心配そうな顔でジークを見つめる。一方のジークは自信たっぷりの表情だ。
「引き受けました。なに、大船に乗ったつもりで、安心していてくださいよ」
ぱぁっと、依頼人の表情が明るくなる。しかし、レイはなにやら不満そうだ。
「ちょっと、ジーク。いつも言ってるじゃない、しっかり考えてから依頼受けないと、大変だわよってね? それを分かってるの?」
ジークはレイに向き直る。表情は少しも変わっていない。
「安心せいや、レイ。俺を一体誰やと思っとるんや。天下の大泥棒『怪盗ジーク』なんやで? 依頼を受けたら、百発百中、絶対に盗み出したるわ!」
《完》
こんにちは、針井龍郎です。『怪盗ジーク―闇を駆ける者―』、なんとかかんとか完結できました! 本当にやれやれです。
去年の八月に連載を開始してからちょうど半年くらいでしょうか。長いようで短いものでした。プロットなし、ほとんどノリだけで書き始めたこの作品ですが、実は連載をストップさせようかと本気で悩んだ時期がありました。第二話まで書いたあたりから、続きが出てこなくなったのです。このままゴミ箱行きかなとも思ったのですが。その辺の裏話なども含めて、小説作成秘話をブログで公開していきたいと思います! 作者ページから、HOMEをクリックすればジャンプできます。『飛龍の寝床』です。ぜひ一度、お立ち寄りください!(宣伝、宣伝)
皆さんもお気づきの通り、この作品は伏線の回収がまだ終わっていません。その点も含めて、シリーズとして書いていけたらいいかなとも思っております。次回作も渾身の力をこめて書いていく次第でありますので、ぜひともよろしくお願いします! 日々、進化し続ける私を、今後とも温かく見守っていてください。
では、また次回作でお会いしましょう。以上、針井龍郎でした!