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セプティモゲート―聖者の黙示録―  作者: 佐川クロム
第一部 黄泉門
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第1章 麗しき射手(5)

 目の前にいるのは紛れもない妖魔だ。このままここに立ち尽くしていたのでは3年前の二の舞しかならない。

 もう二度とあんな経験はしたくない。

 そう思った阿倍野晴也は決死の覚悟で警備員詰所から逃げ出すことを考えた。

 3年前の経験からして、ただの兵器では妖魔に太刀打ちすることはできない。

 仮に少しの傷をつけられたとしても、それまでに自分が体力を消耗していて結局は負けるのがオチだ。

 ましてや学校という環境に兵器など存在するハズもない。


 幸いなことに、校外側へと繋がるドアは閉めていない。

 隙さえあれば逃げ出すことは不可能ではない。隙さえあれば。

 まずはその隙を見つける為に相手の動きを見極めなければならない。


 一見、案山子のような風貌のその妖魔は晴也の姿を見つけるとそちらへ身体を向けた。


「こっちに来るつもりか!」


 その動きから案山子様の妖魔が自分に襲いかかってくると予想した晴也はそう言った。

 いつ襲い掛かられてもいいように逃走の準備は万端だ。

  

 と、そのとき晴也の視界から忽然と妖魔の姿が消えた。

 ふと天井を見上げるとそこには、身体を独楽の様に回転させて滞空している妖魔の姿があった。

 決して高くはない天井だ。妖魔もそれほど高い位置にはいない。

 だが、それはまた晴也との距離が近いということを示していた。

 妖魔がその気になれば恐らく、一瞬の内に晴也を葬り去る事も可能だろう。そう、跳び上がったときの俊敏さがあれば。

 しかし妖魔はそうしようとしなかった。

 空中に滞空したまま、晴也の様子を伺っていたのだ。


「攻撃をしてこない? いったいどういうことだ」


 攻撃してくると踏んでいた晴也にとって妖魔の行動は明らかに想定外だった。

 だがこれはまたとないチャンス。逃げるなら今しかない。

 覚悟を決め、晴也は床を強く蹴ってドアの方向へ駆け出す。

 実際、逃げ出すことはそれほど難しいことではない。問題は逃げ出したそのあとだ。

 十中八九、妖魔は晴也のことを追ってくるだろうし、運動部に入っているわけでもない晴也が逃げ切れる確証がないのだ。

 つまり、これは賭けだ。賭けているものが命とは些か大きすぎる気もするが。


 外に飛び出しはしたものの、案の定妖魔は晴也のことを追ってきた。

 ドアの方から空気が動く音と、扇風機の様な回転する音が聞こえてきた。

 空が晴也が学校に来たときよりも暗くなっている。

 どれほどの時間が経ったのだろうか。しかし、それを確認している暇もない。

 妖魔がすぐそこへ迫っている。

 今はただ逃げることのみを考えるべきだ。

 その瞬間、頭の中から関係のないことは全て抹消された。

 今、頭の中を支配しているのは妖魔のことだけ。如何にして逃げるか、それだけなのだ。


 妖魔の接近を示す回転音が確実に近づいてきている。

 ここで判断を誤れば命を落とすことになる。それだけはなんとしてでも避けなくてはならない。

 そのためにも、やはり逃げるという選択肢が的確であると判断した晴也は一目散に道路に向かって逃げ出した。


 しかし、現実というものはそう甘くはないらしい。

 晴也の視界に突如何かが入ってきた。

 それは案山子様の、妖魔だった。

 先ほどと同じように、一瞬の内に移動して見せたのである。

 これではどう足掻いても逃げることなど不可能ではないか。


「おいおい……いったいどうしろって言うんだ?」


 怯えしか感じ取れない声で晴也はそう呟いた。

 そのとき、視界に新たなる物が加わった。左方から飛来する一筋の光だ。

 その光は次の瞬間には妖魔の右腕の関節部分に深々と突き刺さっていた。

 それと同時に妖魔は奇妙な呻き声をあげて、地面に倒れ伏した。

 どうやら左右のバランスが崩壊したために、自立するのが困難になったのだろう。

 光の突き刺さった部分からは墨の混じったような浅黒い血液が小川のように流れ出す。

 目を凝らして光を見てみると、それは銀色に輝く矢であった。

 矢がひとりでに飛んでくるなど有り得ないのだから、どこかに射った者がいるハズだ。

 ということに思考を傾けていると、突然女の声が聞こえてきた。


「何やってるのよ、もしかして諦めようとでも思った?」


 いつかどこかで聞いた覚えのある声。そう、これは……今日聞いた覚えのある声だ。


「君は……確か、昼間の……」


 声の主は昼間、晴也が廊下で衝突した女子その人だった。


「そう、神村梓よ。でも今はそんなことは関係ない。まずはこの妖魔、一本踏鞴いっぽんだたらをなんとかしないと」


 足音と共に、声も近づいてくる。

 そちらを振り向くと、昼間と同じ制服に身を包んだ神村梓の姿があった。

 ただ違うのは、弓を持っているのと矢筒を背負っていることだ。

 足音が止まったそのときに晴也は梓に問う。


「一本踏鞴……この妖魔の名前か?」

「そうよ。本当なら雪山とかで見かけることが多いのだけれど、何故かこんな学校みたいな所に現れているというわけ。まるで誰かが連れてきたみたいじゃない?」


 晴也には何がなんなのか、今の状況がまるで理解できなかった。

 逃げられないと覚悟したそのときに矢が飛んできて妖魔が地面に倒れこんだ。それが実は昼間に衝突した女子が放った矢で、この妖魔は本来雪山にいるものだと。

 晴也は大雑把にここまでの状況を頭の中で整理した。


「えっと……この矢は君が?」


 梓の目と自分の目が合わないように、伏し目がちに晴也はそう言った。


「むしろ私以外の誰の可能性があるっていうの?」


 呆れたようなそんな口調で返答する神村梓。


「あはは……そうだよね」


 どう返事をすれば良いか、晴也にはそれがわからなかった。

 だからこんな返事になってしまった。


「で、あなたに聞くけど。あなたは妖魔と戦う気はあるの?」


 今まで逃げることだけを考えていた晴也にとって、今の梓の言葉は衝撃的な物だった。

 戦うだなんて……そう思っている晴也には質問に対する答えが簡単に出せない。

 しかし、晴也の返答を待つことなく梓が口を開いた。


「残念だけど、どうするか選ぶ時間はないみたいね」


 そう言って梓は妖魔の方を指差した。


「妖魔はやる気みたいよ?」


 指差された方を見ると、今まで地面に倒れていた妖魔が起き上がろうとしていた。

 左手を軸にして、足で地面を蹴って身体を回転させ、その反動で立ち上がる。

 立ち上がった妖魔は、右腕に突き刺さった矢を思い切り引き抜き、晴也たちの方へと投げ捨てた。

 そうすると同時に、噴水のように血が噴き出し、矢の抜けた跡から生身がむき出しになっている。

 どうやら、外から見えていたのは皮膚ではなく装甲のようなものだったらしい。

 噴き出した血で妖魔の足元に血池が生まれる。

 このまま逃げることを考えていれば、いずれは自分の血であのような血池を作りかねない。

 そんなのは、ごめんだ。


「どうするかって……こんなの、どう見ても戦うしかないじゃないかっ! 逃げようとしたって、あんな素早さがあったらすぐに追いつかれるし……それに、君だって戦っているんだ。だから、だから僕も!!」


 今まで合わせていなかった目を梓の目に合わせる。

 目と目が合ったときに、左胸の傷に僅かな違和感が感じられた。

 梓の目に、決意のこもった力強い視線が注がれた。


「僕も戦う!」


 最後にそう言い放つと、妖魔の投げ捨てた矢を即座に拾い上げた。


「そんなの拾って何するつもりなの?」


 矢を構えながら梓が聞いた。


「兵器は妖魔にダメージを与えられない。 でも、この矢は妖魔の腕に刺さった。そればかりか、血も流させたんだ。つまり、この矢は妖魔に攻撃することができる。そうなんだろ?」


 晴也は早口に自分の考えを述べた。その声には先ほどまでのような怯えが一切感じられない。

 代わりにそれよりも大きな決意が感じられていた。


「そう、だけど……あなた自分の腕に覚えがあるの?」


 梓が心配するような口調で問いかけた。

 しかし、晴也は今まででいちばんの大声で否定の言葉を出した。


「ない! でも今の僕ができるのはこれが精一杯なんだ」

「そう……だったらあなたは限界まで妖魔の気を惹きつけておいて。その隙に私が妖魔を攻撃するから」


 少し心配は残るが晴也の決意を無駄にしてはいけないと思い、梓は晴也に指示を出す。


「わかった」


 そう呟くと、晴也は妖魔に向かって走り出す。


 あの妖魔、一本踏鞴には尋常ではない俊敏さがあるのは晴也が自らの目で確認している。

 それ故に攻撃を当てるのは容易ではないことも重々承知している。

 だが、方法があるとしたら一つ。妖魔がこちらを攻撃しようと迫ってきたそのときに矢を突き刺せばいい。

 もちろん、時代劇のラストシーンのようにそう上手くできるわけではないし、できるとも思っていない。

 しかしその妖魔とておそらく先ほど受けた傷が原因で、当初ほどの動きは妖魔にはできないハズだ。

 なら、晴也にだって勝ち目はある。たとえ一縷の望みであったとしてもそれに賭けるしか選択肢は……ない。


「こい、妖魔! 僕が相手をしてやる。僕は……もう、逃げない!」


 晴也の口から放たれた妖魔への宣戦布告。表層的にはそう捉えられるだろう。

 だが、これは晴也の自分自身に対しての言葉でもあった。

 今までで逃げることを選び続けてきた自分への。


 晴也の言葉を理解したのかしなかったのか、どちらにせよ妖魔が動きだした。

 先ほどまでと同じように妖魔は上空へと飛び上がった。

 やはりというかなんというか、どうやらこの妖魔は上空からの攻撃を得意とするらしい。

 なので一層攻撃を当てることは困難である。


 しかし、晴也には考えがあった。

 それはこの妖魔の特性とも言える俊敏さについてだ。

 確かにこの妖魔の動きは俊敏ではあるが、瞬間移動といった類の業ではないはずだ。

 もし瞬間移動が俊敏さの要因であったならば、一度上空へ飛び上がるというステップは不要なはずだ。

 なのに毎回のように上空へ飛び上ることが、瞬間移動が妖魔の特性ではないことを示している。

 つまり、妖魔は高速で移動しているにすぎないのだ。

 ならば当然、空気抵抗を受けていることになる。

 この空気抵抗というものは通常、速度の二乗に比例するとされている。

 これほど高速で移動をする妖魔はそれ相応の空気抵抗を受けていると考えられるのだ。

 そしてそれこそが晴也の狙いであった。

 仮にこの考えが妖魔にも反映されるとしたら、妖魔の身体を覆う装甲のようなものに空気抵抗によって発生した摩擦熱のダメージが蓄積しているはずだ。

 それに梓の話から推測するに、この装甲のようなものはおそらく雪山の寒さに対してのものだろう。

 もしそうだとしたら、熱への耐性は考慮されていないのかもしれない。

 この仮定が正しければ、梓の放った矢が突き刺さったことにも説明がつく。

 矢にも何か施されていただろうがそれは考慮せずに考えると、おそらく装甲のようなものは摩擦熱によってほんの一瞬だけ軟化していたのではないだろうか。

 そこへ矢が飛んできた、だから突き刺さることができたのではないだろうか。

 それが正しいのなら、これを利用してダメージを与えることができるかもしれない。

 晴也自信が囮になり装甲の軟化と着地時の隙を誘発させ、晴也本人もしくは梓の攻撃を当てる。


 更にもう1つ、可能性として考えられることがある。

 梓の矢によって妖魔の右腕の一部分の生身が露出した状態になっている。

 妖魔が高速で移動した場合、摩擦熱によってこの部分が火傷のような状態になり、内部から破壊することができるかもしれない。


 無論、これは全て晴也の推測なので確証という確証は存在し得ない。

 だが、晴也はこの作戦が成功すると確信していた。

 妖魔は晴也に迫ってはいるものの、一度も攻撃を当てようとはしていないのだ。

 もし妖魔に晴也を攻撃する気がないというのなら、それはこの上ないチャンスである。


 妖魔が上空から晴也のすぐそばをめがけて急降下してきた。

 直接狙ってこないということは、やはり攻撃を当てる気はないのだろうか。

 晴也は自分の考えが間違っていないかを確かめるために、この攻撃はサイドへのステップで避けた。梓にも矢を放たないように指示をする。

 地面に降り立った妖魔を見てみると、遠目では確認できなかった装甲から放たれるわずかな水蒸気が見てとれた。

 それに、生身の露出した部分は火傷のように酷くただれている。

 これを確認したその瞬間より、推測が確証となった。


「やっぱりね……神村さん、次は矢を!」

「ん……わかった」

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