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セプティモゲート―聖者の黙示録―  作者: 佐川クロム
第一部 黄泉門
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第1章 麗しき射手(4)

 時刻としては午後4時を少し回った頃、2年3組の教室。


「今配ったのは進路に関わる大切な書類だ、なくすなよ。提出は急で悪いが明日の朝だ、忘れるんじゃないぞ」


 スーツに身を包んだ、30代と思しき男性がA4サイズの白い書類を配り終えるとそう言った。

 その男性は2年3組、つまり晴也の所属するクラスの担任だ。

 名は松宮孝介まつみやこうすけといい、教科は倫理科を担当している。ちなみに、妻子持ちである。


 晴也はその書類に一度目を通すと、一旦机の中に入れた。

 

「じゃあ、今日はこれで終わりだ。委員長、挨拶を頼む」

「はい。起立!」


 ほのかの言葉でクラス全員が立ち上がる。中には鞄を肩にかけて既に帰る気でいる者や、机に手をついて少しだらけた様子の者もいる。

 少し辺りを見回してから、ほのかは次の号令をかけた。夏と言うこともあり、騒いでいなければいいとの判断から少しの乱れは見て見ぬ振りをした結果だ。


「礼、ありがとうございました」


 この礼も最早、形だけのものとなっていた。形式上、言わなければならないためにスルーするわけにもいかない。

 担任も、礼をすることを求めはしないし、強制的にさせたところで意味はないと考えているらしい。

 挨拶が終わって少しすると、鞄を肩にかけた風間が晴也の元へと駆け寄ってきた。


「うぃー、一緒に帰ろうぜ阿倍野」

「そうだな、帰るか」


 風間からの帰りの誘いだった。鞄の中を整理してから帰ろうと思っていたのだが、風間を待たせては悪い。仕方なく、整理もほどほどにして帰ることとした。


「じゃ、僕たち帰るから。委員長また明日」

「明日はちゃんと起きて待っててよね。また明日ね、阿倍野君。それに風間君も」


 委員長と別れの挨拶を交わし、学校を後にした。

 机の中に明日提出の大事な書類を忘れたことに気付かないまま。



 朝、学校に来るときには隣にほのかがいるのだが、帰るときはそうではない。

 といっても、試験前などは例外だ。ほのかの家で勉強の手伝いをしてもらうために、晴也がほのかの家へ行くことがあるからだ。

 しかし、それはあくまで試験前のことであり、普段は専ら風間疾風と帰るのが常だ。


 授業で疲れた体を癒すために自販機で炭酸ジュースを買うのが夏場の2人の日課になっていた。

 今日もまた、駅前の自販機に寄ってから帰っているのだった。


「新発売のルビーグレープフルーツ味のラムネイドうまいなぁ〜!」


 そう言ったのは、風間だ。

 ルビーグレープフルーツ味という名前を体現するかのような、赤い塗装に、オレンジの曲線がところどころにあしらわれたデザインの缶を口元に当てて中身を口の中に流し入れる。

 赤い色をした液体が舌の上を通過すると、まず炭酸飲料独特の清涼感がやって来た。

 それとほぼ同時に甘みも口の中を満たす。

 甘みが通り過ぎたその後に、グレープフルーツ特有の苦味が遅れてやって来る。


「この苦味がまた堪らんねぇ〜」


 顔を見なくとも、言葉だけで風間の幸せそうな感じがよく分かる。


「そりゃよかったな。だけど、こっちのレモンmixコーラもなかなか美味しいぞ」


 風間の飲んでいるラムネイド ルビーグレープフルーツ味と同じく、最近発売されたばかりのレモンmixコーラを飲んでいるのは阿倍野晴也だ。

 こちらの缶は、涼しさを感じさせる青色の塗装に、レモンを表す黄色いラインが斜めに輪を描くように缶の周りに施されている。


「この前それ飲んだんだけどさぁ、確かに美味しいな。後味スッキリ! って感じ?」


 缶を持っていない左手で缶ジュースを飲む動作をしながら風間はそう言った。


「そうそう。ほんのりとした酸っぱさがいいアクセントになってんの」


 そのような缶ジュース談義をしている間に、気が付けば既に晴也の家の近くまで来ているではないか。

 話に夢中になりすぎていたか。

 

「あ〜、もう家か……いいねぇ、家と学校が近い人は」


 釜村荘の目の前に来た所で、晴也の部屋のあたりを指差しながら風間がそう言った。

 両隣の家は住民がいるのか、明かりがついている。当然、晴也の部屋の明かりはついていない。

 

「お前の家だってここから5分くらいしかかからないだろ。それくらい我慢しろよな」


 呆れた口調でそう言いながら、晴也は釜村荘の敷地内へと入っていく。


「へいへい、我慢するとしますか。また明日な、阿倍野」

「ああ、また明日」


 2人は軽く挨拶を交わすと、お互い家へと向かって歩き始めた。とはいったものの、晴也の部屋はすぐそこなのだが。



 玄関の前までくると、玄関に備え付けられた郵便受けから封筒がはみ出しているのが見えた。

 見えている部分を見る限りでは何の変哲もない、ただの茶封筒だ。

 大方、どこかの会社や団体の広告だろう。そう思って晴也は封筒を手にした。

 手に持ってみても、やはり何も問題はなさそうだ。

 しかし、持った感覚だと広告が入ってるわけではないらしい。折り目の僅かな膨らみが感じられないからだ。

 明るい方へ向けて透かしてみると、中には封筒より一回り小さな何かが入っているようだ。


「誰からだ? 宛先も、差出人の名前もなし……か」


 誰に言うでもなく、ただそう呟いた。


「ま、とりあえず部屋入るかー」


 封筒をズボンの右ポケットに入れると、それと同時に持ち替えるように部屋の鍵を取り出して鍵を開け、部屋に入る。

 

 部屋の中は今朝脱いだ寝巻きが散乱していた。ほのかが迎え来たので急いで着替えたからだ。


「ん、これは洗濯しなきゃな」


 鞄を置いて寝巻きを洗濯機に放り込むと、あることを思い出した。

 昨日の晩から洗濯物を干したままだったのだ。

 もう少し早く起きていれば取り込んでから学校に行けたのに。

 そう思いながらハンガーや洗濯バサミから衣類を取り外す。

 多少シワができているが、気にすることはない。



 洗濯物を取り込んだり、寝巻きを洗濯したり、明日の朝出すゴミをまとめたりしていると、既に午後6時を少し回った所だった。

 夏場なので、外が暗くなるのもそんなに早い時間ではないから気づかなかったのだろう。

 窓の外を見ると、昼間に劣りはするものの、まだ明るかった。



 数学の宿題をしようと鞄の中を漁っている時だった。

 机の中に明日提出しなければならない書類を机の中に忘れたことに気が付いたのだ。

 幸いなことに、時刻はまだ午後6時13分だ。

 3年前の漆黒の氾濫以降に制定された外禁法に定められた外出禁止時間までまだ時間がある。


 3年前、漆黒の氾濫が起きたのはちょうど午後10時を過ぎた頃だった。

 全世界で5万人もの死者を出したその事件以降、各国では夜間外出禁止法なる法律が定められた。通常これは略して外禁法と呼ばれている。

 それには『如何なる理由があろうとも、午後10時を過ぎての夜間の外出は認められない』との記述がある。

 妖魔の活動が活発化し始める午後10時以降の外出は法律で禁止されているのだ。

 これは、国から国民への警告であり、国が国民にできる最低限の保護だ。

 刑法にも同様に定められている為、この外禁法を犯すと罰金等が課せられるということになる。

 しかし、肝心の警察官も午後10時には既に勤務を終えて帰宅しているので、よほどのことがない限り逮捕されたりなどということはないのだが。


 今の時刻から考えると、外禁法の適用にはまだ4時間近くの猶予がある。

 学校に取りに戻るのなら、今しかチャンスはない。

 外禁法の存在もあり、午後8時までには正門、通用門ともに閉められてしまうため、警備員もそれと同時に仕事を終えて帰ってしまうからだ。

 

「仕方ない、取りに行くか……」


 帰ってきてすぐに洗濯物を取り込んだり、洗濯をしたりしていたのでまだ制服のままだ。

 着替える手間が省けてラッキー。晴也はそう思った。

 


 いつも通りの通学路を歩いて学校へと向かう。朝と違うのは隣にほのかがいないことだ。

 一人で歩くというのは虚しいことだと感じた。普段、登校時はほのかが、下校時には風間が隣にいる。

 今はその2人がいないのだから、そう感じるのは当然のことだろう。

 しかし、そんなことを気にしている暇はない。

 早急に学校へと行かねばならないのだ。



 学校に着いたのは午後6時27分。1人で来たからだろうか、毎朝学校に着く時間より5分ほど早く着いた。

 これは嬉しい誤算だ。


 しかし、現実はそう甘くはないらしい。晴也が正門に着いた時には既に施錠された後だった。

 こうなると通用門から入るしか方法は残されていない。

 だが、肝心の通用門が正門の真反対に位置しているのでここから更に歩かなければならない。

 心なしか、空が暗くなってきている。

 午後10時というのは、妖魔の活動が活発化し始める平均的な時間というだけであり、辺りが暗くなってしまえばそんなことは関係ない。

 妖魔に人間のルールを当てはめることがまずおかしいのだから。


 通用門にたどり着いたのはそれから5分後の午後6時32分だった。

 正門が開いていないというのなら、こちらはもっと人気があってもおかしくなさそうなのだが、人の気配が微塵も感じられない。

 それに、通用門も既に閉じられていた。


 何かがおかしい、そう感じた。しかし、いつか感じたことのある感覚。それがいつだったのか……


 この通用門付近には警備員の詰所が設置されている。そこにいる警備員なら、何かを知っているかもしれない。そう思って晴也は警備員詰所に足を運んだ。

 

 この警備員詰所は役割としては関所のようなものだ。

 校外からの訪問者に入校許可証の提示を求めたりする場となっている。

 もっとも、大概の訪問者は正門を利用する為、ほとんど機能していないといっても過言ではない。

 また、この警備員詰所は内部で校内・校外と繋がっており、門を通らずとも校内に入ろうと思えば入れるのである。


「すいません……」


 時間的にはまだ、勤務時間内だ。警備員達の仕事を邪魔しないように申し訳なさそうにそう言いながら警備員詰所のドアを開いた。

 

 そこでもやはり、何かを感じた。これは……気配? しかし、人間の気配とは異なるものだ。

 

 警備員詰所の中は、一面暗闇だった。

 窓ガラスを割って不法に校内に侵入されないように、校外側には設置されていない。それでも、校内側には設置されているので、光が入らないなんてことはないはずだ。

 当然ここにも照明器具はあるはずだし、それが点いていないというのはおかしい。

 いや、そもそも、校外側から警備員詰所のドアを開けられること自体が本来ならばおかしいはずだ。

 

 それでも、恐る恐る警備員詰所の中に入る。


「すいません、入りますよ」


 しかし、返事はない。

 やはり何かあったのだろうか。

 

 暗闇の中、壁を探り明かりを点けることには成功した。

 だが、そこには床に臥した4人の警備員の姿があるだけだった。

 カーテンもすべて閉められていて、それがあの暗闇を作っていたのだ。


「これは……まさか……」


 そのうちの1人に近づいて確認してみると僅かではあるが、服が上下しているので呼吸が止まっているわけではないらしい。

 

「大丈夫ですか! 起きて下さい」


 倒れている警備員の襟元を強く握って揺らしてはみたものの、まったく反応がない。


「どういうことだよこれ……何があったってんだよ」


 他の警備員にも同じようにしてみたが、やはり反応がない。

 どうするべきか思案していると、突然校内側に繋がるドアが開く音がした。ゆっくりと、開けられていく。

 人が来たのか、と思ったが感じられる気配が人のものではない。もっと重苦しい、混沌とした気配だったのだ。

 

 本能的にそれが妖魔・・のものであると察せられる。

 

 漆黒の氾濫以来、晴也が妖魔を見たのは実に3年ぶりのことだ。

 つまり、あの事件以降は一度も妖魔と遭遇することはなかったのだ。

 それがこんな形で遭遇してしまうとは。

 気のせいかもしれないが、胸にある傷が僅かに痛む。

 そして、ドアが完全に開いたそのときに妖魔は姿を現した。


 その姿は、一見すると案山子のようだった。だが違うのは、手足が、顔面が自由に動くこと。

 頭には竹で作られたと思われる笠を被り、上半身を蓑で覆っており、蓑の中から覗く着物は深い藍色に染まっている。下半身はというと、胴体からまっすぐに伸びる雪駄を履いた大きな足が1つあるのみだ。


「どうしてこんな時間に妖魔がいるんだよ!?」


 晴也は叫んだ。ただ、心に任せるままに。

 しかし、妖魔はそれをまったく意に介していない。

 それは、大きな1つ目の下のニヤリと笑っている口が物語っていた……

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