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セプティモゲート―聖者の黙示録―  作者: 佐川クロム
第一部 黄泉門
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第1章 麗しき射手(2)

 3時限目。この時間は学生にとって空腹感を感じ始める時間であり、昼食が恋しくなり始める時間だ。

 また、だんだんと空気が熱せられて気温が上がってきて、集中力が削がれ始める時間でもある。


 阿倍野晴也の所属する2年3組は火曜日の3時限目と木曜日の2限目に体育が割り当てられていた。

 最近はセミも鳴き始め、身を焼くような暑さが感じられる。

 当然、こんな暑い中グラウンドで陸上競技などできる筈もなく、雷同高校では先週から体育では水泳をするようになったのだ。


 

 今日、7月12日は火曜日だ。つまり、3時限目の授業は体育ということだ。

 そして今、ちょうど2限目が終わり休み時間へと突入したばかりだ。

 しかしながら、休み時間といっても次の授業が体育のため、否が応でも着替えの時間に充てなければならない。

 授業を終えたばかりの戦士たちに休息は許されないということだろうか。


 雷同高校の校則には更衣についてこうある。

『特別な事情が無い限り、原則として男子は自教室で、女子は更衣室を更衣場所とすること』と。

 その校則に則り、阿倍野晴也は自教室で水着へと着替えていた。



 プールという物はそれほどにまで人の心を魅了する物なのだろうか?

 最前列の自席から後ろを見渡して、周りの男子の様子を見た晴也はそう思った。

 普段からやんちゃな者はそれ以上に、大人しい者ですら気分が高揚しているのかやけにテンションが高い。

 中には意味不明な奇声を発する者までいる。

 プールがそんなに楽しみなのか、あまりの暑さに頭がおかしくなったのかは分からないが、ここは関わらないのが吉だろう。

 後ろは振り向くまい。そう決めて着替えに戻った。


 晴也がワイシャツを脱ぎ、上半身がアンダーシャツだけになった頃。

 突然、後ろのほうから耳を疑う言葉が聞こえてきた。


「なぁ、女子の水着姿どんなのか楽しみじゃないか?」

「そうだなぁ。この前は男子だけだったし今日こそは、な。まぁ、どうせただのスク水だろうけど……」


 机の上に両手をついて、俯き気味になりながら溜息をつく。

 ウンザリな気持ちと、侮蔑の気持ちとが綯い交ぜになった溜息だ。

 もしかしたら自分への失望も含まれていたかもしれない。

 女子と聞いて今朝のほのかとのやり取りを思い出した自分への。

 どうして男にはこんな変態的な奴が多いんだ、と思いながら着替えを再開した。

 さっさと着替えてこんな教室からは逃げ出そう。

 そう考えていたのだが、どうやら着替えすらまともにさせてもらえないらしい。


「よっ、阿倍野ちゃん」


 アンダーシャツを脱ぎ去った時に、またもや後方から声が聞こえてくる。

 この声は今朝も聞いたあの声。今朝の出来事の元凶ともいえる風間疾風の声だ。

 風間の顔を見ると、いや声を聞くだけで嫌でも今朝のことが思い出される。


「おい風間、今朝はお前のせいで散々な目に遭ったんだぞ。どうしてくれるんだ?」


 無論、この様なことを事実を知らないものに言っても意味はない。

 だからと言って、今朝のほのかとのことを風間に言うワケにもいかない。

 あんなことが知れたら、自分が痛い目を見るだけなのだから。


「んなこと言われてもねぇ……具体的にどんな目に遭ったっての?」


 至極当然の反応である。風間はただ「よっ、お2人さん。今日も仲良く登校かい?」と言っただけであり、それを誤解したのは晴也とほのかの2人なのだから。

 それに、あの話になったのも風間がいなくなってからのことなので、どんな会話がなされたのかを風間が知る由も無い。


「いや……それはだな……」

「なるほど、そういうことか。まったく……2人とも鈍感なんだな」


 晴也はまだ質問に対して何も答えていないというのに、風間は1人で納得している。

 おそらく、晴也の反応からどの様なことがあったのか薄々勘付いているのだろう。


「なあ、阿倍野君さぁ……」


 笑みを浮かべた風間はそう言ながら晴也の目の前に来ていた。

 何かを言いたかったのだろうが、突然言葉が途絶えた。

 風間は棒立ちになって、晴也の左の胸を凝視していた。

 その視線の先には、5センチメートルほどのV字型の傷があったのである。

 まるで何かによって付けられたような明らかに異質な傷が。


「な……なぁ、阿倍野。今日初めて気が付いたんだけどさ、その傷、どうしたんだ?」


 風間は晴也の左胸の傷を指差しながらそう言った。

 僅かではあるが、風間の声が震えているのが感じられる。

 幸いなことに周りが騒がしいので、風間の声は晴也にしか聞こえていない。


「ああ、これね。小さい頃に怪我したんだと思うよ」


 しかし、これは嘘だ。

 この傷は3年前の6月6日、つまり"漆黒の氾濫"のときに負った傷なのである。

 その日の夜、偶然外に出歩いている時に妖魔と遭遇し、襲われた時に負った傷だ。

 何故、阿倍野晴也が嘘をついてまでその事を隠し通そうとしたのか。それには理由がある。

 妖魔に襲われた人間は世間から"傷者"と渾名され、蔑まれ、忌み嫌われているからだ。

 妖魔に襲われるのは日頃の行いが悪いからだ、だから罰が当たった。などという理由をつけて。

 つまり、妖魔に襲われたという事実だけでまるで罪人であるかのような扱いを受けなければならないのだ。

 そのため、晴也のように妖魔に襲われたことをひた隠しにして生きている人々は相当数いると考えられるのだ。


「そ……そうか、なら良いんだけどさ。もし妖魔に襲われた傷だったらさ……」


 返事の感じからすると、ある程度は子供の頃の傷ということで納得してもらえたらしい。

 だが、まだ少しは疑われているかもしれないが。


「風間……」


 不意に目の前にいる友人の名を呟いていた。

 友人を騙したという罪悪感から、心が重たくなる。

 しかし、その後に続く風間の言葉に晴也の心は救われる。


「ま、でも俺はそんなことで差別するのは良く無いと思うけどな。俺たちだっていつ妖魔に襲われるかわからないんだし」


 思ってもいなかった言葉だ。風間がこんな風に考えていたとは。

 事前に分かっていれば嘘をつくこともなかったのかもしれない。そう思うと悔やまれる。

 いずれ、風間には本当のことを話すかもしれない。晴也はそう思った。



 晴也のそのような思考を奪って行ったのは、「そう言えば……今日の体育は鬼島おにじまの担当だったよな?」という風間の言葉だ。


 "鬼将軍"と生徒から恐れられている体育教師、それが鬼島だ。

 この学校に勤める教師の中で、生徒から恐れられている教師はほぼ漏れなく鬼○○といった渾名で呼ばれている。だが、苗字に元々"鬼"と入っているこの教師は例外だ。

 体育の授業中、常に竹刀を携えていることから、"鬼将軍"との渾名で呼ばれている。

 この教師が常に竹刀を携えていろのは、剣道部の顧問という職業柄からだろう。

 授業に遅刻や忘れ物をした場合、その頻度によっては竹刀で殴打されることもあるらしい。

 それ故に、本来ならばこのように悠長にしている場合ではないのだ。

 一刻も早く水着に着替えて、その上から体操服を纏って体育館地下のプールへと行かねばならないのである。

 それを風間がクラスの皆に伝えると、今まで騒がしかった教室は嘘のように静まり返った。

 皆、黙々と着替え、大急ぎで教室を飛び出す。

 阿倍野晴也もその中の1人だ。

 

 慌てて教室を飛び出したのは良かったのだが。不運なことにそのすぐそばを女子生徒が歩いていた。

 廊下に飛び出した晴也がそれを知っている筈もなく、対する女子生徒もいきなり飛び出してくるなどとは考えてもいなかったのだろう。


 大きな音が廊下に鳴り響いた。それから遅れて軽快な音が鳴り響く。

 廊下には衝突して倒れた2人の生徒と、女子生徒の手から零れ落ちたリコーダーが転がっている。

 いきなりの音に周りの目が2人の方へと向けられる。

 しかし、ぶつかっただけだと分かると、目線は元の場所へと戻されていった。


 どうやら柱に頭をぶつけたらしい。後頭部が盛り上がってたんこぶになっている。

 女子生徒の方は尻餅をついただけで済んだらしい。

 晴也が眼を開けて前を見ると、腰に至るほどの長い茶色の髪の毛をした女子生徒が地面に尻餅をついていた。


「あっ……ゴメン……」


 女子生徒の方を見ながら謝罪の言葉を述べると、女子生徒が晴也の方を指差していた。

 晴也から少し離れた場所、指さされたそこにはリコーダーの入った青いバッグが転がっていた。

 先ほどの衝突で女子生徒が落としたものだ。

 つまりこれは……拾ってくれということなのだろう。

 そう解釈してリコーダーを拾うと、ぶつかった女子生徒に手渡そうと距離を詰めた。

 拾った時に、バッグに書かれた名前が目に入った。"神村梓かみむらあずさ"と書かれていた。


「ホントにゴメン……急いでて、つい」

 

 神村梓と思われる女子生徒は晴也がリコーダーを拾っている間に立ち上がっていたようだ。その目の前に立って、頭を深々と下げて誤ってからリコーダーを手渡す。


「ホントのホントにゴメン! 怪我とか……ないよね?」

「別になんともないよ。それより、自分の頭のことを気にしたら?」


 そう言い残すと、女子生徒は足早にその場を立ち去って行った。



 これが、阿倍野晴也と神村梓の初対面であった。

 最悪の初対面。後から晴也はこの出会いをそう称することになるのだった。

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