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セプティモゲート―聖者の黙示録―  作者: 佐川クロム
第一部 黄泉門
14/14

第1章 麗しき射手(終)

 あまりの音にその場にいた全ての人間がその方向を振り返った。

 すると、そこには無残にも砕け散ったドアの破片と、竹刀片手に威風堂々たる様で仁王立ちする屈強な男のシルエットがあった。


「鬼島先生っ!!」


 それを見た梓が即座に叫ぶ。

 そう、そこにいたのは雷同高校の体育教師、鬼島亮治その人だったのだ。

 鬼島の姿を目にした途端、甘川の顔色が、表情が明らかに変わった。

 それは鬼島も同じで、甘川の姿を見るや否や元から険しい顔が更に険しい表情になる。


「まさかここでまた・・アンタと会えるとはなぁ……鬼島!!」


 甘川は怒り心頭の形相でそう言うと右手で掴んでいた晴也を投げ捨て、鬼島に歩み寄る。

 強烈な勢いでコンクリートの床に叩きつけられた晴也は伊舎那天の力のおかげで傷を負うことはなかったものの、頭に加わった衝撃に意識を飛ばしてしまっていた。

 それを見て、梓は投げ飛ばされた晴也の元に駆け寄る。


「阿倍野君!!」


 晴也の元に辿り着いた梓は側に座り込み、自らの太腿の上で晴也の頭を抱えるような態勢をとる。

 そうして、必死に晴也の名を呼び続ける。返事はないものの、僅かに晴也の身体が動くのを見て梓はほっと一息つく。


「よかった……」

 


 一方、鬼島と甘川の方では。


「よぉ……久しぶりじゃねぇか、甘川」


 そう呟くと、鬼島も同じように甘川へと歩み寄る。

 それと同時に竹刀を握る右手に力が加わる。

 無意識のうちの警戒心が鬼島にそうさせたのだ。


「この3年間、オレがどんな気持ちで今まで過ごしてきたか……アンタにわかるか? なあ、鬼島さんよぉっ!!」


 そう怨嗟の言葉を吐き出しながら、左手に発生させていた風を剣状に変形させて甘川も臨戦体制を取る。


「あのとき……漆黒の氾濫のあの日、私はああするしかなかった。そうするしか仕方がなかったのだ!!」


 そう告げた鬼島の言葉に甘川の表情が憎悪の色に染まってゆく。

 甘川が求めていた言葉を鬼島は口に出さなかった。それどころか、仕方がなかったなどという諦めとも取れる言葉を発した。

 仕方がなかった――その言葉が甘川の理性を亡き者にした。


 そして、またも戦闘の幕が開く――

 

 鬼島の言葉に理性を失った甘川が、左手で保持していた風剣を両手で握り袈裟斬りの要領で斜めに振り下ろす。

 風音と共に刃が迫りくるも、鬼島はそれを自らの魔能、霊力刀を発動させてエクトプラズムを纏った竹刀で受け止めた。

 エクトプラズムによって強度を得た非物理的な風の刃と物理的な刃とが切り結び、本来では有り得ぬ剣戟の音が辺りに鳴り響く。

 幾度かそれが繰り返された後、2人は互いに間合いを取り第二撃目に備えた。


「仕方がなかった……だと? ふざけたことを抜かしてんじゃねぇっ!! 散々『生徒を守ることが我々教員の使命だ』なんて言っておきながら……あのときアンタはオレを見捨てた……そうだろっ!!」


 そう言いつつ、甘川の怒りからの強烈な一撃が繰り出される。

 左から右へ薙ぐようにして放たれた一閃を後方への軽快なステップで避けるも、それと同時に放たれた風が鬼島を追撃。しかし、それをものともせず甘川が晴也にしたのと同じように、迫る風を霊力刀で打ち砕く。

 だが、甘川の攻撃は激しさを増す一方だ。怒りに支配された故か甘川の剣筋が乱れている、鬼島はそう感じ取る。


「見捨てるつもりなど……なかった!!」


 鬼島はあくまで防戦一方。自ら攻撃をしかけることはない。甘川の攻撃を霊力刀で受け止め続ける。

 甘川の、剣に乗せられたその思いを、怒りの心をただ受け止め続ける。受け止め続けようとする。


「だが、アンタはオレよりも奴らを優先した。必ず戻る、そう言い残してオレの元を去った。しかし――戻ってくることはなかった!! これのどこが……見捨てていないなどというつもりだ!!」


 言いながら甘川は両手で握り締めていた風剣を中心で左右二振りの剣に分裂させて二刀流のスタイルを取る。

 一撃の威力は半減するがその分取り回しが利き易く、素早い攻撃が可能となる。

 右、左と連続した攻撃が出鱈目に繰り返される。

 攻勢に出ようにも、守備することにしか専念できない状態だ。もっとも、今の時点の鬼島には甘川を攻撃する意図などないのだが。


「そうしなければ、更に多くの生徒が生命を危険に晒すことになっていた。だから私は、不本意ながらも彼らの救助を優先したのだ」


 甘川は鬼島の弁明に耳を貸さず、更に攻撃の速度を上げていく。

 だが、今まで、防戦するのみであった鬼島も遂に観念したのか竹刀を持つ手に力を加える。

 そして、不可視の体外物質エクトプラズムが瞬間的に竹刀に流し込まれる。爆発的に増加したエクトプラズムが竹刀のキャパシティを越え、力が暴発する。

 その瞬間、竹刀と切り結びあっていた左右二振りの双剣は甘川の身体ごと弾き飛ばされた。

 あまりに大きな力に鬼島も身体を吹き飛ばされそうになるが、持てる力の全てを尽くしてその場に踏みとどまる。

 甘川も流石なもので《祇園嵐装》の力を利用して身体を瞬間的に風に変化させ、身体に加わる負荷と、その後に加わるであろう衝撃を全て辺りの空気に受け流した。

 僅かな時間の後、風から肉体へと身体を再び変換させて次なる攻撃を繰り出さんとする。


「口では、なんとでも言える!!」


 鬼島の言葉を一蹴しつつ、両手の双剣をあたかもダガーであるかの如く鬼島に向かって左右時間差を付けて投擲。空を走る風から作られた刃は風を切るのではなく、辺りの風向きを進行方向に変更させて追い風として速度を増し続ける。

 高速で虚空を駆ける2つの刃。僅かに緑色をしていて可視状態であるとはいえ音速に匹敵するほどの速さで迫りくる刃の軌道を目視で追うのにも限界がある。

 そこで鬼島が取った手段はエクトプラズムのパターンからその軌道を読み取ることだ。奇しくもそれは甘川が晴也の攻撃に対して取ったのと同じ対処法であった。

 一瞬のうちにエクトプラズムの流れを感じ取り軌道を割り出す。

 その結果、左から放たれた刃が鬼島の右肩を、右から放たれた刃が左脚大腿部を狙っていることが判明した。

 軌道がわかってしまえば迎撃など容易い。それに甘川が時間差で放ってくれたことも幸いし、一度も鬼島の身体に触れることもなく竹刀の斬撃に刃はそのどちらも消滅した。


「なかなかの腕前じゃないか。それほどまでに私のことが憎かったのか、甘川?」


 鬼島の問いかけに甘川は黙って首肯する。当然だ。鬼島に裏切られたと考えている甘川がそう考えるのは妥当なこと。

 それは鬼島にもわかっていることだった。だが、それでも敢えて鬼島はそう問うたのだ。

 自らの罪を再確認するために。

 自分のしたことが甘川国麿という人間をどれほどまでに狂気へと至らしめたのかを確かめるために。


「オレは誓った。アンタが覚醒させたこの力でアンタに復讐するってなぁ!! だから牛頭天王ごずてんのうとの契約も受け入れた! より強い力を手に入れるためにっ!!」


 その言葉とともに甘川はまたも風から武器を生み出す。次に現れたのは刀状に収束した風だった。

 それを構えて甘川は攻撃の体勢をとる。それに呼応するかのように鬼島も竹刀を構える。

 その結果、校舎屋上のコンクリートを舞台にして、風景にはいささか不釣り合いではあるが時代劇さながらの様相が展開される。


「私に復讐するためか? そのために力を求めているのか!!」


 まだどちらも動こうとはしない。般若面の者も、神村梓もそれを止めようとはしない。いや、止められぬほどの気迫が甘川と鬼島の2人から感じられるのだ。

 お互いに精神を極限まで高め、集中力の全てを斬り合うその一瞬に注ぎ込む。

 鬼島と甘川、2人の間に緊迫した空気が流れる。お互いの呼吸の音が、心臓の鼓動が聞こえそうなほどの静寂が辺りを覆う。

 数度の呼吸音の後、いちばん大きな呼吸音、深呼吸の音がお互いの鼓膜を振動させた。それでお互いが覚悟を決めたことを悟る。

 

 そして――2人はほぼ同時のタイミングで動き出す。


 鬼島はコンクリートの地面を勢いよく蹴り飛ばし、甘川はコンクリートの地面を滑るようにして蹴る。そうして、互いが相手を自らの得物のリーチ内へと捉えた辺りで一度着地。

 そこから続けて鬼島は攻撃を仕掛ける。先ほどエクトプラズムを意図的に暴発させたときに吹っ切れたのだろうか、遂に能動的な攻撃に出た。

 一旦、目の前で竹刀を両手で構え、即座に竹刀を両手ごと自らの右脇腹の方へと引き付ける。


「虚斬・三日月閃!!」


 その掛け声とともに、そのまま竹刀を上方へと振り上げて狙いを定め、甘川の左肩に向けて振り下ろす。そこから右脇腹へと弧を描くように、竹刀を勢いよく移動させる。竹刀が動いたその軌道は正に、三日月の如くである。

 一見するとそれは袈裟斬りのようであるが、その軌道は器用に心臓のある辺りを避けており、たとえ真剣であっても相手を即死させるようなものではない。当然、今鬼島が使用しているのは竹刀であるため、余程のことがない限り相手を即死させることなどない。

 だが、甘川はそれを避けるわけでもなく、風刀で受け止めるわけでもない。そこから微動だにせず、身体を風に変換させて空間そのものに衝撃を受け流したのだ。

 そうなると、必然的に甘川がダメージを受けるはずがない。だが、風を肉体に再変換させて姿を現した甘川の顔には苦悶の表情が浮かび上がっていた。

 その場にいた晴也を除く誰もが、その様に思わず注視していた。


「くっ……今のは、何だ……!!」


 甘川は空間に衝撃を受け流せたと確信していた。なのに、これほどにもダメージを負っているとはどういうことなのか。それが解せずに思わず言葉に出してしまったのだ。


「言ったはずだろう? 虚斬・三日月閃、とな」

「……!?」


 再び鬼島の繰り出した技の名前を聞き、甘川の眉が僅かに動いた。どうやら、なんとなくではあるがどういうことなのかを感じ取ったらしい。

 その様子を見て鬼島が続ける。


「目に見える物と見えない物、どちらを人は信用するか。それは当然目に見える物の方だろう。自らの目で確認できる、という事実はそれだけで信用する根拠として十分なものだからな。だが、目に見えない物は直に確認できない以上、信頼性に欠けてしまう。今の技、虚斬・三日月閃はそれを利用した技だ。竹刀による攻撃を真実だと誤認・・させることで、その後に続くエクトプラズムによる攻撃を予感させなくする。竹刀による攻撃は虚構で、エクトプラズムの空間干渉能力による攻撃こそが本命、つまり真実。それが、虚斬たる所以だ」


 そこで一呼吸置き、更に言葉を続ける。


「自らの身体を風に変換させることで、相手にそこに自分は存在しないという虚構を見せているお前がまさかこんな簡単な罠にも気付けないとは……まだまだ力不足のようだな、甘川。どうする? まだ、戦いを続けるか?」


 全てを語り終えると、鬼島は竹刀を目の前に投げ捨ててこれ以上の戦意はないことを示す。勿論、甘川にそれでもまだ戦う気があるというのなら鬼島は戦いを続行する気でいる。

 目の前には3年間恨み続けた相手がいるのだ。いわば今は復讐を遂げる絶好のチャンスなのだ。

 だが、今しがた鬼島の力を見せつけられたばかりだ。恐らくは今の技でも鬼島の実力のほとんどは発揮されていないだろう。

 3年前、漆黒の氾濫のそのときに魔能者として覚醒したばかりにもかかわらず、阿修羅の如く妖魔を蹂躙した鬼島の姿をその目で見た甘川だからこそ、そのことがよくわかっていた。

 このまま本気でかかってこられると、十中八九自分は敗れるだろう。そう踏んだ甘川はこの場は潔く退散することを選んだ。

 そしてその旨を口頭で伝える。だが、それは鬼島に対する言葉としてではなく、あくまで般若面の者に対する言葉としてだ。


「……もういい、これ以上は意味がない。引き上げるぞ!!」


 般若面の者に向かってそう言うと、甘川は発生させていた風刀を霧消させ、それと同時に般若面の者の両腕を拘束していた風の輪を解除する。


「いいのか、甘川?」


 般若面の者が些か怪訝そうに問いかける。あれほど鬼島という男に固執していた割には、あっさりと引き下がるのだな。そう思ったからだ。

 もっとも、般若面の者もこの辺りで退いておくべきだと考えていたので、甘川の決定に異存があるわけではない。


「ああ、どうせなら、この男にはあの日のあの場所で、オレと同じ苦しみを味わわせて罪を懺悔させてやるさ。そうしなければ……オレの心に燻る復讐の炎は、消えはしないからなあっ!!」


 半ばヤケクソの、負け惜しみ混じりの言葉を甘川は発する。

 その後に甘川の言葉が続かないと判断した般若面の者は最後に一言。


「ふむ……では、今日はこれにて失礼するとしよう。また会うときを楽しみにしているよ、神村梓。阿倍野晴也にもそうお伝え願いたい」


 一礼をして、般若面の者は屋上の端へと歩んでゆく。それと同時に甘川は身体を風に変換させて姿を晦ます。

 屋上のフェンス近くに辿り着いた般若面の者は魔能でフェンスを突き破りそこから飛び降りると、夜闇に姿を消した。



 2人の姿が完全に消えたのを確認すると、梓は鬼島に問いかけた。晴也はまだ気を失ったままだ。


「先生、どうしてここに来たんですか? 妖魔は、どうなったんですか?」


 まくしたてるような口調でそう問いかけた。鬼島はその問いに対して、淡々と答える。


「ああ、そのことか。妖魔共の相手をしていると、奴らが突然屋上の方へ向かったのでな。何事かと思いここに駆け付けたのだ。辺りにいた妖魔はその道中に殲滅しながらな。恐らく、エクトプラズム発光に惹きつけられて妖魔が集まったのだろうな」

「そうだったんですか。それで……もう1つ聞きたいことがあるのですが……」


 先ほどの問いに対する答えには満足したものの、続けて鬼島に質問を投げかける。どちらかというと、梓としてはこちらの方が聞きたいことだった。

 だが、いきなりこのようなことを聞くのはどうかと、そう思った結果、まずは当たり障りのないことから問うたのだ。


「何だ? 言ってみろ。私に答えられる範疇の質問なら答えよう」


 梓の質問の内容を予め推測しているのか、答えられる範疇で、という条件付きで問いに答えることを承諾。

 そして、梓は鬼島に問う。


「先生と……さっきの、甘川とかいう男の人はどういう関係なんですか? 見た限りじゃ知り合いだったみたいですが?」

「やはりそのことか。全てを語る気はないが、あいつは私の元教え子だった男だ。元々は争いを嫌う、大人しい……そうだな、阿倍野のような生徒だったのだがな。漆黒の氾濫のときにあることをきっかけにして、あんな風になってしまったのだ。そのことについて、私は少なからず関係している。だから、あいつは私に復讐しようとしているのだ」


 そこまで言うと、鬼島は口を閉ざしてしまった。いつもの厳ついイメージからはおおよそ想像もつかない威勢を失った鬼教師の姿が、そこにはあった。

 昔のことを話しているうちに、鬼島は気がつくと感傷に浸ってしまっていたのだ。


「元ってことは……その、つまり」


 梓の言葉に我を取り戻すと、一度首を左右に振ってから左手で顔を押さえつける。


「その通り、あいつはその一件以降、この高校を退学という形で去って行った。私が最後に甘川の姿を見たのもそのときだ。さあ、話はこのくらいでいいだろう。そろそろ阿倍野も意識を取り戻す頃合いだろう。そうしたら、寄り道せずに家に帰れ。詳しい話は明日、聞かせてもらう」


 そう言い残して竹刀を拾うと、鬼島は校舎の方へと歩いて行く。

 校舎の中に姿を消そうとするそのとき、鬼島は思い出したかのように一言言い残す。


「ああ、そうだった。言い忘れていたが、校内で意識を失っていた者は全て、他の先生方が運び出してどこかの教室に退避させたそうだ。それと、大分汚れてしまっただろう、代わりの制服が被服室にあるはずだ。サイズが合うものに着替えてから帰るといい。そんな格好で、外を出歩くのは君だって嫌だろう?」



 晴也が意識を取り戻したのは、それから体感時間で5分ほど経ったあとだった。


「ん……」


 小さな唸り声とともに、晴也は徐々に意識を取り戻してゆく。それに伴って、感覚や視界も回復していく。

 すると、目の前には端正な顔立ちをした少女の顔があるではないか。頭の下には柔らかな感触がある。

 これはいったいどういうことなのだろうか……

 晴也が意識を取り戻したことに気づいたのか、少女は晴也に言葉をかけた。


「やっと起きた。長い間気を失ってるなんて、男の子なのに情けないぞ!」


 その言葉に驚いて、晴也は慌てて飛び起きた。そのまま、梓と顔を合わせることなく、晴也は恐る恐る後ろにいる梓に問いかけた。


「神村……さん? もしかして僕、気を失ってたの?」

「そうだよ。気を失ってたの」


 にこやかな声で、そう返された。

 だが、晴也が気になっていたのはそんなことより――


「で、ずっと……その……膝枕、的、な?」


 それからゆっくり後ろを振り返ると、そこには顔を真っ赤に火照らせた梓がいた。晴也の顔を見るなり、梓は更に顔を紅潮させる。

 しまった……余計なこと言っちゃった……。

 そう思って後悔しても、時すでに遅し。


「バ……バカァッ!! いきなり、なな、なんてこと言うのよっ!!」


 赤面した梓は座り込んだままその場でじたばたする。改めて指摘されたことで、恥ずかしさのあまりに思わずそのような行動をとってしまった。


「…………」


 どうしたらいいものか、それがわからず沈黙。だが、梓はそれが気に入らなかったようで、


「何よ? 黙ってないで何とか言ったら良いじゃない!」


 ムスッとした顔で怒って見せた。しかし、これは心から怒っているのではなく恥ずかしさをなんとか誤魔化そうとしてのことである。


「えっと……ごめん。いや、ありがとうのほうが良いのかな?」


 呟くような形で自問自答。そして、続ける。


「ありがとう、神村さん。気を失った僕のこと、看病してくれて」

「ふふ……どういたしまして。といっても、見守ってただけなんだけどね……」


 頬を桜色に染めながら、梓は晴也の言葉を受け入れる。それから、少し戸惑ったような感じで梓が口を開いた。


「えっと……その、なんだけどね。わたしのことは、梓でいいよ。その代わり、わたしもあなたのことは晴也って呼ばせてもらうから、ね?」


 唐突な申し出だった。いきなり女子から名前で呼び捨てにしてくれと頼まれるなどとは思ってもいなかった。

 しかし、晴也自身、そういう経験が全くないというわけではない。中学時代まで――つまりこの雷同高校に進学する前まで――晴也は幼馴染の神崎愛かんざきまなのことをマナと呼び、愛は晴也のことをハル君とお互い呼んでいたのだ。その経験から、呼び捨てにすることに対しての抵抗はさほどない。

 だが、ここで問題なのは、晴也と梓は今日出会ったばかりだということだ。愛の場合は、幼馴染という関係上、かなりの時間を共に過ごしてきた。だから、愛のことをマナと呼ぶことにもハル君と呼ばれることも大して気になることではなかった。しかし、今の場合はそうではない。

 出会ったばかりの女子を――相手からそう頼まれたとはいえ、呼び捨てにしても良いのだろうか?

 ほのかのことですら委員長もしくは、中野さんと呼んでいて、ほのかの方も阿倍野君と呼んでいるほどなのだから。

 もし、この場に風間がいたなら二つ返事でOKしていただろうな、と晴也は思った。だが、自分はそこまで軽薄にはなれない、いやなってはいけないと心のブレーキが作用してしまう。

 晴也が思索を巡らせていると、梓が僅かに目を潤ませて聞いてきた。


「やっぱり……ダメ、かな?」

「いや、そういうわけじゃないん……だけど、さ」


 結論を出すまでの時間稼ぎとして、曖昧な返答をする。

 しかし、梓はそれを時間稼ぎには利用させてくれないようだ。晴也の言葉から間髪入れずに梓の言葉が続けられる。


「ダメじゃないんでしょ? だったら……いいじゃない……」


 今すぐにでも泣き出しそうな、そんな声で頼まれては断るに断れないじゃないか。

 そう思って、晴也は不本意ながらも梓の申し出を受け入れることにするのだった。


「わかった……それでいいよ。あ……梓……」


 ぎこちなく、そう言う。

 そして、明るい声で、こう言われる。


「ありがとう、晴也!」


 そこには泣きそうな梓の姿はなく、微笑みを浮かべている梓の姿しかなかった。

 もしかして……騙された?

 今更そう思っても、手遅れなのだった。



 それから2人は鬼島に言われたように、被服室へと向かった。隣を歩いている梓は機嫌が良さそうだ。

 まあ、機嫌を損なわなかっただけましか、そう思うことで無理やり納得することにした。

 思わず、愛とも似たようなことがあったな、などと思い出す。


 目的の被服室はこれまでいた屋上と同じ棟にあるのでそう遠くはない。なので、屋上を後にしてから僅かな時間で辿り着いた。

 そこには鬼島の言っていたように、確かにサイズの異なる何着かの男女の制服が教室備え付けのクローゼットの中にあった。恐らくは予備として用意されていたものだろう。

 その中から、合いそうなサイズのものを選び出して、手に取る。

 今まで着ていた制服を脱ごうとして、梓が上ずった声で晴也に言う。


「ちょっと外に出てて。その、の……覗かないでよ……?」

「え……って覗くだなんてそんな!!」


 それを聞いて、晴也は慌てて被服室を飛び出した。もちろん、ドアもちゃんと閉めて、被服室の窓から離れた所に退避する。


 それから少しして、梓が姿を現した。


「もういいよ。次は晴也が着替える番」


 晴也の目に入った梓の姿に、少し違和感を覚える。

 なんとなく……小さいんじゃないのか?

 晴也にそう思わせたのは、シャツの裾から白いお腹が覗いていたからである。スカートも、僅かながら短いような気がする。

 そんな晴也の視線が気になったのか、梓が非難の声をあげた。


「な……なに? そんなに、ジロジロ見ないでよ……」

「そんな、ジロジロなんて見てないよ!! ただ、なんとなくサイズが小さいんじゃないのかなって思っただけだから」

「やっぱり見てたんじゃない。サイズをちょっと間違えただけよ」


 これ以上、梓から非難の声を浴びるのも嫌だと考え、早急にその場を後にして晴也は被服室の中へと姿を消した。


 ものの数分で綺麗な制服へと着替えると、晴也は被服室から出る。


「お待たせ」

「うん。じゃ、そろそろ帰ろっか」

「そうだね、大分暗くなってきたみたいだし」


 2人はお互いに頷くと、足早にその場を後にして、正門に向けて歩き出した。

 正門へと向かう間、2人の間に言葉はなかった。そのかわり、2人は今日の出来事に思いを馳せていた。


 妖魔と戦ったこと、魔能の力に覚醒したこと、般若面の者と戦ったこと、甘川と戦ったこと――たった一日でいろいろなことがありすぎた。

 そして、その一つ一つが衝撃的であり、また晴也には新鮮・・なものであった。それは刺激・・といってもいいだろう。

 良くも悪くも、今日の出来事は晴也にとって良い経験となった。今まで生活していた世界の裏で起こっていたこと、それを直に見せつけられた。

 今までの日常が上辺だけの平穏だったことを直視させられた。その裏で、どのようなことが行われているのかも。

 これからも、この魔能の力で戦っていくのだろうか……


 気がつくと、既に警備員詰所の前にいた。中で倒れていた警備員も姿がなくなっており、鬼島の言ったとおりどこかに運び出されたようだ。

 校外へ出るために、一度警備員詰所の中に入る。そこを介して校外に繋がる扉から外に出る。


「ふぅ……やっと帰れる」


 伸びをしながら、梓が穏やかな声でそう漏らした。


「そうだね」


 晴也も安堵感の感じられる声で返事する。

 と、そんなときだった。

 遠くから、下駄の足音が聞こえてくる。それはドンドン大きくなり、2人から少し離れた所で止まった。

 そして、声が聞こえてくる。若そうではあるが、少し渋めの声。その声は、こう言った。


「よっ、大丈夫だったか、梓? 迎えにきてやったぞ」


 突然聞こえてきた声に、晴也は咄嗟に身構えてしまう。しかし、梓の方はそんな素振りを見せない。


「誰だ!!」


 その声に対して晴也が声を上げる。


「ああ、ごめんごめん。まずは自己紹介からか。僕は清川豪徳きよかわごうとく。そこにいる神村梓の保護者さ」


 そう言って姿を現したのは、法衣を纏った、20代後半と思われる男だった。

 そして、男は続ける。


「君は……もしかして、梓の彼氏かい? そうか、梓ももうそんな年頃になったのか!」


 それを聞いてウンザリした様子の梓のその表情が、妙に印象的だと晴也は感じていたのだった。

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