仕事始め
「ごちそうさま」
夜が明け、朝食を食べ終わったところだ。昨日決めた通り、量は普通になってる。残っているのは果物が少し。この残った果物を使って、お茶請けを作るように母上が指示を出しているので食べ残しはないということに。
今日の予定は手紙を出すことと街案内だったな。のんびり回ってこよう。
そろそろ部屋に戻って準備始めようかと思っていたところ、レアに声をかけられた。
「兄さん、行こう」
「行くってどこに?」
「当主の執務室。そろそろ仕事を始めようと思って」
「俺今日は街に出ようと思ってるんだけど。手紙出して、アンゼとルフを案内しようかなと」
「……約束したのに」
「あ、明日からじゃ駄目?」
「一緒に仕事するの楽しみだったのに」
そうしょんぼりされると悪いことしてるような気が。
「若様、私がお嬢様とルフ様を案内してきましょうか? 手紙も出してきます」
シャイネが申し出てくる。
どうしようか。できれば俺が案内してあげたかったんだけど。
「パパ、おしごとがんばって? わたしはルフがいっしょだからへいきだよ。
シャイネお姉ちゃん、いろんなところつれていってね!」
悩んでいる俺を見かねたかアンゼが気を使う。なんて優しい子や! ここはアンゼの気遣いに甘えよう。
「じゃあシャイネ、アンゼのことよろしく頼む」
「承りました」
シャイネは綺麗な一礼で応えた。
シャイネに手紙とお金を渡し、三人を玄関まで見送る。昨日の門番に不思議そうな顔で見られつつ、屋敷に戻る。俺たちについてまだ説明はされてないので、不思議そうな顔をしたのだろう。怪しまないのは、フィゾに連れられて入ったことや、長く勤めているシャイネと知人だと判明しているからか。
発表がある前に、古株の使用人たちから俺のことを聞くかもしれないな。悪い噂と一緒に。
「さて仕事です!」
「なにをするつもりなんだ? 最初に言っておくと、手伝えることは少ないからな? ガーウェンから学んでいた時、覚えが悪かったのは演技じゃない」
どうせ出て行くんだからと真面目に学ばなかったんだよな。
「そうなのですか? まあ一緒にやってきましょう。どれくらいできるか確認も兼ねて」
「では始めはこちらです」
ガーウェンが準備しいてた書類を差し出してくる。
内容はと……なるほど。一つ頷いて用意された机で仕事を始める。
仕事が始まって一時間が過ぎる。仕事はどうかというと、
「駄目駄目ですね」
「駄目ですな」
「だから言ったろう」
ガーウェンは悲しげだ。教えたことが生かされていないことを残念に思っているのだろう。
レアはなぜか、ニコニコとしている。なぜだ? 一緒に仕事できてるせいか?
「計算とかはそれなりに早いのに、出ている問題への対処がほぼさっぱりですか。以前あったことを参考にすれば、そう難しいことではないですよ? 細かいところで相違がでますから、まるっきり同じ対処法は使えませんが」
「もう一度教え込む必要がありますかな」
もう一度は勘弁願いたいな。
というか脳内に計算機でもあるかと思うくらい計算早くて正確だったよ、うちの妹は。これでも暗算得意な方だったんだが。
「できることをやらせてればいいんじゃないかな? それだけでも助けにはなるだろ?」
「それはそうですが、私としては困難な仕事をスムーズにこなす兄上の姿も見てみたいです」
公私混同してないか? 過度な期待はしないように。
「それはまあ、いつか見せることができたらいいなと愚考する」
「無理そうですなぁ。やはりもう一度勉強しか」
流れがやばいかな? ここは話を逸らそう。
「勉強といえば、子供たちに勉強を教えてみたらどうかと思うんだが」
「子供に勉強? 既に教えていますよ?」
「そうなのか? 俺が小さい頃は教えてなかったんだが、父さんそういった政策実施したんだな」
「二人の間にズレがあるようですね。
おそらく当主様が言っているのは貴族の子供のことで、ディノ―ル様が言っているのは平民の子供のことでは?」
俺はそのつもりで言っていた。レアを見てみるとガーウェンの言うことに違いないようだ。
「平民の子供のことでしたか。教えていないのですか?」
「さっきも言ったように、俺の小さい頃は教えてなかった」
「貴族の子供のようにしっかりと教えることはないですね」
「それだと大きくなって困りませんか? ガーウェンは子供に対してどのようにしたのですか?」
「私が基本的なことを教えましたね。平民の子供は親に簡単に教えてもらうのが普通です。もっとも簡単にですから、知らない文字があったり、複雑な計算ができない人もいます」
それらが原因でもめごとが起こったりもするよね。何度か見かけたことある。依頼の報酬でそういった揉め事が起こったりすると厄介なんだ。
「引退して村に帰ってきた文官に教わることもありますが、こちらは稀ですね」
貴族の勉強方法は家に教師を招く以外に、学者が開いている塾に行かせて勉強をすることもある。後者は財力に不安があったり、優秀な教師のツテがない場合だ。
「読み書き計算はできたほうがいいと思うんだ。その子の将来的にも、うちの将来的にも」
「もしかしたら優秀な人材が出てくるかもしれないと?」
中々いい感触なのか、レアが真剣に考えている。
「武器の基本的な扱いを教えるのもいいかもな」
「それはどうでしょう? 教わったことを使用し強盗など行われたら目も当てられませんよ」
武器の扱いを教えることに対して、ガーウェンが欠点を指摘する。
「そういった問題があるか。
あ、教わったことで強さを過信して、魔物に挑んで痛い目にあうって問題も出てくるな」
これは実体験だ。ちょっと剣術を教えたことがあって、剣を片手に街を飛び出していった馬鹿がいたのだ。急いで追いかけたので助けることができ、なんとか死にはしなかった。その時感じた恐怖で髪が真っ白になってたな。懲りずに修行して、その魔物を倒した根性は誉めてもいいが。
「では兄上、利点欠点必要費用などなどをまとめた書類を作ってください」
なんか仕事ができたぞ。
「実行するのか?」
「いえ、とりあえず書類を作ってもらい、出来上がった書類を見て判断します。無理なら無理と言います」
書類かぁ、しかも手書き……めんどくさ。前世でも作ってたから、なんとかなるけどね。パソコンが懐かしい。
さっきまでの仕事よりはまだましか。さくっと作り上げてしまおう。
まず利点。これはさっきも言った将来優秀な人材を獲得できるかもしれないってこと。ついでに経済活動もスムーズになるんじゃないかな。これも将来は、だけど。小さくてもいいから、実行してすぐに出る利益も欲しいな。
欠点は、投資が無駄になる可能性もあるということか。さすがにまったくの無駄にはならないだろう。でも使った費用に利益が追いつくかはわからないと。あと知識の悪用も考えられるか。
実行するにあたって必要なことは、場所の確保、教師役の確保、必要費用の確保。すぐに思いつくのはこれくらい。ああ、参加人数も決めといた方がいいかな。大人数で来られてもこちらが混乱するだけだし、慣れるまでは小規模な方が。
期間はどれくらいがいいか。教えるのは、読み書きに四則演算でいいだろ。だから……一年あれば十分? ここは話し合いが必要っぽい。
できない子できすぎる子に対しての苛めも心配だなぁ。学校で出てた問題を列挙しとくかな。
いづれは高等教育を施す機関も作る必要が出てくるかも。基本的なことだけじゃ物足りないって子はいるだろうし。
本とかも集めた方がいいのかな。ここにある本だけだと足りないし、持ち出しは厳禁だろう。本のことは運営が軌道に乗った時に考えることか。
学費は後々取れるようになる、といいなぁ。最初から取ろうとすると参加しようとしない人が大勢になりそうだ。
書くことが次から次へと湧いてきて、書き終わらない。そのまま昼食まで書いたり修正したりし続け、レアに昼食に誘われてようやく手を止めることができた。
「兄さん集中してたね」
昼食は仕事に関係ないので、公爵モードは解かれたようだ。
「一つ書くと、それに連鎖するように書くことが増えていったんだ。おかげで集中するはめに」
「あまり細かくなくてもいいんだよ? 許可不許可を決めるための書類だから。細かいことは許可が出た後」
わかってはいたんだけどなぁ。ついつい夢中になってしまった。
「まあ、詳しい情報があった方が助かるんだけどね。書いたことは無駄にはならないから安心して。許可出せなくても、ほかの場所で考えたことが生きることだってあるから」
「ありがと。とりあえず、明日にはまとめて上げて提出するよ」
「わかったよ」
母上を含めた三人で昼食を食べ、食休みを兼ねて少し雑談する。
「そういえば手紙はどこに出したの?」
「仲間のところだ。イツセ砂国のこっちの国に近い小さな街、そこに出したんだ」
「仲間ですか? 三人だけで旅をしていたのではないのですね。昨日の話では、その方たちは出てきませんでしたし」
母上も話に加わってくる。あいつらのことが少し気になるのだろうか?
「そいつらと会ったのは一年くらい前で、昨日の話は旅を始めて二年目までだからな」
会ったのはフェウス鉱山奪回という依頼を受けた時だ。その時に集まった冒険者の中で、気の合った者たちが集まって傭兵団を作った。名前は赤馬隊。リーダーの持つ馬の目が赤く、毛も赤みがかった茶で、そこから取ったのだ。結成当初は非戦闘員を入れて九人で、今は十三人と小さな傭兵団。結成も一年と若いので、無名と言ってもいい。
俺たち三人が一時的とはいえ抜けるから、さらに小さくなるなぁ。ここに来るまでの間に誰か入ってるといいんだけど。
「赤馬隊……聞いたことない」
「当たり前。活躍してないから有名にはならないさ」
受けた依頼で一番大きいのが、鉄皮猿殲滅というもので、それは拠点にしている街からの依頼。その街もそれほど大きくはない。ほかに依頼も受けているけど、そっちはさらに小さいものばかり。そんな状況で有名にはなれないよ。いつか大きな依頼を受けたいと皆で話してはいた。
「でも居心地のいい傭兵団だったよ」
仲間想いの人ばかりだったし、アンゼのこともよくしてもらっていた。
リーダーは無茶するけど、荒くれ者というわけじゃなかった。豪放な性格に引かれて人が集まっていた。
「少し、少しだけ申し訳なく思うかな」
「どしたレア?」
きょとんとした俺を見て、どうしてそう思うか口にする。
「そこから引き離した形になるから」
「たしかに赤馬隊から離れはしたけど、二度と会えないわけじゃないし気にしなくていいよ。
あっちとレアじゃ、レアの方が優先順位は高いし」
これは本心だ。ちなみにレアとアンゼでどちらかを選べと言われると、きっと延々答えは出ない。
俺の言葉を聞いて、レアの表情が綻んだ。母上は兄妹の良好な関係を嬉しがっている。
話はこれくらいで終わりにして執務室に戻る。それから午後三時の休憩まで、書類と格闘していた。
「さて私はこれから体を動かしに行きますが、兄上はどうします? このまま書類作成を続けますか?」
「フィゾ来てるかな?」
「おそらく」
「だったら行こう。昨日は慌しくて挨拶してなかったし、お土産も渡したい。夕食後はセイルマンに挨拶に行こう」
一度私室に戻って着替えてくるレアと別れ、俺も自室にお土産を取りに戻る。
俺も体動かすことになるだろうか? わからないけど服装はこのままでいいし、木剣の余りくらいあるだろうから、お土産以外に持っていく必要はないな。
短剣を持って、部屋を出る。この短剣は、盗賊討伐に参加した時に殺した盗賊が使っていたものを貰ったのだ。きちんと手入れしてあるから薄汚れていたりはしない。見る人が見れば、新品ではなく誰かに使われていた物だとわかるだろうが。
売れば最高値で、五十万ゼンはするかもしれない。ゼンというのが、この世界のお金の単位だ。八卦型の金属っぽい硬貨で、一ゼン=一円といった感じ。一と十と百と千と一万と十万の六種類の硬貨がある。
これは大昔作られたもので、今は作ることができないらしい。昔に作られたというわりには、傷がついたり欠けていたりする硬貨は一つもない。洗えば新品同様の輝きを見せる、不思議な硬貨だ。
古い地層や遺跡などから大量に出てきたので作る必要がなく、今だ発掘されることがある。一攫千金を狙った冒険者が地面を掘っているところを見たことあるし、俺も一度そういった仕事に参加したことがある。あの時は、別のものを掘り当ててちょっとした騒ぎになったなぁ。
そんな硬貨なので、偽物を作ることは無理。偽硬貨関連の犯罪があったとはとんと聞かない。製造技術のレベルに差がありすぎると感じさせてくれる。
レアとの待ち合わせは訓練場なので、そこに向かう。
到着して周囲を見渡すと、誰かと話しているフィゾを見つけた。レアは見つからず。俺の方が早かったみたいだ。
新兵と古兵が混ざって訓練を行っているようで、古兵は俺に気づき驚いた様子を見せている。新兵はどうして驚くのかわからず首を傾げている。
それらを無視して、先にお土産を渡してしまおうと考えた。
話し終わるタイミングを計って、フィゾに近づき話しかける。
「師匠」
「若様!」
「久しぶりです」
「そうですな。昨日の突然の頼み事、まことに申し訳ございません」
「確かに突然だった。でも俺にとっても見過ごせない問題だったから、連れて行ってもらって助かったよ」
「そう言ってもらえると助かります。
上手く話をなかったことにできたようですね」
「勢いに任せて話してたらどうになったみたいだ」
勢いに任せた話術くらいでどうにかなってしまうのだから、本気で下克上を狙っていたのか疑わしいんだよな。そこはレアとガーウェンも疑問に感じて調査しているだろう。下克上が成功しそうになったのは、慌てているところに性急にことを進められたからなんだから、落ち着いた今後は隙を見せるようなことはないはずだ。
「これは旅先で手に入れた短剣です。お土産にどうぞ」
フィゾは渡された瞬間短剣が魔剣だと気づいたようで、表情を変える。
「このような高価なものいただくわけには」
「討伐依頼を受けた時に賊から奪い取ったものだから気にしなくていい。手に入れたはいいけど、使わずにいたんだ。師匠が使わなくても、子供や孫にプレゼントするなりすればいいよ」
「では、ありがたくいただくことにします」
元手がゼロと聞いて安心したのかな。
フィゾは短剣を鞘から抜いて、しげしげと眺める。
「どのような魔法がかけられているのでしょう? 私には魔剣ということしかわかりません」
「半永久的停止ですね。折れず曲がらず欠けずのひたすら頑丈さを求めたもの。強力な魔力を浴びせられるか、解呪魔法を使われないかぎり効果は続くと思う」
「手入れいらずの魔剣ですな。孫の就職祝いに渡すことにしましょう」
「お孫さんっていくつでしたっけ?」
「そろそろ十七です。王都の警備に採用されることが決まりましてな」
誇らしく笑うフィゾ。
下っ端なのだろうが、それでも王を守るという仕事に就いた孫を誇っているのだ。
フィゾと孫は兵という職に就いたが、息子さんは建築家になっているらしい。息子さんが小さい頃は剣を振らせていたものの、才がそれほどなかったようで、好きな職に就かせた方がいいと判断し、建築家の道を目指した息子さんを応援したという話だ。しっかりと技術を身につけるため、フィゾのコネを使い腕のいい大工の元で修行したおかげで、今ではそれなりに名の知れた建築家になったということだ。
「それは、おめでとうございます」
「ありがとうござます。
お、当主様がいらしたようですな」
にわかに騒がしくなった周囲に、フィゾは少しだけ呆れた様子を見せる。
どうしてそのような表情となったのか聞くと、美人のレアにいいところを見せようと張り切る者が多いとのこと。
「レアが好かれているのはいいことだ」
身軽な服装に着替えたレアと誰かが話している様子を見ながら言う。
俺の反応にフィゾは意外だといった顔を見せる。
「大事な妹に近づく者に対して警戒を見せると思っていたのですが」
「そんなものは当たり前の反応だよ。当たり前すぎて表情には出ない」
「そうでしたか」
予想していたんだから呆れた顔せんでも。
「私たちも久しぶりに稽古してみませんか。若様の上達ぶりが気になります」
「体は大丈夫ですか?」
「まだまだ剣は振るえますぞ」
たしかに見たかぎりじゃ、体のどこかが悪くなっているようには見えないが、そろそろ六十才のはず。無茶はしてほしくない。
そんな俺の考えを読み取ったか、少し表情を歪める。
「毎日の訓練は怠っていませんぞ? 心配されるにはまだ早いと自負しているつもりです」
「無茶だけはしないでくださいよ」
壁に立てかけてある木剣を二本取り、一本をフィゾに渡す。
もう稽古風景を隠す必要はないので、このままここで稽古を始めた。始めは軽く打ち合って体を温めていき、次第に熱が入っていく。
俺は集中して気づかなかったが、俺の練習風景に三年以上この屋敷に勤めている兵は驚いた表情となっていた。噂では才無しとなっていたのだ。それを信じていた者たちが、一流とまではいかないがそれなりに使える俺を見て驚いていた。
稽古は力で押し気味な俺を、フィゾが技で対応しいなしていた。さっきの言葉が偽りではないと身を持って実感している。
この三年で経験を積み、身体能力も上がった。それでも剣技のみではフィゾには届きそうにない。正直悔しい。やはり老いても一流は一流で、高みにいるのか。俺がそこに至るのはセンスの乏しさから無理だ。だから足りない分をほかから持ってくることで、届かせようとした。三年間で形にはなっている、だけど人の多いこの場ではあまり使いたくない。手の内を晒したくない。いまさらだけど、稽古場所は選ぶべきだったかなぁ。
なんて考えてたら、木剣を弾き飛ばされた。
「考え事しながら戦えるとは、余裕がありますな」
「少しは近づいたと思ってたんですけどね」
「はっはっは、まだまだ若い者には負けませんよ。さすがに長時間剣を振るい続けるのはきついですが」
耐久戦狙ったところで、魔法無しの俺ならいっきに攻められて負けるだろうな。まだまだ一流への道は険しい。
「若様も上達なさっているようで安心です。
持てるすべてを使えば、私から一本取ることも可能かもしれませんな」
「あまり手の内晒したくないから、魔法は使いづらいよ」
あの表情は、なにか奥の手を得たことを悟られたかな?
「別の機会に二人だけでやりましょう」
「はい。俺も持てるすべてを使い師匠に挑みたいです」
最後の手段までは使えないけど。
「若様の成長が知れるその時が楽しみですな」
俺も楽しみと答え、その場で素振りを始める。集中して基本の型を繰り返しているうちに、レアの稽古が終わったとフィゾの声をかけられた。
まだ物足りないが、残りは夜やろうと素振りを止めレアに近づく。
「兄さんも稽古終わり?」
「あとは夜にでもやろうと思ってる」
「熱心だね。どこでやるの?」
「部屋近くの小庭かな。一人だけなら十分な広さだしね」
そう、と返事をしたレアは少し考え込み、一つ頷いた。
そんなレアの様子よりも、俺はレアの先生役からなぜか睨まれ、それが不思議だった。
俺はその男がレアを指導をしているということしか知らないし、近づいたことも話したこともない。だからなんで睨まれているのかさっぱりだ。
レアと話していることで注目は集めているが、その視線の中に男と同じ感情の視線はない。
「レア、部屋に戻らないか?」
「そうだね。
皆、訓練ご苦労様。これからも努力を惜しむことなく精進するように」
最後に兵たちに声をかけて、その場を去る。その声はよく通り、訓練場全体に響いた。
レアを追い、隣を歩く。建物の中に入り、兵たちから隠れたことを確認し、あの男のことを聞いた。
名前はゴウロ・ホトマリン。四十才で妻子あり。剣の腕はホルクトーケ領内でもトップクラスで、レアの抜かせば一番腕が立つらしい。役職は隊長補佐とレアの剣の先生役。次期隊長と決まっているのだという。
昔ゴウロの子供が病気で困っている時、レアが公爵家付きの医者を紹介したことがあるらしい。お金は足りていたが、医者にコネがなくあやうく子供が死ぬところだったとのこと。
「どうしてゴウロのことを聞くの?」
「レアが考えごとをしている時、睨まれていたからね」
「兄さんを? どうしてだろう。兄さんとゴウロに接点なんてなかったはず」
本当にどうしてなんだろうと、二人して首を傾げることになった。
風呂に行って汗を流すというレアと別れ自室に戻る。俺は濡らした布で、体を拭くだけでいい。
濡らした布を片手に自室に近づくと、背後から駆けてくる音とともにアンゼの声が聞こえてきた。
「おかえり」
振り返り片膝をついて出迎える。そこに勢いよく抱きついてきた。アンゼの肩に乗っていたルフが慣性で落ちないよう、抱きつく前に中に浮く。
「ただいま!」
「楽しかったかい?」
見上げてくるアンゼの髪を撫で聞く。アンゼは満面の笑みを浮かべて頷いた。
「ルフはどうだった?」
「いろいろと見ることができて楽しかったわ。フルーツケーキも美味しかったし。
今日行った以外の食堂にも行ってみたいわね」
食道楽にでもなる気か?
「ただいま帰りました」
「お疲れ様、シャイネ」
「私も楽しみましたから」
微笑みながら言う姿は高貴な女性にも見える。
「いつものメイド服も似合ってるけど、そういった私服も新鮮でいいね」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると、おめかしした甲斐があるというものです。
私は着替えてきますので、お嬢様は若様にお任せても?」
「いいよ」
ではと一礼してシャイネは去っていった。
ふと思ったけど、シャイネはどうして結婚してないんだろう? あの器量なら引く手あまただろうに。
「さ、部屋に入ろう」
アンゼとルフからどこに行ってなにをしたのか聞きつつ、汗を拭いて服を着替えた。
話を聞いているうちに、着替えてきたシャイネも加わり、夕食まで雑談は続いた。
使用人に夕食に呼ばれ、その場にいた全員で向かう。そこでもアンゼとルフの観光話は続いた。食事のマナーがひどくなければ、レアは当主としても個人としても賑やかなことを咎めることはない。ましてアンゼはまだ五才。幼児にマナーと弁えろということが無茶だとレアもわかっている。
俺が気づかないところでもう一つ、話すことを止めなかった要因がある。それは子供の視点から見て、街がどうだったか知れるということ。大人とは違った視点は、時に独自の意見が出てこれからの領地経営に参考になるのだという。おまけとして、自身の治める地のことを楽しげに語られることが嬉しく、止める気が起きなかった。
賑やかな夕食が終わり、レアと遊ぶというアンゼとルフを残し自室に戻る。そしてセイルマンとミシュへのお土産、ついでに魔剣もどきを持って、彼らの部屋に向かう。今日来ていて、まだ滞在中ということは確認済みだ。
扉をノックして、返事を待ち入る。
三年前からたいして変わっていない二人が出迎えてくれた。セイルマンはもちろんのこと、ミシュも成長期は終えているから変わってなくて当然といえば当然。
「お久しぶりです先生、ミシュ」
「久しぶりですな、若様」
「お帰りなさい」
勧められた椅子に座る前に、お土産を二人に渡す。
「これはこれは」
「私にもあるんですね」
セイルマンは本をぱらぱらと捲っていき、ミシュはさっそくストールを羽織ってみている。二人とも不満そうな顔をしておらず、嬉しがってもらえたようでよかった。
本を閉じたセイルマンがこちらを見て口を開く。
「若様はこの三年どのように過ごされていたのです?」
「二年はあちこちに足を伸ばしてたよ。この一年は所属する場所もできて一箇所に留まってた」
「どのように動いていったのですかな?」
最初はとにかく急いでリムルイートから出たんだっけ。
向かった先は東のトーホルム森林国、そこで駆け足冒険者だから小さな町から始めようと思って、王都とかは避けていい感じに小さめの町を見つけて、資金集めも兼ねてそこに三ヶ月弱滞在したんだ。
んでそのあとは、北周りで移動して、イツセ砂国を通ってストレット大河を越えて、メッサージン大陸に入ったんだ。一年ほどうろちょろして、こっちの大陸に帰ってきて、イツセで傭兵団結成となる。
この間にアンゼに会い、ルフに会い、アクシデントにも遭っている。大きな出来事だとコーラル砂賊団壊滅に参加、盗賊連合vs騎士傭兵合同連隊に参加、ガラリッジ汚水事件解決、フェウス鉱山奪回、鉄皮猿殲滅といったところか。
「こんなとこかな」
「いろいろと遭遇してますなぁ。砂賊団と盗賊連合のことは私の耳にも入ってきておりますよ。そうですか、あれに参加していたんですねぇ」
「砂賊団討伐にはうちの国からも兵が派遣されたと聞いてますよ。ディノール様会いました?」
コーラル砂賊団は、一つの盗賊組織としては勢力が並外れて大きいから、助力を頼んだらしいな。実際リムルイートの商隊も襲われていたらしいし、無関係と断ることなどできなかったんだろう。
「あの時俺はイツセ側の傭兵としてあの場にいたから会ってないな。リムルイート兵は彼らだけで防衛線作ってたし」
イツセとリムルイートが二手に分かれて挟み撃ちにしたんだ。だから反対側にいたリムルイート兵のことは知らない。
そうですかとミシュは頷く。
「会ってたらなにかあった?」
「うちからも何名か参加していたんです。だからその時に発見されていたのかもと思って」
「会わなくてよかったよ」
こっちじゃ療養中になっている長男が、戦場で元気に剣を振るってるなんて知られたら大変だ。演技していたことが台無しになっていたかもしれない。いまさらながらに胸を撫で下ろす。
話は雑談に移っていき、そろそろ帰ろうと思った時最後の話題として持ってきた魔剣もどきをテーブルの上に置く。レアに見せたものと違い、こちらは磨かれた銅色のカトラスだ。
「これは……っ!?」
見ている時は首を傾げたセイルマンだけど、勧められ触ると驚きの表情へと変わる。さすがはこの道数十年のセイルマンだ、どのようなものかわかったらしい。
「魔力で作られた剣、それも篭められた魔力が人の保有限界を超えて……」
「それも旅の間に手に入れたものですか?」
唸る祖父を横目で見つつ、ミシュが聞いてくる。
「俺が作った。先生に魔法を習い始めて約十年の結果。先生には見せておかないとって思って持ってきたんだ」
「作った!? それは真ですか!?」
勢いよくこちらを向いてセイルマンが聞いてくる。首痛めそうな勢いだった。
「本当だよ。部屋に未完成のものが三本置いてある。それは完成版」
これを聞いてセイルマンは口元を手で覆う。
「前人未到の所業ですな。尊敬もしますが、呆れもしますぞ」
「お爺ちゃん、今まで誰もそういうの作ったっていう記録はなかったの?」
「ない。あれば絶対記録に残る。
魔力を物質化した者はおらず、このように一流の魔法使いを超える魔力を体外に長期維持した者もおらん。
それだけに惜しい」
「惜しい?」
なぜ祖父がそう言ったのかわからず首を傾げるミシュ。
「若様の魔力量がせめて人並みを超えるくらいあれば、魔法使いとして名を残したでしょうに。
あれから魔力量に変化はないのでしょう?」
「ない」
いろいろと体験し経験も増えたけど、魔力は少しも増えなかったよ。
「それの作り方を世に広める気はやっぱりないんですよね?」
確認するように聞いてくるミシュに頷く。
「ない」
俺が年取っていれば後世に残そうと本でも書いたかもしれないけど、俺はまだ若い。俺の奥の手を広めようとは思わない。
ほかの魔法使いだって、俺と同じだろう。年取ってなければ自身の研究結果を広めようとは思わず、独占するはずだ。最初から広める気で研究していなければ。
それをミシュもセイルマンもわかっているから、広める気がないのだろうと聞いたのだ。
広めると俺の身も危ない。俺の実力はそう高くはない。剣と普通の魔法のみを使う場合、冒険者や兵士といった戦う者総数の中で順位を出すとしたら、精々中の中くらいだ。世の中には俺より強い者がごろごろといる。そんな実力なのに独自の魔法を持っていると知られたら、強奪目的で人が集まってきてしまう。
だからこの魔剣もどきに類する技術を使う時は、誰もいない時か信頼できる者のみがいる時にしか使わないよう気をつけている。
人並みの魔力があれば、もっと楽に身を守ることが可能なんだけど。
「まあ広めたところで使える人がいるかわからないけど。わりと複雑で、感覚で扱う部分もあるし」
「一度資料を見てみたいものですな」
セイルマンならいいかな? 広めるようことはしないだろうし。ただの好奇心で見たがっているだけとわかるし。
「ちょっと資料取って来る」
「よろしいので?」
頷いて部屋を出る。十分ほどで帰ってきて資料という名の書き散らかしたメモ帳を渡す。これを見れば自分はわかるので、内容を整理しようとは思わないのだ。
セイルマンはおもちゃを渡された子供のような目で、資料を見ている。
話しかけるような雰囲気ではなので、ミシュと二人で話すことにした。
「ちょうどいいタイミングで帰ってきましたよね?」
「自分でもそう思うけど、狙ってたわけじゃないよ」
「妹を大事に思う兄心が発した勘でしょうか?」
「ないとは言い切れないな」
ミッツァに帰る途中で寄り道したのは一回だけだし、あながちそういう勘がないとは否定できない。どこまで妹大事やねんと突っ込みがきそうだ。ミシュは突っ込みをいれずに、微笑みを浮かべていただけだが。
「お爺ちゃん近々引退するんですよ」
「ミシュが引き継ぐの?」
この家で行う仕事自体は俺がここを出る前から教わっていたみたいだし、滞りなく引き継げるだろう。
「はい。必要最低限のラインまで届いたと判断したみたいです。今後はのんびりと暮らしていくと言ってます」
最低ラインとか言っているけど、心配だったり知識を伝え足りなく感じたりで、そのラインを超えても指導してそうだ。
「先生も七十才だからなぁ、ゆったりとした暮らしを送ってほしいね」
「はい。父からも引退してのんびり暮らしたらどうだと、何年も前から言われていましたから」
「一安心ってとこか」
「困った時は頼るつもりなんですけどね」
悪戯めいた笑みで資料を読む祖父へと視線を向けた。
セイルマンは喜んで力を貸すだろうな。自身を尊敬し甘えてくれる孫のことが大好きだし。
十五分ほど話して、ようやくセイルマンは顔を上げた。
「出発点は氣術の付与系統なんですな。そこから独自の考えで発展させていったと。素晴らしいものです。
残念なのは、使い手を選ぶということですか」
「そうなの?」
孫の問いにセイルマンは頷いた。
「さきほど若様が広まるかわからないと言ったがそのとおり。
基本となる比較的簡単な魔法でも、使えない者が出てくるはずだ。この完成形など、一流と呼ばれている魔法使いでも生み出せない者がいるはずだ。
慣れとセンスが要求される魔法なのだよ。今のお前でもこの完成形を生み出すのは無理だろうな。十年鍛錬したならば可能だろう」
「どういった魔法なの?」
「魔法と武器の融合」
剣の腕でも魔法の腕でも二流の俺が、一流に至るために、それらを足せば届くのではと思った。そこが魔法剣の出発点だ。
前世でやったRPGでイメージは出来てたから、習得簡単だと思ったけど甘い考えだった。剣に魔法を宿せば魔法剣だよねと考えて、剣に魔法をぶつけたら剣が駄目になった。これが一番始めの失敗だ。
魔法を習い始めた一年後から独自に研究し始めて納得する基本ができたのは、その二年後。それからさらに発展させていって、あのカトラスタイプの前身に至ったのが旅を始めたばかりの頃。
あのカトラスタイプも改良点はあるから、まだまだ完璧とはいえないんだよなぁ。
「魔法剣と魔力剣、魔合剣、魔造剣、そしてこの魔創剣に至る。
おそらく常人ならば魔合剣で精一杯だと思います。これ以上は天賦の才が必要となってくるかと」
「天賦の才って言いすぎだろうに。そりゃ初めて発動させた時は上手くいかなかったけどさ。訓練すれば魔造剣までは作れると思うけど」
なんか溜息吐かれた。
「若様基準で考えないでくだされ。若様の魔法に関してのセンスは一流どころと遜色ないのでずぞ?
氣術魂術をあれだけの速さで習得するのは、常人には無理です。
その若様が習得にてこずったのです。常人ならばなお苦労します」
魔法の習得って、そんなに難しくなかったんだけど。数学の公式やプログラミングに似てるから、それらが得意な方だった俺には向いてたんだ。でも得意といってもプロには負ける。そんな俺が一流とかないない。
「その顔はまだ納得していないものですな。まあいずれ納得する時が来ることを祈るとしましょうか」
「具体的な利用法がいまいち想像できない」
ミシュが困惑顔で首を傾げている。そんなミシュにセイルマンは説明を始める。
「魔法闘技というものがあるな? あれも魔法と剣技などを組み合わせて戦う術だ。しかしあれは魔法は魔法、剣技は剣技と別々だ。
例えば火球を飛ばして牽制し、出来た隙に攻撃をしかける。これが魔法闘技の一つ。
一方、魔法剣は資料から推測するに、剣に炎なり風なりを纏わせ戦う術だ。これだけならば付与系統とどこか違うのか、なんて考えがあるだろう。違いは剣に纏わせた炎なり風なりの使い方。付与系統は剣に炎を宿らせるだけ。魔法剣は技として炎を利用することができるのだ」
「なんとなくわかるような?」
言葉とは裏腹に表情は困惑の色が残っている。
これは実演して見せた方が理解しやすいかな?
「木の棒かなにかない? 実際に使って見せよう」
セイルマンもそれがいいと、引き出しから定規を取り出し渡してくる。
魔力を指に集めて、定規の小さな腹に文字を書いていく。炎の術言語、意思介入の術言語、操作の術言語、定着の術言語、守護の術言語、注入の術言語、範囲の術言語、これらを組み合わせ書き終わると、魔法剣は完成する。
定規に炎がまとわりつき、周囲を照らす。
「このままだったら付与系統と同じ」
これにミシュは頷く。
「ここからこのように変化させる。ウィップ!」
定規を軽く横に振ると炎の帯が伸び、一定の長さまで伸びて縮む。
「ボム」
剣先で炎の一部が膨らみ弾けて、縮れた欠片が飛び散り消えていった。
「バード」
再び定規を横に振る。ウィップと違い炎全てが刃から離れて、小鳥をかたどり部屋の中を飛び回って消えていった。小鳥の中にあった魔力が空になり、形を維持できなくなったのだ。
「こんな感じ」
RPGの魔法剣とはちょっと方向性が違うように出来上がってしまった。便利だからいいんだけど。
ちなみにこれだけで俺の魔力は半分以上なくなった。氣術の付与系統と比べて、魔力を食うのだ魔法剣は。
「たしかに魔法闘技とはまったく違いますね」
ようやく納得いったと、ミシュは晴れ晴れとした表情を浮かべている。
「なんというか状況に即対応できるように作られているという感じです」
「そうだね。魔法闘技だと一回一回魔法を使わないといけない。対して魔法剣は最初に使っていれば、後は意志で形を変える炎で対応できる」
演じたもの以外にも地を這う炎の波や刃状となり飛ぶ炎などがある。イメージ次第で際限なく変化させることができる。
俺の使い方は主に、刃の片方に炎を収束させて焼き斬ったり、炎を散らして目眩ましといったものだ。
魔法剣で対応できないときは魔合剣を使い、それでも駄目な時は魔力が空になっていることもあり、一時撤退するようにしている。そして魔造剣を使いリベンジする。魔創剣は本当に奥の手で、今まで使ったのは二度のみだ。
魔創剣の威力はすごいと断言できる。おそらく人間で同じ威力を出せる者はいないのではと思えるくらいに。でもそれも当てることができないとまったくの無駄。剣の腕が二流な俺には少し厳しい。
ちなみに魔力剣には多彩な攻撃法や攻撃力を上昇させる効果はない。魔法を弾いたり、魔法剣の補助をしたりとサポート的な使い方をする。
「魔法剣についてはわかりました。ほかの剣はどんなものなんですか?」
「魔力剣は……」
資料を読めばわかるのだが、セイルマンが離さないので一つずつ説明していく。
それぞれの剣の使い方、使った術言語とその並べ方を説明していくと、あっという間に一時間が過ぎていった。
話が中断したのは、ミシュの腹が鳴ったからだ。説明もちょうどきりがよかったので、そこで止めとした。
セイルマンに資料を返してもらい、完成形魔創剣を持って自室に戻る。
「先に風呂に入ろうか、訓練をしようか」
どちらにしようかな迷う。訓練で汗が出るだろうから、先に訓練っていきたいけど、入るのが遅いと使用人たちの風呂掃除も遅くなって悪い。
先に入ろうと決め、入浴支度を整え風呂に向かう。
「ノル!」
風呂のある方向からルフが飛んできた。
「これからお風呂に入るつもり?」
「そうだけど」
「今アンゼたちが入っているのよ。それでレアがちょっと待ってほしいって」
「了解。どれくらい待てばいい? すぐ上がるなら風呂の前で待つけど」
「体とかは洗ったし、そんなに時間はかからないと思う」
じゃあ近くで待てばいいか。十分ほどルフと話していたら、肌をほのかに赤く染めたレアとアンゼが出てきた。アンゼはパジャマ姿であとは寝るだけといった格好だが、レアは動きやすいラフな格好だ。
あれだ。美人の湯上り姿って色気あるよね? しっとり水気を含んだ髪とか、赤らんだ頬とか。いいもん見たわ。思わず拝みたくなる。
じっと己を見る兄にレアはわずかに首を傾げ、口を開く。
「お風呂空いたよ、どうぞ」
「はいよ」
「あ、もう稽古終えた?」
「いや風呂上がってからやろうと思ってる。稽古後だと風呂掃除する人に迷惑かけそうだし」
そう良かった、と呟いてレアはアンゼを促して立ち去っていった。
なんだろね? 興味あるのか? まいいや風呂に入ろ。
のんびり湯に浸かって、三十分後に上がる。今日もいい湯だった。
ふふーんと鼻歌を歌いながら部屋に戻ると、レアたちがいた。
「なんで? レアの部屋で寝るんじゃなかったっけ? アンゼが俺と寝たいってぐずった?」
「いや、そうじゃなくて。稽古の様子を見たいなと思って。昼やってた時は自身の稽古や兵たちの指導に集中してて見れなかったから」
断る理由もないし、頷いた。剣を持って近くの庭に出る。
稽古っていっても特に変わったことはしない。素振りとシャドーくらいだ。レアが見たって得るものなんか一つもない。
ヒュッヒュッと刃が風を斬る。この音が旅に出て実戦を経験し、ようやく出るようになった。力任せに振るのではなく、ある程度力も抜く。フィゾから説明されてはいたが、理解できたのは実際斬ってからだ。
素振りを終えて、シャドーも終える。今日のシャドーの相手は鉄皮猿だ。硬い体毛と皮を避け、口や腹といった柔らかい部分を狙っていき、二匹を倒し三匹目で腹に攻撃を受けてシャドーが止まる。
これ以上は汗が多く出てきそうなので、今日はこれで止める。
「兄さん」
「何、って危な!?」
どこに持ってたのかレアが木剣を突き出してきた。完全には避けきれずに胸元にかすったよ!?
「相手してほしいな?」
「ほしいとかいいながらっ返事聞かずにっ振り回すんじゃありません! そんな子に育てたつもりはないよ!」
手加減しているんだろう。なんとか避けることができている。
俺が相手したところで、レアにとってはそこらの雑兵と変わらないとおもうけどね。俺にとっては強者との戦いはいい経験になるけど。
両者ともに止める気がなく、模擬戦はそのまま続いていく。
やっぱりレアは上手く強い。こっちは金属製の剣なのに、木剣はいまだ原型を留めている。打ち合って十を超えているのにだ。どんな手品だよ。
怪我させる気はないんだろう。体に木剣が当たる時は、軽く叩かれる程度に弱められている。こっちはそんな余裕はない。余裕のなさからレアに当てる心配はない。全部避けられている。
「最後に見た時よりもさらに腕上げたなぁ」
「兄さんも。最後に稽古つけてもらったのは十才でしたから、当然といえば当然なんだけど」
せめて一回くらいは当てたいな。ここは一番得意な左から右への薙ぎで。
いつもは魔法剣で相手の視界を隠してから、薙いでいるけどレアを火傷させるわけにはいかないから、魔法剣はなしで。
タイミングを見計らって……ここっ……かな?
俺なりに隙を探して、剣を薙ぐ。それは半ば予想どおりレアに触れることはなかった。避けられたわけでもない、すごい力で叩き落され、俺の持つ剣は土に食い込んだのだ。少しだけへこんだ。あの細腕のどこにそんな力があるというのか。
「少しくらい触れることができると思ったんだけどなぁ」
「視線から狙いを読み取れたし、さっきの素振りで薙ぎが得意ってわかってたから」
そこまでわかるのか、洞察力高いな。レアのスペックの高さを思えば当たり前かもな。
「で、なんで突然斬りかかってきた?」
「模擬戦をしたかったから。普通に頼んだら断れるかもって思って」
断らないのに。なんというかそう思ったのは演技していた時のせいっぽい。つまりは自業自得?
「ごめんね? でも兄さんのこと知りたかったんだ」
「言ってくれれば普通に対応したよ」
「ほんと? じゃあまた相手してくれる?」
「するから、今度からはいきなり攻撃してくるなんてことは止めてくれ。心臓に悪い」
こくんとレアは頷いた。
また汗出たなぁ、濡らしたタオルで拭いておくか。レアの方は平然とした様子で、汗の一粒も出ていない。
「俺は部屋に戻って寝るよ。アンゼ、寝る前に歯を磨くんだぞ?」
「うん。おやすみなさい」
「おやすみ。レアもルフもね」
「あ、そうだ兄さん」
歩き出した俺の背にレアが声をかける。
「次は本気出した兄さんを見たいな」
「……全力じゃなかったってばれてましたか」
「ばれてます」
フィゾといい、一流の使い手というのは簡単にこっちの底を見抜いてくるな。
「……奥の手はあまり見せたくなんだけどなぁ」
ひらひらと手を振ってその場を離れる。
しかしほんとにレアは強い。一勝どころか、持ち札晒しても一撃当てるのもいつになることやら。俺の成長よりもレアの成長の方が早そうだし、もしかしたら一生無理かもね。この考えはなかったことにして、部屋に戻る。さっさと体を拭いて、歯を磨き、ベッドにもぐりこんだ。動き回ったから、よく眠れそうだ。