一難去って落ちついて
「客を見送ってきた」
「お疲れ様」
レアが手に持ってるのは、封筒に一緒に入ってた手紙?
「それってなにが書いてあった?」
「どうぞ」
自分で確認しろってことか。
えーと……、
『これを読んでるということは自分は死んだのだろう。できるならこの手紙が公開されるようなことにはなってほしくない。
ディノの要望どおりレアを公爵にすると王に伝えておいた。最低限の準備はしておくから、式典のほうは自分たちで済ませるように。
レア、お前ならば公爵家領地を荒らすことなく経営していけると確信している。困った時は一人で悩まず、周囲に相談しなさい。人が一人でできることなど少ないのだから。
ディノ、お前には謝っておきたい。お前の才を怖がったことがあるのだ。幼い頃から自身の考えで将来を見据えて動くなど、天才を超えた別のなにかだ。お前が公爵の地位に執着していないと知って、ほっと安心してしまった。レアがいれば大丈夫なのにな。レアが悲しむことはしないだろう? その才でレアを長くサポートしてやってくれ。
二人が力を合わせれば、越えられない困難などないだろう。私はそれがとても誇らしい。
最後に、マウナに謝っておいてくれ。先に逝ってしまう悲しみを味あわせたことを』
怖がられてたのか。文脈の流れから推測するに、俺が出て行った後のことだな。
よく考えてみれば当たり前だ。俺だってアンゼが計算づくで動いてると知ったら、思いっきり引く。……想像したらちょっと不安になってきた。俺みたいに転生したとかないよね? 一緒に過ごしてきたこの二年で、そんな節は見られなかったはず。
「なに首を捻ってるんですか?」
「いやちょっとね」
「気になります。まあ、いいでしょう。そのうち聞き出しますから。
これからは一緒に働いていくんです。聞き出すチャンスはいくらでもある」
「いや、ないんじゃないかな」
俺の否定の言葉に、きょとんとした顔を見せるレア。ガーウェンの顔が少し引きつってるけどなんで?
「どうしてないと?」
「だって滞在するのそんなに長くないから」
「滞在? 兄さんは帰ってきたんですよね?」
「父さんが死んだって知って、レアたちどうしてるかなって思って様子を見に来ただけだぞ。
あ、もちろん墓参りはしていく」
あら? レアが俯いて少し震えてる。と思ったら、ギュッと拳を握りしめて近づいてきた。さっき感じたプレッシャーもまた発っしてんぞ?
「ど、どした?」
顔を上げたら、そこには涙目のレアが! なんてドキュメンタリーっぽく言ってる場合じゃないな。
「兄さんのっ兄さんの馬鹿ーっ!」
ぐふぅっ!? ボディにきつい一発。い、いいパンチ持ってやがる。
「……なぜに?」
「どうしてそんなこと言うの!? 私がどれだけ兄さんの帰りを楽しみにしてたかっ! 小さい頃の分まで、たくさんたくさん甘えようって思ってたのに!
兄さん、やっぱり私のこと嫌いなんだっ!」
「大好きに決まってるだろ! 胸張って言えるぞ!」
嫌いなわけないじゃないか。脳内ランキング一位に輝いているぞ。いやまあ最近はアンゼの追い上げもすごいんだが。
「だったらまた離れるなんて言わないで、ずっと一緒にいてよ!」
「……もう大きくなったし、俺なんかいなくてもいいって思ったんだけどなぁ」
抱き寄せて、頭を撫でながら慰める。レアは俺の肩に額を当てて、とんとんと軽く俺の胸を握った手で叩く。痛くはないんだが、心に響く。
泣かしちゃったなぁ。悪い兄さんだ。
「ここにいた方がいいのか?」
言葉での返事はないが、頷いたことで肯定だとわかる。
あいつらに手紙出して謝らないと。ずっとはいないにしても、年単位でこっちで暮らすことになりそうだ。まあ、仕方ないよね。あいつらと妹じゃ天秤にかけるまでもないし。
「わかった。こっちにいるから。もう泣き止め、な?」
「ほんとう?」
肩から額を離して、見上げてくる。潤んだ目がよく磨かれた宝石みたいで綺麗だな。
「本当だ」
「一緒にご飯食べて、いろんなこと話して、仕事も一緒にする?」
「仕事は無理」
また涙が溜まり始めた!? 涙は女の武器ってことを実感中! ちょっと意味が違うかもしれないけど!
「わ、わかった! できるものは手伝うから!」
「約束だよ」
「約束」
小指を差し出してくる。指きりげんまんのことまだ覚えてたんだな。
ゆーびきーりげんまんっと。
ふう、ようやく泣き止んで離れてくれた。
ガーウェン、微笑ましそうにこっち見てるよ。少しくらい止める仕草見せてくれたって。
「自業自得かと」
心読まれたよ!?
「顔に出ていましたよ」
「表情隠すのは、小さい頃からの演技で得意なんだけど」
「当主様との久しぶりのコミュニケーションのおかげか、表情がとてもわかりやすくなっております」
思わず手で顔に触れる。やべぇ、そんなに緩んでるのか。
レアがまじまじと俺の顔を見ている。
「穏やかな表情の兄さんって初めて見るかも」
「レアが三才まではわりと普通に接してたから、初めてではないさ。
覚えているかはわからないけどな」
「三才の頃の記憶なんて曖昧だもの。でも兄さんは覚えてそう」
「一番古い記憶は二才になる手前だな。母さんの少し調子外れな子守唄が一番古い記憶だ。優しく抱いてくれてたことをよく覚えてる」
この記憶の十日後くらいで母さん死んだはずだ。母さんの家系は病弱な人が多く、母さんも例に漏れずという感じだったらしい。俺も小さい頃体が弱かったのは、母さんの血の影響なんだろう。
「お母様が兄さんに?」
「マウナ母上じゃないぞ? ホリィ母さんだ」
「ディノ―ル様、ホリィ様のこと覚えていらっしゃるのですか?」
驚いた様子でガーウェンが聞いてくる。
「産みの親ってことや、ちょっと抜けたところがあるってことくらいかな。さすがに全部は覚えてない」
「それだけでも覚えているのならば、きっとホリィ様はお喜びになられるかと」
そうだと嬉しいね。接した時間は短くとも、母さんのことも好きだから。溢れんばかりに注がれる愛情を感じてたよ。
「初めて聞いた、その話」
「母上から聞かなかったのか?」
「奥様はディノ―ル様が覚えてらっしゃるとは思っていなかったのだと。だから話題に出すこともなかったのでしょうね」
「でも名前で気付きそうなものだけど? ディノ―ル・アウシュラ―・ビーライアじゃなくて、ディノール・アウシュラ―・センボルだから」
「名前の違いには気付いてたよ? でも別の理由があるって思ってた」
どんな?
「まあ、母親が違ってても兄妹ってことには変わりないんだ。気にするようなことじゃないさ、だろう?」
「……うん、そうだね!」
「あ、そうだ」
「ど、どうしたの?」
「アンゼ迎えに行かないと」
慌ただしいことは終わったんだしね。ルフがいるから大丈夫だとは思うけど、不安がってないだろうか。
「二人とも、シャイネのいる場所知ってる?」
「シャイネさんならお母様のそばにいるはず」
「ありがと」
「ちょっと待って! アンゼって誰なんですか?」
「娘」
おや? レアが動きを止めた。
「兄さんは結婚してるの?」
「いやしてない。ああ、アンゼは養子なんだよ」
「そうなんだ」
ほっとしたような様子を見せたレアは、その後不思議そうに首を傾げた。
なにを不思議がっているのか。もしかして養子を取ったこと? ちゃんと子育てできるか心配されているのか? 一応なに不自由なく育ててきてるし、実子じゃないからって冷たくした覚えもないぞ。
「……まあいいや。私も会いたい」
「仕事は? もう終わったのか?」
「今日は客がくるから、もともと仕事は少なかったの」
「あとは私が一時間も働けば、すべて片付きますよ。ここは私に任せてもらってけっこうです」
「ありがとう」
いいのか? まあガーウェンがそう言うならいいんだろ。
ガーウェンに後のことを頼み、記憶にある母上の部屋に向う。隣にいるレアがなにも言わないので、母上はそこにいるはずだ。
そろそろ到着するかなと思っていた時、廊下の先からルフが飛んできた。契約した際に繋がりができたから、その繋がりから俺が近づいていることに気付いたのだろう。こういった繋がりを安全確保に利用するため、ルフに頼んでアンゼとも契約してもらったのだ。
「用事は終わったの?」
「終わったよ。アンゼどうだった? 不安そうにしてたりは」
「大丈夫よ。シャイネとマウナに構われて楽しそうだったわ。今は旅の疲れか眠っているの。だから静かに部屋に入ってちょうだい」
「了解」
くいくいっと腕の裾を引っ張られる。
レアが引っ張ってるんだけど、視線は俺じゃなくルフに固定されている。
「兄さん。これ、じゃなくてこの人、人? もしかして精霊なの?」
「そうだよ」
「あなたがマウナの娘のレアミスね。はじめまして! 私は風の精霊のルフ。ノルじゃなくてディノ―ルと契約しているの」
ルフは空中でくるりとターンを決めて、スカートの裾をちょんと摘み、一礼する。一拍遅れて髪がふわりと舞った。すごく様になっているけど、どこで練習したんだか。偽名のことはシャイネたちに聞いたのかねぇ。
慌てた様子で、レアも名乗り返す。
レアの自己紹介が終わった後、ルフに今までどおりノルでいいと言っておいた。そのほうが呼び慣れてるだろうから。
「精霊って初めて見た。
滞在のことといい、娘のことといい、兄さんには驚かされてばっかり」
「私たちはあまり人前に出ないからね」
クスリと笑ったルフはレアの肩に座る。
「重さがない?」
肩に重さがないことにレアは驚いている。
俺も何度も頭や肩に乗られているけど、一度も重さを感じたことはない。乗っているという感触はあるのに。
どういった理由で重さを感じないのかわからない。でも幼いアンゼに取ってはありがたいことだろう。首などに負担がかからないから。
「そういったものだと思えばいいよ。俺も理由知らないし。
ほかにも食べ物は食べないとか、睡眠は必要ないとか、不思議なことはある」
「食べ物いらないって、どうやって動き続けてるの?」
「俺やアンゼから魔力を少しずつ吸い取ってる。霊術使わなければ、それだけで十分なんだとさ。精霊の里にいれば、それすら必要ないらしいぞ」
食事の必要はないけど、味覚はあるんだよな。アンゼから食べ物をもらっているのを見るし、たまに俺にもせがむ。一口分を口に含んで、少し味わって吐き出している。消化器官がないから吐き出すしかないのだ。
ほんと不可思議生物だわ。
ちなみに吸い取る魔力量はアンゼの方が多い。俺、現時点のアンゼに魔力量で引き分けているんだ。それで使わないアンゼから多目に吸い取ってもらってる。ちょっと情けないよね。
「あそこだっけ」
俺が指差した部屋を見て、レアは頷いた。
ノックをするとすぐに返事があった。
部屋の中には、アンゼ、母上、シャイネの三人がいる。母上はベッドに座り、寝ているアンゼに膝枕をしている。シャイネは母上のそばに立ち、こっちを見ている。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい、ディノ」
「おかえりなさいませ、若様」
アンゼを起こさないよう小声だけれども、しっかりと心の篭った言葉で出迎えてくれる。
「父さんのことは残念でした」
「……覚悟していたとは言えません。今も悲しい気持ちはあります。
ですが悲しんでばかりだと、あの人に心配をかけてしまいますから、なんとか元気を出そうと思っています」
「俺にできることがあれば言ってください。なにか話すだけでも、気が楽になるかもしれません」
「ありがとう。
あなたがこうして無事な姿をみせてくれただけでも、十分嬉しいことですよ。
それに新しい住人も連れ帰ってきてくれて、これから賑やかになりそうです」
優しい笑みを浮かべてアンゼの髪をそっと撫でる。
「シャイネは俺の専属から、母上の専属に移ったのか?」
「はい。ほかの使用人と同じ仕事に戻ろうとしたところ、奥様に誘われまして。よくしてもらっております」
「兄さんの専属に戻す?」
「いや、このままでいい。自分のことくらい自分でできる」
こう言うとシャイネが残念そうな表情を一瞬だけ浮かべた。俺の世話したかったのか?
「でも一人の付き人もいないのは問題あると思うから、シャイネさんは兄さんの専属に戻します。
お母様もそれでいい?」
「かまいませんよ。ディノも、アンゼの世話をする人が増えれば助かるでしょうし」
実際助かるけどね。今までもほかの人たちに助けてもらってたし。
「じゃあ、これからもよろしく頼む」
「はい、こちらこそ」
シャイネは花咲くような笑みを浮かべて一礼していくる。
これからどうしようか。アンゼはこのまま寝かしたままにしとくとして……そうだな荷物を部屋に置こうか。
部屋ってどうなるんだろう? 俺の私室ってまだそのままなのかな。
「部屋ってどうなるんだ? 昔のまま? それとも新しく用意する?」
「以前の部屋をこまめに掃除していましたから、そのまま使うことができます」
「そのままにしてあるのか。もしかすると倉庫にでもなってるかもって思ってたよ」
「いつか帰ってくると手紙に書いてありましたから、いつでも使えるようにと。先代様からも同じように指示が出ておりました」
ありがと、父さん。
「部屋の掃除をしていたのはシャイネさんだから、その点にも感謝するようにね。
ほかの使用人たちは、あまり兄さんの部屋に入りたがらなかったから」
「なぜに?」
もう使うことはないとも思ってたから、どう扱われようが気にしないのにな。
「兄さん、使用人たちに好かれてなくて」
いなくなった後も関わりたくなかったのか。それなら、なにしに帰ってきたのか不審がられることになるかも。
演技だったことを公表しても、対外的にまずいしな。分家や派閥の貴族にまで情報がいったら、どうして演技していたのか、体調のことは偽りだったのかって追求してきて、いいことない。
「ノル、嫌われてたんだ。これまで一緒にいたけど、嫌われ者になりそうには思えないわよ?」
「本当の自分を出さないで、演じてたからね」
ちょこんと首を傾げ聞いてくるルフに、簡単に事情を説明する。
聞き終えたルフは、自業自得じゃないと一言で切って捨ててくれた。
「ディノのこれからの行動で、そういった考えがなくなるんじゃないかしら? もう演技する必要はないのだし、素のディノが嫌な子じゃなければ、使用人たちも今のディノを見るようになるでしょう」
「素の若様ならば大丈夫かと」
「シャイネは演技をしていないディノを見てきたのでしたね。そのシャイネが言うのならば問題はなさそうです」
「シャイネさんには変わらずに接してたんだよね」
寂しげで悔しそうな表情なレア。
「ばれたからねぇ。演技する意味がなかった」
「私わからなかった」
「レアにばれたら意味ないよ」
「わかってるけどさ」
これからは隠さずにいるんだから、そんな拗ねたような顔しなくても。そんな顔も誤魔化すように頭を撫でてやったら、少しだけ憮然として諦めたように溜息一つ吐いて、もとの表情に戻る。
「とりあえず部屋に荷物置いてくるよ」
「荷物はこちらに」
師匠ここまで持ってきてくれたんだな。シャイネがテーブル近くに置いてある俺の荷物を動かそうとする。それを手で制して、自分で持ち上げる。
「兄さん、その布で巻いてあるやつ、全部剣?」
「そだよ」
「何本あるの?」
「四本だな」
「布に巻いてない剣もあわせたら五本……持ちすぎじゃない? 売買目的?」
「これを売るつもりはない」
俺の奥の手だからな。魔法を習い始めて約十年の集大成といってもいい。売るつもりは欠片もない。
これさえあれば、一流の使い手に追いすがることも夢じゃない。剣も魔法も二流でしかない俺が一流に勝てるとしたら、これを使った時だけじゃないだろか。魔法を使って身体能力を強化しても、センスまでは強化できないしなぁ。
「見てみたい」
レアも剣を使うから興味があるんだな。まあ、見るだけならいいか。
一本抜き出して渡す。これらの剣に鞘はないので、抜き身だ。渡したのは全体が透明感のある白剣。型はグラディウスっぽいかな。これもだけど、一本を除いて完成していない。
「飾りとかはないんだ。魔力が感じられるけど、これ魔剣?」
「それに近くはある。でも魔剣とは断定できないな」
魔剣とは、魔力を通すとなんらかの効果を発揮するものか、もしくは事前に込めた魔力で硬度や重量を細工しているものをいう。どちらにも核となる宝玉や鉱石がある。でもこの剣には核はない。
あと魔剣と打ち合えば、魔力と作用し合って十回も持たずにこちらだけが砕けてしまう。一回そういった経験があって、怪我してしまった。そのおかげで活用法を見出せたんだけど。
「綺麗だなぁ。ほしいなぁ」
レアが物欲しげな視線をちらりと向けてくる。綺麗って言っても飾り気は皆無だぞ?
「勘弁してくれ。それはさすがに無理だ。代わりにお土産がある、いい子だからそっちで我慢だ」
あとで渡そうと思っていたお土産をリュックの中から取り出す。
レアには琥珀を削って作られた櫛を、シャイネには銀細工の花のブローチを、母上には白金の髪に合うようなバレッタを。師匠や先生、ミシュにもある。順にダガ―の魔剣、古文書、緻密な刺繍のストールだ。
土産をレアたちに手渡していく。
シャイネは自分にもあるのかと驚いている。いつかの決意がようやく果たせた。今回はもう品物を買ってきてあるから断れることはなかった。断ったほうが失礼だと判断したのだろう。
嬉しそうな表情でブローチを眺めているその表情を見れただけでも、買ってきてよかったと思える。
大事そうにブローチをポケットにしまったシャイネと一緒に、久しぶりの自室に戻る。ルフは寝ているアンゼのそばにいるらしい。
部屋の中は綺麗だった。床にほこりは落ちていないし、窓ガラスも磨かれているし、シーツも洗濯されていて、本当に綺麗にしてある。
「綺麗に保ってあるな~。お疲れ様」
「いえ、たいしたことではありません。
やはり若様がいないと駄目ですね」
首を傾げた俺を見て、シャイネはどういうことか説明する。
「部屋を掃除していて、物足りなさを感じていました。
それが今日若様が戻ってきて部屋に入ったことで、ピタリとはまったというか、空虚さがなくなった感じがしました」
「俺にはちょっとわからないかな」
「かもしれませんね」
シャイネは笑い、部屋の中を頷きつつ見渡していった。俺の次に、この部屋にいた時間の長いシャイネにしか見えない光景を見ているのだろう。
それを邪魔する気にはならず、俺は荷物を静かにテーブルの上に置く。
アンゼもここで寝起きするはずだから、色々と準備しないとね。
「ベッドは二人で使っても大丈夫。枕を用意してもらおう。ほかは……」
これからの生活で必要そうな物を頭の中に列挙していく。
そうしているうちに、俺をほったらかしにしていたと気付いたシャイネが謝り、その後一緒に必要な物を話し合った。
必要な物を屋敷中から集めてくるというシャイネが部屋から出て行く。
旅装を解いて、普段着に着替える。アンゼの分も準備してもう一度母上の部屋に向う。そろそろ起こさないと夜眠れなくなる。
「ルフが起こしてるかな」
この予想は当たっているようで、扉の向こうからアンゼを含めた女衆の笑い声が聞こえてくる。
部屋の中は小さい服が何着も広げられており、アンゼがその中の一枚に着替えていた。
「パパ! この服くれるんだって!」
嬉しそうな笑みを浮かべ、アンゼが走り寄ってくる。
「おー良かったなー。
これってもしかしてレアの小さい頃の?」
記憶を探れば、見覚えのあるものばかりだ。
「サイズが合わなくなって着なくなったのだけれど、捨てるにはもったいなくて取ってあったの。それをアンゼに着せてみたらどうかと思いついたのよ。喜んでくれて良かったわ」
母上は商家の娘で、物を大切にするよう育てられたって聞いたことあるな。古着を取ってあっても不思議じゃないか。
「レアはそれでいいのか?」
「取ってあったことすら知らなかったし、お母様の言う通りもう着れないし、全部あげる」
「こっちにいる間に服は買わなくていいな」
全部お古ってのもどうかと思うが。新しいのが欲しかったら欲しいと言うだろ。
「お姉ちゃんにお礼言った?」
「うん!」
「言い忘れるような子じゃないわよ、アンゼは」
どうしてルフが胸張るかな。
この後しばらくアンゼは、レアと母上とルフの着せ替え人形になっていた。始終楽しげだったアンゼは小さくとも女なのだろう。
着替えの最中に、アンゼが母上のことをお婆ちゃんと呼んだ。予想していた通り、その呼び名は似合わなかった。年の差三十だから、親子でも通じるんだよな。母上の見た目は三十手前って言ってもいいし。
あとお婆ちゃんと呼ばれて、まったく動じなかった母上はすごいと思う。試しに叔母さんと呼ばせて冷たい視線を送ってきたレアよりも人ができてる。
着せ替えに俺は参加しづらかったので、時々感想を言いながら、出す手紙の内容を考えていた。夕食前には内容はまとまり、寝る前に書いて、明日には出すことができるようになった。明日の予定は、手紙を出すついでにアンゼとルフに街案内にしようと決めた。
そうして過ごすうちに、シャイネが夕食に呼びにきた。
「すごいわね」
「すごいねー」
夕食を見たルフとアンゼの感想だ。初めて見る料理の豪華さにアンゼは目を輝かせている。
「使われている材料の質はいいし、見た目もいいし、量も大目。さすがは一流の仕事だ」
でもこれから毎日これが続くとなるとアンゼの教育にいいのだろうか?
ここでずっと暮らすわけじゃないのだ。ここでの贅沢な暮らしは、いつか戻る生活に悪い影響を及ぼさないだろうか?
別にここの暮らしが人間に悪影響を与えると言っているわけじゃない。そんな影響があるなら、レアミスがここまで真っ直ぐ育つわけがない。ただレアミスとアンゼじゃ、違いがあるわけで。レアミスは公爵として相応しい生活を送る必要があり、この暮らしもそういった必要なことの一部。対してアンゼは平民だ。こういった暮らしが必要なわけじゃない。
「兄さん、どうして難しい顔をしているの?」
「ここでの暮らしはアンゼの教育に悪いんじゃないかってな。貴族にするつもりはないから、こういった暮らしは必要じゃないんだ」
「兄さんの子供だから、貴族になるんじゃないの?」
「そのつもりなら名前の後ろにホルクトーケをつけてる」
でもアンゼにはセンボルだけを名乗らせている。これはアンゼを貴族には関わらせないという思いを込めているのだ。
いい考えが浮かんだと、母上がポンっと手を叩く。
「この際だから量だけでも減らしましょう。
一流の料理人に質を落としなさいって言うのは失礼ですから、せめて量を減らして食べきれる分にしてもらいましょう?
以前から余った分を捨てることをもったいないと思っていたの」
母上ならそういった感想を持ってても不思議ではないな。
「もったいないという部分には同意だけど、公爵家としての立場もあるから」
レアとしては簡単に認めるわけにはいかないんだろうなぁ。
「なにもこれから毎日というわけではありませんよ。お客様がいらした時は貴族らしい形式に戻せばいいでしょう?
それに浮いた費用で、使用人や兵を労う方が有意義だと思いますよ」
「……たしかにお菓子やお酒を振舞う小さな宴会を開けばいい気晴らしになるかも。
わかりました。今後家族で共にする食事の量を減らしましょう。明日から実施することにします」
当主として通達しているけど、家族という部分に少し浮ついた気分を感じられた。
主題の一人だったアンゼは、なんの決定なのかわからずに拍手していた。
食事が終わり、俺の旅の話をして時間を潰し、風呂にも入り、あとは寝るだけとなる。
今部屋に俺一人だけだ。アンゼは母上と一緒に寝る約束したらしく、母上の部屋に行った。明日はレアと一緒に寝るらしい。ルフもついていっている。精霊は寝る必要はないけど、寝ることはできる。それで俺たちに合わせた生活をルフはしているのだ。
「手紙は書き終えたし、もう寝ようかな。
一人寝って久しぶりな気がする。三ヶ月ぶりくらいか?」
三ヶ月前は野宿の仕事で、アンゼを連れて行けなかったんだよな。
寝る時に隣に温かさがないと、ちょっと物足りないな。
さっさと寝よ。
近くにはいないアンゼとルフに、いつものようにおやすみと呟いて、明かりを消し目を閉じた。
同時刻、レアが昼のことを思い返していて、俺を引き止めた時にプロポーズに近いことを言ったと気づき、ベッドの上で恥ずかしさで身悶えていた。
もちろん俺はそんなことを知ることもなく寝ていた。