おまけ:お兄さんはストーカー
木剣の切っ先が俺の顔めがけて迫る。それを左前に出ながら避けて、師匠に肩から体当たりを仕掛ける。ぶつかられた師匠はよろけて体勢を崩す。そこへ畳み掛けるように俺は木剣を斬り上げる。師匠は不安定な体勢でありながら、迫る剣を受け止める。体勢を崩しているうちに押し倒そうと一歩踏み出す。俺がそう動く合間に師匠は体勢を立て直し、押し合いに負けないよう踏ん張っている。
「「ぐぬぬっ」」
幼い頃は押し負けていた鍔迫り合いも、体ができてきた今はなんとか押しつ押されつといった状況で耐えることができていた。といっても不安定な体勢で対等だから、あまり自慢できたことでもないか。
二十秒ほど鍔迫り合いを続けて、俺たちは同じタイミングで離れた。
「今日こそは完勝してみせる!」
本気を出した師匠にはいまだ勝ててはいないのだ。
「できますかな?」
「なんの対策もなくこんなこと言わないさ」
もう一歩背後に下がり、術言語を描いていく。覚えたばかりの中級氣術なので、発動はたどたどしい。
師匠は俺がどんな魔法を使う気なのか見るつもりらしく動かない。
最後の言語キーを描き終わり、魔法が発動する。
「さあ仕切りなおしだ!」
そう言って俺は師匠へと踏み出す。その速度は先ほどよりもわずかに速い。
使った魔法は複数身体能力上昇だ。上げた能力は筋力、感知、速度。
俺が攻めて、師匠が受ける。周囲に何度も木がぶつかる音が響く。
「能力の底上げですか。しかし急激な上昇ではなさそうですな」
確認のために受け続けて、大体どれくらいか察したのだろう。その予測は当たっている。
この魔法での上昇値は10%ほどだ。それでも上昇には変わりなく、役に立つ。
あとこの魔法は上昇を一箇所に集中することもできる。その場合は30%50%と上昇値が跳ね上がっていく。
「数ヶ月以上の訓練結果をすぐに出せるんだ、十分さ」
「そうかもしれませんな」
上段からの斬り下ろしを師匠はくるりと避けて、後ろ回し蹴りを放ってくる。
腰よりも下を狙ってきているので、しゃがんで避けるという選択はない。ならばここは軽くジャンプして、再び真上からの斬り下ろしだ。師匠は迫る木剣を、今度はしゃがんで避ける。そして俺が着地するタイミングにあわせて、俺の足を払うため下段蹴りをくりだす。転ぶのは確定だ。この状況では俺に避ける術はない。だから転んだ後のことを想定して、術言語を書いていく。足を払われ、地面に倒れこむ。受身を放棄して、最後の一文字を書いた。
次の瞬間、閃光が周囲を照らす。光が収まった頃には俺は倒れこんだ場所から、寝そべった状態でゴロゴロと移動している。閃光の魔法は、起き上がるまでの時間稼ぎだ。光に目が眩めばよし、目が眩まなくとも手で目をガードするなり目を閉じるなり、ワンクッション置く必要がある。その間に体勢を立て直そうと思ったのだ。
この思惑は途中までは上手くいっていた。寝転んで起きるまでは何事もなかったが、顔を師匠に向けた時、師匠の木剣が迫ってきていた。それに上げた能力のおかげで反応はできたものの、対応は後ろに仰向けの状態で倒れるということだけ。つまり詰んだ。
「参りました」
「手を」
差し出された手を取って立ち上がる。
「今回の敗因は?」
「閃光の魔法を使う際に、私に見える位置で術言語を書いたことですな。
それで閃光を使うとわかり、瞼を閉じながらも前に出るといったことができたのですよ。
私が閃光の魔法の術言語を知らなければ、若様の勝ちだったかもしれません」
作戦の全部が間違ってたわけじゃないんだな。
先生に相手に見えない位置で術言語を書くように言われていたけど、今日の模擬戦で実感できたのはいい経験だ。
「次は完勝してやる」
「まだまだ負ける気はありませんぞ」
言いながら穏やかに笑う師匠。その師匠に俺も笑い返す。
今日の訓練はこれでおしまいだ。俺たちは火照った体を冷ますため、木陰に入り休む。
「そういえば伝えておくことがありましたな」
なんだ?
「明後日から数日訓練は中止です」
「なにか用事でも?」
「お嬢様に魔物との実戦を経験させてくれと当主様から頼まれてましてな。
その実戦に同行することになっております」
「俺聞いてないぞ?」
「それは若様が演技して話を聞かないからでしょうに」
その通りだな。納得だ。
レアに実戦か。なんでだろう? 父さんは俺が演技してるとは知らないはずだから、レアには政略結婚させるはず。政略結婚に魔物との戦闘経験なんて必要ないだろうに。
師匠は理由を知ってんのかな? 聞いてみた。
「お嬢様の指導役がとても筋が良いと褒めたようで、それならば王女様の近衛としてやっていけるかもしれないと当主様は考えたようです」
王家とのさらなる繋がりも見据えてるのか。
魔物との実戦で近衛としてやっていけるか様子を見てみようとしてる、この考えてあってるのかな?
現時点で俺は知らないが、レアと王女は友達だ。そこから父さんはレアの未来の一つを幻視したのだろう。
「その指導役がいるのに、師匠にも同行を要請してきたのはなんで?」
「いえその指導役が仕事でお嬢様に同行できないので、私に仕事が回ってきたのですよ」
「ああ、そういうこと」
「そういったわけで訓練は一人でやってもらうことになります」
ついていこっかな、どうしよう。レアなら心配はいらないと思うけど、万が一ってこともあるかもしれないし。ついていったところで、その万が一の事態を俺が対処なんてことはできそうにないけどね。
レアを近くで見ていたいし、同行しよう。
返事をせずに、悩む様子の俺に師匠が話しかけてくる。
「若様?」
「師匠、俺も連れて行ってくれません?」
俺の言葉に驚いた顔を見せた。
「いや無理でしょう。実力低いと連絡していますから、当主様が許しはしないかと」
「このままついて行くんじゃなくて、変装するよ。レアに今までの態度が演技だってばれても困るしね。
師匠の遠縁とでも言ってもらって、たまたま会いに来たから経験を積ませるために同行させるって理由で駄目かな?」
「ついて行きたいんですか?」
「最近レアを近くで見てないし、いい機会だと思うんだよ」
「屋敷を長く留守にすることになりますが、それについてはどんな言い訳をするのですか?」
「俺が屋敷を抜け出るのはいつものことだろう? 別の街まで遠出してたって言い訳するさ」
帰ってきたら説教されるだろうけど、それはもう覚悟済みだ。
「ついてきたら公爵家の跡取りとして扱われませんよ? ここの暮らしとはまったく違ったものになりますし」
「以前魔物狩りに連れて行ってもらった時と似た感じじゃないのか? まああれと同じとは思ってないけど」
あの時もそれなりに至れり尽くせりだったから、あれよりも厳しい行軍になるんだろう。
「想像以上の厳しさだと思いますよ? それでもいいのならついてきますか?
あとお嬢様の近くに配置は無理です。ほかの兵と一緒になります」
「行く」
旅に出る前のいい練習だ。
そうとなれば変装しないとな。髪染めてバンダナで髪型を変えて、伊達メガネも調達できるといいな。仮面を被れば変装しなくていいんだろうけど、さすがにそれは怪しすぎるだろう。
師匠に必要なものを聞いて、荷物をまとめていく。準備はシャイネにも手伝ってもらった。初めは何日も留守にすると聞いていい顔はしなかったけど、レアを見守るためと理由を言ったら、仕方ないですねと言って手伝ってくれた。
翌日、街の外の集合場所に師匠と共に行く。そこにはまだまばらに兵がいるだけだった。
師匠に兵が集まり、隣にいる見慣れない人物、つまり俺のことを聞いてくる。
「私の遠縁の子でな、手紙を届けに来たのだよ。
集団戦の経験はないというのでな、ちょうどいいから今回の討伐に同行させることにしたのだ。きちんと朝早くに許可は取った。
さすがにお嬢様の近くには配置せんよ。そこまで贔屓はせん。
腕前か? 昨日手合わせしたかぎりでは、なんとかお前さんたちについていけるくらいはあるな。まだまだ未熟者だよ」
いくつも投げかけられる問いに師匠は昨日決めたことを答えていく。
そうやっていくうちに兵たちが全員集まり、レアも到着した。レアが到着した瞬間に兵たちは整然と並んでいく。
「フィゾさん、そちらが言っていた同行者ですか?」
「はい。急な頼みを受け入れてもらいありがとうございます」
「いえ、こちらもフィゾさんに急な頼みをしましたから。それで帳消しですよ」
「ほらノル。挨拶しないか」
「よろしくお願いします」
声を低めに出し、一礼する。ばれないといいけど。髪を染めるなどといったこと以外に、底の厚い靴をはいたり、軽く化粧をシャイネにしてもらい誤魔化してる。そのおかげかレアは気づかなかったらしい。ただ単に兄がここまでしてついてこようとしていると、想像しなかっただけかもしれないが。
「こちらこそ」
「ノルも兵たちと一緒に並んでおけ。左端にでも立っていればよい」
「わかりました」
師匠の指示に従い、走って指定された場所へと向かう。
兵は総勢二十四人いて、横二列に並んでいる。だから俺が一人だけはみ出した形になる。
ちなみに俺の初実戦の時は師匠と二人だけだった。これは意地悪されてというわけじゃなくて、俺一人で行こうとして師匠に止められて一緒に街を出たのだ。一日かけて三匹の魔物と戦って実戦終了となった。その時戦ったのはバレーボールよりも大きなダンゴ虫、毒を持った犬、人と同じ大きさのカマキリだった。師匠のおかげで苦労せず倒すことができた。
「皆おはようございます」
「おはようございます!」
レアが兵たちの前に立ち、声をかける。それに兵たちは一糸乱れぬ声で返した。よく訓練されてるな。
「今回は私個人の用事のために付き合ってもらい感謝しています。
魔物と戦うのは初めてですし、今回のように街の外に出るのも初めてです。きっと至らぬところがあるでしょう。迷惑をかけると思います。私なりに精一杯学びますので、どうかよろしくお願いします」
一礼したレアに、兵たちは感動したようにどよめいた。師匠が彼らに静まれと声をかけるとすぐにどよめきは収まる。
「出発するぞ。先行担当は馬に乗れ。
お嬢様も馬に」
「はい」
レアと先行する兵三人が馬に乗り、兵三人はすぐに出発した。
それを追うように兵の半分が動き出す。レアを中央に置いての行軍となる。後列には兵と荷台を引く馬が続く。
「ノルは後続と一緒に行け」
「了解」
レアの隣を馬に乗って移動する師匠に言われたとおり、後続に混ざって歩き出す。
目的地は歩きで二日弱行ったところにある山だ。小さめの山でそのそばにある町から、魔物討伐の依頼が出ていたのを公爵家で引き受けたらしい。
行き帰りと魔物の討伐でかかる日数は多くて六日くらいだろうと師匠が言っていた。
旅は順調に進み、二日目に目的地に到着。ここに来るまでの野営だけでも、俺とレアは多くのことを学べた。レアには必要のない知識かもしれないが、旅に出る予定の俺にとってかなりありがたい知識だった。
到着後すぐに町の近くに陣地を作っていく。師匠の指示の下、俺がそれを手伝っているうちに、レアは町長に到着の報告と詳しい情報を聞きに行った。
帰ってきたレアによって、討伐対象の情報がわかった。
ウォークモールという二足歩行のモグラを退治することが今回の目的なのだという。大きさは大人の腰ほど、攻撃方法は鋭くごつい爪を使ってひっかくか突いてくる。地中の移動もできるが、それほど早く移動はできないようで奇襲する以外では地上での戦いになる。
といったことを師匠が補足し、レアは話していった。
ウォークモールを知らなかったのは俺たち兄妹くらいだったらしく、ほかの人たちにとっては再確認でしかなかった。
町からの依頼は殲滅ではなく、追い散らすだけでいいとのこと。だからかレアと師匠は山には入らず、山から追い出して平地で相手するという策を立てた。
追い出す方法は、山歩きに慣れた兵士を派遣し、大きな音や大きな振動を出す魔法を使ってもらうというもの。
小さいとはいえ戦いにくい山よりは、平地の方が戦いやすいので俺も兵たちも反対はしなかった。
今日のところは英気を養い、戦いは明日の朝からになる。
夕飯作りから外れて、見張りをすることになって一人陣地から離れて立つ。町に近く魔物が寄り付きにくく、ほかにも見張りはいるので、それほど気合はいれなくてもいい。よってちょっと暇だ。
「若様」
「師匠? なにか用事?」
「いえ、ここまで来た感想を聞きたくなりましてな」
「感想ね……楽しかったな」
魔物との戦闘はなかったし、キャンプみたいだったからなここまで。兵たちも俺のことを師匠の遠縁だと信じてて、なにかと気にかけてくれたし。気のいい人たちばっかりだった。
そんな俺の感想が、思惑から外れたものだったようで師匠は苦笑を漏らした。
「屋敷やミッツァでの暮らしとはまったく違ったものですから、文句の一つでも出ると思っておったのですが。
それを期待してもいましたよ」
「期待?」
なんでだ? 文句が出ないことはいいことだと思うんだけど。
「旅をすることが辛いことだとわかれば、家を出るなどと言わなくなると」
「ああ、なるほど」
「それにしてもやはり兄妹なのですね。お嬢様も同じように楽しかったと言っておりましたよ」
「いい気晴らしになるだろうしね。楽しんでいるならいいことだよ」
「そうですな。
そうそう明日の討伐ですが、私とお嬢様と一緒に戦うことになります。そのつもりでいてください」
「レアの近くには配置しないんじゃ?」
「そのつもりだったのですが、その場合だとほかの兵と一緒に行動することになりますね?」
そりゃそうだろ。最初からそのつもりだったぞ?
「兵たちは訓練して連携とれるようにしています。そこに若様を組み込むと連携の邪魔をすることになるでしょう? 万が一の事態になるとそれで大怪我を負うになりますからな」
万が一って、そう思う根拠があるってことだろうか? ちょっと探りをいれてみよか。
「それなら俺一人で行動させてもいいんじゃないか?」
「ここにいる魔物と一対一なら問題なく一人で行ってもらうんですが、複数と相対した場合だと危なくて送り出せたものじゃないのですよ。なので連携の関係ないこっちにきてもらいます」
そうするとレアに俺のことがばれるんじゃってそれはないか。レアは俺の戦い方知らないしな。戦い方が師匠に似てても、それは親戚だから当然と思うだろうし、そっくりそのまま剣筋を真似ているわけでもない。
「わかったよ」
「素直に頷いてもらえてよかったですよ。では見張り頑張ってください」
手をひらひらと動かし、気の抜けた返事を返す。
あれだけの探りじゃ詳しいことはわからなかったな。まあ、なにかあるかもと気にしておこっかな。
このあとは何事もなく昼食になり、さらに時間が流れ夕食になった。見張りを交代し、兵たちと雑談してすごす。その時にレアと一緒に魔物と戦うことを知った兵たちにすごく羨ましがられた。連携のことを話すと納得して、妬むとかはなかった。そこんところはプロなんだなと感心させられた。
そして朝がきて、準備を整え、山と町を遮るように兵を配置し、レアが戦闘開始の合図を告げる。
山に数人の兵が入っていき、二十分ほど後に大きな音が聞こえてきた。さらに五分ほど経って、二足歩行のモグラが木々の間からわらわらと出てきた。
「フィゾさん、ノルさん、行きますよ!」
水戸のご老公っぽく言って、レアが愛用の剣を手にモグラに向かう。その後を追い俺たちも走る。
レアの腕が振られて、モグラは斬られながら吹っ飛んでいく。その一撃で絶命したか、モグラが立ち上がることはなかった。
その様子を見てて、モグラは弱いと思ったんだけど甘かった。こいつらなめてかかったら大怪我するわ。全力で対応して、三回斬りつけてようやく倒せた。俺がそうして一匹倒している間に、師匠は三匹目と戦っていて、レアは三匹目を斬り捨てていた。
「もうここまで差があるんだなぁ」
思わず漏れ出た感想は戦いの空気に紛れて、誰にも聞かれずに消えていった。
戦う手を止めて二人の戦いを見る。そうして二人の方向性が真逆だと気づいた。
レアが動で、師匠が静だ。技を使うよりも力押しになりがちなのがレアで、衰えてきた力を技で補っているのが師匠だ。
レアの技が師匠に劣っているわけではなくて、技を使うまでもないといった感じだ。
「負けてられないな。今まで以上に訓練を頑張ろう」
このまま離されるばかりじゃ情けないと気合を入れて、次の獲物に向かう。
この日の魔物狩りは死者重傷者を出すことなく終わる。上々な戦果に兵たちの機嫌も良かった。
「お疲れ」
「お疲れ様です」
今回の旅で親しくなった兵の一人がコップを両手に持って近寄ってくる。
ほいっと渡された木のコップからはワインの匂いがうっすらと漂ってきた。
「ども」
「なかなか頑張ってたじゃないか。あの調子なら明日も大丈夫だな」
「見てたんですか?」
「お嬢様を見るついでにな」
だろうなぁ。ほかにもいくつもの視線がレアに集まってたし。
「羨ましいよなーお嬢様のそばで戦えて。
すごかったろう?」
「はい。十二才になるかならないかという年齢で既にあそこまで至ってるのはすごいですね」
「それもあるけど、俺が言いたいのはそこじゃない」
は? 強さを褒めてたんじゃないのか?
「えっと?」
「もったいない! もったいないぞお前! お嬢様のそばで戦えながら、見るべきものを見てないとは!」
なにが言いたいんだろうな、このおっちゃん。
「その顔はわかってないな? ならば教えてやろう。見るものとはお嬢様の凛とした表情、しなやかに動く体、ほんの僅かに見える子供らしいあどけなさ、そしてさらに見えにくい色気だ!
今回は鎧を着てるから見えないが、訓練時はちらりとお腹が見えたりするんだ。あれはなによりのご褒美だな」
あ、なるほど。つまりお前を犯罪者と認定していいんだな。
そんな感想を思わず口に出しそうになった。
「どうして剣に手をかけてるんだ?」
「おや? どうしてでしょう?」
気づかないうちに剣を手に取ろうとしてたらしい。危ないな。
もし斬りかかっていたとしても、俺は俺を褒めていたかもしれない。妹の近くにいる変態を減らせるのだから。
「まあ、見るものは人それぞれですよ」
「……そうかもしれないな」
「そういえばレアミスお嬢様には兄がいるそうですが、お嬢様であれだけ強いのだからそちらもかなりの腕前なんでしょうね」
自画自賛というわけではない。
「うーん」
「どうしたんですか?」
「ディノール、様はなぁ」
様ってつけるのに躊躇ったな今。どうやら評判を下げる作戦は上手くいってるらしい。順調な成果に笑みが浮かびそうになる。
「ディノール様は?」
「才能はないようだな。フィゾさんからはそう聞いてる。訓練自体もそう熱心ではないらしい。
お嬢様と比較されてやる気を失っているのではと噂されている」
「僻んでいるんでしょうねぇ」
「かもしれないな」
断定は避けるね? 跡取りってことで遠慮があるのか。かばっているわけじゃないってことは確かだと思う。思いやりが感じられない。
「僻む暇があるなら追いつこうと努力すればいいのに、駄目人間じゃないですか」
「そうはっきりと言ってやるな。優れた妹と常に比較され、やるせないないのだろうさ。しかも成長途中の年下だからなぁ」
実際はそんなことまったく感じてなかったりするわけだが。いやまったくってこともないんだけど、可愛さの方が上回りすぎて害そうとか思えないんだよな。
「これで同性だったらと思うと、ちょいと怖い想像ができそうだ」
「同性だったらなにか問題が?」
「負けてるってことを意識して張り合って、勝てないことを強く妬んで公爵家の未来に影が落ちるとか、そんな予想がね」
弟だったらか……あー確かに張り合いそうだし、羨み妬むってこともあり得るな。でも初めて会った時点で圧倒されてるし、卑屈に生きてる可能性もあるんだよな。弟だった場合守ろうって思ったかわからないし。
確かなことは、レアが妹だったことで公爵家はこの先安泰ってことだな。
「ありえたかもしれませんけど、レアミスお嬢様は妹ですしその予想は外れてますよ」
「そうだな。ディノール様が歪んでさえなければ、不安はないよな」
歪んでるつもりはないんで大丈夫かと。家出する時に多少の騒動はあるかもしれないけど。
「コンプレックスはすでにあるかもしれませんし、安心するのは早いかもしれないですね」
「この先何事もないことを祈るよ俺は。まあ、ディノール様の良心に賭けるしかないんだろうなぁ」
何事もないのは無理だと確定しているので、心の中で南無と手を合わせた。
その後はほかの兵たちも交えて、他愛もない雑談へと移っていく。その会話で変態が一人だけじゃないのを知ることになった。何度剣を振り回そうかと思ったか。よく我慢できたと思う。
十一才にして大人を惑わすレアがすごいのだと、ほんのちょっと自慢に思ったりもしたのは秘密だ。
夜が明け、第二戦が始まる。配置は昨日と同じ。行動も昨日と同じで、兵が山に入りウォークモールたちを追い出す。
だが兵が山に入り、大きな音を立ててもモグラたちは出てこなかった。
昨日で狩りつくしたってことはないと思うんだけど、なんで出てこないんだろう。
もう一度山から大きな音が響いてくる。またしても反応はない。
「こっちに敵わないって思って逃げた?」
「どうだろうな?」
近くにいた師匠に聞いてみたけど、師匠も現状には首を傾げている。
レアはどう考えているのだろうと、そっちを見てみると地面をじっと見ていた。次に屈んで手のひらを地面に当てる。
戦いが終わりミッツァに帰る時、この行動の意味を聞いた。かすかな振動を地面から感じていたらしく、その確認のために手でも調べたらしい。事前に掘っていた穴をモグラたちが移動している振動を感じ取ったのだという。
ちなみにこの振動を感じたのはレア以外に誰もいなかったことが、ほかの兵たちに話を聞いてわかった。うちの妹はやっぱりすごい。
「やっぱり」
なにがやっぱりなんだろう、と思ってたらレアは立ち皆に聞こえるように声を発した。
「地面から来るっ! ウォークモール以外にもいるわ、奇襲されないよう注意しなさい!」
それに首を傾げたのは俺だけで、師匠をはじめとして兵たちはすぐに警戒態勢に移る。そして十秒も経たずに次々と地面からウォークモールの爪が出てきた。
俺のそばにも出てきたが、なんとかかするだけで怪我はなく済ませることができた。これでもレアのおかげだ。他の人たちも怪我はしていないようだ。
モグラたちが次々と地上に現れ出す。でも昨日と大きさが違うし、体毛の色も違う。昨日のモグラは灰色で、今日のは艶のある黒だ。体格もがっちりしている。
あとなんか俺の近くにいるモグラ、ほかのモグラよりさらに一回り以上大きいんだけど。明らかにボスだよねこれ。なんでこっち来るかな。
「呆けてる暇はないか」
師匠と戦った時に使った身体能力を上げる魔法を使い、苦戦するだろう戦いに備える。視界の片隅では戦いを始めている人たちの姿が見えた。師匠がこっちに来ようとしているのも見えたけど、三匹のウォークモールの亜種に邪魔されてこちらに来れないみたいだ。
「来いや!」
とはいえ、ちょっと目の前のボスモグラに勝つ自信はなかったりする。
正直な気持ちを告白するとすれば、いますぐこの場から逃げたい。でも逃げられない。
変装しているとはいえ、妹にかっこ悪いところを見せたくないという思いもあるからだ。
「俺にできるのは師匠がこっちに来るまで耐え抜くことかな」
突き出される爪を横に避ける。伸ばされた腕目掛けて剣を振り下ろす。ザリっとした感触があり、毛を少し斬ったが傷は与えていないみたいだ。
「硬いっ!? いや毛に邪魔されて斬れないだけか? どんだけ剛毛なんだか」
となると毛に邪魔されにくいだろう突きは効果を出せるか? 隙を狙って試してみよう。
幸いなことに一対一なので、なんとか持ちこたえることができている。この状況なら隙を狙うことはできるはずだ。
素早く腕を振り回すボスモグラの攻撃を避けることに専念しつつ、隙を探す。
「いける!」
大振りしてできた隙をついて剣を肩目掛けて突き出す。突き出した剣は毛に邪魔されることなく真っ直ぐ進み、ボスモグラの肩に突き刺さった。
ボスモグラが大きな悲鳴を上げたことで、大きな成果を出したとわかった。そこで安心したのが悪かったんだろう。暴れるボスモグラの力に対抗しきれず振り回され、剣から手を離して倒れこんでしまった。
予備の剣を持っていないので、取り戻すか素手で対応しなければならなくなった。ほとんど魔力がないから魔法は使えない。
「いだぁっ!?」
ボスモグラを見ながら立ち上がろうとして、いきなり衝撃を受けた。新たに現れたウォークモールに背後から横薙ぎにされた。ボスモグラに集中しすぎたせいで、近くに現れたウォークモールに気づけなかった。
鎧が防いでくれたから怪我はしていないけど、また倒れこむことになる。そこにボスモグラが突進してくる。間一髪ごろごろとその場から転がって避けた。おかげで土まみれだ。手や顔といったむき出しの部分には擦り傷ができている。
「はあっはあっ」
息をきらせてを立ち上がる。体力的にはまだ余裕があるけど、精神的にきつかったがゆえに呼吸が速くなった。
状況は悪化しているといえる。ボスモグラの肩には剣が突き刺さりっぱなしで、血がぽたぽたと爪の先から地に落ちている。でも動きが鈍くなったようには見えない。参戦してきたウォークモールにも気を割く必要ができたから、先ほどまでのように避けることが難しくなった。ウォークモールの攻撃を無視して、ボスモグラの攻撃を避け続けようかとも思ったけど、当たり所によってはウォークモールの攻撃も油断できない。だから二匹の行動に注意する必要が出てきて、結果一匹に集中できていた時のように動けず、反応が鈍る。
「かといって、結局できることは避け続けるだけなんだけど!」
二匹の動向をよく見ようと集中しだした時、誰かの足音が聞こえた。
「大丈夫ですか!」
自身に向かってきたモグラたちを全て斬り伏せたレアだった。
これがウォークモールならまた攻撃を食らってたところだ。さっき身をもって目の前に集中しすぎは駄目だと学んだばかりなのにな。
普通はシチュエーション的に逆じゃないかなと思いつつも、助かったことは事実なので礼を言う。
「下がっていてください」
ちらりとこちらを見て戦力にならないと判断したんだろう。その判断は正しい。なので情けないけど邪魔にならないように下がる。
レアがボスモグラに近づいていく。無造作に近づいていっているようにしか見えない。でもそうじゃないんだろうなぁ。
その証拠に軽々とボスモグラとウォークモールの攻撃を避け、俺が苦戦した毛などないかのように斬っていく。
「若様、無事ですか?」
「レアに助けられたよ」
「苦戦したようですな」
「うん。苦戦した。でもいろいろと身をもって学んだこともある。生きてるから次に生かせるよう頑張るよ」
以前の実戦は師匠に守られていたとよくわかったしね。誰もそばにおらず、自身の判断で魔物と戦う。その難しさを学べたんだ、多少の怪我は授業料と思える。
「ええ、頑張ってください」
ほぼ勝ちを確定させているレアから視線を外し周囲を見る。ほかの人たちも戦いを勝利で終わらせていた。さすがは公爵家の兵士といったところなのか、大怪我した人はいないみたいだ。
「皆強いな」
「日々の訓練の賜物ですよ」
「俺もいつかは……」
「心配せずともなれますよ。彼らも努力してあの強さを手に入れたのですからな」
師匠は誇らしげに兵たちを見ている。自身が手がけた兵の頑張りが嬉しいのだろう。
「そういや師匠はこういった状況を予想してた? 大物モグラが出てくるといった状況」
「予想したのはお嬢様です。町長から得た情報を元に、可能性は低いけれどああいったモグラがいるかもしれないと言っていました。
だから念のため若様を私たち側に置いておいたのですが、一番の大物と一対一で戦う状態になるとは」
「運が悪かったよね」
「たいした怪我なくてほんとに安堵しましたぞ」
心配かけたみたいだな。
ん? レアがボスモグラを倒したな。肩に刺さっている剣を抜いてこっちに近づいてくる。少し息が弾んでいるだけで、怪我の一つもない。よかったよかった。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「皆、戦いを終えているようなのですぐに治療の準備を始めますね。あと少しだけ待っていてください」
そういってレアは兵たちに指示を出し始める。
モグラから利用できる部位を剥ぎ取る者、用済みのモグラを処理する者、治療準備を始める者にわかれて動き出す。
やがて準備を終えた兵に呼ばれて、俺は治療を受けた。
その後は討伐が無事に終わったことを祝って宴が開かれた。町の住民から食料と酒の提供があり、それなりに盛り上がる。
賑やかな夜が明け、俺たちは町長など町の主だった者に見送られミッツァへと帰る。
帰ったら父さんの説教が待っている。それを思うと、少しだけ帰りたくなくなった。逃げ出すと余計説教が長引くから、素直に帰るけどね。
説教は三発の拳骨付きで二時間だった。
治りかけの怪我について上手く言い訳できなかったから、拳骨が一発分増えた。
しばらく館からの外出禁止を言い渡され、レアからも勝手な外泊についてと怪我したことを説教されたことが、俺のレア尾行作戦の締めくくりとなった。