家出実行とその反応
そろそろ十六才になる。レアも十二才になっている。綺麗かつ賢く、そして優しさも持ち合わせたパーフェクトレディーへと進化、いや違う成長した。だが今が絶頂ではなく、まだまだ成長するだろうと確信を持っている。
賭けは俺の勝ちだ。レアはやっぱり優秀だった。
セイルマンとフィゾは残念そうな表情になりながらも、レアのことを認めた。
レアの優秀さは、その二人だけではなく家臣や使用人たちも認め、褒め称えている。兄として鼻が高い。
社交界にも出ているんだけど、気の早い貴族から婚約ではなく結婚も申し込みもあるくらいだ。そんな彼らに会うたび、俺は心の中で名前の前にロリコンとつけて呼んでいる。
レアの周囲には人望に引かれて、性根の良い者が集まっている。対して俺の周囲には、俺を利用しようとする狸が集まりやすい。
今目の前にいる男もそんな一人だ。
「こちらが所望していた品でございます」
どこかの名工が作った飾り短剣を差し出してくる。べつに欲しくはなかったけど、見たかったんで頼んだのだ。それをコネを使って手に入れてきたのだろう。
「いつも悪いな」
「いえいえ。若様の頼みとあらばこのコッソクス、骨身を惜しまず動きましょう」
「礼は俺が当主になってから、だな?」
俺の言葉にコッソクスは曖昧な笑みを浮かべ、本音を隠している。
この男は三つある分家の当主の一人だ。レアが十才を過ぎて目立ち始めた頃、俺に近づいてきた。
いい噂がない俺に近づいて離れず、一見荒れているように見える俺に苦言を言うこともないくらいだから碌な人物ではない。
俺にはこいつの考えは完全には読めない。この先どのように立ち回っていくつもりなのかさっぱりだ。でも見返りを求めていることくらいはわかる。だからそれっぽいことを言って対応してる。
「これの入手には、ベダルタ殿も協力してくれまして」
「覚えておこう」
ベダルタっていうと経理部門の家臣だっけか。忘れないように要注意人物として紙に書いておこう。このブラックリストはセイルマンに渡してある。俺が出て行った後、父さんに渡るようにだ。父さんが彼らを上手く処理するだろう。レアの当主就任までに膿ができるだけ出ていることを望む。
「では今日のところはこれで失礼いたします」
「うん、当主にそれとなくお前たちの名を告げておく」
厚遇されても困るので、本当に聞こえないくらいそれとなくだが。
ちなみに以前から同じことを言っていて、現状に変化はない。
こいつも今すぐにいい目を見ることは期待してないのだろう。現状に変化はなくとも、気にしていない。俺が当主なってからに期待しているのだろう。
「ありがとうございます」
客室からコッソクスが出て行く。
俺ももうここには用はない。もらった短剣が入ったケースを持って部屋を出る。
ここはあまり使われない部屋だから、密談するには適している場所だ。
もらったものは、いつもどおり自室にある箱に放り込む。コッソクスだけではなく、ほかの人からも何度かもらっているので、節約すれば人一人一生暮らしていけるくらいはあるかもしれない。
この賄賂は一部を旅の資金に当てて、ほかは父さんに処理してもらうつもりだ。
自室まであともう少しというところで、顔をしかめたレアに出くわした。剣の稽古をしてきたのか、動きやすそうな服装をして、顔を熱で赤らめている。
めんどうな会話をしてきた後だから、不機嫌そうな表情でも癒されるわぁ。
「兄さん、勉強さぼったでしょう? ガーウェンが探していましたよ」
向かい合って早々に苦言を放ってくる。
二年前から歴史などの勉強は終わり、領地経営のことをガーウェンから教わりだした。父さんの片腕だけあって、知識も経験も申し分ない。わからないところは、聞けばすぐさま答えてくれ頼もしい。授業を受ける側が熱心じゃないから、優秀さが無駄になっているけど。
「気が乗らなかったからな」
「気が乗らないって……兄さんは公爵家の跡取りでしょう! 学ぶことをめんどくさがり努力を怠れば、将来領民が苦しむことになるのですよ!」
「俺がやらなくてもガーウェンを始めとして、優秀な奴がたくさんいるから問題ないだろ。
お前だって俺なんかよりはるかにできるじゃないか。よけいやる気なくすわ」
「他に優秀な者がいるからといって、さぼる口実にはなりません!
今負けているならば、追いつこうと努力すべきではありませんか!」
「うるさいな。どうしようが俺が勝手だろ」
話はこれで終わりと、自室に向かい歩き始める。
「話はまだ終わってませんよ! 兄さん!」
レアの声を無視して部屋に入る。部屋の前で立っていたレアは少しだけ待ち、反応がないとわかると立ち去った。
「最近怒られてばかりだな。笑顔は記憶の彼方のみってか、自業自得だけど」
苦笑を浮かべてクローゼットに手をかける。
クローゼットの奥、着ない服をしまってある箱の一つ、それが賄賂入れだ。ついでに旅に必要そうな物も入れてある。シャイネには触らないよう言ってあるので、中身はばれていないだろう。カモフラージュとして服を入れてあり、その下に賄賂、さらにその下に旅の道具。シャイネに見られて一番困るのは旅の道具だ。
旅に出るのは十六才になってからと決めた。特に十六才に拘る理由はない。なんとなくきりがいいかなって思った。
旅に出る前にやることが一つあって、それはレアに少し早い誕生日プレゼントを渡すこと。直接渡すのではなく、レアが部屋を留守にしている間か、寝ている間に忍び込むのだ。レアのことを気にかけてない風を装っているのだから、直接は渡せない。
もう何年もそうやって、プレゼントを置いている。最初は部屋に忍び込んでも気付かれなかったんだけど、回数を重ねるごとに鋭くなってきていて、ヒヤリとすることが何度もあった。
今回で最後なので、気合を入れて置いてくるつもりだ。今までで一番難しいと思うので、気合を入れざるを得ない。
というわけで潜入決行日。雲の多い夜を選んだ。目立たないよう黒づくめの姿で、自室の窓から出る。靴は、足音がでないように裏に動物の毛を貼り付けた特製品だ。
プレゼントのブローチはポケットの中にある。一度だけ緊張からプレゼントを忘れて忍び込んだことがあったりする。それ以後プレゼントを忘れていないか、きちんと確認して動くようにしている。
屋敷の警備は主に外に対しての注意が強い。建物付近の注意はそれほどでもなく、俺のような素人でも隠密行動ができる。それでも危なく見つかりそうになったことはあったが。まあ、そういう経験のおかげで、隠密行動が上手くなったような気がしている。
「よっと」
屋根を伝い、レアの部屋のテラスに物音一つ立てず着地する。
出入りする窓はスライド式ではなく、観音開き。最初にすることは、開く時に擦れる音がするかもしれないので、蝶番などに油をさすこと。
次にすることは、当然如くかけられている鍵を開けること。複雑な鍵ではないから、ちょちょいのちょいで開けられる。
そっと窓を開け、素早く部屋に潜り込み、ひんやりとした外気が入る前に閉める。自室でも練習したから手馴れたものだ。
うっすらとだけ見える暗い部屋の中、レアの寝息がひそやかに聞こえてくる。その次に大きな音は俺の鼓動。
ここからはさらに慎重に動かなければならない。目的地は数メートル先のテーブル。そこにプレゼントを置いて部屋を出れば目的達成。
「……ぅん?」
一歩踏み出すと同時にレアが反応を見せる。こういう時はレアの高スペックさが恨めしい。
じっとその場に止まったままでいると、レアはそれ以上の反応を見せなくなった。本能的に害を与えない存在だと見抜いてるんだろうか?
ほっと安堵の息を吐こうとして息を止める。小さく小さく呼吸を繰り返す。そしてまた一歩また一歩と進んでいく。
緊張感が半端ない。運動量はたいしたことないのに、汗が出てくる。
テーブルに到着し、ポケットから小箱を取り出した時、小箱とポケットの擦れる音にまた反応し、さらに冷や汗を流すことになった。
「これでよし」
レアを起こすことなく、無事に目的を果たせた。
「早いけどハッピーバースデーレア」
レアの耳に届きそうにないくらい小さな声で誕生日を祝う。
最後まで気を抜かずに慎重に移動し、窓を閉める。緊張から解放されたのは、屋根に上がってからだ。
「これで屋敷でやることは終わりだな。
出発はいつにしようか、明日か明後日か。楽しみだなぁ」
のんびりと屋根を歩き部屋へと向う。
手紙を二つ残し屋敷を出たのは、二日後だった。その日も雲が出ていて、屋敷を抜け出すのにちょうどよかったのだ。
屋敷を抜け出すのには魂術を使う。魂術を独自に学んでいる時に移動用の魂術を書物からみつけ、これを使って街から出ようと考えたのだ。徒歩で屋敷と街から出るよりも安全にかつ早く出ることができる。
事前に大きめの布に魔法陣を描き、家を出る日の昼の内に根源魔力を陣に注いでおく。こうやって魂術使用にかかる時間をできるだけ縮めておいた。そのかいあって、普通ならば二時間弱かかる準備時間を三十分まで短縮できた。
あとは夜に荷物を持ってこっそりと部屋を出て、警備の隙をついて庭の隅に陣取った。屋敷内は魔法による侵入を防ぐ処置をセイルマンが施している。それは敷地内も同じだが、敷地の端の方だと穴があるのだ。そこで移動用魂術をこそこそと使って俺は街を出たのだった。
屋敷に帰ってきたのは、出発して三年を少し過ぎた頃だ。それまでに俺は色々と経験することになる。
旅というものへの認識の甘さ、殺し合う実戦の怖さ、欲を剥き出しにした人間の醜さ、本当に色々経験する。
父さんたちに、知らず知らずのうちに守られていたことを思い知る。
けれども知ったのは負の面ばかりではない。旅の楽しさ、友と競い合う充足感、人の優しさ、これらも経験した。
俺は旅に出たことを後悔しない。旅に出て良かったと思う。確かな成長の糧になったのだから。
「若様、入ります」
ディノ―ルの部屋のドアをノックし、シャイネが中に入る。
毎朝起こしに来ているシャイネに、ディノ―ルは来なくてもいいと言っている。だがそれを断り、シャイネは毎朝来る。
それは素のディノ―ルを確実に見ることができるのが、この時間帯くらいしかないからだ。
「若様、朝ですよ?」
いつもならば一度声をかけると起きてくるのだが、今日は反応がなくシャイネは首を傾げベッドに近づく。そしてベッドに誰もいないことに気付いた。既に起きていて外に出たのだろうかと思う。何度もそういったことはあったのだ。
誰かディノ―ルを見たか聞くため部屋を出ようとして、テーブルの上の手紙に気付いた。一つはメモのようで、もう一つは封筒に入っている。
メモの上部に「シャイネへ」と書かれているのを見て、メモを手に取った
『シャイネへ
突然のことで驚くと思うけど、俺は旅に出ます。これを読んでいる時には既に街を出ていると思う。見回りの兵に捕まってなければね』
ここまで読んだシャイネは、大声で驚きそうになり咄嗟に口を手で押さえた。どうして出て行ったのか、それ疑問が頭を占め、理由を求め急いで先を読んでいく。
『別れも告げずにすまない。シャイネにはすごく世話になったのに、この手紙だけじゃ感謝の想いは伝えきれないけれど、本当にいままでありがとう。一度は様子見に戻るつもりなので、その時改めて礼を言いたい。
どうして出て行ったかの理由は、もう一つの手紙に書いてある。そっちは父さんに必ず渡してほしい。
理由を知りたければ、手紙を読んだ父さんか、フィゾ師匠か、セイルマン先生に聞いてくれ。
それじゃいってきます』
シャイネは長いとはいえない手紙を何度も読む。
手紙を読み始めて十分以上経って、ようやくシャイネは動き出す。どきどきと早い鼓動の胸を押さえて、深呼吸を繰り返した。自分に宛てられた手紙は懐にしまい、ガディノ宛てのものを持って食堂に向う。
顔が強張り急ぎ足のシャイネを、同僚は不思議そうな顔で見送る。それらに対処する余裕は今のシャイネにはない。
「シャイネさん、兄さんは一緒じゃないの?」
食堂に入って来たシャイネにレアミスが声をかける。
レアミスのシャイネへの態度は屋敷内の使用人の中で一番気安いかもしれない。それは我侭なディノ―ル専属ということを労っているからでもある。ほかの使用人たちもシャイネへは同情的で、シャイネは何度か配置換えをするか聞かれたことがある。そして聞かれる度に断っていた。
レアミスへは言葉短く一緒ではないことを答え、ガディノに近づいて手紙を渡す。
「これは?」
「若様から当主様へ宛てられたものです」
小声で答える。
同じ屋敷に住んでいるのにわざわざ手紙を書いたことを不思議に思いつつ、ガディノは封を切る。
手紙の内容は、家督のことや賄賂のこと、ディノ―ルなりに調べた要注意人物といったセイルマンたちも知っていることが書かれている。
手紙を読み進めるうちにガディノの表情も強張っていく。
「あなた食事は?」
硬い表情で立ち上がったガディノに、妻であるマウナが問う。
「ん? すまんが食べている場合じゃなくなった」
マウナの問いにとってつけた笑みを浮かべ、ガディノは食堂を出て行く。
マウナもレアミスもガディノがおかしかったのは察したが、いますぐ聞こうとはしない。態度からなるべく秘密にしておきたいことだと気付いたからだ。
といっても気になるので、この場では気持ちを抑えたがのちほど必ず話を聞こうと決め、二人は落ち着いた様子で食事を始める。
食堂にいたシャイネ以外の使用人は、またディノ―ルがなにかしでかしたのだろうと考えていた。
食堂から出たガディノは、セイルマンとフィゾの二人をこの部屋に連れてくるように、ガーウェンに指示を出す。
尋常ではないガディノの様子にガーウェンはすぐさま応え、急いで部屋を出て行く。
ガーウェンが戻ってくるまで、ガディノは困惑の表情を隠さずに部屋の中を歩き回り、大きく溜息を吐いた後、椅子にどかりと座る。
「まさか爵位を拒否して、貴族としての地位すら捨てて家を出るとは。
最近は後継者としてディノ―ルよりも、レアミスの方が相応しいと考えたこともあったが。それが仕向けられたものとはな。
ディノ―ルを見誤っていたか」
ガディノはディノ―ルを低く見てはいなかった。入ってくる情報や普段の様子を見ていると能力が高いようには見えないのだが、どこか違和感があったのだ。それに幼い頃の聡明さが記憶に強く残っている。
ガディノが演技を見抜けなかったのは、演技が小さな頃から行われていたとは思わなかったからだ。普通は三才の頃に家督のことなど考えないし、長年かけて拒否するために動くなど思いつきもしない。
確かにガディノはディノ―ルが小さい頃から家を継ぐのだと言い聞かせはした。けれど普通はそれがどんな意味を持つのか幼児には理解はできないだろう。ガディノ自身も公爵家跡取りという自覚をはっきり持ったのは十を過ぎた頃だ。
「手紙に書いてある理由が本当ならば、あの子は三才ほどにして公爵というものについて理解があったということだ。
どんな傑物だ。レアが優秀だとしても、あの子だって三才の頃は同年代の子らと変わりはしなかった」
もしかするとディノは天才を超えているのではと、ガディノの背筋に少し寒気が走る。
前世の知識があるとわからないガディノがそう感じるのも無理はないのだろう。
ディノ―ルが身を引いてくれたことに安堵を感じてしまい、そのことに自己嫌悪しているガディノ。そうしているうちに扉がノックされ、ガディノは我に返る。
「来たか」
部屋に入るように声をかける。扉が開かれ外にいた四人が入ってくる。
四人? と一人多いことにガディノは首を傾げた。
「レア? 勉強の時間だろう」
レアも話を聞きたくてマウナには黙って来ていたのだ。
「私も話を聞きたくて」
「後で話すから勉強に戻り……いや、いいか。お前にも関係あることだ」
帰す言葉を途中で止めて、話に加わることを認める。
「話を始めよう。
ディノが家を出た。セイルマンとフィゾはこの意味がわかるな?」
「「なんですと!?」」
前置きもしないガディノの言葉にセイルマンとフィゾが驚いた。レアミスとガーウェンは特に反応しない。ディノ―ルが家を抜け出すのはいつものことと知っているのだ。
驚いた二人の反応を見て、ガディノは手紙の内容が本当なのだと理解した。
「お、お父様? 兄さんが家を出たって? いつものように抜け出しのでは?」
「ただ抜け出しただけならば、こうやって話し合うこともないだろう?
継承権を放棄し、貴族としての地位も捨てたのだよディノは」
これに事態を理解したレアミスとガーウェンも驚く。
「それでセイルマンにフィゾよ。お前たちが知っていることを話してもらおうか」
セイルマンとフィゾは見合い、セイルマンが口を開く。自身の知っていることを最初から話していく。その内容は手紙を裏付けする。
継承権放棄を聞き、一番驚いたのはレアミスだ。自分のことなどどうでもいいと思っていると考えていた兄が、自分をずっと信じ、ぶつからないようずっと昔から動いていたのだから。しかも家を継いだ後のことまで考えていてくれた。
「兄さん、どうしてそこまで?」
レアの口から漏れ出た言葉に、セイルマンは以前聞いた言葉を差し出す。
「世界一の宝物。孫のミシュからお嬢様のことを聞かれた時に、若様が言った言葉です。とても思いの篭った笑顔も一緒でした。
お嬢様の評価が高まり自身が比べられ評価を落とした時も、欠片も妬みや悔しさを見せず、とても喜んでおりました」
「小さい頃、ディノはとてもレアを可愛がっていたものだ。
しかし大きくなるにつれ、そっけなくなり毒すら吐いていくようになっていった。それは本心ではなかったのだな。昔からなにも変わっていなかった」
ガディノは変わったディノ―ルを、才を見せていくレアミスに対する妬みかと思っていたのだ。
自身の思い違いを知りガディノは、先ほど寒気を感じたことが馬鹿らしくなった。レアミスがいれば、ディノ―ルは間違った方向へはいかないと思えたのだ。
安堵するガディノの横で、レアミスは思案げな表情となっている。
「小さい頃の記憶は間違いじゃなかったし、あれは夢じゃなかった?」
レアミスは一度だけ、誕生日プレゼントを置きに来たディノ―ルを見たことがある。いや見たと確信はできない。夢うつつだったのだから。毎年テーブルに置かれるプレゼントを不思議に思ったレアミスは、誰が置いているのか確かめようとした。けれども夜遅くまで起きてはいられず、結局寝てしまう。それが一度だけ九才の頃、たまたま目が覚めかけたことあり、その時寝ぼけまなこでディノ―ルを見たような気がしたのだ。
嫌われてなどいなかった、むしろ大切に思われていたと知り、嬉しさが湧き出てくる。だがその一方で怒りもこみ上げてきた。
「爵位が欲しいと思ったことは一度もない。むしろ兄さんと仲良くしたいと何度思ったことか。
そっけなくされる度、嫌味を言われる度、私のどこが悪いのか落ち込みながら考えた。それなのに演技? 悩んだことは無駄?
……一発殴るっ絶対に! そしてその後思う存分甘えてやる!」
どこか暗い笑い声を上げるレアミスに触れないように、男四人は話し合う。
「セイルマン、フィゾ」
「「はっ」」
「ディノがいなくなったこと、その経緯は誰にも話すでないぞ」
二人はわかりましたと頷く。
「一つ聞きたい。お前たちはどうして私に情報を伝えなかった?」
「それが若様との約束でした」
先ほどと同じようにセイルマンが答えた。
「ですがもう一度説得するつもりはあったのです。
ここを出て行く時に挨拶くらいはしていくだろうと思っておりましたので。
その説得が失敗に終わった時、当主様に伝えようとも思っておりました」
まさか挨拶もなしで出て行くとはと、セイルマンとフィゾは心底申し訳なさそうな表情となって項垂れている。
そうかと頷いたガディノは視線をガーウェンへと向ける。
「ガーウェン。信頼のおける冒険者を吟味した上で捜索依頼を出せ。派手に動くことのないよう言い含めることも忘れずにな」
「承知いたしました。
一つお聞きしたいことが」
「なんだ?」
「若様の処遇はどのように? 連れ戻し再び後継ぎとして置くのですか?」
「いや後継ぎはレアだ。その方が不平不満がないようになってしまっている。
だが貴族としての立場はそのままだ。レアのサポートとして存分に働いてもらう。可愛い妹のためだとごり押しすれば断れまい」
「そうですね。あと若様がいない間、事情を知らぬ者にはどのように言いましょう」
「病気療養のため、外に出したとでも言っておこう。少し苦しいかもしれんが、実際五歳くらいまで病弱だったのだ、再発したと思われるはずだ。医者にも口裏を合わせてもらおう。ディノが小さい頃から診ているのだ、その言葉に信憑性はあるだろう。
継承権についても、身体的に仕事に耐え切れないと判断し放棄したと発表しておく。帰ってくれば、多少は回復し仕事を行えるようになったと周囲に知らせればいい。
ああ、この手紙に載っている要注意人物の調査も頼む。脅すなり消すなりの処置は、お前の判断でかまわん」
今ここで即処刑を決めないのは、派閥内のパワーバランスを考えてだ。無闇に斬って捨てると領内に混乱が起きることは確実。代わりとなる人材が育つまでは、彼らの力を削り無茶できないよう押さえつける。人材が育ち交代できた時、罰をでっち上げるか、調査してでてきた罪を理由に処刑しようと考えている。
「お父様? それはやりすぎでは?」
後半の過激と思われる言葉に、レアミスが反応する。
「こういった手段が有効な場合もあるのだ。
この先お前も同じように判断する時が来るぞ」
「そういった手段の前に話し合うなどして、改心を促すのは無理なのですか?」
「無理だな。いや私とガーウェンでは無理だ。しかし将来のお前ならば可能かもしれぬ。
こういった手段を取りたくなければ、取らずにすむよう精進するのだ。お前が公爵を継ぐのだから」
この日からレアミスの勉強に帝王学も付け加えられる。同時に公爵を継ぐのはディノ―ルではなく、レアミスだと正式な発表もされた。
レアミスを嫁に取り、公爵家と強い繋がりを持ちたいと思っていた貴族のたちの思惑は外れた。そして能力の低いディノ―ルの隙をつき、力を増そうと思っていた貴族たちの思惑も外れたのだった。
ホルクトーケ家内でも、ディノールにつこうと思っていた者たちの計画もほぼ白紙に戻る。ディノ―ルの療養地を探り、繋ぎを取ろうとした者もいたが無駄に終わった。療養地になど行っていないのだから、誰も行き先を知らず情報が集まるわけがなかった。
この時、ホルクトーケ公爵領内で一つの悪意が生まれた。それが芽吹くのは三年後。ディノ―ルが戻ってくる少し前だ。
この悪意により一人の犠牲が出て、ディノ―ルは自身の思慮不足を思い知ることになる。
そして三年の時が流れた。
ホルクトーケ領内の住人、リムルイート平原国内の貴族に一つのニュースが駆け巡った。
それはホルクトーケ家当主死亡の知らせだ。
その知らせから一月もせず、多くの貴族たちから確認の使者が訪れる。それに当主代理となったレアミスとガーウェンが対応し、事実だと答えていった。
その対応の中で、レアミスたちは苦渋の表情となっていたが、それを使者たちはガディノ死亡に対する悲しみと捉え、励ましの言葉をかけていく。
礼を述べるレアミスの心中は確かに悲しみがあった。けれどもそれより大きかったのが疑惑だ。
なぜならレアミスたちは、ガディノ死亡の情報を各方面へと流していない。付け加えるのならばガディノは病死や事故死ではなく、食事中に倒れた。食材が傷んでいたリ食べ合わせが悪いのならば、一緒に食べていたレアミスとマウナも倒れるはずで、そちらの可能性は低く、誰かが暗殺を企てたと見て、調査を行った。
誰が毒を持ったのかはすぐにわかった。当日の給仕の一人が死んでいたのだ。身辺調査で、一月以上前から家族がいなくなっていたことが判明。家族を人質に取られての犯行だと、レアミスたちは判断した。死んだのは自殺ではなく、口封じだろう。
そこまでわかったところで調査は行き詰まった。犯人との繋がりを示すものが見つからなかったのだ。
卑劣な手段を取った犯人に対する怒りはあるものの、進展のないまま時間は流れていく。
そんなある日、分家の者や派閥の有力貴族が屋敷にやってきた。
レアミスはガーウェンを伴い、彼らと話す。
「私を当主として認められないと」
「その通りです」
貴族たちの代表格として分家の長ミハエル・サザンジットが答える。
二十前半の鈍い銀髪を持つ男で、一年前に分家当主となったばかりだ。過不足なく領地を治めている優秀と言っていい人材だと、レアミスは目の前の男のことを記憶している。
ミハエルのそばには、ディノ―ルに利用されたコッソクスもいる。
「あなたは貴族というには中途半端だ。半分は貴族の血だが、半分は庶民の血を持つ。
公爵という地位は純血によって守られるべきだと思わないかね?
それが金稼ぎが生業の下賎な人間の血が混ざって、公爵家の品格を落している」
「血が如何様であろうと、民の平穏を守ることができるならば問題ないと私は思うのですが」
母親を侮辱している言葉に怒りを感じつつも、それを抑えレアミスは言い返す。
「……平穏ね」
含みのあるミハエルの言葉にピクリと反応を見せるレアミス。
「現状が平穏と言えるのか? 領民は突然の公爵死亡に動揺を隠せていない。
次代はいまだ年若い女子、この先自分たちの暮らしはこれまで通りでいられるのかと不安が湧いているらしいが」
「……」
「さらには私独自の情報網から暗殺ではないかという情報も上がっている。
こういった情報が私の元に入ってくることや、領主死亡の報をなんの対策もなくただ広めてしまう失態。
あなたに公爵という立場は厳しいものがあるのではと私たちは判断した。
ガーウェン殿たち家臣もそうだ。みすみす当主を死なせてしまう警備の甘さと警戒の怠り、あなた方も公爵家の家臣として認めづらいものがある」
「仮に私たちが現在の立場に相応しくないとしましょう。
それであなた方は、なにを望んでこの場にいるのです?」
レアミスは声を低くし問う。答えはわかりきっているのだが。
「まず公爵という立場。それは分家から出すのが一番ではないかという意見が主流でした。ですが私たちも相応しいと胸を張って言えるわけではありません。ですので、ここは分家の長と当主代理の子を公爵として扱ったらどうかと」
「私と分家の長……分家の長で未婚はあなただけですね。つまりあなたと結婚しろというわけですか」
「ええ、光栄にも。他の長には認めてもらっていますよ。生まれる子が成人するまで、私が公爵代理ということも。
そして公爵の家臣も分家や派閥から相応しい者を推薦で出すということになっています」
彼らの主張を認めると、ホルクトーケ公爵家内の役職は総入れ換えになるだろう。レアミスは望まぬ結婚、ガ―ウェンは閑職に追いやられるか辞めさせられるか。他にも今公爵に近い者たちはほぼ全員が追いやられる。
認められない。認めてしまうと、この変動で領内は荒れてしまう。成り代わりを迫ってきている貴族たちが、きちんと仕事をこなすつもりがあるならば荒れは少ないだろう。しかし彼らの中には地位に目が眩んでいる者も見られ、治安維持など期待するのが難しそうに思える。
ここできっぱりと断りたいレアミスだが、今の彼女の立場は当主代理という立場でしかなく、ここまでの数の貴族に迫られると容易には意見を跳ね除けることはできない。
代理という立場でなくなれば、王家から公爵と認められれば、跳ね除けることができる。だが認めてもらうには時間が足りなかった。ガディノの死因を探るため、葬式も待ってもらっているのだ。葬式もまだなのに、当主として認めてもらえるよう働きかけるのは難しかった。公爵位授与自体にも時間がかかる。
レアミス側に時間的余裕が与えられなかった。それほどまで分家たちの動くタイミングが早く、話の進みが速い。
「私が相応しくないとしたら、兄上ならばどうです? あなた方の言う血は申し分ない。それにもともと跡取りという立場は兄上のものだ」
「ええ、ディノ―ル様ならば公爵に相応しいといえるかもしれません」
あっさりと自身の言い分を認めたミハエルにレアミスは内心訝しむ。
「ディノ―ル様が姿を現せるのならば」
この言葉にレアミスは小さく反応してしまう。ディノ―ルのことを気にしているが故の反応だった。
それを見逃さなかったミハエルたちは賭けに勝ったことを確信した。
ディノ―ルに出てこられると、ミハエルたちの主張は半減し目的を達せられない可能性もあったのだ。
この三年、ディノ―ルの情報入手が皆無に近かったことから、ディノ―ルは死亡したか、もしくは人知れず何処かへと去ったのではとミハエルたちは見て、ディノ―ルが出てこないと賭けに出て動いた。
ミハエルたちはディノ―ルが継承権と貴族としての地位を捨てようとしたことを知らず、病弱故にそれらを捨てざるを得なかったと思っている。継承権の取り下げは一時的なものというガディノの発表をミハエルたちは信じていた。だから出てこられると、継承権を取り戻そうと動くと思っている。その行動はミハエルがレアミスと結婚することで、公爵家の力を手に入れようとする計画と反する。
自分たちの主張は言いがかりに近いと自覚していて、正当性はディノ―ルにあると考えているので、出てこられると困るのだ。
賭けはディノ―ルの部分だけで、ほかの根回しなどはしっかりとやった。ディノ―ルの情報集め、派閥の貴族への根回し、暗殺のための人材厳選、そういった事前行動を水面下できっちりと済ませ、今レアミスに自分たちの主張を承諾させようとしている。
「ディノ―ル様に連絡を取って戻ってこられるまで十五日待ちましょう。国内にいるならば、これくらい待てば充分でしょう?
もしその猶予期間でディノ―ル様がいらっしゃらなければ、私たちの主張を認めてもらいます。よろしいですね?」
断れるだけの力がないレアミスは頷くしかない。テーブルの上で握られている手は、悔しさからか力が込められ血の気が引いている。
ここで断ると最悪内紛の可能性もあると考えた。自分たちの騒動に、民を巻き込むのはレアミスとしては避けたかった。
役職の交代で発生するだろう領内の荒れも、自身がしっかりと管理していけば被害は小さくできるとも考えた。彼らも自分の意見を無視してまで、領内を好き勝手に弄くることはないだろうと思っていた。
レアミスの甘さだろうこれは。人の良心を信じすぎている。並外れて優秀とはいえ、いまだ甘さを貫き通せるまでの能力はない。そことガディノの急な変事による慌ただしさで生まれた隙を突かれて現状となってしまった。
「あなたの花嫁姿はさぞかし美しいでしょうね。今から楽しみです」
立ち去り際にミハエルは愉悦を込めたセリフを残していく。
それでレアミスは確実に待っているあろう未来を幻視する。浮かない顔つきでウェディングドレスを身に纏った自身の姿を。
「ガーウェン」
「は」
呼びかけに応じるガーウェンの声も覇気がない。
「兄さんの情報は?」
「残念ながらなにも」
「……そうですか」
現状で希望があるとすれば、ディノ―ルの帰還。だが居場所がわからず、それも儚い希望でしかない。
引き続き探索は続けるように指示を出し、ミハエルたちがやってきたことで止まっていた仕事を再開する。ペンを握る力は弱い。
レアミスの憂鬱な日々が始まった。