預かり、託すもの
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「泣き虫を連れて帰ってきたぞー」
「師匠っ」
痛いっ! 泣いていたことをばらされてムクールに強く背中を叩かれた。言わなくても目が赤いし、ばれると思うんだけどな。
皆微笑ましそうにムクールを見ている。それを受けてムクールは顔を赤くした。
「ノル」
アンゼを抱いたままのナィチが声をかけてくる。
「なに?」
「今日、アンゼこっちに泊めてさせてくれる? 久しぶりに一緒に寝たくて」
「アンゼはどうしたい?」
「んー……うん。あたしもお姉ちゃんと一緒にいる」
「パパは帰るぞ? 一人で大丈夫か?」
「ひとりじゃないよ! 皆がいるもん」
「私も残るしね」
アンゼの肩にいるルフが胸をはる。
「そっか。そうだな。皆、アンゼのこと頼んだ。泣かせたら魔造剣ぶっ放すからな?」
「先生、目がまじです」
本気だからな。まあ、そんなことにはならないと信じてもいるけどな。
「シスコンで親馬鹿か、もやしは駄目駄目だなぁ」
「はっはっは、お前の考え無しも相当なもんだけどな」
いつもどおりの荒っぽいコミュニケーションをとり、部屋の中を数ヶ月前の雰囲気が包む。
日が暮れる前まで皆との会話を楽しみ、一人で屋敷に帰る。
「ただいま」
仕事部屋に行き、レアに帰ってきたことを知らせる。
「アンゼが向こうに泊まることになった。ルフも一緒だ」
「兵を派遣してそれとなく守るよう手配しますね」
「それはしなくていいと思うぞ? 賊に入られても赤馬隊の奴らもいるし」
「公爵家縁の者ですからね、一応手配はしておいた方がいいのです」
レアの方がそこらへんは詳しいし、従うか。念には念を入れておいた方がいいってのも事実だしな。兵たちの仕事増やしちまったな、少しだけ申し訳ない。
ん? レアがなにか笑みを浮かべて思案げな顔つきになってる。
「アンゼちゃんもルフさんもいないのか……兄さんを独り占めできる?」
後半は呟きだから聞き逃しかけた。嬉しそうだから変なことを考えているわけではなさそうだ。
そのままうきうきと仕事をこなしていくレアの様子を、脳内ハードディスクに収めていく。
「仕事はこれで終わり。夕食まで話しましょう!」
「別にいいけどなにを話そうか」
「なんでもいいですよ」
なんでもいいって言われてもちょいと困るな。あっ聞きたいことがあったわ。
「仕事手伝ってるわけだけど、給料って出るのか?」
「給料ですか? なにかほしいものでも?」
「ラドンウルフを倒した時に剣を壊して、新しいのがほしいんだ」
「それでしたら公爵家に武具を卸している商店に連絡をとって用意しますよ?」
「それは遠慮しておくかな。俺の戦い方だと剣を使い潰すことがわりとあるんだ。だから手ごろな値段の剣の方がいい。んで手に馴染むものを選びたいから自分で買いたい」
公爵家で使われているものは、新人でもそれなりの物だろ。そんな物を使い潰すのはちょっと気が引ける。
かといって安物すぎるのもすぐに壊れて困る。安すぎず高すぎずといった剣を使っている。丁寧に造られた鋳造品が一番だな。もう少し技量があがれば、使い捨て剣と使い続ける剣を持つのもいいかなって思っているけど。
「そうですか。仕事をしているのは事実ですからお金は出せます。いくらくらい必要ですか?」
「五万もあれば十分だ」
「そんなに安い剣でよいのですか?」
使い潰すこと前提だからな。安いっていっても平民の生活費半月分くらいだし、それに上等な剣は俺の腕にはもったいない。
レアの使っている剣は思いっきり高そうだな。いくらくらいなんだろうか? 最低でも五十万はいってそうだ。まあ、安物でも魔物とかそこらの二流三流を圧倒できるんだろうが。
「それで十分だよ」
「それくらいでしたらすぐにでも渡せます」
「んじゃ、明日の昼過ぎにでもアンゼを向かえに行くついでに買ってくる」
「では明日の朝に渡すことにします」
この後はなんでもない話に移っていく。夕食を食べる時に、母上にもアンゼのお泊りを知らせておいた。
夕食後もレアと一緒にいて、鍛錬も一緒にやり、寝る前まで話し続ける。
「ふあぅ、そろそろ寝る時間ですか、もっと一緒にいたいんだけど」
小さく欠伸をしたレアが残念そうに言う。ちょっとからかってみるかなー。
「そんなに一緒にいたいなら、今日は一緒に寝るか?」
「え? 一緒にですか……そうしましょう」
え? てっきり照れながら断られると。承諾が返ってくることに驚きだよ。
「せっかく独り占めできるんです。もっと一緒にいたいですから」
俺の表情を読んで、ほんのり頬を赤くしつつ理由を話してくる。
着替えてくると言ってレアは上機嫌に部屋を出て行った。
妹大好きな兄に訪れたご褒美? といっても小さい頃に何度か一緒に昼寝したことはあるんだけど。レアは覚えてないだろうな。今でも鮮明に思い出せる、あどけないレアの寝顔! アンゼやルフの寝顔も天使だけどな!
「明日の朝は脳内ハードディスクに新しい画像が追加されそうだ」
楽しみだと思っていると、レアが戻ってきた。上は半袖、下は八分丈な白のフリルつきのパジャマで、すごく似合っている。レアならどんなパジャマでも似合うだろうが。反論は聞かないっ。
「なんだか、楽しそうですね?」
「小さい頃、レアと一緒に昼寝したことを思い出してた」
「……むー覚えてない。兄さんばかり覚えててずるい」
思い出そうとしたみたいだけど、できなかったようで軽く睨まれた。
「先に生まれた者の特権だ」
「いいもん、これから思い出作ればいいんだから」
言いながらベッドに乗る。
「明かり消すからな」
「いいよ」
暗くなった部屋を歩き、ベッドに入る。
すぐにレアが俺の手を取ってきた。暗いながらも笑みを浮かべているのがわかる。
「いい夢見れそうです」
「俺もだよ」
暗いなかしばらく話を続けて、一時間後に眠る。
朝起きると、レアが俺の腕に抱きつく形で寝ていた。鍛えているのにそれを感じさせない肉体の柔らかさが女の子だと主張している。女なのは当たり前だけど。
狸寝入りしている様子はなく、熟睡している。少し動いても起きないってことはそれだけ気を許してくれているってことだろう。小さい頃と変わらない寝顔を堪能し、レアを起こす。
「おはようございますぅ」
少しだけ寝ぼけたレアに挨拶を返し、軽くストレッチして体を解す。
そうしていると扉がノックされて、シャイネが洗面器とタオルをキャスターに載せて入って来た。
「おはようございます、若様、当主様」
「「おはようシャイネ」」
「当主様は朝から上機嫌ですね」
「ええ、兄さんを独占できたからね」
顔を洗い、完全に目を覚ましたレアの表情には笑みが浮かぶ。
「着替えてきます。また後でね」
「あいよ」
俺が顔を洗っている間に、シャイネが着替えを用意する。着替え終わった頃には、脱いだ着替えをまとめてキャスターに載せていた。
「では失礼します」
「うん、いつもご苦労様」
笑みを浮かべて部屋を出て行くシャイネ。俺も食堂に向かうかな。
レアの部屋の前を通ると気配は中にあった。準備はまだまだかかるか? 少し待って一緒に行くのもいいな。
近くの窓のそばに立ち、兵たちの様子を見ていると、背後から扉の開く音がした。
「兄さん?」
きちんと服を着こなしたレアが少し驚いた表情で俺を見ている。
「先に行ってよかったのに」
「まあ、一緒に行きたくてな」
「じゃあ、一緒に行きましょう」
声が少し弾んでたな。
食堂には母上が既にいて、白湯を飲んでいた。
レアと一緒に挨拶すると、微笑みを浮かべて返してくる。
すぐに朝食が並び、レアの挨拶を合図に食べていく。母上は俺たちが一緒に寝たことは知っていて、懐かしそうな表情となっていた。母上も俺とレアが昼寝したことあるのは知っているからな。
「お母様もそのことを知っているんですね」
ずるいと呟くレアを母上は笑みを浮かべてみている。
「ええ、とても愛らしい光景でしたよ」
「ぜんぜん覚えてない」
「小さい頃のことだし、無理もないわね。でも昨夜久しぶりに添い寝してもらったのでしょう? 今度はきちんと覚えていられるじゃない」
「……そうなんだけどね」
いつまでも残念がっても仕方ないと思ったのか、レアはお茶とともに気持ちを飲み込んだみたいだ。
添い寝したことを聞いた使用人たちは、驚いた顔をしたり、心底羨ましそうな視線を送ってきた。中には俺と添い寝したことを喜ぶレアを不思議そうな目で見ている者もいた。
それは俺の評判を変えてないせいだ。以前のような態度は見せていないから評判が悪くなることはないが、それでも一度聞いた評判を拭って俺を見ることは難しいので評価は一部以外低いままだ。
一部とはラドンウルフ討伐を一緒にやった兵たちだ。彼らはある程度の敬意を持って接してくるようになった。
「さあ、お仕事です!」
「昨日言ったけど、俺は昼までだからな」
「ええ、覚えています。ではお母様、失礼します」
「母上、いってきます」
屋敷内にいるんだからいってきますはおかしかもしれないが、母上はいってらっしゃいと返してくれた。
当主の部屋に入りレアから五万ゼンをもらい、書類に目を通す。……ガーウェンめ、微妙に回す仕事の難易度上げてるな。昼まで頭を悩ませるとするかぁ。
緊急を要するわけではない書類をある程度まとめ、昼食を食べた後、屋敷を出る。
服装は高いものから、旅をしていた間着ていたものに着替えている。シャイネが洗濯し、ほつれを修繕してくれたからみすぼらしさはまったくない。感謝感謝だ。
屋敷を出て、最初に見かけた武具店に入る。よりより性能とかたいして気にしなくていいので、どこでもいいのだ。
「いらっしゃーい」
「剣を見せてもらう」
「どうぞー」
手ごろな値段の剣を見ていき、実際に持って手に馴染むものを選ぶ。
特に変わったところのない数打ちもののブロードソードを持って、カウンターに行きお金を渡した。値段は4万3千ゼン。中級者になりたての者が使う剣だ。俺にはお似合いだろう。
気合の入っていない店主の声に押されて店を出る。高級品を求めてないと見抜いて気合を入れなかったのか、それとも常にあれなのか、どっちなんだろうなぁ。
「あとはアンゼを迎えに行ってと……ん? あれはルドか?」
視線の先に私服姿のルドがいた。薄手のブラウンのブラウスに、黒に近い紺のロングスカートといういたって普通の服装だけど、兵装が見慣れているからかえって新鮮だ。昔は変装していたせいで中性的だったが、今は美少女って感じだな。ちらほらとルドに視線を送る奴もいる。
「おーい、ルド」
声をかけると俺に気づいて、近寄ってくる。
「ディノール様」
「今はディノでいい。貴族だとばれたくないし」
「ごめん。じゃあディノ、こんなところでなにを?」
「アンゼを迎えに行くついでに、剣を買いにきたんだ。ラドンウルフ戦で剣壊しただろ?」
「ああ、そういえば。でもお嬢様に言えば代わりを用意してもらえたんじゃ?」
「用意すると言ってたけど、高い物は俺の技量には合わなくてな。それにまた使い捨てにするだろうし」
「あの時の攻撃かぁ。どんな攻撃かはわからないけど、武器一つ捨てても惜しくない威力だったもんね」
あの時の威力を思い出したのか、うんうんと頷いている。
「ルドはなにをしてたんだ?」
「私は家にお金を渡して、友達のところに行く途中だったよ」
「友達って俺も知ってる奴ら?」
「そうだね……うん、知ってる。レイボックとミシェラ、覚えてる?」
名前を聞けば、灰色の髪の少年と黒髪の少女の顔が浮かんできた。それを伝えるとそうそうと頷きが返ってくる。
「懐かしいな、俺も会いに行っていい?」
「いいけど、娘さん迎えに行くところだったんじゃ? 遅くなっていいの?」
「長居はするつもりないから」
「そう、じゃ行こう」
こっちだよと先導されて歩く。向かう先のことを聞き、二人が酒場で働いていることを聞いた。レイボックは店長代理として、ミシェラはレイボックを追って酒場で給仕をしているのだという。告白してそろそろ結婚も間近なのだとか。
そういったことを聞いていると、ルドが指差した先に酒場が見えた。
「こんにちはー」
「酒場は夕方からってルドじゃない、元気にしてた?」
「元気よ。そっちは?」
「私もレイも元気よ。そちらは誰なのかしら?」
「忘れちゃった? ディノだよ。十才まで遊んでた」
ミシェラがじっとこちらを見て、あっと呟いて手を叩く。
「久しぶり! また会えるなんて思ってなかったわ」
「久しぶり」
笑みを向けてくるので、笑みを返す。
「どうしてルドと?」
「私も偶然会ったんだよ。旅先から帰ってきたばかりだったんだって」
貴族ということは言えないので、どこで再会したかはぼかしたみたいだ。
「旅に出てたの?」
「三年ほどね。森林国とか砂国とかに行ってたよ。そこで傭兵とかやってた」
「そうなんだ。あの時の友達にも傭兵になった子がいてね、死んじゃった子もいるんだよ。生きて再会できて嬉しいよ」
そう言ってミシェラは首を傾げた。なにか疑問が湧いたらしい。ルドも似たような表情だ。
「でもディノってお金持ちの息子だったよね? なんで傭兵に?」
「跡継ぎは妹に譲ったんだよ。んで俺は各国の情報収集も兼ねて国を出たんだ」
「そうなんだ」
ミシェラは疑問が晴れてすっきりとした表情となったが、ルドはまだ首を少し傾げている。なにかおかしなところがあったか?
「おーいミシェラ誰と話してるんだ?」
店の奥から男が出てきた。レイボックだな、小さい頃の面影がある。
「ルドとディノが来てるのよ!」
「ルドはわかるけど、ディノ?」
やっぱりしばらく会わなかったから忘れられてるか。と思ったらそうでもなかったらしい。
急に姿を見せたことに疑問を抱いただけで、顔も名前も覚えていた。
「なんで覚えて? 会わなかったから忘れられてるだろうなって思ったんだけど。いや覚えていてくれて嬉しいんだけどさ」
「店長代理になれたのは、文字の読み書きと計算ができるからだ。それらを教えてくれたお前を忘れるわけがないさ。いつか礼を言いたいと思っていたんだ」
「あの時教えたことが役に立ったんなら嬉しいよ」
教えたのは深い意味のない、気まぐれみたいなものだしな。忘れずに活かしたレイボック自身を褒めるといいよ。
レイボックに誘われ、カウンター席に座る。
「一杯だけだが、再会を祝して酒を飲まないか? 酒が苦手ならジュースを出すぞ?」
「いやいける。ただ弱めで頼む。酔っ払うわけにはいかないからな」
「わかった」
四人の前にグラスが置かれて、シードルが注がれる。
それを手に軽くグラスをぶつけ合う。久々に友達とあった嬉しさから酒が美味かった。
酒をちびりちびりと飲みながら、今までなにをやっていたのか話し、三十分が過ぎる。そろそろ店を出ようかなと思っていたら、入り口から誰か入ってきた。そっちを見ると、焦った感じの四十過ぎの男がいた。
「今日も早いな、ヤンド。料理の仕込みを頼む」
店員なんだろう、レイボックは親しげに片手を上げて出迎える。ヤンドと呼ばれた男は表情が固いままだな。
「代理、今日も頼みます。給料の前借をさせてください!」
「その話か」
ヤンドは土下座しそうな雰囲気で、レイボックは困ったように表情を歪ませる。
「何度も言っているように無理なんだ。貸してやりたいのはやまやまだが、必要額が多すぎる」
「そこをなんとかっ」
「すまんな」
「……いえ無茶を言っているのはわかっているので、仕込みに行きます」
視線を地面に固定したまま、ヤンドは厨房へと入っていった。
できるなら貸してやりたいってことは、キャンブルにつぎ込んでいるとか駄目な理由じゃなさそうだな。
あの雰囲気や必死さは見たことあるし、ちょっと気になる。
「今の男ってなにか事情があるのか?」
「まあな、ミッツァから徒歩二十日の村から出稼ぎに来ているんだ。村での稼ぎが悪いわけじゃなくて、下の子供が病気らしくて薬代を稼ぐために大きな街に出てきたんだとさ。出てきてここで働き始めた当初は店員からの評判は悪かった。仕事ぶりが悪いわけじゃない。真面目で必死だった。だが飲み会といったコミュニケーションの場には出てこなくて、付き合いが悪いってな。少し愛想が悪かったのも、マイナス点だったか。でも当然だよな。少しでもお金が欲しいんだ、飲み会で使っちまうわけにはいかない。それを上の子供がやってきた時に知って納得した」
「少しくらいは説明してくれてもって思うんだけどね。それだけ周囲を見る余裕がなかったんだと思う。事情を知った皆が少しずつお金を出し合って飲み会に誘ったら、申し訳なさそうにしてたわ。子供の病気が治って収入に余裕が出たら、今度は自分が全員に奢るって言ってる」
事情はわかったけど、それだけなら前借はしないよな? 子供の容態が急変したのか?
聞いてみると頷きが返ってきた。どんどん悪化の方向に向かっていると、手紙が知らされたらしい。どうにかするには高い薬を長期間飲ませる必要があるため、給料の前借を願うようになったとのこと。
店員のかんぱでどうにかなるかと値段を聞いてみたら、どうにかなる額でもなかったらしい。
「俺も店長に交渉はしてみたが、無理の一言で断られたよ」
「そっか、似てるな」
「似てるってなにが?」
ルドが首を傾げる。
「旅先で会った男にな。ちょっとあの男を呼んできてもらえないか? 聞きたいことがある」
「いいが、どういうつもりなんだ?」
「ヤンドの手助けができるんだが、それを受けるかどうか聞こうと思って」
「金を渡すつもりか」
驚いてるな。まあ当然か、見ず知らずに男に大金を渡そうっていうんだから。でもこれから渡す物は俺じゃ使えないものなんだ。
「ちょっと使い所に困った宝があるんだ。それを渡してもいいんじゃないかって思った、ヤンドになら。詳しいことは会話を聞いていればわかるさ」
ミシェラに連れられてヤンドが不思議そうな顔でやってくる。
「呼び出してすまんね。レイボックに聞いたんだが、子供さんが病気で重体って本当?」
「ああ、本当だが。あんたには関係ないことなんじゃ?」
そう思うのが普通だわな。
首に常にかけているお守りよりも少し大きな袋から、一枚のコインを取り出す。表に翼を閉じた鷹、裏にはバラが彫られている。丁寧な仕事で、これの価値を知らない人でも美術品としてそれなりの値段をつけるだろう。
首に下げている袋には大事なものを入れている。アンゼの母親が身につけていたネックレスもこの中に入っている。いつか母親について話す時に渡そうと入れているのだ。
「このコインは昔に作られた記念硬貨で、純度百パーセントの金だ。そして発見されている数は少なく、コレクターの中には大金で引き取りたいという奴もいる。これをあんたに渡そうかと思っている」
手に持つコインにヤンドだけではなく、三人の視線も集まる。
「ほ、本当ですか!? それをもらえるなら息子が助かる! それをもらえるなら何でもします! どうかお願いです、俺にください!」
ヤンドが必死に頭を下げる。
やっぱり雰囲気が似てる。あの男も我が子のことを強く思ってた。
これだけ似ているんだ。話に少しも嘘はないのだろう。演技だったら見抜けなかった俺が馬鹿なだけだ。
「渡す前にこれにまつわる話を聞いてくれ。それからこれを受け取るか、決めてくれ。俺が望むのはそれだけだ」
「はい」
真剣な俺の声を受けて、ヤンドも真剣な声と表情で頷く。
「これを手に入れたのは一年と半年くらい前だ。当時俺はイツセ砂国に入ったばかりだった。旅費を稼ぐために一つの依頼を受けたんだ」
話し出した俺の声をヤンドだけではなく、三人も静かに聞いていく。
受けた依頼はありふれた魔物退治。宿に多めにお金を払いアンゼを預けた俺は、数人の冒険者と一緒に魔物が潜む林に向かった。魔物の情報はわかっていて、戦い方や特徴もわかっていたので、そこまで難しい仕事ではないと考えていた。それはほかの人たちも同じだった。
けれどそういった予想は外れた。タイミング悪く、その魔物のほかに別の魔物も林に入ってきていた。受けた依頼は元からそこにいた魔物退治ではなく、林にいる魔物退治なので、あとからやってきたそれも退治しなければならず、情報を集めながら戦う羽目になった。
苦戦しながらも俺たちはなんとか依頼を達成したが、一人傷を受けた箇所が悪く死んだ男がいた。その男がコインの持ち主だ。
男は村での治療のかいなく死んだが、治療のおかげで生きている時間は延ばすことができた。
その時に男の事情を聞かされた。男は子供の医療費のため冒険者として出稼ぎに出ていたのだ。そしてコインを見つけて、あとは帰るだけの旅費を稼ぐだけだった。
男は死に際に俺に頼んできた。子供を持つ俺になら、コインを託せて村まで届けてくれるのではないかと。それを断れるはずもなく頷く俺に、村の名前と場所と家名を告げると、息を引き取った。
俺は男の死後、聞いた村へと向かった。教えられた場所に村はあり、そこに住んでいた人たちに男の名前を告げて家の位置を聞いた。
返ってきた言葉に俺は、やりきれないものを感じたよ。
男の家族は皆死んでいた。子供のみならず妻も父母もだ。死んだのは男が村を出た一年後。魔物が村を襲ったらしい。逃げることができた者もいたが、男の家族は皆殺された。
そのことを村人は男に知らせたかったが、居場所がまったくわからず連絡の取りようがなかったらしい。
家は廃墟となり、襲われ壊れたままだった。墓は村人が作っていた。そこに行って男が死んだことを報告した。あの世という場所があるなら、既に再会していたのかもしれないな。
俺には託されたコインが残された。どうすればいいのか困ったよ。強い思いの篭ったそれを俺のものにはできなかった。村人に渡すのもなにか違うと思った。
その日から俺はコインを大事にしまい、使いどころを探していた。
「そして今日ヤンド、あんたに出会った。似たような境遇のお前さんに渡すのが一番だと思えたんだ。あんたに渡して、あんたの子供が助かればあの男も満足できるんじゃないかって思った。どうする? これを受け取るか?」
「……」
ヤンドはじっとコインを見ている。
「これを受け取るからには絶対子供を助けないといけない。あの男がこれに込めた思いを受け継ぐってことだからな」
念を押すように続ける。
ルドたちはヤンドの決断をじっと待っている。
「……受け取りますっ! それの持ち主が満足できるような結果をもぎ取って見せます!」
「そうか、これはお前のものだ!」
差し出したコインをヤンドはしっかりと握り締めた。
なんだか一つ荷物を下ろした気分だ。
「よかったじゃないかっヤンド! これで子供も助かる!」
レイボックも嬉しげにヤンドの肩を叩く。それに目を潤ませてヤンドは何度も頷きを返す。
「私も嬉しいんだけど、ちょっと疑問」
ミシェラが口を開いた。
「ヤンドってそれを売る相手いるの?」
「……いない。でも探し出して見せます!」
「ああ、ルドの働き先なら買い取ってくれるんじゃないか?」
「え?」
私? と不思議そうに首を傾げる。そんなルドに話しを合わせるようにウィンクを一つ送る。
ここで話を合わせてくれれば、あとは俺からレアに話しを通すつもりだ。
「ルドは公爵家勤めだし、買ってくれるかもしれないわね」
納得したようにミシェラが頷く。
「お願いできますか!」
ヤンドの強い頼みに思わず一歩引いてルドは頷いた。
「頼んでみる。明日またここに来るから、コインを盗まれないよう大事にしまっておいて」
「わかりました」
「店の金庫にでも入れておくか? 鍵は俺と店長しか持っていないぞ?」
「お願いします」
ヤンドがコインを差し出し、レイボックは受け取るとすぐに金庫に入れに行った。
用事は終わったし、そろそろ帰るかな。
「帰るよ。この後も用事があるし」
「私も帰るよ」
席を立つと、ヤンドが頭を下げてくる。
礼は子供が助かってからにしてほしいと言うと、必ず報告しますと返してくる。
戻ってきたレイボックに帰ると告げて、三人に見送られ、俺とルドは酒場を出た。
酒場から十分離れると、ルドが口を開く。
「咄嗟にあんな作り話をよく思いつけたね?」
「作り話? いや違うけど?」
「え? でもディノって静養していたはずだから、イツセとか行けないんじゃ?」
ああ、俺が家を出た事情は知らないから作り話と思ったんだな。だから俺が傭兵になったことをミシェラが疑問に思った時に首を傾げてたのか。
「ちょっとした事情があって、あれは本当のことなんだ」
「えっと、あちこち行っていたのが本当ってことよね? じゃあなんで静養に行ってたって皆は言ってるの?」
「詳しくは話さないけど、俺の行き先を知らなかったから静養に行ったって広めてたのさ」
「なんでそんなこと?」
わけがわからないと首を傾げている。
妹に爵位を譲るためとか想像しにくいか。
いつか話すかもと言うと、悩んでいるのを止めた。
そのまま話しつつ歩いていると背後から声をかけられた。
「師匠?」
「ん? ムルークか、どこか行くのか?」
「いや、仕事を探した帰りっす。そちらさんはどなた?」
ルドを指差す。ルドもムクールが俺を師匠と呼んだことに首を傾げている。
「昔からの友達だ。名前はルディネーシャ。俺の家に雇われている私兵でもあるな。んでこっちはムクール。俺がいた傭兵隊の一人で、弟子だ」
互いによろしくと頭を下げている。
「ディノ、私はあっちだから」
「また明日」
「うん」
ムクールにもう一度頭を下げて、去っていく。気を使わせたかと思ったが、後日話して本当に用事があったのだとわかった。
「私兵って、貴族に雇われているんですよね? 強いんすか、あの人」
「強さでいえばムクール以上、ガイクル以下だな。現在修行中だ。兵を募集していた時に特別枠で拾われたんだ」
「いつか手合わせしてみたいっすね。それはそうと仲良いの?」
「友達だし良いと信じたいが」
「友達っすか」
なんでほっとしてんだ? 俺にも友達がいたことに安堵したのか? 弟子にぼっちだと思われていたのだろうか。友達少ないけどいたよ。ぼっちじゃないよ。
「ああ、友達だ!」
「なんでそんな力を込めて?」
「いや俺にも友達がいるんだとわかってもらいたくてだな」
「はあ。それはわかったっすけど」
わかったのならいい。
んじゃま、アンゼを迎えに行くとしようかな。遅いとパパ大嫌いって言われるかもしれん。レアに兄さん嫌いって言われる次くらいに精神的ダメージが大きそうだ。それは避けねば!
「よーし、走るぞ!」
「なんで!?」
「アンゼが待っているからさ! 置いてくぞーっ」
ムクールの声を背中に聞きつつ、宿へと走る。
風になるんだとテンション上げて走り、アンゼの前に立ったら、ルフにテンション高くてキモイと言われたでござる。
ちなみに数ヵ月後、ヤンド⇒レイボック⇒ルド経由でヤンドの子供が助かったことを知ることになる。
久々です
久々すぎて最初から読み直して、驚きました
一人称で書いてたんですね!
それすら忘れてた