友、遠方よりきたる
王都から帰ってきて一ヶ月弱ほど時間が流れた。
その間これといったハプニングはなく、穏やかに過ごせた。
アンゼとルフと庭の木陰で昼寝してたら、いつのまにか隣でレアが寝ていたり。シャイネと一緒に買い物に出かけ、シャイネがレアに羨ましがられたり。ミシュと一緒におやつを作ってレアに持って行ったら、ミシュがレアに羨ましがられたり。ルドと稽古をしていたら、どこからか聞きつけたレアが一緒にすることになってルドが緊張して稽古にならなかったり。母上といつもお茶会をして何事もなかったり……思い返してみるとレアと二人でなにかしてないな。いや仕事でいつも一緒だし、コミュニケーション不足ってことはない、はず。
お出かけは難しいけど、おやつ作りくらいならやれるだろうし、今度誘ってみようかな。俺はもちろんだけど、母上とかアンゼも手作り菓子を喜びそうだ。
この一ヶ月でやった仕事は主に学校関連と費用計算。
困りごと解決な仕事も少しやったっけ。ガーウェンから見て簡単なものを、部下からわざわざ譲り受けて仕事として三つ渡された。リハビリを兼ねた仕事だった。ガーウェンから見て簡単なものであって俺や新人には難しかったりしたが、ガーウェンがチェックし間違っていると思われる箇所は解説してくれたので大変勉強になった。
一つ例にとってみると、特定地域の農業における収穫量調査にどういった人材を派遣するかといった仕事だった。ただしわざと情報を制限されていた。違和感に気づき、正しい判断を下せるかを見るためらしかった。
俺としては去年行った者と新人を派遣するといった答えを出した。新人だけではわからないことも、経験者が同行することでスムーズに調査が進み、学び経験を積むことができるといった理由だ。でも調査頻度や地域情報や調査品種のこと考慮していないせいで正解はとはいかなかった。
調査に行く場所は領内の端にある谷底。道は険しく案内人なしでは危険な場所。品種は環境が整っていれば勝手に育つ薬草。これの調査は去年行っていて次は来年の予定だった。いつもの調査目的は、上がってくる報告と現地情報に差異がないか。今回は二週間ほど前にあった大雨の影響で薬草がどうなっているか調べるというのが目的。
このことからいつもと違う調査になることがわかる。ならば新人を連れて行っても学ぶことは違うことになり、俺の出した答えでは次回の仕事に十分生かせる経験を積めないのだ。
こんな感じの仕事をこなしていき、今日は休みをもらいアンゼとルフと一緒に街に出ている。
これといった用事はない。ただアンゼを外に連れ出し、街の子供たちを遊ばせようと思っただけだ。いつもはシャイネが連れて行ってくれている。
「その帽子久々に見た気がするな」
もらい物の獣耳帽子だ。狐をイメージしているのか金毛の耳がピョコンと立っている。見たのは王都に行く時以来だ。
「最近一緒に出かけてなかったからね。いつも外に行く時はかぶってるよ」
「そうだよー。パパいそがしくてあそぶときはおうちの中ばっかりだったから」
「そうだったな」
まあ不満そうな顔を見せてないし、スキンシップ不足ではなかったみたいだ。
いつも行っているという広場に案内してもらい、子供たちの混ざるアンゼを見送る。
「こんにちは、今日はシャイネさんではないんですね。あなたがアンゼちゃんのお父さん?」
子供の親の一人かな?
「こんにちは。そうですよ。仕事が休みになったんで、今日は俺が連れてきました」
「ずいぶんとお若いですねー、羨ましいわー」
「いえいえ奥様もお若いでしょう」
「あらそう?」
どこの世界でも年齢のことは気になることなんだなぁ。今のは世辞を言ったわけじゃないんだけどね。
こんなふうに世間話をしながらアンゼの様子を見て十分二十分と時間が流れていく。奥様方は話題が豊富で喋りが止まらない、俺からは話題を振らずにずっと聞き手に回ってた。
「あーっ! いたーっ!」
誰かが大声出してるな。探し人が見つかったらしい。
「誰か見つかったらしいわね」
「そうですね。この街広いですから、はぐれたりしたら大変なことこの上ないでしょうねぇ」
「そうねぇ、住民ならまだなんとかなりそうだけど、外から来た人なら苦労も増すと思うわ。ところであなたの後ろ……」
奥様の一人が俺の後ろを指差した直後、背中に衝撃を受けた。
「師匠ー! やっとみつけたっす!」
「ムクール!?」
振り返り見るとそこには赤馬隊の一員で、俺が世話していた奴が少しぼろい感じを漂わせ立っていた。
褐色の肌に青灰色のショートカット、ルフと同じ空を思わせる蒼穹の目、やんちゃさを感じさせる可愛いといえる容姿を持つ十七才の少女。それがムクール・パムだ。
ちなみにアンゼは遊びに夢中でこっちに気づいていないようだ。
「探してたのってあなたみたいね? 会話の邪魔にならないように外すわ」
「気を使ってもらいありがとうございます」
去っていく奥様方に頭を下げた後、ムクールに向き直る。
「久しぶり」
「四ヶ月ぶりくらいっすか。会えてほんとに嬉しいっすよぉ」
「俺も嬉しいんだけど、なんでここに? なにかこっちに来る依頼でも受けた?」
「違うっす!」
なんでか怒ったような顔を見せる。
「三人が抜けて、私らがどれだけ苦労したと思ってるんすか!」
「いや知らんがな」
俺たち三人が抜けただけでそうそう大事にはならんだろうに。
アンゼはちょっとした手伝いをしてたけど、いなくなっても少し仕事量が増えるだけ。ルフは基本的にアンゼに付き添って仕事はなかった。俺が抜けたら戦力ダウンかもしれないけど、そこを踏まえて仕事を請ければいいだけ……ん? もしかして、
「ガイクルが暴走した?」
「しました」
「でもナィチが止めるんじゃ?」
ガイクルは赤馬隊のリーダーで、ナィチはガイクルの相棒兼ストッパーだ。幼馴染らしくて、昔からストッパーをしていたと聞いた。よく付き合うもんだ。惚れた弱みと言っていたのを聞いたことがあったか。
「最初は止めてたんですけど、ぶっ倒れて……」
「倒れるって、以前は問題なく止めてたんだろうに」
「本人から聞いた話だと、楽を覚えたから余計にストレスが溜まったとかなんとか」
俺というストッパーが加わって負担が減って、その状態に慣れきった頃、元通りになってストレス許容量をいっきに突破したのかな。
アンゼを可愛がってたし、癒しがなくなったことも関係してそうだな。
「そんなわけで以降は止められる人がいなくて」
「殴ってでも止めればいいのに」
「悪意があるわけじゃないから殴るのは皆気が引けて」
よかれと思って無茶な依頼取って来るからたちが悪いんだよなぁ。しかも皆の実力を把握したうえで、ギリギリのラインを見極めるからなあいつ。その実力は健康体の時のもので、疲れてる時のことは考慮に入ってないし。
強くなるためには困難な状況を突破するのが一番という考えは間違いではないと思うんだが、いつもそんな状況というのは勘弁願う。皆のためを思う心があるなら、そこらへんをいい加減学べと。
戦う時に無茶するのはナィチからのフォローがあると心底信じてのことなんだろうけど、信じすぎて無茶しすぎなんだよな。そのせいでナィチもつられて無茶することになる。
「そのつけがナィチに行ったんだろ。がつんと言ったら止まるんだからさ、言えばよかったんだ」
「う、すみません」
「ナィチに謝ろうな?」
被害受けたのは俺じゃないし、俺に謝られてもな。
「既に謝ったっす」
「ならいいんだけど。で結局こっちに来たのはなんで?」
「皆で相談したっす。私たちだけじゃあどうにもならないって。ナィチさんが回復すればなんとかなるかもしれないけど、また倒れるというのはわかりきったこと。
どうすればいいか考えて、師匠を連れ戻せば万事解決と結果がでたっす。
それで始めは誰か代表で来させようとしたんです。でもその間にさらに人数減った状態でリーダーを御せるかというと自信がなくて、いっそのこと皆で行くかと」
「皆で来たのか!? 拠点変えることになったのか」
「はいっす。師匠の故郷は大きな街だって聞いてたから、仕事に困ることはないだろうと判断したっす。
ナィチさんの許可ももらいました」
「確かに困ることはないだろうけど、大きな仕事は請けられないぞ? もとからここを拠点にしている奴らもいるし、実力のある傭兵団もいるし」
言うように大きな街だから仕事はあるけど、それを狙って冒険者も集まっている。楽に大きな仕事が請けられるということはないのだ。それにこの街で一番高い実力を持っている集団は公爵家私兵たちだ。大きな仕事は私兵たちに回されることがよくある。より確実に解決してもらいたいならば、一番強い者たちに頼るのは当たり前だろう。
「それはわかってるっす。でも向こうと同じように少しずつ認めさせれば、いずれ大きな仕事できますよね?」
「そこをわかってるならいい」
いつになるかはわからないけど。ガイクルが落ち着かないうちは駄目だろうなぁ。
「事情はわかった。戻るかは置いといて、皆に会いに行くか」
「戻ってきてくれないんすか!?」
「現状だと難しいんだ」
レアが許さないだろう。赤馬隊がこっちに来たから俺が街を出て行くことはない。でも戻れば赤馬隊にかかりきりになるから、レアのことはほったらかしになるだろう。
そこらへんを思い浮かべると、レアが頷く姿が想像できない。俺自身も今は公爵家を出て行く気はない。
「とりあえず、もう少し待ってくれ。アンゼがまだ遊んでるから」
「アンゼちゃんとルフさん元気っすか?」
「元気だぞ。わかれてから病気一つならなかった。今も健康管理しっかりしてもらってるから病気になりようがない」
アンゼが遊び終わるまで、この街に来るまでのことやムクールたちのことを聞いて暇を潰す。皆は四日前に到着していたらしい。仕事はせず俺たちを探すことを優先したのだと。
話している間に子供たちの遊びは次々変わり、鬼ごっこやボールを使いキャッキャと遊んでいる様子は平和そのもので、ムクールもそんな様子を見て和んでいた。
アンゼたちが遊び終わったのは二時間ほど経ってからだ。
「あーっムクールお姉ちゃん!」
こっちに戻ってくる途中でムクールに気づいたアンゼが嬉しげな表情を浮かべて駆け寄ってくる。その笑顔にムクールも嬉しげ笑みを浮かべる。
「久しぶり! 元気なようでよかったす」
「うん! わたしもルフもげんきだよ! みんないるの?」
「宿にいるっすよ。これから会いに行くことになってるよ」
「わー! はやくあいたい!」
久々に皆に会える喜びを体全体で表してる。当然だな、皆と仲良かったし。
子供たちに別れを告げて、ムクールの案内で宿へと向かう。
道々、赤馬隊の現在の行動を聞いた。ガイクルは宿で待機。これはナィチの看病でだ。そのナィチは旅の疲れが出て休息中。残りメンバー八人の内六人で俺たちを探し、二人は依頼を探すといった行動だったらしい。
奥様方とも話したけどこの街広いからな、探すのには苦労したんだろうなぁ。
滞在している宿は街の外縁部にある安めの宿だった。中部屋二つを借りて、男女に分かれて泊まっている。ガイクルの馬は街外の牧場で預かってもらっているとのこと。
男部屋には誰もおらず、今は皆女部屋に集まっていた。
「おー揃ってんなー」
そう言いながら部屋に入ると、ノルさんと一斉に声が上がった。
「もやし! いきなり抜けるってどういうこった!」
「うるせーっ考えなし! 無茶すんなってあれほど言ったろうが!」
俺のことをもやしと呼んだのが、ガイクルだ。赤みがかった茶髪を五分刈りにし、意志の強い黒の目を持つ、体格に恵まれたどこか泥臭さを感じさせる男だ。年は二十三で、赤馬隊の中で三番目に年を取っている。一番上が二十七で、その次が二十四だ。ナィチはガイクルと同じ二十三。
俺たちは喧嘩腰のように言い合ってるが、ある時期からこれが通常になっていて喧嘩しているわけじゃない。証拠にアンゼも驚くことなく俺たちのやりとりを聞いている。これも遠慮がないといえる関係なんだろう。
こんな関係になったのはガイクルの勘違いが原因だ。
ナィチはアンゼを可愛がっており、アンゼを構うことで苦労して溜まったストレスを解消していた。一緒に寝たり風呂に入ったりもしていて、それが日常の一部になっていたほどだ。そして酒に酔っても同じ行動を取ることがあった。
俺が朝起きたら、アンゼを挟んで一緒のベッドで寝ていたなんてこともあった。一回目二回目は俺もナィチも驚いたが、それが三回四回と続いていくとまたかと流すようになり、笑い話にもするようになった。
それを聞いたガイクルが俺とナィチの仲を勘違いし、決闘だと言って襲い掛かってきた。まあ、一緒のベッドで寝たって聞いたらそう思うのも無理はないかなと思うけど。実力はガイクルの方が上なんで終始防戦だった。一生懸命防ぎながら、いきなりそんなことしてきた理由を聞くと、俺にナィチを任せられるか知るためとか言ってきたんで思わず防ぐことも忘れてぽかーんとしたなぁ。あの時は命の危機を感じたね。
それからナィチと一緒に誤解を解き、その過程でガイクルとナィチが両想いとわかった。
んで付き合うってことになりかけて、皆が止めた。不思議がる二人に、このまま付き合ったらナィチがさらに苦労することになると説明し、ナィチが思わず納得してしまい。付き合うことは取り消しになった。
不満をあらわにするガイクルに、もう少し落ち着けと皆が声を揃えて言ったのだった。皆が認めるまで付き合うことは延期になったのだった。
以来、命を賭けた決闘もどきをやらかしたこともあって俺は遠慮せずガイクルを止めるようになり、ガイクルもまた遠慮せず反応を返すようになり、今に至る。
ガイクルが喧嘩腰なのは、ナィチのアンゼの寝床に入ることが止まなかったこともちょっと関係していると思う。
「む、無茶じゃねえよ! ちょっと判断間違えただけだ!」
「どもってる時点で自分も認めてるようなもんだろうが。
ほんとに落ち着けよ。苦労全部ナィチに行くんだから」
「わ、悪いとは思ってるさ」
威勢をなくした表情で言い返してくる。
まったくこのままじゃ、いつまでも経っても結婚どころか付き合うこともできないぞ?
軽くガイクルの後頭部を叩き、会話はひとまずここまでとして、ナィチのお見舞いといく。
ベッドに入り半身を起こしているナィチに近づき手を上げると、ナィチも上げ返す。
ナィチは暗い金の長髪で、赤い目をしている。際立った美人というわけではないが、美人の範疇に十分入ると思う。デフォルトになっているどこか疲れたような雰囲気を漂わせてなければ、もっと美人に見えるんでないかと思っている。
「やあ、わりと元気そうでよかった」
「お姉ちゃんびょうきたったの?」
「久しぶり二人とも。ずっと休みっぱなしだったから元気にもなるさ。
病気というわけじゃないよ、アンゼこっちに来てくれる? いつもみたいに抱きしめさせて?」
そう言ってナィチは腕を広げる。慣れたことなのでアンゼも素直に近づきベッドに上がる。
「久々ー、柔らかいし暖かーい」
至福といった蕩けるような表情でアンゼを抱きしめている。ガイクルがなにかナィチを喜ばすことをしても、あの表情は見れないんだよね。
こうなったナィチはアンゼ以外の外部からの声に反応しなくなる。回りの人間もナィチの邪魔しないようにするため、アンゼが疲れて離れたがるまでずっとあのままだ。
何十何百と抱きしめてきたので、抱き加減は絶妙。アンゼが苦しまないように適度にギュッと抱きしめ、頬をゆっくり擦り合わせている。
もしも抱きしめ大会といったものがあれば、対象が子供の部門ならば優勝を狙えるんじゃなかろうか。そんなことを思わせる。
「ああなったらしばらく離さないわね」
周囲には見知った者ばかりなので、姿を現したルフが俺の肩に座り呆れ顔で言う。抱きしめる際にアンゼのことは考えても、ルフのことは考えないので避難してきたのだ。
「好きにさせればいいさ。アンゼも嫌がってないしね」
「まあナィチがアンゼの嫌がることはしないってのはわかってるけど」
時々甘すぎて注意することがあるくらいだしねぇ。
「おい、もやし!」
「なんだよ、考えなし」
「戻る気がないってのは本当か?」
あ、ムクールから聞いたのか。
「本当。家を手伝うって妹に約束したし、それを破る気はないから」
ルフとアンゼとナィチとムクール以外が驚く。
一斉に戻ってくるよう頼んでくる。聖徳太子じゃあるまいし、聞き取れないよ。あ、煩さにルフが顔をしかめている。
「皆、師匠たちに戻ってきて欲しいんす。戻ってきてください」
「ガイクルのストッパーとしての思いが大部分だろう?」
図星だったか、ほとんどの者が言葉に詰まる。
「私は師匠がいなくて寂しいっすよ!」
「僕も先生にまだまだ教えてほしい魔法がある」
ムクールに追従するように声を出したのは、弟子二号。
名前はジテンド。家名は言いたがらない、なにか理由があるんだろう。本人が言うまでは聞かないで置こうと皆で話して決まった。
年はムクールと同じ十七。白い肌に、漆黒の短髪、灰色の目を持つ穏やかな人物。顔も整っていて、以前の拠点では何人かの決まった女によく声をかけられていた。本人はその人たちと付き合う気はないようで、付き合いは距離を置いていたように見えた。
今は異性との付き合いよりも、魔法に興味があるらしく俺に弟子入りし魔法の勉強を楽しそうにしていた。俺以外に魂術を使える人物だ。といっても環境調節陣の一つしか使えないけど。
環境調節陣ってのは、範囲内の気温調節や雨風虫の侵入を防ぎ野営に適した状況にできる魂術だ。野営中でも快適空間で休めると疲れの取れ具合がかなり違う。
「二人とナィチには謝るしかないな。時間の都合を合わせれば会うことはできるし、それで我慢してほしい」
「妹さんに直談判したいっす! 師匠がこっちに来てくれるように」
「難しいと思うけどな。それにレアを説得しても、俺に戻る気がないし」
「人間社会のことは詳しくはないけど、私も難しいと思う」
一緒に過ごしたルフも同意する。レアも俺も一緒にいれることを喜ぶ様子見てるしな。
「会って言ってみないとわからないっすよ! というか師匠は私たちよりも妹さんを選ぶっすか!?」
「うん」
「でしょうね」
即答と同意にムクールが口をパクパクと開き閉じている。こうもあっさり仲間より妹を選ぶとは思ってなかったのかな。ほかの奴らも驚いた表情だ。
でも俺としては当然なんだ。レアが一番で、その次アンゼ。これは決まりきったこと。
「……一緒に過ごした日々を否定された気分っす」
すっごい落ち込んだ。目の端に光るものも見えたような。
「いやいや否定してないからな? 皆と一緒で楽しかった。それは嘘じゃない。ムクールと一緒に買い物したりお菓子食べ歩いたのもいい思い出だ。
でもそれ以上に妹が大切なんだよ」
「もやしはシスコンなんだなぁ」
頷きつつどこか呆れた感じで言われたけど、シスコンは俺にとって褒め言葉だ。
「これを機に妹さんから離れてみては?」
「冒険者してた頃離れてたろう?」
そうですねとジテンドは頷く。それで治ってないのだからどうこう言っても無駄っぽいなとか聞こえた。
ジテンドの言うとおり、このシスコンは中々治らないだろうね。レアを任せられると確信を持てる人が現れるか、俺が心の底から惚れた人が現れないかぎり。
惚れた経験は生まれかわってから二度しかない。誰にかというとレアとアンゼの産みの親だ。母親の子供を命がけで守っていた様子は心を奪うに十分なものだった。
「妹さんからこっちに戻るように言われたら、戻ってきます?」
「それなら戻るだろうけど、ほぼ無理って思っておきなさいよ?」
「そうなんですかルフさん?」
「レアはノルが家に戻って仕事を手伝っていることをすごく喜んでいるもの。家から出て行けとはよほどのことがないかぎり言わないわ」
「よほどのことって仕事で大失敗とか?」
「それくらいなら注意で済ませるんじゃないかしら?」
レアやガーウェンが出来具合を確認するから失敗するってことはないんだけどね。
「どうしても一度会って話したいっす! 私たちがどれだけ師匠を必要としているか伝えたい」
「会うことも含めてさっき難しいって言ったのよ。レア忙しいから」
それにただの冒険者が会おうとして会えるものでもないしな。
「それじゃあ僕たちを雇ってもらうってのはどうです?
こっちに来てもらえないのなら、こっちから押しかけるってのは。俺たちにとっても固定の仕事ができて嬉しいし、そちらにとっても便利だと思います」
「もやしの家に雇われるのか?」
不満そうだな、おい。
俺の家が商家なら、わりといい考えだと思うんだよな。いつでも好きなように使える戦力ってのは便利。仲介屋を通さないから、仲介料の分お得だし。そのかわり信頼なくすとすぐに放り出すけどね。でもうちには既に街一番の戦力が揃ってるわけで。
「専属の戦力はあるから、これ以上は必要としないよ」
「既に持ってるんですか。だとすると……まさか、いやいや」
なにを否定してんだろうな?
「もやしの妹ってどんなやつなんだ?」
「聞きたい? 聞きたい? 言っておくけど冗談抜きで丸一日語れるからな?」
俺が身を乗り出すと、皆一歩退いた。
ちなみにアンゼのことだと、半日話せる。ナィチと一緒なら一日に伸びるかもしれない。
「く、詳しく話すんじゃなくて一言で表現するなら?」
「パーフェクト」
「完璧ってことだよな?」
「正確に言うなら完璧になる手前なんだけどな。あと五年も経てば完璧と言ってよくなると思うぞ? 五年もいらないか?」
「身内の贔屓なんじゃないか?」
「何を言う! 現時点で家の者誰もが認めるほどに、賢く優しく強く可愛いんだぞ!? 年月が経てば成熟してより良くなるに決まってる!」
断言できる! 二十歳過ぎればただの人なんて言うが、レアにはそれは当てはまらん! ただの人というのは俺のことを言うんだ。
「……師匠思い込めすぎで少し気持ち悪いっすよ?」
ムクールの言葉に皆コクコク頷いている。
「……正直に言われるとちょっと傷つく」
少しだけだけどな!
「今何歳なんすか?」
「十六だ」
「なにをしてるんすか?」
「家業を継いでいる。周囲の手を借りて、上手くやってるよ」
「先生って貴族ですか?」
「う、いや、違うぞ?」
ジテンドがムクールの質問に混ぜるようにさらっと聞いてきて、頷きそうになった。
否定の言葉に若干上ずったし、怪しまれたか?
正体をばらすことのメリットとデメリットを考えてみようか。
……メリットないなぁ。こいつらがもう少し強ければ、領内の巡視に推薦できるかもって感じなんだけど。一番強いガイクルが私兵隊に入れるってレベルで、あとはルドのような特例がないかぎり無理だ。
デメリットは権力者に近いってことで変な欲を出すかもしれない? そんなことになればレアの仕事が増えそうだし、余計な気苦労も増えるか。
こいつら経由で、療養していたはずの俺が冒険者をやっていたとばれるのも、少しまずいかもしれない。その情報を俺には思いつかない発想でレアを攻撃する材料にするかもしれないし。
今のところデメリットしかないと。
「もやしが貴族ってあるわけねーよ。だいたい貴族がなんで冒険者なんてなるんだ。安全で豪勢な暮らしができるだろうが。そんな暮らしを捨てて博打な暮らしに身を投じるってないだろ」
もっと言ってやれー! でも完全に安全な暮らしができるわけじゃないけどな!
「いえ実際に貴族が冒険者になってる実例知ってるんで」
「そんなやつがいるのか!? なに考えてんだか」
「跡目争いが嫌になったと聞いてますよ。暗殺謀略で血が流れるのは日常なんだとか」
「そりゃ物騒だな」
本当に物騒な世界だなって、父さんもそれに近いことだったんだよな……。
「師匠どうしたんすか?」
「……嫌なこと思い出してね」
首を振って思い出したことを振り払う。
「先生を探すついでに街の情報も集めたんで、それらをまとめて出た結論聞きます?」
「聞いてみようか」
「では、なにあちこちうろついてるんですか公爵家長男」
「公爵家長男ってあるわけないない」
そう言って手を振り笑ってるのはガイクルだけで、ほかの人たちはポカンと呆けた表情で俺を見てる。
「どうしてそんな結論が出たんだ?」
今度は不意打ちじゃないから、心底不思議そうな演技は出来た。演じ続けて磨かれた演技力は見抜けまい。
ジテンド以外はそんな表情に騙されている。
「ジテンドの勘違いじゃないっすか?」
ムクールを無視してジテンドは俺と目を合わせ続ける。
「どうしてそう思ったか。きっかけは雰囲気でした。
初めて会った時から、一般庶民とは違う雰囲気を感じてました。そしてすぐに知り合いの貴族に近いと気づけました」
「たしかにもやしの雰囲気の違いは俺も感じてたが」
俺にも貴族的な雰囲気ってあったのか。
ガイクルは仲間をよく見てるから違いに気づいてもおかしくはないんだよな。無茶なだけがガイクルの性格ではないのだ。人を気遣うことはできるし、人を惹きつけるものを持ってるからリーダーなのだ。
「まあ、貴族っぽいってだけで貴族そのものからはズレてましたが」
ぱちもん扱いか! でも納得できてしまう。表情には出さず、心の中で爆笑してしまった。
ジテンドは俺を観察するようにまだ見ている。けなすようなことを言ってプライドを刺激し、変化を見極めようとしたのかな?
「ほかにヒントは色々なことを知っていたということです。
平民出ならば知らないことも知っていたでしょう? 勉学に励むことができた証拠で、貴族か名家か大きな商家くらいでしょ? そんな教育を施すのは。
あとは魔法もそうですね。氣術知識はまだ言い訳できるけれど、魂術知識の豊富さは平民出にしては不自然すぎ」
経営学以外の地理や歴史といった学問はなにかの役に立つかとおもって真面目にやったんだよな。レアやガーウェンと話したように、平民は学問を学べる立場にいないからたしかに不自然に感じるか。ずっと冒険者でいるって考えてたから特に隠すことはなかったのが、今になって不利に働くとは。
「最後に、これはこっちに来て調べて先生の話を聞いてわかったことなんだけど、領主の名前がレアミス様っていうらしい。
それで先生って妹さんの名前レアって呼んでましたよね?」
「レアはレアでも妹の名前はレアーヌって言うのさ。似てることを喜んでいるよ」
「そうですか……よく考えたら先生が貴族かどうかなんてどうでもいいことではあったんですが」
んー? 本心か? 他人の演技を見破るのは得意じゃないんだよな。
「俺は最初からどうでもよかったんだけどな。
ほかにもやしに聞きたいことがあるんだが」
「なに?」
「この街出身ってことは、稼ぎどころとか知ってるんじゃないか? そこら辺の情報がほしい」
「そうだねぇ、常に募集がかかってるのは果樹園の警備。この領地は果物栽培が活発で、年中なにかしらの果物を作ってるんだ。それを獣とかに食べられないよう警備を募集してる。
ほかは商隊の護衛もよくある。大きな街だから周辺地域からの荷の行き来が多いんだよね。
細々とした依頼も多い。
逆に少ないのは魔物討伐系。特に強い魔物とか集団の討伐は、冒険者に依頼がこないで領主所有の私兵隊に依頼が行く。この街で一番強い集団だから無理もないよ」
「討伐系が少なめなのは助かるっす。リーダーの無茶が減ることだから」
「言うじゃねえか、ムクール」
睨まれたムクールが俺の背に回り盾とする。
「事実だから仕方ないだろうに。
前の拠点に比べたら依頼はたくさんあるし、依頼を好き嫌いしなけりゃお金に困ることはないだろうさ」
「金が足りないなんてことにならずに済むのはいいな。
んで最後にちょいと頼みがあるんだが」
「頼みねぇ」
なんだ? さっきまでの話題で戻って来いってことじゃないだろうし。どこか言いづらそうにしてるな?
「金貸してくれ!」
「ついさっき金に困らないで済むのはいいとか言ってなかったか? 既に困ってる状況で言えるセリフじゃないよな?」
「ないものはないんだ。宿の料金五日分でいいんだ。必ず返すから頼む!」
「いくら?」
「五万ゼンもありゃ十分なんだが」
手持ちが二十万あるから余裕、とはいえいつもなら皆もこれくらい持ってるのにな?
「大金ってわけじゃないのに、皆持ってないのか?」
「ここに来るまでの旅費で、底を尽きかけたんだ」
「それプラス、リーダーが無茶したせいで収入がなかったっす。だからお金借りなきゃ後二日宿にいるのが精一杯」
「五万なら小さな仕事でも二つ三つこなせば稼げるからいいけど。
じゃあちょっと取ってくる。ルフはアンゼのそばにいてくれ」
小さく公爵家のことは、ばれないようにしてくれと頼む。アンゼは聞かれれば答えてしまうだろうから。
「わかったわ」
ついでにアンゼの着替えとかも取ってこないと。ナィチが離さず、泊まることになるだろうし。
宿を出て、つけられてないか何度も周囲を確認し、遠回りもして屋敷に戻ってきた。
財布を持って部屋から出ると、レアが近寄ってきていた。
「あ、兄さん。お帰り」
「ただいまって言ってもまた出るけど」
「また? なにしに出るの?」
「以前話しただろう? 赤馬隊って仲間がいたって」
「はい」
「そいつらがこの街に来てるんだ。んでここに来るまでの旅費でお金が底を尽きかけてるんで、俺が貸すことになった」
「へー赤馬の皆さんが。ついて行ってもいい? 一度挨拶したいです」
ふむ。どうしようか……少し悩む。
正体を隠していることを告げて、その設定に合わせてくれるように頼んだ。
「わかった。レアーヌで、商家の家長ってことになってるのね?」
「そういうこと。嘘つかせることになってすまない」
「別にいいよ。その人たちと対等な付き合いをこれからもしたいんでしょ?」
「え?」
対等? 首を傾げた俺をレアは不思議そうに見ている。言われてみれば思い当たる気がしないでもない。
公爵家出身と知って態度が変わったらショックを受けるだろうな。
レアに不利な状況を引き寄せたくないというのも本心だけど、心の奥底ではあいつらとこれまで通り付き合いたいという思いもある。
「レアはやっぱりすごいな。俺が気づかなかった俺の思いに気づくんだから。
ありがとう」
気づかせてくれたことへ礼を言いつつレアの頭を撫でると、嬉しそうに恥ずかしげに顔を少し赤らめる。
「じゃあ準備してくる。変装しないで街を歩いたら大変なことになるし」
レアの顔は街の人々の多くが見知っている。幾度か部下たちを連れて魔物討伐に出ているし、街の見回りにもでているからだ。
多くの者に好かれ人気が高く、素顔で歩くとたちまち囲まれることになるのは、簡単に想像できる。だから変装は必要なのだ。
レアの部屋の前までついていき、そこで着替えを待つ。二十分ほど経ち、扉が開いた。
いつもはポニーテールにしている髪を白っぽいクリーム色のキャスケット帽に入れて、伊達メガネをかけ、薄い青のチェック柄シャツと黒のパンツを着たレアが出てくる。少し化粧もしていて実年齢よりも上に見せている。胸の膨らみと化粧がなければ童顔の男に間違われたかもしれないな。
「初めて見る服装だな。そういった服装も似合う、というかなに着ても似合いそうだ」
「ありがと。さあ、行こ?」
レアに手を取られて屋敷を出る。一応ガーウェンに街に出ることは伝えておいた。護衛をつけるとは言い出さなかったが、レアの話だと隠れてつけている者が数人いるらしい。
日常的にレアを見ている兵たちの中には変装しているレアに気づく者もいた、だが屋敷外の人々は気づいた様子を見せなかった。美形がいるということで注目は集まったけど。
「あ、おかえりっす……隣の人は?」
俺が口を開く前にレアが一歩前に進み、帽子を取って頭を下げた。金糸を思わせる髪がさらさらと流れる。
「初めまして、レアーヌと申します。兄がお世話になっております」
そう言って微笑んだレアに皆見惚れていた。一名ほどアンゼを抱いたまま気づいていない人がいるが、あれは予想の範囲内だ。
「おおおお俺は赤馬隊のリーダーでガイクルという! もや、じゃないノルには俺たちも世話になった」
「どもりすぎだろ」
「仕方ねえじゃねえか! こんな美人は初めて見るんだ! 緊張の一つもするに決まってんだろ!」
「ありがとうございます」
褒められたことに笑みを浮かべて言った礼に、皆再び見惚れた。
「……師匠の妹自慢で誇張入っていると思ったのにまったく誇張されてなかった件について」
「まさか本当に言葉通りだとは。あれならシスコンにもなりますね」
弟子コンビの言葉に皆頷いている。
「いや強いという部分が本当かはわからないぞ」
「戦ってみて確かめてみるっすか? さすがに冒険者相手には無理だと思うっす」
ガイクルの言葉にムクールがそんなことを言った。
強いといっても一般人の範囲内でと捉えたんだな。まあ、商会のトップが領内一の実力者とは考えるのは難しいか。
「言っとくけど、俺は負けたからな? 妹だからって手は抜いてない」
「師匠が負けた? 魔法ありで?」
「いや剣だけ」
「それだといまいちじゃないか? もじゃないノルは剣だけだとそこまで強くないだろう?」
「お前を基準にした判断だろ、それ。実際に模擬戦やってみるか?」
この中の誰が相手でも触らせずに勝ちを収めるだろうと確信持ってるぞ。
あとたしかに俺は強い方じゃないが、それでも一般人には余裕で勝てるからな?
「勝手に話が進められているっすけど、レアーヌさんはいいんですか?」
「私ですか? かまいませんよ」
「じゃあ、ムクール相手してみろ」
「私っすか!? 手加減とかできないっすよ!?」
甘く見すぎだ。調子にのって魔物と戦い痛い目見たことから学んだ慎重さを思い出してほしい。そんなんじゃまたいつか痛い目見そうだ。ここで負けてしっかり思い出してもらうのがいいか。
でも忠告くらいしとこうかな。
「ムクール。全力で行け。でないとなにもできないまま終わるぞ?」
全力で行っても同じ結果になりそうだけどね。
「本当に全力でいくっすよ?」
「何度も言わせるな。一撃でも当てたいなら全力を振り絞れ。ちょうどいいからはるかな先の高みというやつを経験してみろ」
「師匠自慢の妹さんとはいえ、同業者でもない人に負けるわけにはいかないっすよ!」
皆で宿裏の庭に移動し、レアとムクールの模擬戦を見物する。
ナィチは相変わらずアンゼを抱いたままで、そのまま移動していた。
二人が三メートルほどの間を置いて向き合う。手にはそこらに落ちていた木の棒。
ルールは単純、有効打を先に入れた方の勝ち。
「妹さん、一つ提案があるっす」
「なんですか?」
「私が勝ったら師匠を赤馬隊に戻してほしい」
あ。これはムクールの低い勝率が完全にゼロになった。さっきまでは俺の仲間ということで、相手に花を持たせる可能性も低いながらあった。でも俺が一緒に仕事できなくなるのは、レアにとって望まぬことだ。それを条件に出されたら、レアは手は抜かないだろう。
その証拠に穏やかだった雰囲気が引き締まってる。
「……いいでしょう。ですがそれは叶わぬ願いだと思い知ってもらいます!」
レアから放たれた気迫に地面に生えていた雑草が風もないのに揺れる。
そんな気迫を受けた皆のレアを見る目が変わる。誰もがレアを甘く見ていたのだろう。
「兄さん、合図をお願いできますか?」
「じゃあ、この石が地面に落ちたら」
足下にあった石を広い、軽く上に投げた。
石が土に触れたと同時にレアは動き、手にしていた棒はムクールの額に当てられた。
今の動きを見切れる者はどれだけいるだろうか? レアが卓越している技量を持つとわかっていて油断なく見ていた俺でさえ、レアの動きを捉えることはできなかった。甘く見ていた皆が見切れたはずはない。公爵家の兵たちでも見逃す奴はいるんじゃないだろうか?
今の動きを無拍子と言われたら俺は疑うことなく信じる。妹が可愛いからという欲目なく、純粋にすごかった。
しかもだ、あれほどの動きをしておきながらムクールになんの衝撃も与えていない。ムクールが驚いているのみで、痛みに顔をしかめるような様子を欠片も見せていないのだ。当たる瞬間力を抜いたのだろう。完全に自身の動きを制御しきっている証拠だと思う。
「勝負あり、ですね」
棒を突きつけたまま言った。
「え? ……強い」
「だから言ったろ強いって」
この場合、強いというよりすごいって感じだけど。
「たしかに聞いたっす。でもこれは想像以上……っ!?
もう一回! もう一回お願いするっす!」
「いいですよ」
棒を引いて、元いた位置に戻るレア。
気合の入ったムクールと、気負いのないレアが再び対峙する。今度は皆、レアの動きを見逃さないようにと集中している。
また石を投げ、合図を出す。
今度はレアは動かず構えもせず、ムクールの動きを待っている。ムクールは先ほどの一戦で実力差を感じ取り、動くに動けないのだろう。棒の先をレアに向けたまま、真剣な表情で見つめている。
二人が動かないまま一分が流れ、ムクールが静寂に耐え切れなかったか動きを見せた。といっても大きなものではなく、じりじりと足を擦らせて少しずつレアに近づくといったものだ。緊張ゆえか一筋の汗を流し、後一歩で棒先がレアに届くというところまで近づいた。
ここまできてもレアは涼しげな表情を変えず、相手の動きを待っている。
一度動きを止めたムクールの足がピクリと動く、そこから腰、肩、腕と動きが繋がっていきレアへと目掛けて刺突が放たれる。その一撃は甘さなど一片も含まれておらず、俺が今まで見たムクールの攻撃の中で一番の冴えを見せていた。
「当たる!?」
誰かの声が上がる。
迫る棒を前にレアはやはり表情を変えない。レアの腕が霞み、迫る棒をなんなく払いのける。ムクールの手から棒が離れ飛ぶ。
レアはそのまま振り切った腕を返し、ムクールの首に棒をピタリと当てた。カランと落ちた棒が音を立てる。
「……参りました」
「レアお姉ちゃんつよーい!」
アンゼの無邪気な拍手がぱちぱちと庭に響く。
それにありがとうと返してレアは俺の隣に移動する。
「お疲れ様、でいいのかな?」
正直少しも疲れてはないと思う。
「知らない人とたまに戦ってみるのも新鮮でいいです」
「見た感じ本気一歩二歩手前ってところ?」
「はい。そんな感じでした。万が一にも負けたくはなかったので」
だろうなぁ。
「ムクール。高すぎる壁はどうだった? 今の二戦でなにかしらを感じ取れたなら、もっと強くなれると思う」
「……感じ取れって言われても、なにがなんだか!」
「あっ」
ムクールが走り去る。
違いすぎる実力を前に、積み上げてきたものを否定されたように感じた? フォローしといた方がいいか。
「ちょっと追いかけてくる」
「兄さん、私は家に帰ってますね」
「わかった」
「では皆さん、いつかまた」
優雅に一礼しレアは家の方向へと歩いていく。そんなレアを驚愕の表情で皆は見送っていた。
俺もムクールが走っていった方向へと走る。そこらにいた人たちにムクールの特徴を伝え、あとを追っていく。そうして人気の少ない倉庫街に着いた。
ムクールは物陰に座り込み、俯いている。
話しかけづらいな。とりあえず隣に座ってみるか。
近くまで寄ると微かに肩が震えているのがわかった。泣いてる? 余計に話しかけずらい、しばらく無言な状態が続く。
やがてムクールが顔を俯かせたまま、口を開く。
「……どうして追いかけてきたんすか。レアーヌさんと一緒にいればいいのに」
「いじけてんのか?」
「ち、違うっす!」
「心配してきたんだよ」
レアーヌが一番だけど、ムクールたちも大事には思ってる。心配するのは当然だ。
「……師匠はもう少し私たちを省みるべきっす。
家族が大切なのはわかるっすけど、私たちだって苦楽を共にした仲間っす。もう一つの家族って言ってもいいはずっす」
「たしかにそう言えなくもないかな?」
ナィチなんかはアンゼを年の離れた妹って捉えてそうだし。
「隊から離れるって聞いて悲しかったし、また会えると聞いて嬉しかったんですよ。
離れていた間も稽古欠かさずにいて、その成果見てもらおうって思ったのに恥じかいただけだったし」
「あの突きは今までで一番良かったぞ?」
ぐりぐりとムクールの頭を撫でる。払われるかもと思ったがされるがままだった。
しかし実力差を恐れたんじゃなくて、成果を見せられず不甲斐ない結果で終わったことを恥じて逃げたのか。
「……師匠」
「なんだ?」
顔を上げてこっちを見る。涙の跡があり、目も赤い。
「戻ってきてくださいよぅ。また皆で過ごしましょうよぅ」
指先で俺の服をちょんと掴んで、寂しそうに言ってくる。
心が揺れる。でも寂しかったのはレアも一緒なんだし、首を縦に振ることはできなかった。
じわりと目に涙を溜め、ゆっくりと服を掴んでいる指を放す。
「……そうっすか」
「暇を見て会いに行くから。それで納得してくれないか?」
「う゛ーっ……わかりたくないけど仕方ないっす、それで納得します。
でも一つ答えてほしいっす。レアーヌさんを優先するのは家族だからって理由だけじゃなくて、なにかほかに理由がありそうっす。
どうなんですか?」
「なんでそう思う?」
「根拠はないっす。なんとなく」
涙をぐしぐしと拭いつつ、言い切る。
なんだろうな? 乙女の勘というやつなんだろうか。
んー……回りに誰か隠れているような気配はないな。
「秘密にできるなら話すよ。複雑な理由でもないんだけどな」
「秘密にするっす」
「本当に?」
「本当に」
じっと目を見ると、逸らさず見返してくる。
「ぶっちゃけてしまえば家族だからってことになるんだけどね。
レアには寂しい思いをさせ続けてきたから、その思いが晴れるまではそばにいてあげたいっていうのかな。押し付けたこともあるし」
「それが秘密にすることっすか?」
「いんや。ジテンドが言ってたな、俺が公爵家長男だと」
「否定してたじゃないっすか」
「あれな、本当なんだ。こっちが秘密にすること」
ぽかんと口を開けた表情で固まるムクール。徐々に表情が動いていき、驚きの声を上げようとした瞬間、それが予測できていた俺は手でムクールの口を塞ぐ。
ふがふがと声を上げ、少しして落ち着いたのを確認して手を放す。
「大声出したら秘密にするって約束破ることになるだろう?」
「ごめんなさい。でも驚くことっすよ! なんで冒険者なんかやってるんすか!?」
「簡単に言うと、レアに家を継がせるために邪魔になりそうな俺は家を出た。んであちこち見てみたいというのと、生きていくためにお金を稼ぐってことを両立するため冒険者になったとさ」
「師匠は家を継ぎたくなかったんですか? 冒険者なんかやるよりいい暮らしができると思うっす」
いい暮らしはできても、暗殺される心配とかあるしなぁ。
「レアが色々とすごいのは理解しただろ?」
ムクールがこくんと頷いた。
「初めてレアを見たとき一目惚れしてなー、この子に家を継がせた方がいいと心の底から思ったんだ」
「一目惚れ?」
なんかテンション下がった声だな?
「そう。赤子のレアを見て可愛いと思う前に、その身に宿る才に圧倒されたんだ」
「赤子の時の話っすか……ん? その時師匠何才っすか?」
「三才くらい」
「三才児がそんなこと考えたの?」
「俺も一応いいとこの出だから教育は受けてて、それなりに優れた部分はあったんだぞ?」
いまいち信じられないような作り話だと自分でも思うが、転生したと答えるよりも信憑性あるだろ。
「そんなものなのかな?」
「そんなものだ。
話を戻すぞ? レアに家を継がせようと思って、俺の評判が落ちるように動いたんだ。レアが俺に遠慮しないように冷たく接していた。それを十年ほど続けた」
「寂しい思いをさせたその十年があるから、レアーヌさんを優先するってことっすか?」
「そんな感じ。付け加えるならシスコンだからってのもある」
「……シスコンかぁ」
結局はその一言に尽きるんだろうな。
「俺のことは秘密にな? 信じて話したんだから」
「ういっす。信じてもらえて嬉しいです!」
嬉しげに頷き、にぱっと笑う。沈んだ様子はどこにもなくて、フォローに成功したらしい。
立ち上がり、座ったままのムクールに手を差し出す。その手を掴んでムクールは立ち上がった。
「もっともっと強くなるぞーっ!」
宣言するように空を見上げ大声で言い放った。
レアには届かないだろうけど、修練を欠かさずにいれば一流の域にも踏み込めるんでないかな。
この世界の人って身体能力優れてるし、鍛錬による身体能力の上昇も前世の世界よりも早いしな。魔物とかいるし、生き残るためにそういうふうに進化してきたのかねぇ。
「励み続ければどこまでだっていけるさ」
「はい! だから師匠これからもよろしくお願いします!」
俺よりはガイクルに言った方がいいセリフだな、それは。
俺に師事したところで、強くはなれないと思うぞ?