初めての登城
屋敷は当然として王都全体もどこか慌しさを感じる。
朝も早くからシャイネに手伝ってもらい用意していた礼服を着る。服を着た後、髪型をオールバックに整えられた。レアも公爵用衣服の着用を手伝ってもらっている。
「お待たせしました」
「それほど待ってないよ」
青を基本とした前の閉じないロングコート、絹の白シャツ、薄手の白手袋、銀糸で刺繍の入った濃紺のチュニック、同じく濃紺のロングスカート、こげ茶のロングブーツといった姿のレアが姿を見せた。
肩にはレア専用の公爵肩章がつけられていて、スカートには右横にスリットが入っている。
髪は三つ編みにした後、後頭部に一まとめにされている。顔にはうっすらと化粧が施されていて、普段より年上に見える。
メイク料金も含め、これ一式で軽く家一軒建てられるだけの金額がかけられているらしい。すごいね。
「レアお姉ちゃんきれい!」
目を大きく見開き驚きを表現しているアンゼだ。アンゼは留守番なので普段着だ。俺の横にいるシャイネも同じく。
「そうだないつもは可愛いといった感じだが、今日は綺麗って言ったほうが合ってる」
このレアを見れない奴は人生を損している、と言い切れるくらい綺麗だ。
実際使用人たちも、うっとりとした表情を隠さずレアを見ているしな。
「あ、ありがとうございます。兄上も似合ってますよ」
「そう? ありがとう」
俺としては堅苦しくてさっさと脱ぎたいんだけどな。
「馬車の用意ができました」
「じゃあ行ってくる」
「行ってきます」
行ってらっしゃいと手を振るアンゼとシャイネとルフと使用人たちに見送られ、城へ出発する。
「んーちょっと緊張する」
「そうなのですか?」
「城に入るのって初めてだからな」
王都には何度も来たけど、城には入ったことないんだよな。城で行われたパーティーには連れて行ってもらえなかった。だから王族に会ったこともない。
レアは王女に会うため何度も城に行ったらしい。年齢が近いので、父さんが王様に友人として連れてきてくれと頼まれたのだ。父さんから聞いた話だと仲良く友人関係を育んでいたんだと。俺が家を出ている間にトラブルがなければ、今も仲がいいんだろう。
「王族がいるということ以外に特別な場所ではありませんよ。入ってはいけない場所には兵が立っていますし」
「王族がいる時点で特別な場所だろうに」
「王族だからって近寄りがたい人たちじゃないですよ。確かに威厳はありますが、冗談も言う気さくな人たちです」
プライベートではそうなんだろうなぁ。
そういった素顔を知れるほどに近寄れたら、王族に物怖じしなくなるんだろう。
馬車に乗って十五分ほどで到着した。街中での移動だから速度は出せない。せいぜいが人の早足より早い程度か。その速度でこの時間なので歩いてもたいしてかわらない。でも正装で歩いて城に上がるのは貴族らしからぬ行為なので、近くとも馬車に乗る。
なにが言いたいかというと、すごいめんどいということ。こんなことを思うたびに貴族に向いてないなと思う。
馬車から降りると、今回の主役と一緒なのですごく注目が集まる。んで俺を知っている人は驚いた表情を見せている。
「どこ行っても驚かれるな」
「三年ほど姿を見せず、死んだという噂も流れたほどですから」
「なるほど、それは驚くわ」
勝手に死んだことにされて、憶測の自由さにちょっと笑える。
「さあ行きましょう」
促され城に入る。どこに行けばいいかレアが知っているのでついていけばいい。
初めて入る城の中を見渡してみる。歩いている廊下の幅は広く、ここからいろいろな部屋に繋がる細めの廊下があちこちに見える。そういった廊下は装飾されていないが、今歩いている廊下は多くの人が通るためか見栄え良くされている。レアが言ったように入ってはいけない場所には兵が立っている。
あれ? 今のは……ミハエルに似てたな? すぐに曲がり角の向こうに消えたからいまいちわからない。
兵の立っている向こうに消えたから確かめにも行けない。
気になりながらも、歩きながら城内部の簡単な構造説明を受ける。
「まず馬車で外門をくぐり、馬車を置いてきましたね? あそこらへんは兵と馬関連の施設となっています。そして内門をくぐり、今歩いているここ一階は使用人や下級官僚たちが働き生活している場所です。
これから向かうのは二階ですね。階段付近には上級官僚の部屋とパーティーなどに使われる大広間があり、その奥に王族の生活のためのエリアや宝物庫があります。
簡単な説明としてならこれで十分でしょう」
来る機会はそう多くないから、これで十分だろうな。
階段を上がり、少し歩くと賑やかな声が聞こえてくる。
昔と父さんがやったようにレアは部屋入り口に立つ兵に誰か告げると、その兵が部屋の中へ俺たちが来たことを大声で告げる。
「うぅ」
口の中だけでうめき声を出す。何度経験しても慣れない、この視線の集中は。小さい頃のように後ずさることはないけれど。
「どうしました?」
「いや」
なんでもないと首を横に振る。
そうですかと頷いたレアは、俺の腕に自身の腕を絡めて歩き出す。
「なんで腕を?」
「牽制です。兄上に集まろうとする貴族たちに、公爵と親しげな姿を見せて手出しすると痛い目に合うとわからせるためです」
少し上機嫌に見えるから、楽しんでもいるだろ。
こういった気遣いされてるんなら、以前付き合いのあった貴族と接触するのはやめとこうかな。繋がりを持ち続けていればなにかの役に立つかと思ってたんだけど、下手な繋がりはレアの邪魔にしかならなさそうだ。
それにしてもレアと腕を組んだ瞬間会場の雰囲気がざわりと揺れた。男からの視線がきつくなった。貴族の間で以前と変わらずにレアの人気は高いんだなとわかる瞬間だった。兄さん鼻高々です。
貴族たちはレアに公爵就任おめでとうございますと言い、その後物言いたげに俺に視線を向ける。俺が誰か気づいた貴族は驚きの表情を見せ、気づかなかったりわからなかったりした貴族はそのまま疑惑の面持ちでいた。その人々に説明はせず、レアは進む。
進んだ先には見覚えのある人とない人が椅子に座っている。
知っている人は穀物公と呼ばれていたライラ様。知らない人はおそらく野菜公と呼ばれていたカレグレ様の息子グイード様だと思う。
「お久しぶりです、お二方」
「レアミス殿、お久しぶり。公爵就任おめでとう。困ったことがあれば相談にのるわ」
頭を下げるレアにライラ様が鷹揚に返す。さすが年長者威厳がある。
「久しぶりです。公爵就任おめでとうございます。共に頑張っていきましょう」
グイード様と思われる人は丁寧に返してくる。
「ディノール殿ですね? あなたも久しぶりですね、元気になったようでなにより」
しっかりと俺の目を見て挨拶してくるライラ様に頭を下げる。
「ライラ様お久しぶりです。以前と変わらず壮健そうですね。美貌の方も衰えを見せていないようで」
これはお世辞ではない。本当に年取ったように見えないのだ。母上よりも年上のはずなんだけどな。四十五手前だっけか? さすがに皺とか出来始めてもと思うんだ。
「ありがとう。日々努力していますのよ? その成果が出たようです」
「そのようで」
ほんとに。
「そちらの方はカレグレ様のご子息グイード様でしょうか?」
「ええ、そうですよ」
「初めまして、公爵家長男ディノール・アウシュラー・センボル・ホルクトーケと言います。カレグレ様には良くしていただきました」
「初めましてグイード・テゴワ・アイワン・ゲダと言います。まだまだ父には届かない公爵ですが、よろしくお願いします」
カレグレ様引退したんだな。今頃は孫と楽しく過ごしているのか?
挨拶が終わり、レアが椅子に座る。俺にも勧められたけど、遠慮しておいた。公爵家の居候が、公爵と同じ席に座れないだろうと思ったのだ。レアの斜め後ろに静かに控えておく。
レアたちが話すのをなんとはなしに聞きつつ、周囲を見渡す。奥の方に玉座が見えた。そこには今はまだ誰も座っていない。
会場の注目はこの席に集まっている。それで目が合う人が何人もいるけど、それはスルーする。
「いた」
目を凝らし人違いではないか確認し、間違いないと断定できた。
話が途切れるタイミングを計って、レアに話しかける。
「昔馴染みに会ってくる。すぐに戻ってくる」
「わかりました」
短く頷いたレア。ライラ様とグイード様に一礼して、その場を離れる。話しかけてくる貴族たちに断りを入れ、真っ直ぐ進む。
「やあグレンス、ライミット。久しぶり」
社交界デビューした時に知り合った二人だ。演技していた時は迷惑かけないように軽く接していた。
よく食べていたグレンスは恰幅がよくなっており、ライミットは日に当たることが少ないのか肌の色が白めだ。
「「お久しぶりですディノール様」」
声を揃えて丁寧に返してくる。
「そ、そこまで丁寧じゃなくていいよ?」
「いえ、公爵家縁の方に礼を欠いた態度で接することなど」
「そうです。それに私たちなどそれほど付き合いはないでしょう? わざわざ挨拶することもありません」
ライミットの言葉にグレンスが追従する。
これはあれか、迷惑をかけないよう接する機会を減らしたから、友達とは思われなくなったのか。でもパーティーで会うたびに少しは話したんだけどな。三年間の空白で心理的距離が広がった?
「ちょっとこっちの事情で親しくすることは避けてたけど、友達だと思ってたんだけどな。子供の頃はそれなりに親しくしてたろう?」
「事情ですか?」
不思議そうな顔となるグレンス。
「ん、そう。話すつもりはないけど。
そんなわけで以前のように適度に付き合ってくれると嬉しいよ」
「まあ、少し話す程度なら」
「俺たちに近づいても大して得することないし、本心なんだろうね」
グレンスとライミットそれぞれの返答で承諾してくる。
それぞれの近況を話し、グレンスが各国の料理やお菓子を食べたくて外交官になったとか、ライミットは親の手伝いで城の資料室の管理をしているといったことを聞いた。
どこの国の料理が美味しかったとグレンスと感想を言い合っていると、グレンスとライミットの動きが硬くなった。
「兄上」
背後からレアに声をかけられた。レアが近づいていたから二人は緊張したんだろうか。
「レア? ライラ様たちとの話が終わったのか?」
「はい。そろそろ陛下たちがいらっしゃるようです、行きましょう」
「わかった。じゃあ二人とも、またいつか」
頷きを返してくる二人に、レアは軽く一礼し歩き出す。
横に並ぶと声をかけてきた。
「兄上、あの二人とはどういった関係なのですか?」
「友達っぽい関係。三年間の空白で、ちょっと心理的に疎遠になってたよ」
「そうですか、きちんと挨拶するべきでしたね。機会があればしておきましょう」
「すごく緊張しそうだな、あの二人」
近づいてきただけでわりと緊張してたしねぇ。見惚れもしたのか、顔が赤らんでもいた。
歩いていると兵たちが陛下たちの来場を告げていた。それに合わせて貴族たちは簡単に整列していく。
玉座を中心に左右に別れ、最前列は公爵や大臣などの高級官僚が並び、その後ろに彼らの縁者、そしてさらに後ろは役職など関係なく無造作に並んでいく。
普通ならば俺たちも最前列らしいが、今日は広間入り口で待機することになっているらしい。
列があらかた整うと、兵の一人が陛下たちの入場を大声で告げる。それに合わせて貴族たちは膝をつく。俺たちも膝をついた。立っているのは兵と玉座横で陛下を待つ宰相だけだ。
顔も伏せていて玉座は見えないけど、二人分の足音が聞こえてきたので陛下ともう一人王妃か王女が入ってきたのだとわかった。
「顔を上げるがよい」
渋い声が広間に響く。大声ではないが、良く通る声で聞き逃すことはなさそうだ。
「これより公爵任命式を始める。
レアミス・アウシュラー・ビーライア・ホルクトーケ並びにディノール・アウシュラー・センボル・ホルクトーケ前へ」
レアと一緒に入り口から玉座前まで敷かれている真っ赤な絨毯を進み、列の先頭と同じところまで来て再び膝をつく。
今日はレアが主役なので、俺はレアの斜め後ろを立ち位置にするようになっている。もちろん膝をついた場所もそこだ。
あと陛下と一緒に入ってきたのは、おそらく王女様だろう。見たところ年が若かったので。若い嫁をもらったといっても、さすがにレアと同い年くらいの嫁はないだろうし。
「レアミスよ、立つがよい」
「はっ」
「私が許した瞬間からお前は公爵となる」
「はい」
「先代の意思を継ぎ、国と領地を良く治める意思はあるか」
「あります」
「国の波乱に立ち上がり、国と領民を守る意思はあるか」
「あります」
「平穏を維持し、国と領地を荒らすことはないと誓えるか」
「誓います」
「この場での約定を破ることはないな?」
「はい」
「それを何に誓う?」
「王と先祖と神に」
「ならば認めよう。新たな公爵の誕生だ。称えよ、祝え!」
陛下の言葉を受け、その場にいた全員からレアは盛大な拍手を受けている。
レアは陛下に一礼した後、左右にいる貴族にも頭を下げる。
俺はずっと顔を伏せたままなので、レアがどんな表情なのか見ることができないでいる。見たかったな。
陛下がさっと手を振ると、ぴたっと拍手が止まった。
「レアミスよ、下がれ」
「はっ」
レアが俺と同じ位置まで下がり、膝をつく。
「ディノールよ、顔を上げい」
「はっ」
「ガディノが長子ディノールで相違ないな?」
「はい」
「ガディノからお前のことは聞いておる。長期の療養を終え、健康になったことめでたく思っておる」
「ありがとうございます」
「うむ。お前は今後どのように過ごすつもりだ?」
「父の遺言に従い当主のサポートを」
この答えを聞いて、陛下は少しだけ考え込み、口を開いた。
「ガディノの遺言とはいえ、元々お前が継承するはずだった公爵位だ。思うところはないのか?」
「ございません。妹の方が相応しいと思っておりますし、私には公爵位は荷が重いとも思っております」
「爵位を継げなかったことに不満はないのだな?」
「はい、少しも」
そうかと王様が一つ頷いた。
俺に不満があって公爵家でお家騒動が起こるのを危惧したのかな?
「ところでレアミスよ」
「はい」
「お前の家は男爵位を二つ保有していたな?」
部下に爵位を与えることを陛下から許可されているのだ。たしか公爵家には二つの子爵位と四つの男爵位が王家から与えられていると、ガーウェンから聞いたことがある。その余りが二つあるらしい。
「はい。たしかにあったかと」
「そのうち一つをディノールに与えるのか?」
レアは王の問いに答えることができずにいる。考えていなかったことなのだろう。どうしようか考えを巡らせているようだ。
すぐに考えを出したらしいレアが口を開く一瞬前に、俺が口を開く。
「辞退したいと思います」
「ほう? 爵位はいらぬと」
「はい。今は健康になったとはいえ、また体調を崩すかもしれませぬ。そうすれば領地経営やそこに住む領民に迷惑を与えることになりかねません。それを避けたく思っております。
それに爵位をもらってしまうと、そちらにかかりきりになってしまい父の遺言である当主のサポートが疎かになると思いますので」
領地経営なんてめんどいことやってられっか、というのが一番の理由だ。レアの仕事を手伝い、その思いは強くなっている。レアの仕事を手伝えなくなるという理由も嘘ではない。
それに爵位をもらってしまうと自由に動けなくなる。それは嫌だ。
体調を崩すかもしれないというのは方便ではない。母方の家系は病弱な人が多い。その血に連なる俺も倒れる可能性はなくはないのだ。そういった傾向は微塵も感じてはないけど。
「しかし爵位無しでは多くの者に軽く見られよう。そのことで不都合があるやもしれぬぞ」
「当主のそばにいれば、軽く見られてもそれだけかと。公爵の目の前で無理強いしてくる恥知らずはさすがにいないでしょうし。
そうですね、例えば執事としてそばで控えていれば、ずっとそばにいてもおかしくはないかと」
執事になると聞いて貴族たちから驚きの声が上がる。陛下と王女もまた驚いた様子を見せている。
「執事になるか、お前は貴族だろう? それに思うことはないのか?」
「無理難題を吹っ掛けられ公爵家に不都合をもたらす可能性を考えれば、私が恥を晒す方がましでしょう。
今後はパーティーなどに出る機会を減らそうと思っていますので、そのような不都合な事態が起こる可能性は低いと思われますが」
「そうか……わかった、ガディノの遺言に従い良くレアミスを支えよ」
「はっ」
「これにて任命式を終わる」
陛下が任命式の終了を宣言すると、広間入り口から楽隊が入ってきて演奏準備を始める。次にカートを押した使用人が何人も入ってきて、軽食や飲み物を並べていく。
このままパーティーへと移っていく。
次々と貴族たちがレアに祝辞を述べては去っていく。俺は宣言した通り、レアのそばに侍っていた。予想が当たったか、俺に近づいてくる貴族はいない。レアに挨拶するついでに俺にも挨拶してくる程度だ。それ以上話しかけてくることはなく、楽でいい。
そう思っているとまた一人男の伯爵が近づいてきた。二十歳半ばを過ぎたくらいの渋い系美男子だ。
「レアミス殿、公爵就任おめでとうございます」
「ありがとうございます、バリアドノ伯爵」
「なにか困ったことがあれば、このレミトいつでも力になりましょう」
「ええ、何事があれば頼らせてもらいます」
その返答にバリアドノ伯爵は満足そうに頷いた。こいつもほかの結婚適齢期な貴族と同じくレア狙いなのだろうか?
「話は変わりますが、今日はシャイネ殿は同行していないのですかな?」
「シャイネは屋敷で留守番です」
「それは残念です。レミトが会いたがっていたと伝えてください。では失礼」
「またお会いしましょう」
あの男レアじゃなくてシャイネ狙いなのか?
「あの伯爵ってシャイネに気があるのか?」
「はい。一目惚れと言って初対面のシャイネを口説きました」
「それに対してシャイネは?」
「私が見るかぎり乗り気ではなさそうでした」
その返答に、ちょっとほっとした俺がいる。
「私としてはシャイネが望むならば結婚を祝おうと思ったのですが、望んでいる様子ではなかったので、母専属のメイドですので私からは結婚を勧めることはできませんと、シャイネ共々断りを入れました」
「でも諦めずにいる?」
「はい。会うたびに口説いて、シャイネは困っている様子でした」
あの伯爵ってどんな人間なんだろう。
それをレアに聞いてみた。レアも気にして調べたようで、その結果を教えてくれる。
「すでに結婚していますね。ですのでシャイネは妾として欲しているのでしょう。ほかに妾もいたり、声をかけているという情報があります。
正妻と妾の関係は良好ではないようで、シャイネがそこに加わると苦労する可能性があります。
私としては今後もこの話は断るつもりです」
「それがいいね。俺としてもシャイネが嫌な思いをするのは避けたい」
小さい頃から可愛がってもらったのだ、そんなシャイネが苦労するのはな。真面目で一途な貴族が求婚してきたのなら、認めないこともないような気がすると思う。
そんなことを考えていると違う貴族が近寄ってきた。
挨拶が粗方終わると、近衛兵らしき人が近づいてきた。
「お二方、陛下がお呼びです。ついてきてください」
玉座にすでに陛下と王女様はいない。俺たちと同じように挨拶を受けた後、奥に引っ込んだんだろう。
近衛兵の案内を受けて、玉座の横を通り、近くにある部屋に入る。そこでは陛下と王女様が椅子に座り、ゆったりとお茶を飲んでいた。
部屋の調度品はどれも品が良く、この部屋だけの価値で一般人どれくらい働かずに暮らせるんだろうか。確実に年単位ということくらいしか想像できない。
「来たな、空いている椅子に座るといい」
空いている四つの椅子の一つにレアが座り、その横に俺も座る。
それを確認してメイドが俺たちの前にお茶とケーキを置く。
「久しぶりですわ、レア」
「久しぶり、エイム」
エイムというのが王女様の名前。フルネームはエイム・リムルイート。陛下はオライル・リムルイートだ。
王女様の外見は、深緑の少しウェーブのかかった長髪、磨かれた黒曜石を思わせる目、可愛いというよりは綺麗と思える鋭さのある顔立ち、運動は得意そうには見えない柔らかそうな肉つきといった感じだ。
陛下と髪や目の色は違うので、母親の血が濃いのかもしれない。
「ディノール様は初めまして、レアから色々と話は伺っておりますわ」
「初めまして王女様。どのようなことを話したのか、少し興味湧きますね」
「そうですね、三年前より以前は愚痴が多かったかしら、その後は惚気でしょうか」
惚気て、ほんとになにを話したんだ、うちの妹は。
そんなことを考える俺の表情を読んだのか、王女様は内容と話そうと口を開きかける。それを阻止しようと恥ずかしさから頬を少し赤らめたレアは、フォークで削ったケーキの一部を王女の口の中に投げ入れる。
「ちょっ!?」
なにしてんの!? 無礼だと陛下が怒ってるんじゃないかとそちらを見てみると、ニコニコと笑みを浮かべていた。回りにいるメイドや兵も騒ぎ立てることなく、平静を保っている。
もしかして珍しい光景じゃなかったりするのか?
王女は口の中のものをよく噛んで飲み込み、何事もなかったかのように話し出す。
「三年前以前は、兄さんに嫌われているのかと不安を口にしたり、昔遊んだことを懐かしげに語ってましたね。
それ以降は、嫌われてなかった、自分のことを考えてくれていた、大切に思ってくれていたと、それはもう嬉々として聞き飽きるほどに語りましたわ。
時々そういった気遣いはいらないから、相手してほしかったと拗ねたように話してもいましたが。
その様子からはディノール様への親愛がこれでもかと感じられて、嫉妬してしまいましたわ」
……一瞬だけ王女様の目が強い光を放ったよ? 嫉妬したってのは本当らしい。
「レアが公爵を継ぐと聞いて残念に思いましたのよ?」
「残念ですか?」
なぜに?
「レアがそばにいてくれる可能性がなくなったとわかりましたから。
この国、いえ世界で一番とも言えるほど愛らしいレア。思う存分愛でたいと思うのは自然なことでしょう?
ディノール様が公爵となってさえいれば、レアは私の傍仕えか近衛騎士となることができましたのよ。そうならないことが本当に残念でたまりませんわ」
王女様からレアに対して、なんというか親愛以上の感情が感じられますな。
「陛下」
「なんだね?」
「王女様もしかして、同性愛者ですか?」
「……少々その気があるのは否定できんよ」
否定しないんだ。跡継ぎの問題とかあるのに。
「跡継ぎのことならば問題ない。エイムも王家の者として自覚はある。王家存続のため、自身の趣向を抑えると明言している。こういった面を見せるのも親しい者の前だけだ」
「そうなのですか」
場を弁えたり、子供は産むと宣言してんなら、変わった趣向をスルーしてもおかしくはないか。
「ディノール様、今からでも公爵となりませんか?」
「いやいやいや!?」
無理だ! 陛下に認めてもらったばかりだろう。今さら爵位を狙うとか、王の決定の反旗を翻せってか。
「冗談ですわ」
ほほほほと笑っているけど、何割かは本気だったじゃないかなぁ。
「公爵位を狙えとは言わないが、男爵位すら断ったのには驚いた」
「私もですわ」
陛下の言葉に王女様も同意する。
「さらに執事になるとまで、公式の場で宣言した。
それによって公爵家に兄妹による争いはないと貴族たちに示そうとしたのだろう?
おかしな考えを持ち近づこうとした者は、あの会話でディノールに接近しても利は薄いと判断したはずだ。
やりすぎな感は否めないが、公爵家の平穏を維持するのにはいい考えだと思うぞ。よくぞ決断したものだ」
「え?」
深読みですよそれ。そこまで考えてないっす。
「えって、どうして不思議そうにしているのですか?」
「おそらく兄上はそこまで考えてなかったのだと。単純に父上の遺言を守ろうとした結果があの会話なのでしょう」
さすがレア、全部ではないけど当たっている。俺の仕事の出来具合を知っているから、深慮遠謀なんぞないってことを知ってるね。
「考え過ぎだったのか?」
確認してくる陛下に頷きを返す。
「はい。まあ貴族たちがそのように勘違いしてくれるのなら儲けものです」
「だとしたら爵位をいらぬのは本心なのか? 公爵家のことを考えてではなく」
「はい。あの時言ったように爵位を得てしまったらレアの手助けができませんので。といってもレアは俺の手助けなどなくても立派にやってますが」
さすがに領地経営めんどいとは言えない。自重した。
「ガディノから息子が自ら継承権を捨てたと聞いて耳を疑ったが、此度のことも合わせてつくづく変わっておるな。
お前のような貴族は初めて見たわ! 家督争いしている奴らに聞かせてみたい話だ」
陛下が心の底から面白そうに笑っている。
王女様からも、自分も変わっているがあなたも変わっていると変人指定を受けた。
王女様、自分が変わっているって自覚あったんだなぁ。
陛下が笑い終わったところで、レアが話しかける。
「今家督争いしているところってあるのですか?」
「国内では、男爵家と子爵家で少しごたついているところがある程度だな。国外では、トーホルム森林国の公爵家で激しい争いが起こっている。
わしが知っているのはこれくらいだ」
他国にまで知られているんだから、相当に激しい家督争いになってんだろうな。小説とかで読んだ血で血を洗う状況とか。こっちに飛び火しないことを祈ろう。ふりじゃないからね? ほんとにこっちくるなよ?
「男爵家と子爵家ですか。王家は介入するのでしょうか?」
「争いが激化するならば介入するが、集めた情報から推測するにそろそろ決着がつく。ほかの者も同じ意見だ。だから放置だな」
「そうですか」
「ほかになにか聞きたいことはないのか? 頻繁にはこっちに来れないのだから今のうちに聞くといい」
「でしたら一つ聞きたいこととお話ししたいことが」
なんだろうな? 聞きたいことと話したいことって、俺はそれらについて聞いてない。
「なにかね?」
「シュベルスタ山の主は動きましたか?」
シュベルスタ山の主っていうと……たしか超大型のラドンウルフだったか。人々が知るかぎりで最大の体を持つと言われている。訓練を受けた兵の団体でも手出しできない魔物らしい。
山はここリムルイートと東にあるトーホルムの間にある。主がいるせいで人間はそこらへんに近づくことはない。
「いやそのような報告はないが。どうしてそのようなことを?」
「うちの領内で平均を超える大きさのラドンウルフが発見されたので、もしかしたら主かと思ったのです」
「そのラドンウルフはどうなった? 居座っておるのならば騎士団を派遣するぞ。まあ落ち着いているところを見ると答えはわかっておるが」
「はい、ご想像通りかと。公爵家の兵でなんとか退治したと報告が入っております」
「主ではないだろうな、人の手で倒せたのだから」
「ですね」
レアも違うと予想できていたのだろう、落ち着いた様子で相槌を打っている。
じゃあどうして動いていないかとか聞いたんだろうな?
「主に縁のあるラドンウルフかと思ったのですよ」
「考えを口に出した覚えはないんだけど」
「顔に出ていました。
主に縁のあるラドンウルフを殺したとなると、主がなにか動きを見せるかもしれないと思って、王様に主の動向を聞いたのです」
「で聞いた結果どう思った?」
「無関係もしくは関係あっても追い出されたはぐれ、といったところでしょうね。殺したところで主がどうこう思うことはないでしょう」
「領地に危険はなしと」
俺の言葉にレアは頷いた。
「聞きたいことはこれで終わりだな? では次の話したいことを聞こうか」
陛下の促しにレアはちらりと俺を見てから口を開く。
こっちを見たということは俺に関係ある話なんだろうか?
「平民を教育するための機関を作ってみてはという案が出ているのです」
学校のことをここで話すのか!?
後で聞いたけど、ここで話したのは陛下に話を通して公認を得たかったらしい。それだけ公爵家が力を入れている企画だと示し、その企画が公認を得て成功すれば、発案者である俺に貴族として箔がつく。失敗しても陛下にだけ話してほかの貴族に知られていない現状であれば、イメージなどの損失は少ないということらしい。
そこまでしてもらって悪いけど、箔を必要としてなかったりする。これは俺が執事になるとか言ったことで気づいているだろう。だからせめて低く見られないようにとレアは考えを変えていた。
「平民をか」
「はい。簡単に言いますと、平民の質を上げ国力を底上げしようという試みです」
本当に簡単に説明したな。俺の言いたいことと間違ってないし、それで文句ないんだけど。
「私は知らなかったのですが、多くの民がまともな教育を受けていないそうです。親からの簡単な教育を受けて、読み書きすら不十分なまま働きだすと聞きました。
平民出身の部下数人に聞いたところ、それに違いはないという返答でした。
平民の中にも優れた資質を持つ者はいます。ですがよほどの機会がなければ資質を見出し生かすことはありません。
それはもったいないのではと言い、教育機関設立案を出したのが兄上です」
「ほう、ディノールの案か」
陛下の視線がこっちに向いた。表情は笑みで、目には興味の色がある。でも王という立場で腹芸ができないわけがない。見えている感情が本物かどうかは俺には見抜けない。一応、頷きを返しておいた。
「いきなり案そのままに実行するつもりはなかろう? 最初はどのように行うつもりだ?」
レアが答えるかなと思ったら目配せしてきた。俺が答えるのか。
「使用人の兄妹や子供を十五人ほど集めて、個人個人の学習速度の違いや教え方のノウハウ収集、ある程度の知識を習得する必要日数の調査、学んだことによる意識変化調査を行っていくつもりです。
この調査期間でやっていけないと結果が出たら、案は却下といった感じで考えてます。
利益は長い目で見ないとでないしょう。少なくとも短期間での利益獲得は俺は無理だと思っています。
教える代わりにお金をもらう、とも考えましたがそれをすると子供は集まらないでしょうし。お金がかかるなら通わせないでいいと考える親は多いでしょう。
詳しいことはレアに企画書を提出していますので、そちらをご覧になってください」
陛下は無言で反応を返してこない。五分ほど静かな間が続く。大広間から貴族たちの声が遠く聞こえてくる。
「育ったとしても平民だろう。平民が出しゃばることを嫌う貴族はいるぞ?
まあ、優秀な者は多ければ多いほどいいというのはわからんでもない。
レアミス、企画書をこっちに送ってくれるか? そして調査結果もこっちに提出してくれ」
「わかりました。企画書は王都に持ってきていますので、明日にでも」
持ってきてたのか。話すつもりがあるなら持ってきて当然か。
「上々の結果が出たのならば、国から費用を出そう。励んでみるがよい」
利益があるかもしれないと判断したのかな?
とりあえずレアと二人でお礼を言っておいた。
仕事の話ばかりでつまらないと王女様が言い出したので、固い話はこれまでとなった。
レアは王女様と話し出し、俺は陛下と話す。
継承権を放棄したことだけでなく家出をしたことも陛下は父さんから聞いて知っており、どこに行っていたのか聞いてきたので正直に答えていった。情報は古いが、各国の生の状況を知ることができたと満足そうに礼を言われた。
レアの言うとおり、接してみると陛下も王女様も人間味のある人たちだった。
そうして一時間ほど過ごし、陛下が仕事があるからと立ち上がる。ちょうどいいからと俺たちもお暇することにした。
レアとの別れを惜しむ王女様に別れ告げ、馬車に向かう。
こうして初めての登城は終わったのだった。