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太平洋戦争の時代に戻った俺、真空管から日本を立て直します  作者: Diamond ruler


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第54話 言葉が届いた時、もう全部は動き始めていた

宣戦は、雷のようには来なかった。


榊はそのことを、あとになって何度も思い返すことになる。


もっと大きな声で来ると思っていた。

もっと劇的で、もっと世界が一度にひっくり返ったと分かる形で来ると思っていた。

だが実際には違った。


最初に変わったのは、紙の色でも、空の色でもない。

人の顔だった。


試験棟の机へ新しい短報が置かれた時、葛城はいつも通りそれを読み、村瀬少佐へ回した。

村瀬は一度だけ目を通し、黒川を見た。

その顔つきだけで、榊には分かった。


何かが決まったのだ、と。


「……何です」


聞いた自分の声が、思っていたより落ち着いていて、榊は少しだけ驚いた。


黒川は紙を受け取り、ほんの一瞬だけ黙ったあとで言った。


「来た」


たった二文字だった。


だが、その二文字の中に、それまでの何十話分もの準備と、何か月分もの焦りと、いまこの瞬間から先の時間が全部入っていた。


葛城が低く続ける。


「正式に、だ」


伊集院が息を吐く音が、妙にはっきり聞こえた。

村瀬少佐は表情を動かさない。

動かさないが、机へ置いた手だけが、ほんの少しだけ強く紙を押さえていた。


榊は、差し出された紙を見た。


文は短い。

いつものように短い。

だが、そこに並んだ語の意味だけが、今までと決定的に違っていた。


交戦。

開戦。

即応。

運用維持。

警戒継続。


説明はない。

余白もない。

ただ、もうそれで十分だった。


言葉は来た。

だがその言葉が届いた時、現場の骨はすでに動き始めていた。


「……遅いくらいですね」


榊がそう言うと、伊集院が苦く笑った。


「言うようになったな、お前も」


「だって、もうみんな知ってたでしょう」


「知っていた」


葛城が頷く。


「少なくとも、“整えている時間は終わった”ことはな」


黒川が短く言う。


「だから次だ」


宣戦の紙を見た、その次の瞬間には、もう全員の視線が別の紙へ移っていた。


そこが、この朝の本当の怖さだった。


世界が変わる言葉が来たのに、驚いて立ち尽くす時間すらない。

受け取った瞬間に、もう次の一報へ意識を切り替えなければいけない。


宣戦とは、そういうものなのだと榊はその時初めて知った。


沿岸第一監視所では、正式な言葉が下りる前から空気が変わっていた。


だが、その空気が名前を持った瞬間、若い電探員の背筋は逆にまっすぐになった。


見張り員が戸口から短く言う。


「来たな」


当直士官が振り向きもせず答える。


「来た」


それだけだ。

それ以上は何も言わない。


誰もが、それまで積み上げてきた定型の札を一度だけ見た。

見たというより、そこに目を走らせた。

確認ではない。

あれがまだそこにあることを、身体のどこかで確かめたのだろう。


一次報告

追認

取消


たった三語。

だが、今この瞬間の現場には、それ以上の説明は要らなかった。


電探員は表示を見た。

風がある。

海面の反射もまだ落ち着かない。

それでも、もう“怪しいから黙る”という後ろ向きの迷いは薄くなっていた。


反応。

方位。

尾。

強弱。


記録係が紙の上へ鉛筆を置いたまま、電探員の口を待っている。

待っているが、前ほど不安そうではない。

言うべきことが、もう短く決まっているからだ。


その時、表示の端に揺れが走る。


弱い。

だが単発ではない。

尾は小さい。

直近の方位とも繋がる。


電探員の喉がひとつだけ動く。


「方位――一次報告。見張り確認未了」


今度は、誰も止めなかった。


当直士官が即座に返す。


「上げろ」


記録係が欄を埋める。

見張り員が外へ走る。

監視所の中の全員が、もう同じ流れの中へ入っていた。


ここにいる誰も、いまさら“これは本当に戦争か”とは思っていない。

紙の上の宣戦より先に、身体の方がそれを知っているからだ。


第二監視所にも、同じ言葉は下りていた。


だが、言葉が下りたからといって、隊の癖が一瞬で変わるわけではない。


当直士官は、宣戦の短報を一度読んだあとで机の端へ置き、いつも通り表示へ目を戻した。

その顔には緊張がある。

だが、その緊張の使い方がまだ古い。


反応。

見張り未確認。

弱い。

尾は小さい。


若い電探員は一次報告を言いかけた。

しかし当直士官の方が先だった。


「再確認」


その一言で、また流れが一度沈む。


宣戦が来ても同じだ、と榊はここにいなくても分かった気がした。

人は、言葉ひとつで全部は変わらない。

隊の空気、責任の置き方、過去の成功体験。

そういうものの方が、よほど根深い。


見張り員が外から声を飛ばす。


「まだ拾えん!」


当直士官は苛立ちを押し殺すように言う。


「もう一度だ」


電探員の指先が少しだけ冷える。

もう戦争なのに。

もう宣戦の紙も来たのに。

それでもここでは、なお“確かめてから”が前にある。


それは愚かだからではない。

むしろ、この士官なりの責任感がそうさせているのだ。

だから厄介で、だから簡単には壊れない。


飛行隊の待機所へ、正式な交戦の短報が来た時も、大きな声は上がらなかった。


若い中尉がそれを受け取り、黙って飛行長へ回す。

飛行長は一度だけ紙を見て、整備長へ言った。


「今朝の段階、維持」


「了解」


それだけだった。


宣戦の言葉は、ここでも“新しい何か”というより、“いまの流れをさらに止めるな”という確認として働いた。


整備長は暖機対象の機体へ視線を走らせる。

若い整備兵たちは、前より少ない言葉で動いた。


「暖機対象そのまま」

「予備、後ろ」

「戻り機、振れ先」


飛行長が中尉へ言う。


「いま一番まずいのは何だ」


中尉は少しだけ考えて答える。


「……全部を一度に動かそうとして流れが潰れることです」


「そうだ」


「今朝のやり方を崩さない」


「そういうことだ」


この人たちも、もう“どう動くか”ではなく“どの流れを崩さないか”で話していた。


榊がここにいれば、たぶん少しだけ感動しただろう。

自分が持ち込んだ理屈をなぞってほしいわけではない。

現場が、自分たちの言葉でそれを使い始めていることが大事なのだ。


若い中尉が、短報を机へ置きながらぽつりと言う。


「正式に来たのに、やることは変わらないんですね」


整備長が即答する。


「変わるわけがない。

変えるとしたら、止めるなってことだけだ」


飛行長も静かに続ける。


「戦争は始まった。

だからこそ、段階を飛ばすな」


その言葉が、妙に重かった。


普通なら逆だ。

戦争が始まれば、全部を早く、強く、いっぺんにやれと言いたくなる。

だがこの飛行長は違った。


始まったからこそ、骨格を守れ。

流れを壊すな。

そう言っている。


その一点で、もうこの現場は前とは違っていた。


通信監理の卓では、宣戦の紙が来ても机の列はそのままだった。


確報。

一時情報。

取消待ち。

その並びは変えない。


若い当直士官が、どこか居住まいを正すように背を伸ばす。

隣の古参がそれを見て、低く言った。


「列を見失うな」


「はい」


「戦争だからこそだ」


それだけで十分だった。


一時情報列へ新しい紙が置かれる。

別の紙が追認で移る。

取消の紙が抜ける。


世界が変わる朝でも、机の上の位置は変えない。

そのことが、逆にこの卓を支えていた。


未確定は未確定のまま持つ。

捨てない。

だが確報とも混ぜない。

戦争になった瞬間こそ、その区別が要る。


村瀬少佐が試験棟で言っていたことが、いまはもう説明なしで動いていた。


東京では、紙の重さだけが変わった。


外務の男は、正式な文言を目にしても、しばらく表情を変えなかった。

変えなかったが、その沈黙は長かった。


海軍側の男が言う。


「来た」


それは試験棟の黒川と同じ言い方だった。


外務の男は、ようやく小さく息を吐く。


「ええ」


若い書記官は、机へ置かれた正式な文言を見ながら、何を書き残せばいいのか一瞬だけ分からなくなった。

交戦。

開戦。

宣戦。

どの語も重い。

重いが、もう現場ではそれ以前から別の形で進んでいたのだと思うと、奇妙な感じがした。


「現場には」


若い書記官が言う。


海軍側の男は短く答える。


「とっくに下りている」


「正式な言葉が、ですか」


「いや。速さがだ」


その返しに、外務の男は目を閉じた。


結局そうなのだ。

国家の決定は紙に現れる。

だが戦争の気配は、先に現場の速度へ染みていく。

いまさら宣戦が来たからといって、現場の空気が急に変わるわけではない。

もう先に変わってしまっていたからだ。


「……もっと早く、別の形で止められたのかもしれませんね」


外務の男がそう言うと、海軍側の男はしばらく黙った。


「たぶんな」


それだけだった。

それ以上の言葉に意味はない朝だった。


海の上では、正式な言葉の有無はもはや大して違わなかった。


若い搭乗員は、甲板の上でただ前を見ていた。

古参搭乗員は目を閉じ、整備兵たちは最後の確認のあとで一歩下がる。


艦上に流れる命令は短い。

確認。

待機。

準備。

開始。


若い搭乗員は、ふと自分が“もう怖くない”のではなく“怖さが言葉にならない”段階へ入っていることに気づいた。


古参が言う。


「来たな」


「はい」


「もう戻らん」


「はい」


それだけで終わった。


宣戦という言葉は、この艦の上ではすでに後ろ側のものになっている。

いま必要なのは、どう飛び、どう戻り、どう生きるかだけだ。


試験棟では、正式な宣戦の紙と、一次報告、追認、発進、帰投後確認の紙が同じ机へ並んでいた。


榊はそれを見ながら、胸の奥で妙に静かな理解が広がるのを感じていた。


宣戦は、たしかに重い。

だが、本当に重いのは、その紙が来る前から現場で動き始めていた流れの方だ。


一次報告。

追認。

暖機。

前へ。

発進。

帰投後確認。


その一つ一つが、いまや言葉ではなく時間の差になっている。

そしてその差が、これから先、命の差にもなる。


「榊」


黒川が呼ぶ。


「はい」


「お前は、ここから先に何を見る」


急な問いだった。

だが、答えは少し前よりはっきりしていた。


「差です」


黒川が目を細める。


「差」


「はい。

どこで流れたか。

どこで止まったか。

どこが次も飛べるか。

どこが一回で削れるか。

その差を見ます」


葛城が低く言う。


「記録するためか」


「それもあります」


「他には」


榊は、机の上の正式な宣戦の紙へ一度だけ目を落としてから言った。


「次に残すためです」


その言葉に、伊集院も村瀬少佐もすぐには何も言わなかった。

ただ黒川だけが、短く頷いた。


「そうだな」


その一言で十分だった。


戦争は始まった。

だが榊の中ではもう、それだけでは終わっていない。

この戦争の中で何が効き、何が間に合わず、何が残せるのか。

そこまで見なければ、いまここで積み上げてきたものはただの応急処置で終わる。


「正式に来たのに、もう次を考えてる顔だな」


葛城が少しだけ笑って言う。


榊も少しだけ笑った。


「もう現場はその顔だったので」


「違いない」


そう言って葛城は、新しい紙束を榊の方へ寄せた。


沿岸第一。

第二。

飛行隊。

受理卓。

帰投後確認。


まだ一日は終わっていない。

宣戦は届いた。

だが現場には、もうその先の紙が積み上がり始めている。


榊はそれを受け取り、静かに思った。


言葉が届いた時、もう全部は動き始めていた。

なら、この先はその動きの差を見届けるしかない。


戦争は、そういうふうに始まるのだ。

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― 新着の感想 ―
丁寧だし、あんまり見ないアプローチで面白い。 ただ、意図してやっているんだろうけれど、同じ言い回し同じ展開を多用しているのでエンドレスエイトみがあるというか、アレこの話読んだっけ?となる。基本的に起…
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