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太平洋戦争の時代に戻った俺、真空管から日本を立て直します  作者: Diamond ruler


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第5話 軍の書類は、現場を見ていない

翌朝、榊は工場の空気が少しだけ変わっているのを感じた。


昨日までは、素性の知れない厄介者を見る目だった。

だが今朝は違う。露骨に歓迎されているわけではないにせよ、少なくとも「口だけの男」ではなくなっていた。


工場の隅では、森本が集めさせた戻り品が机に並べられている。

同じ型番の無線機が五台。どれも現場で使い込まれ、塗装が擦れ、留め具の一部が曲がり、木箱の匂いをまとっていた。


「おい榊、こっち見ろ」


森本が一台を持ち上げた。


「昨日言ってた“浮くやつ”、こいつも怪しい」


榊は歩み寄り、真空管の頭を指先で軽く押した。

やはり感触が違う。保持の強い個体は、押した時に芯がある。だがこの個体は、ほんのわずかに逃げる。


「これもですね」


「同じ型でこうも違うもんか」


「同じ型だからこそ、ばらつきが嫌なんです」


榊はそう答えながら、机の上の紙片へ視線を落とした。

昨夜まとめた簡易の点検順序表だ。久世に見せ、森本に見せ、真田には嫌そうな顔をされた。だが破り捨てられはしなかった。


一、真空管の差し込み確認

二、接点の緩み・汚れ確認

三、電源部の異常発熱確認

四、配線の外れ・断線確認


たった四行。

現代の感覚なら乱暴すぎる。

だが、まずはこれでよかった。


「主任が呼んでるぞ」


森本に言われ、榊は顔を上げた。


打合せスペースへ行くと、久世のほかに黒川がいた。

そして今日はもう一人、見慣れない男がいた。


海軍士官だった。

年の頃は四十手前。制服はきっちり整い、襟元まで隙がない。だが肩肘を張った威圧感というより、むしろ静かな冷たさをまとっている。現場に顔を出す軍人というより、書類と決裁の側から来た人間に見えた。


「来たか」


久世が短く言う。


「こちら、海軍監督班の上から来られた大河内主計少佐だ」


榊は無意識に背筋を伸ばした。


「榊恒一です」


少佐は一度だけ榊を見て、それ以上の関心もなさそうに久世へ向いた。


「この男か」


「はい。身元はまだはっきりしませんが、無線機の不具合については……」


「聞いている」


少佐は机の上の紙片を手に取った。

榊が書いた簡易点検順序表だ。


「これもお前が書いたのか」


「はい」


「雑だな」


開口一番、それだった。


森本の眉がぴくりと動いたが、榊は先に口を開いた。


「簡略化していますから」


「そのようだ」


少佐は紙を机に戻した。


「だが、軍の整備手順というものは、もっと正式であるべきだ」


「正式であることと、現場で使えることは別です」


言った瞬間、空気が止まった。


黒川が咳払いし、久世がわずかに視線で制した。

だが榊は引かなかった。ここで引いたら、この紙は終わる。


少佐は榊をじっと見た。


「君は軍属か」


「違います」


「軍の整備体系を知っているのか」


「知りません」


「では、知らぬものが口を出しているわけだ」


「現場で迷うものを減らしたいだけです」


少佐は表情を変えなかった。

だがその沈黙には、明らかな値踏みがあった。


「理由を言え」


榊は紙片を指した。


「前線では、故障原因を順番に考える余裕がないはずです。なら最初に見る場所を固定した方がいい。全部を理解しろではなく、最初の動きを揃える。それだけで切り分け時間は減ります」


少佐は紙片へ視線を落とす。


「真空管、接点、電源、配線……」


「はい」


「その順番に根拠はあるのか」


「あります」


榊は無線機の一台を引き寄せた。


「戻り品のいくつかで、真空管ソケットの保持が甘い個体がありました。揺れで接触不良を起こす可能性が高い。完全故障ではなく、動いたり止まったりを繰り返す厄介な壊れ方です」


少佐は黙って聞いている。


「接点の汚れや緩みも同様です。湿気と酸化で抵抗が増えれば、現場では“調子が悪い”としか見えない。さらに電源部は熱の影響を受けやすい配置になっている個体がある。長時間使えば不安定になる。そうなると故障が全体に散って見える」


「つまり、お前はこの紙一枚で、それを防げると?」


「防げるとは言いません」


榊ははっきり答えた。


「でも、迷う時間は減らせます」


その返しに、少佐は初めてわずかに眉を動かした。


「妙な物言いをするな。大言壮語はしないわけか」


「できないことはできません」


「では何ができる」


「壊れ方を揃えることはできなくても、見る順番を揃えることはできます」


黒川がそこで口を挟んだ。


「少佐、昨日の再現試験では、実際に揺れで症状が出ました」


「報告は読んだ」


「なら――」


「読んだ上で言っている」


少佐は黒川を制し、再び榊を見た。


「君の言うことには一理ある。だが、一理あることと、軍の手順に入れることは別だ」


その一言に、榊は内心で舌打ちした。

これだ。

こういう壁がある。


現場では困っている。

戻り品には傾向がある。

実際に症状も再現した。

だが、それでも書類に載るかどうかは別問題になる。


――《組織上の正当性が不足しています》――

――《現象だけでなく、責任所在の整理が必要です》――


(分かってる)


つまり、この紙片は技術文書では足りない。

組織を通す言葉へ変えなければならない。


榊は少しだけ考えてから、言い方を変えた。


「正式手順の置き換えを求めてるわけじゃありません」


少佐の目が細くなる。


「ほう」


「補助表です」


「補助?」


「正式な整備手順はそのままでいい。ただ、前線や工場返送前の一次確認で、最初に見る場所を揃えるための補助です。整備体系を壊す話ではありません」


少佐は無言のまま紙片を見た。


「正式手順へ入れる前の、現場用の確認表なら?」


追い打ちをかけるように、榊は続けた。


「返送品の傾向をまとめる資料としても使えます。前線で何が多いか、最初にどこを疑うべきか。記録を揃えれば、戻り品の分類にも役立つはずです」


久世がわずかに頷いた。

森本も腕を組んだまま黙っている。

黒川だけは、榊を見る目が少し変わっていた。


少佐はしばらく沈黙してから言った。


「君は、技術者というより事務方のような話し方をする」


「技術だけで通らない時があると知ってるだけです」


それは、2026年の会社員として身についた癖でもあった。

正しさだけでは通らない。

通したいなら、相手の論理に組み替えるしかない。


少佐は小さく息を吐いた。


「……補助表としての試験運用なら検討の余地はある」


森本が思わず「お」と声を漏らす。

真田は明らかに不服そうだったが、少佐の前では黙るしかないようだ。


「ただし条件がある」


「何でしょう」


「記録だ。感覚で物を言うな。どの個体で、どの症状が出て、どの確認で改善したか。書け」


「できます」


「それが揃うまで、軍の正式手順に口は出すな」


「分かりました」


そこで話は終わるかと思ったが、少佐はさらに一枚の書類を机に置いた。


「それと、もう一つ問題がある」


久世が書類を覗き込む。


「……前線整備報告?」


「そうだ。南方へ回した旧型機の件だ。通信不良の報告が上がっているが、内容が曖昧で分類しきれていない」


榊も横から見た。


雑だ。

いや、雑というより、現場が雑にしか書けないのだろう。

「時々受信せず」

「移動後に不安定」

「再通電で復旧」

「別の真空管に替えると一時改善」

そんな記述が並んでいる。


真空管ソケット。

接点。

電源の熱。

どれにも見えるし、どれでもないようにも見える。


「典型ですね」


榊が呟くと、少佐が目を向けた。


「分かるのか」


「完全には。でも、少なくとも“通信不良”という一括りでは駄目です」


「なぜ」


「原因が違う故障を同じ箱に入れてるからです」


榊は書類の数行を指で追った。


「移動後に悪化するのは振動要因が強い。再通電で戻るなら熱か接触の可能性が高い。真空管交換で改善する報告も、真空管自体じゃなく根元の保持が絡んでるかもしれない」


少佐はそこで初めて、明確に興味を示した。


「分類できるか」


「できます。……たぶん」


「たぶん、か」


「報告が粗いので。ただ、今よりはましにできます」


少佐は少しだけ考え、書類を榊の前へ押し出した。


「やってみろ」


真田がさすがに口を挟む。


「少佐、こんな素性も知れない男にそこまで」


「お前より現場報告を読む目があるなら使う」


「しかし」


「結果で判断する」


言い切られ、真田は黙るしかなかった。


榊は書類を手に取る。

紙の質は悪く、字も急いで書かれている。

だがその雑さの中に、前線の焦りと疲れがにじんでいた。


――《分類軸を先に決めるべきです》――

――《振動要因、熱要因、接触要因、電源要因》――


(ああ)


榊は心の中で応じる。


この紙束は、単なる報告ではない。

今の日本軍がどれだけ“原因の違う不具合”をひとまとめにしているか、その証拠でもある。


書類は現場を見ていない。

いや、現場を見ていないのではなく、見えても分けられていないのかもしれない。


少佐が言った。


「榊」


「はい」


「君の紙が現場に回るかどうかは、これ次第だ」


机上の報告書を、指先で軽く叩く。


「つまり、まずは書類を直せということですか」


「現場を変えたいなら、そうなる」


榊は思わず苦笑した。


技術の話をしていたはずが、いつの間にか書類の分類だ。

だが、むしろそれこそが本質かもしれない。

壊れ方を見抜いても、伝え方が雑なら改善は進まない。


工場での故障。

前線での不調。

整備兵の迷い。

そして軍の書類。


全部が一本の線で繋がっている。


「やります」


榊はそう答えた。


少佐は頷きもせず、ただ「期待はしない」とでも言いたげな目を向けるだけだった。

だが、それで十分だった。


期待されないことには慣れている。

必要なのは期待ではなく、次の一手だ。


机の上の報告書を抱えながら、榊は静かに息を吐いた。


壊れた無線機を直すだけでは足りない。

故障の見え方まで変えなければ、同じ負け筋は何度でも繰り返される。


軍の書類は、現場を見ていない。

なら、見える形に直すところから始めればいい。


それが次の戦場だった。

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