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太平洋戦争の時代に戻った俺、真空管から日本を立て直します  作者: Diamond ruler


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第44話 まだ始まっていないのに、もう後戻りはしない

最後の四十八時間は、不思議なくらい静かだった。


忙しくないわけではない。

むしろ逆だ。

工場も、試験棟も、沿岸の監視所も、通信監理の卓も、これまで以上に休みなく動いている。

だが、その動きはもう慌ただしく見えない。


あまりに切迫しすぎると、人は逆に静かになる。


必要なことだけをやる。

短く言う。

短く受ける。

余計な確認も、余計な怒鳴り声も、余計な理屈も、その場から消えていく。


残るのは、骨だけだった。


試験棟では、最後の配布束がきれいに分けられていた。


沿岸優先。

小艦艇優先。

説明済み隊向け。

説明未了隊向け簡略版。

受理卓向け初動要領抜粋。

工場側の箱内札。


榊はその山を見ながら、もうこれ以上は削れないと思っていた。

削れば骨まで折れる。

足せば届かない。

いまある形が、たぶん限界だった。


葛城が一覧へ最後の印を打つ。


「ここまでだな」


伊集院が別の紙束を揃える。


「まだ直したいところはある」


「ある」


「でも出す」


「出す」


そのやり取りは、もはや確認ですらなかった。

ただの事実だった。


村瀬少佐が受理卓側の要領をまとめた紙を畳む。


「一時情報列の扱いは、もう各卓へ流した。あとは人が守るかどうかだ」


黒川が短く言う。


「守らせるしかない」


「ええ」


榊は頷いた。


ここまで来ると、紙にできることは本当に限られる。

残るのは、その紙を使う人間の呼吸と癖だ。

それを全部揃える時間は、もうない。


工場では、真田が最後の補強済み個体へ印を付け終えていた。


乙型の列は、前より少しだけ揃って見える。

全部ではない。

だが“どこが直り、どこがまだ弱いか”が見えるだけでも、最初よりずっと兵器に近かった。


森本が箱へ札を差し込みながら言う。


「これ、残りは後回しだ」


「はい」


若い工員がそう答える。

前なら、もっと言葉が続いただろう。

なぜ後回しか。

どこへ行くのか。

どう違うのか。


だが今は違う。

後回し、という言葉の重さを、もう全員が理解している。


榊が工場へ顔を出すと、森本は一度だけこちらを見て言った。


「沿岸優先、もう出たぞ」


「ありがとうございます」


「礼はいい」


森本は箱の蓋を閉じた。


「使われりゃそれでいい」


その言い方が、今は前よりずっと深く聞こえた。


使われりゃそれでいい。

たしかにそうだ。

どんな理屈も、どんな設計思想も、使われなければ紙の中で死ぬ。


だからこそ、榊はここ数日ずっと

“使われる形”

だけを考えていたのだと思う。


沿岸の監視所では、夜勤前の短い引継ぎが行われていた。


「一次報告、方位つき。見張り未了ならそのまま言え」

「受理側は一時情報列、警戒維持」

「追認なら追認、消えたら取消」


古参の兵曹が、若い電探員へそう言う。

長い説明ではない。

だが、前ならそこへもっと曖昧な言葉が混じっていたはずだ。


「騒ぐな」

「確実になってからだ」

「まず見張りが先だ」


そういう、旧い空気の言葉だ。


だが今は、その代わりに短い定型が残っている。

骨だけになったからこそ、逆に引継ぎへ残りやすくなったのかもしれない。


若い電探員が小さく頷く。


「はい」


「迷ったら」


兵曹は一度だけ言葉を切ってから続けた。


「弱でも主条件見ろ。尾と直近報だ」


それだけだった。


だが、その一言の中に、試験棟で何度も削られた紙の意味が全部入っていた。


通信監理の一部卓では、一時情報列が本当に一列として机上へ引かれていた。


確報の列。

一時情報の列。

取消待ちの印。

追認済みの移動。


それは見た目にはただの仕分けにすぎない。

だが、前より確実に意味がある。


未確定を未確定のまま持つ。

捨てない。

だが確報とも混ぜない。


その違いが、ようやく机の上の位置で見えるようになった。


若い当直士官が新しい票を受け取り、一瞬だけ眉をひそめる。

だが、隣の古参が短く言う。


「一時情報列だ。捨てるな。追認か取消を待て」


その言葉で、票は右の列へ置かれる。


長い説明はもういらない。

列があり、短い言葉があり、前例が一つある。

それだけで、人は少しだけ動ける。


そして海の向こうでも、静かに別の時間が流れていた。


真珠湾の夜は、まだ平穏の形を保っていた。

停泊艦の灯り。

規則正しい当直。

通信の確認。

いつも通りのはずの手順。


だが“いつも通り”の中に、妙な落ち着かなさが混じっている。


通信担当士官は、新しく来た確認命令の紙を見ながら、小さく眉を寄せた。

再確認。

警戒。

通常通りの監視継続。

どれも不自然ではない。

だが、あまりに何事もないまま確認ばかりが重なると、人は逆に鈍る。


隣の士官が椅子を引きながら言う。


「また確認か」


「まただ」


「結局、今日も何もないさ」


通信担当士官は返事をしなかった。

それは楽観ではなく、惰性に近い声だったからだ。


机の上には、太平洋の広さに比べれば頼りないほど薄い紙しかない。

それでも人は、その薄い紙の上に“今日は何も起きない”という感覚を重ねてしまう。


そのことが、榊には見えない。

だが読者には、もう見えている。


同じように紙を見ている。

同じように確認している。

なのに、その紙が乗っている空気だけが違う。


東京では、さらに静かだった。


外務の男は、もう長くは喋らなかった。

文書の行間を読むより、文書の外で何が速くなっているかの方がはっきり見える段階に入っていたからだ。


海軍側の男は、新しい紙を受け取っても眉を動かさない。

急げ。

前倒し。

優先。

その種の語は、もう驚く種類のものではなくなっていた。


「現場へは」


若い書記官が言う。


「まだ詳細は下ろしませんか」


海軍側の男は短く答える。


「もう“急げ”で十分だ」


外務の男は、その一言に何も返さなかった。

返せなかったのかもしれない。


外交の紙の上では、まだ顔がある。

だが現場へ降りる時には、もう顔ではなく速さだけが残る。


その変換が、いま静かに進んでいた。


試験棟の深夜は、奇妙なほど整っていた。


配る紙は分けた。

残す記録も分けた。

補強済みの一覧も、まだ届いていない隊の一覧も、全部並んでいる。


榊は最後の確認のように、それらをもう一度見ていた。


一次報告。

追認。

取消。

一時情報列。

弱反応時確認。

工場の確認順。

支持部補強の印。


それぞれが、独立した改善ではなく、ようやく一本の流れとして見え始めている。

電探で拾う。

報告で止めない。

受理で捨てない。

迎撃や警戒へ繋ぐ。

整備で戻せるようにする。

その全部が、やっと同じ地図の上へ乗った。


「まだ見ているのか」


振り向くと、黒川がいた。


「少しだけ」


「便利だな」


「便利です」


黒川は机の上の束へ目を落とした。


「最後に何を残す」


その問いに、榊は少しだけ考えてから答えた。


「比較記録です」


「なぜだ」


「あとで、どこが間に合って、どこが届かず、どこが効いたのかを残さないと、次へ繋がらないので」


黒川は短く頷いた。


「そうだな」


「……それと、定型も」


「骨か」


「はい」


黒川は数秒だけ黙っていた。

やがて低く言う。


「戦争は壊す。人も、工場も、記録も」


「はい」


「だから骨を残せ」


その一言は、これまでよりさらに重く榊の胸へ落ちた。


骨を残せ。

たぶんそれが、この先の戦争の中で自分にできる最大の仕事なのだろう。


勝てるかどうかは分からない。

全部を守れるわけでもない。

だが、骨だけは残せる。

残せた骨は、戦争のあとにも繋がる。


榊は小さく頷いた。


「分かってます」


黒川はそれ以上何も言わず、窓際へ戻った。


静かすぎる前夜だった。

静かすぎるからこそ、もう後戻りはしないと分かる。


そしてその静けさの中で、榊はようやく、自分が開戦後だけでなく、その先までも少しずつ見始めていることを認めていた。

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