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太平洋戦争の時代に戻った俺、真空管から日本を立て直します  作者: Diamond ruler


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第40話 間に合ったものと、まだ届かなかったもの

十二月の空気は、十一月までとはもう別物だった。


冷たい。

それだけではない。

何もかもが、少しずつ先へ滑っていくような感じがある。

人も、紙も、物も。

止めて読み返すより、動かしながら決める方へ、すべてが寄っていた。


試験棟の机の上には、今まで積み上げてきたものが、奇妙なほど静かに並んでいた。


一次報告票。

追認・取消の閉じ。

受理側の一時情報列。

弱反応時確認。

部隊向け言い換え例。

当直士官向け説明用一枚。

工場側の確認票。

搬送後重点確認。

支持部補強の印。

現場補記欄。


どれも紙にすれば薄い。

だが、薄い紙の束のくせに、今はやけに重く見えた。


葛城が、その山を見ながら言った。


「ここまで来たか」


伊集院が腕を組む。


「来た、というより、来てしまった、だな」


村瀬少佐も机へ目を落としたまま、静かに言う。


「制度の形は、最低限できた」


黒川が短く続ける。


「全部ではない」


「はい」


榊も頷いた。


全部ではない。

そこだけは、もう誰も言い逃れしなかった。


沿岸の一部。

小艦艇の一部。

説明が入った監視所。

一次報告の言い換えが根づき始めた隊。

当直卓で一時情報列を自然に扱えるようになったところ。


そこまでは来た。


だが、その外側にはまだ、紙は届いても空気が届いていない隊がある。

補強材がまだ回っていない個体がある。

一次報告の意味が、まだ部隊長の口頭一つで死ぬ場所がある。


間に合ったもの。

まだ届かなかったもの。


その差を、もう誤魔化せる段階ではなかった。


榊は、一枚ずつ確認するように机の上の紙を見ていた。


最初に目が止まったのは、工場側の確認票だった。


真空管。接点。電源。配線。

そこから始まった。


たったそれだけの順番だった。

それなのに、前はその“どこから見ればいいか”すら揃っていなかった。

いまは少なくとも、いくつかの工場と現場では、そこから見ることが共有されている。


次に、搬送後重点確認。

支持部補強。

印の位置。

再設置で崩れやすい箇所。

これも、最初は見えていなかった。


次に、電探側。

一次報告。

追認。

取消。

弱反応時確認。

受理側初動要領。

一時情報列。


最初は全部がばらばらだった。

機械だけでも、現場だけでも、上位側だけでもなかった。

全部が少しずつ詰まっていた。


それを、一つずつほどいてきた。

ほどいたつもりだった。


「榊」


葛城に呼ばれ、顔を上げる。


「何を見ていた」


「間に合ったものと、まだ届かなかったものです」


葛城は少しだけ口元を緩めた。


「数えられるか」


「だいたいは」


「言ってみろ」


試験棟の空気が、少しだけ静まる。


榊は机の上の紙を見たまま、ゆっくりと言った。


「間に合ったのは、骨格です」


伊集院が低く問う。


「骨格?」


「はい。

一次報告の流れ。

追認・取消で閉じる形。

一時情報として捨てない考え方。

工場での確認順。

搬送後に崩れやすい箇所を見る視点。

そのへんは、少なくともいくつかの隊と工場で骨格になったと思います」


村瀬少佐が静かに頷く。


「そうだな」


「でも、肉はまだ揃っていません」


黒川が短く言う。


「続けろ」


「言い換え。

部隊ごとの癖。

士官の腹落ち。

補強材の全数適用。

説明員の手当。

そこはまだ足りないです」


伊集院が小さく息を吐いた。


「耳が痛いな」


「でもそうでしょう」


「そうだな」


そのやり取りに、妙な穏やかさがあった。

最初の頃なら、こんなふうに同じ前提では話せなかっただろう。


葛城が机へ指を置く。


「つまり、流れそのものは通した。だが、全部の隊が同じ精度でその流れを回せるところまでは届いていない」


「はい」


「それで十分か」


榊は数秒だけ考えた。


十分ではない。

もちろん違う。

もっと時間が欲しい。

もっと配りたい。

もっと試したい。

もっと直したい。


だが、そこで言葉を止めた。


十分ではない。

けれど、ゼロでもない。

そして、いま必要なのはその差を認めることだと思った。


「十分ではないです」


榊は静かに言った。


「でも、何もないよりはずっといい」


黒川が、珍しくすぐに頷いた。


「そうだ」


村瀬少佐も続ける。


「制度とは、たいていそういうものだ。完成してから配られるわけではない。最低限の骨格が先に走り、その後で肉が追いつく」


伊集院が苦く笑う。


「戦争前夜にやる話ではないんだがな、本来は」


「本来で済むなら苦労はないでしょう」


榊がそう返すと、伊集院は少しだけ笑った。


「違いない」


その日の午後、工場側から最後の在庫整理が上がってきた。


支持部補強材。

代替固定具。

複写済み確認票。

部隊向け説明一枚の残数。

全部が、もう余裕のある数字ではなかった。


真田が直接試験棟へ来たのは、その報告が上がった直後だった。


「これで終わりだ」


机へ置かれた紙には、淡々と必要数と不足数が並んでいる。


「終わり、ですか」


榊が問うと、真田はあっさり言う。


「少なくとも、今ある材料と手ではここまでだ」


森本が後ろから続ける。


「これ以上欲しけりゃ、物も時間も別で要る」


その言い方は冷たいが、現実そのものだった。


葛城が紙を見て頷く。


「乙型の重点補強、沿岸優先、小艦艇優先……予定通りだな」


「予定通り、とは言いにくいですが」


真田が言う。


「まあ、崩れてはいない」


崩れてはいない。

いまの段階では、それがたぶん一番正確な表現だった。


全部は揃わない。

全部は行き渡らない。

それでも、崩れてはいない。

骨格は立っている。

あとはそれが、どこまで実際の夜の海で持つかだ。


夕方、榊は一人で工場と試験棟の間の通路を歩いていた。


どちらの匂いも、もう最初の頃とは違って感じる。

鉄と油。

紙とインク。

焼けた絶縁材。

真空管の熱。

それら全部が、自分の中で一つの長い時間として繋がっていた。


最初に目を覚ました時、見えたのはひどいばらつきだった。

次に見えたのは、誰も同じ順番で見ていないことだった。

その次に、電探も無線も、報告も受理も、全部が同じ構造で詰まっていることに気づいた。


そして今、ようやく

どこまで通せたか

を数えるところまで来た。


――《初期目標は部分達成です》――


(初期目標、か)


――《負け筋の一部削減》――

――《再現性向上》――

――《情報流通の改善》――

――《完全ではありません》――


榊は、そこで少しだけ空を見た。


完全ではない。

そうだ。

完全ではない。


だが、その“不完全さ”を、いまは前ほど恥じなくていい気がした。

戦争の前夜に、ここまで通せたのなら。

少なくとも、何もしなかったわけではない。


「まだいるのか」


振り返ると、黒川が立っていた。


「少しだけ」


「少し、ばかりだな」


榊は苦笑する。


「便利なので」


黒川は何も言わず、しばらく同じ方向を見た。

海はここから見えない。

だが、その向こうへ何が広がっているかは、もう十分すぎるほど意識させられている。


「数え終わったか」


「だいたいは」


「どうだった」


榊は少しだけ考えてから答えた。


「思っていたより、通ってました」


黒川がわずかに目を細める。


「意外だな」


「でも、思っていたより届いてないものも多かったです」


「それも当然だ」


「はい」


黒川は短く言った。


「それでいい」


その一言は、妙に静かに胸へ落ちた。


それでいい。

全部ではない。

足りない。

届いていない。

それでも、通ったものは通った。

それでいい。


たぶん今は、その認識こそが必要だった。


その夜、試験棟の机の上には、配布済みの印、重点優先の印、保留の印が押された束がきれいに並べられていた。


間に合ったもの。

まだ届かなかったもの。

これから先、届かないまま本番を迎えるかもしれないもの。


どれも、もう逃げずに見なければならない。


榊は最後に、その束を一つずつ見た。


紙の上の改善。

工場での改善。

現場での言い換え。

受理側の初動。


それらがどこまで命に変わるのか。


もう、その答えは訓練では返ってこない。

だがそれでも、ここまで積み上げたものは、きっと何かを変える。

そう思えるだけの材料は、もう手元にあった。

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