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太平洋戦争の時代に戻った俺、真空管から日本を立て直します  作者: Diamond ruler


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第38話 届いた手順と、届かなかった空気

幕間の東京で時間が切れていく一方、現場では紙が静かに働き始めていた。


沿岸寄りの監視所では、一次報告の言い換えがすでに日常の声になっていた。

「方位〇八、一次報告、見張り確認未了」

「追認待ち」

「取消」

口に出すと短く、何を意味するかもその場では通じる。


以前なら、そこで一度止まっていたはずの手が、前より少し早く動く。


電探員が票を見て止まらない。

見張りが“まだ見えない”を、そのまま返せる。

当直卓も、一時情報列へ置くことにもう過剰な緊張を見せない。


補記欄は短くなり、内容は濃くなった。


一次報告の語にしたことで、若手が“軽い報告”と誤解しにくくなった。

見張り確認未了の言い回し固定で、報告の言い直しが減った。

受理卓側の保留表示も揃ってきた。


「……回ってますね」


榊がその紙を見ながら言うと、葛城が小さく頷く。


「回ってる」


黒川も短く言った。


「紙が紙で終わっていない」


それだけで、十分に大きかった。


だがそのすぐ隣には、別の束がある。


紙は届いた。

説明用の一枚も送った。

成功例も同封した。

それでも、まだ空気が届いていない隊の報告だ。


一次報告の言い換えのみ採用。

ただし当直側は従来通り“見張り確認まで保留”を優先。

票と実際の扱いに差あり。


あるいは、もっと露骨なものもある。


補足資料は受領。

しかし現行当直判断では、弱反応を一次報告に上げること自体が抑制的。

現場に迷いあり。


「同じ海の上なのにな」


伊集院がぼそりと言う。


榊も、その言葉に頷くしかなかった。


同じように風が吹き、同じように夜が来る。

同じ敵が、その先の海にいるかもしれない。

なのに、届いた手順の速さと深さは揃わない。


紙は届く。

だが空気は届かない。


いや、もっと正確に言えば、

空気は紙よりずっと遅くしか届かない。


――《運用定着には文書伝達より長い時定数があります》――


(時定数、か)


――《定着速度の差です》――


その言い方が妙に腑に落ちた。


工場で配線位置を少し変える。

電探で支持部を補強する。

紙に最低条件を足す。

そういうものは比較的早く動く。


だが、人の頭の中にある

“確実になるまで上げるな”

“誤って騒ぐな”

“最後に責任を取るのは自分だ”

という感覚は、そう簡単には動かない。


だから、届いた手順と届かなかった空気の差が、いま露骨に表へ出ていた。



その日の夕方、沿岸の一つの監視所から比較的詳細な補記が戻ってきた。


榊はその束の中に、若い電探員の走り書きに近い字を見つける。


前より、何を言えばいいか分かる。

見張りが見えていなくても、一次報告の意味が共通になった。

ただ、隣の隊へ移った者はまだ“その言い方は軽い”と言われたらしい。


榊は、その一文を何度も読み返した。


「隣の隊へ移った者、ですか」


葛城が覗き込み、頷く。


「人が動くと差が見えるな」


「はい」


同じ海域。

隣り合う隊。

人が一人移るだけで、“前の隊では通じた言葉”が、次の隊では違和感として返ってくる。


それが今の不揃いさの正体だった。


黒川が低く言う。


「よく回っている場所ほど、まだ届いていない場所との差を強く感じる」


その通りだった。


改善が効いている隊は、前より少し速く、少し明瞭に動けるようになっている。

だからこそ、旧来のやり方が残っている隊へ触れた時、その遅さや曖昧さが前より目立つ。


以前はみな同じように遅かった。

だから差が見えなかっただけなのだ。



一方、工場では別の形で同じことが起きていた。


乙型の支持部補強済み個体は、搬送後の再設置でも比較的安定している。

印も付けた。

確認順も整理した。

それでも、補強材がまだ回っていない型や個体は、相変わらず旧来の揺れを抱えたままだ。


森本が作業台の上で並んだ個体を見比べながら言う。


「同じ型なのに、今は中身が違うな」


真田が無愛想に答える。


「違う。補強の有無もそうだが、確認票の回り方も違う」


「前なら気づかなかっただろうな」


「前は全部ひっくるめて“調子が悪い”だったからな」


榊はそのやり取りを聞きながら、工場もまた同じ海の上にいるのだと思った。


届いた個体。

届いていない個体。

前より戻しやすい整備兵。

まだ旧来の勘に頼る整備兵。


全部が同じ戦争へ向かっているのに、揃ってはいない。



夜、試験棟の窓際で、榊は沿岸監視所の補記と、東京から来る急ぎの紙を並べていた。


一方には、現場が前より迷わず動けている痕跡がある。

もう一方には、準備加速と再配置、優先輸送の文字が並んでいる。


世界の大きな時間と、現場の小さな改善。

その二つが、いま同時に進んでいる。


「見えてきたな」


葛城が後ろから言った。


「何がです」


「間に合ったものと、まだ届いていないものだ」


榊は静かに頷いた。


本当に、そうだった。


沿岸警備寄りの一部。

小艦艇の一部。

説明員が入った監視所。

そこでは、少なくとも“前より一歩まし”が形になり始めている。


だがその外側には、まだ届いていない隊がある。

紙だけ届いて空気が変わっていない隊。

紙すら十分に整理されていない隊。

物の補強がまだ追いついていない型。


「……全部は無理ですね」


榊がそう言うと、葛城はあっさり答えた。


「最初からそうだ」


「分かってます」


「だが、分かることと見えることは違う」


その一言は重かった。


頭では理解していた。

全部は間に合わない。

でも、こうして沿岸の成功例と、止まったままの補記と、補強済みの個体と未補強の個体が同時に並ぶと、その差は嫌でも目に入る。


届いた手順と、届かなかった空気。

どちらも本物だ。

どちらも同じ時代の中にある。


――《不均一な改善分布が固定されつつあります》――


(嫌な言い方だな)


――《しかし事実です》――


嫌だ。

だが、事実だった。


戦争は、たぶんこういう不揃いさを抱えたまま始まる。

全部が揃うまで待ってはくれない。

だからこそ、揃った場所だけでも、せめて確実に動いてほしい。


「次はどうする」


黒川が窓際へ来て、短く問う。


榊は少し考えてから答えた。


「届いた隊には、もう一段だけ“閉じ方”を強くしたいです」


「閉じ方?」


「はい。一次報告、追認、取消。それぞれの終点が曖昧なまま残ると、結局次の当直に重なっていく」


葛城が頷く。


「たしかに。流れ始めた今だからこそ、閉じを雑にすると後で濁る」


伊集院も続ける。


「回ってる隊はさらに磨く。止まってる隊は最低限だけ通す。二段で行くわけか」


「そうですね」


今はもう、“全部を同じ水準へ”ではない。

回る場所はより安定させる。

止まる場所には最低限だけ通す。

その二段構えしかない。


外では風が強くなっていた。

海は見えない。

だが、その向こうで同じように夜を迎えている部隊がある。


届いた手順と、届かなかった空気。

その差を抱えたまま、時間だけは一つの方向へ進んでいる。


榊は窓に映る自分の顔を一瞬だけ見た。


本番は近い。

まだ始まっていない。

だが、もう“始まる前の整然さ”ではない。


それでも、届いたものが確かにあるのなら、そこから先は信じるしかないのだと、榊は少しずつ受け入れ始めていた。

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