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太平洋戦争の時代に戻った俺、真空管から日本を立て直します  作者: Diamond ruler


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第37話 もう答えは、本番でしか返ってこない

十一月の風は、前より少し硬くなっていた。


冷たいというより、乾いている。

工場の鉄板や試験棟の窓枠に触れた時、その乾き方で季節が変わったのが分かる。

だが榊にとって、それ以上に季節を感じさせたのは、人の動きの方だった。


止まらない。

誰も、前ほど立ち止まって考えない。

考えていないのではなく、考える前に動きながら決めている。


工場では、乙型の支持部補強材の割り振りがもう始まっていた。

試験場では、説明用の一枚が清書される前に先行で複写へ回されている。

通信監理では、一時情報列の扱いを巡る照会がまだ終わっていないのに、先に運用例が配られていた。


以前なら、順番が逆だと榊は思っただろう。

決めてから流す。

詰めてから回す。

それが筋だ。


だが今は違う。


「決まるのを待ってたら間に合わん」


森本がそう言って、補強材の箱を持ち上げた時、榊はもう何も返せなかった。


たしかにその通りだったからだ。



試験棟の机の上には、未決着の紙と、すでに配布された紙が一緒に積まれていた。


葛城がその山を見て、珍しく露骨に顔をしかめる。


「ひどい眺めだな」


伊集院が鼻で笑う。


「順番だけ見ればな」


村瀬少佐も、その山を前にして黙っていた。

黙っているが、怒ってはいない。

むしろもう、そういう段階ではないと理解している顔だった。


榊が一枚抜き取る。


弱反応時確認(案)

まだ“案”のままだ。

なのに、もう一部では実際に使われ始めている。


「……これ、本当にいいんですかね」


榊がそう言うと、黒川が短く言った。


「よくはない」


「ですよね」


「だが止める方がもっと悪い」


その一言で会話が終わる。

もう今は、そういう時期なのだ。


葛城が地図を広げる。


「第一段階の節になれる隊へ、説明用一枚と運用例、弱反応時確認、それから一次報告への言い換え例まで回す」


伊集院が補足する。


「沿岸、小艦艇、夜間哨戒寄りが優先。説明員を送れない隊には、節の隊から口頭で回させる」


村瀬少佐が机を指で叩いた。


「通信監理側は一時情報列の卓上処理を先に固定する。“未確定のまま持つ”がぶれたら全部崩れる」


榊はそのやり取りを聞きながら、胸の奥が妙に静かなことに気づいていた。


前なら不安が先に立った。

まだ詰め切れていない。

まだ部隊差が大きい。

まだ説明が足りない。

そういう“まだ”ばかりが目についていた。


今もそれは変わらない。

変わらないのに、感覚だけが少し違う。


もう、ここから先は本番でしか分からない。


その諦めに近い理解が、胸のどこかに落ちていた。



その日の午後、榊は葛城と一緒に、第一段階配布先の一つへ送る説明資料の最終整理をしていた。


紙は三種類。


骨格説明

速報・追認・取消の流れ、一時情報列の意味、確報との違い。


現場向け言い換え例

“速報”ではなく“一次報告”を使う隊向けの短い表現。

見張り確認未了、追認待ち、取消時の閉じ方。


成功例と調整可範囲

何が共通必須で、何が部隊差に応じて変えてよいか。


前なら、もっと整理したかった。

もっと薄くしたかった。

あるいは、逆にもっと説明を足したかった。


だが葛城は紙を束ねながら言う。


「これで出す」


「早くないですか」


「早い」


「でも」


「でも、もうこれ以上待っても劇的には良くならん」


葛城は榊を見た。


「違うか」


榊は数秒だけ考えて、首を振った。


「……違いません」


「だったら出すしかない」


その言い方は、冷たいようでいて、たぶん一番誠実だった。


未完成なのは事実だ。

だが未完成だから出さない、ではなく、

未完成でも、いま出した方が全体としてはまし

な段階に入っている。


それを認めるのは苦い。

けれど、たぶん必要な苦さだった。


――《試験段階から実装優先段階へ移行しています》――

――《最適化より配備速度が優先される局面です》――


(分かってる)


頭の奥の“声”は、いつも通り整然としていた。

だが、その整然さが今は少しだけ遠く感じる。


最適化。

その言葉が、前よりも贅沢に聞こえるからだ。



夕方近く、工場へ顔を出した榊は、真田が乙型の補強済み個体へ印を入れているのを見つけた。


「そこ、自分でやってるんですか」


榊が聞くと、真田は振り向きもせずに答える。


「人が足りん」


「設計の人が?」


「設計だからだ」


その答えは、妙に真田らしかった。


榊は少しだけ笑った。


「どういう意味です」


「どこに印を入れれば、次の奴が迷わんかくらいは分かる」


真田はそこで初めて手を止め、こちらを見た。


「お前、最近そういう顔するようになったな」


「どういう顔ですか」


「“理屈はあるが時間がない”って顔だ」


榊は苦笑するしかなかった。


「そんなに分かります?」


「分かる。こっちも同じだからな」


真田はまた手を動かし始める。


「支持部補強も、理想を言えば全数へ同じ精度で入れたい。だが無理だ。ならせめて、先に入る個体だけでも迷わない印と位置を残す。それが今できることだ」


その言葉を聞きながら、榊はふと最初の頃の真田を思い出していた。

訓練で補えと言っていた設計側。

整備兵に合わせて設計を落とすなと言っていた男。


変わったのだろう。

たぶん自分でも気づかないくらい少しずつ。


そしてそれは、榊だけではない。

葛城も。

伊集院も。

村瀬も。

森本も。

皆、少しずつ何かを変えてここまで来ている。


それでも、まだ足りない。


だが足りないまま出すしかない。



その夜、試験棟へ戻る途中で、榊は海沿いの通路に立ち止まった。


風が強い。

灯りは少なく、海はほとんど黒にしか見えない。


遠くで艦の汽笛が一度だけ鳴った。


その音を聞いた瞬間、榊ははっきりと理解した。


もう答え合わせは、本番でしか返ってこない。


試験場で何度も回した手順。

工場で並べた確認票。

現場で言い換えた一次報告。

受理側の一時情報列。

それらが本当に意味を持つかどうかは、もう近いうちに“実際の海の上”でしか分からない。


怖くないわけがない。

怖い。

だが、それでもここまで来たのだ。


「一人か」


振り向くと、黒川がいた。


「はい」


「考えているな」


「少しだけ」


黒川は榊の隣へ立った。

海を見たまま、低く言う。


「まだ始まっていない」


「分かってます」


「だが、始まる前の顔をしている」


その言葉に、榊は返事をしなかった。

しなかったが、否定もできなかった。


試験場も工場も、もう“始まる前”の顔をしている。

紙を整える手つきも、物を運ぶ速さも、説明の言葉も、全部が前より少しだけ急いている。


黒川が続ける。


「お前は、もう少し時間が欲しいと思っている」


「……はい」


「私もだ」


榊は少しだけ驚いて、隣を見た。

黒川は海を見たままだった。


「だが時間がないなら、ない中で通すしかない」


「はい」


「それが戦争の前だ」


たったそれだけの言葉が、妙に胸へ重く落ちた。


戦争の前。

まだ始まっていない。

だが、始まる前という時間には、もう十分入っている。


榊は黒い海へ視線を戻した。


本番でしか分からない。

それは怖い。

けれど同時に、ここまで積み上げてきたものを信じるしかない段階でもある。


足りないものはある。

間に合わないものもある。

それでも、前より一歩ましな形をどこまで通せたか。

それが、きっと答えになる。



翌朝、試験棟の机の上には“配布済”の印が押された束がいくつも並んでいた。


葛城がその一つを指先で揃える。


「行ったな」


伊集院が頷く。


「行った」


村瀬少佐は、別の束へ目を落とした。


「次の修正も必要だろうが、もう待たない」


黒川が短く言う。


「そうだ」


榊は、その束を見つめた。


紙だ。

ただの紙。

だがその紙が、今は前よりずっと重く見える。


海の上で、誰かがそれを使う。

あるいは使い損ねる。

その差は、もう訓練では埋められない。


「……行きましたね」


榊がそう言うと、葛城が少しだけ笑った。


「お前、最近そればかりだな」


「便利なので」


「認める」


ほんの少しだけ、空気が緩む。


だが次の瞬間には、また別の紙が机へ置かれる。

急な再確認。

補給変更。

人員の付け替え。

試験ではなく、運用のための紙だ。


試す時間は、もう足りない。


それでも、通したものは動き始めている。

だったら、あとは見届けるしかない。


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