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太平洋戦争の時代に戻った俺、真空管から日本を立て直します  作者: Diamond ruler


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第2話 届かない命令は、最初の敗因になる

戸を開けた瞬間、熱気が榊の顔を叩いた。


十月の空気だというのに、工場の中は妙に暑い。

鉄と油の匂い。焼けた絶縁材の臭い。湿気を吸った木箱のにおい。天井近くを回るだけの頼りない換気扇では、とても追いついていなかった。


通路の先では、作業着姿の男たちが何人も忙しなく行き交っている。

木箱を運ぶ者。部品表らしき紙束を抱える者。半田ごてを握って机にかじりついている者。

現代の工場で榊が見慣れていた整然としたラインとは、まるで違う。

活気と言えば聞こえはいいが、実際は余裕のなさがむき出しになっているだけだった。


「こっちだ」


先を歩く森本が振り返りもせずに言う。

榊はまだ少し重い頭を押さえながら、その背中を追った。


歩くたびに視界へ飛び込んでくるのは、どれもこれも不完全な光景だった。

部品棚の整理が甘い。

作業台ごとに工具の置き方が違う。

途中まで組んだ無線機が布の上に無造作に置かれている。

同じ工程のはずなのに、作業者ごとに手順まで微妙に違うらしい。


「……ひどいな」


思わず漏れた声に、森本が足を止めた。


「何がだ」


「工程です」


榊も立ち止まり、工場内を見回した。


「棚も工具も部材の流れも統一されていない。人ごとにやり方の癖が出すぎてる。これじゃ同じものを作ってるつもりでも個体差が出ます」


森本が半身だけ振り返り、じろりと榊を見る。


「起きたばかりの記憶の怪しい男が、よくそんなこと言えるな」


「怪しいのは自覚してます。でも、見れば分かることもある」


森本は数秒黙っていたが、やがて鼻を鳴らした。


「ならその目で、もう少しちゃんと見てみろ」


通されたのは、工場の隅に設けられた簡易な打合せスペースだった。

壁には工程表、納入予定表、資材割当表らしき紙が貼られている。どれも手書きか、粗い印字のものばかりだ。

中央の机には、分解された無線機が二台置かれていた。


周囲には三人の男がいる。

一人は五十代くらいの、頬のこけた主任格。

もう一人は若いが神経質そうな顔つきの技師。

残る一人は軍属だろうか、工場の人間とは違う堅さのある立ち方をしていた。


「連れてきました」


森本がそう言うと、主任格の男が榊を見た。


「お前が倒れていたという男か」


「はい」


「名前は」


榊は一瞬だけ詰まった。

何をどこまで言うべきか分からない。

だが黙っていても怪しさが増すだけだ。


「榊です。榊恒一」


「所属は」


「……電子機器関係です」


「どこのだ」


そこまで聞かれて、さすがに答えが止まる。

未来の会社名を言うわけにもいかない。

この時代で自然な所属も分からない。


数秒の沈黙が落ちた。


若い技師が露骨に顔をしかめる。


「やはり怪しいじゃないですか。身元不明の人間を工場内に置くなど――」


「まあ待て」


主任格の男が手を上げて制した。


「森本がわざわざ連れてきたんだ。何かあるんだろう」


「こいつ、無線機の不具合を一目見て、現場の流れが悪いと言いました」


森本はそう言って、机の上の一台を軽く叩いた。


「ならついでだ。こいつにも見せてやればいい」


若い技師が露骨に不快そうな顔をする。


「遊びではありませんよ、森本さん」


「分かってる。遊びじゃないからだ」


主任格の男はしばらく考えたあと、榊に顎をしゃくった。


「見て分かることだけ喋れ。余計な講釈はいらん」


榊は机に近づいた。


置かれていたのは、明らかに使い込まれた無線機だった。

筐体の一部には微細な歪みがあり、内部配線も丁寧に見えて、実際にはかなり危うい。振動や湿気に強い設計には見えない。

部品の固定方法も甘いところがある。


――《観察対象は前線運用を想定した機材です》――

――《耐環境性と整備性を優先的に確認してください》――


頭の奥に、あの冷静な“声”が滑り込む。


榊はそれに答えず、まず視線を全体へ走らせた。

次にコイル、真空管ソケット、接点まわり、電源部の固定具合を順に見る。


そして、最初に違和感を覚えたのは真空管そのものではなく、その根元だった。


差し込みが浅い。

いや、浅いというより、食い付きが弱い。ソケット側の保持が甘く、軽く揺すられただけでも接点がわずかに遊びそうだった。

現代の感覚なら、それだけで嫌な想像が浮かぶ。


前線では、機械は机の上で静かに使われない。

運ばれ、揺られ、ぶつけられ、湿気を吸い、埃をかぶる。

そういう環境では「完全に壊れる」より先に、「動いたり動かなかったりする」不安定な故障が出る。


一番厄介な壊れ方だった。


振動でほんのわずかに真空管が浮く。

接触が戻る時もあれば、戻らない時もある。

整備兵から見れば、さっきまで動いていたものが急に黙るし、叩いたら直ることもある。

そうなると再現性がなくなる。前線で最も嫌われる故障だ。


さらに榊は、電源部の配置にも目を留めた。


真空管の発熱を受けやすい位置に、無理のある配線と部材の密集がある。

手をかざすまでもなく、熱が逃げにくい作りだと分かった。

この時代の部品精度と材質では、長時間使えば先に弱る箇所が出る。

しかも電源まわりは、一度不安定になると故障の原因が散って見えやすい。前線では「全体の調子が悪い」としか報告されない可能性が高い。


「どうだ」


森本が問う。


「前線向きじゃないです」


若い技師が鼻で笑った。


「そんなことは誰でも言えます」


「じゃあ、もう少し具体的に言います」


榊は無線機の側面を指で軽く押した。


「振動に弱い。固定が甘い箇所がある。接点も湿気で不安定になりやすい。整備兵が前線で開けた時、戻しを間違えやすい構造になってる。しかも点検箇所の優先順位が分かりにくい。故障したら現場で“どこから見ればいいか”で迷います」


若い技師の眉が動いた。


「見ただけでそこまで分かると?」


「分かります。少なくとも、そういう壊れ方をしやすい作りに見える」


榊は真空管の根元を指先で示した。


「まずここ。真空管ソケットの保持が甘い。前線で揺すられたら、差し込みがわずかに浮く可能性がある。完全に抜けなくても、接点が不安定になれば動いたり動かなかったりする故障になる」


真田の顔色が少し変わる。


「……そこまで言い切るのか」


「言い切ります。こういうのは一番厄介です。壊れっぱなしならまだ見つけやすい。でも接触が戻ったり戻らなかったりする故障は、再現しない。整備側から見れば“昨日は動いた”になります」


榊は続けて、電源部を指した。


「それと、こっち。熱がこもりやすい。真空管の熱を受けやすい位置に周辺部材が寄ってる。長時間使えば先に弱る部品が出ます」


「熱?」


真田が食い気味に聞き返す。


「この程度で?」


「この程度だからです。今の部材精度と配置なら、少しずつ弱る。その“少しずつ”が前線では致命傷になります」


榊はもう一台の分解機へ手を伸ばした。


「それと、こっちは配線の取り回しが違う。同じ型でも組んだ人間によって癖が出てる。現場で不具合が出た時、整備側は“いつもの壊れ方”で対処できない。個体ごとに微妙に違うから」


主任格の男が森本を見る。


「本当か」


森本は渋い顔で答えた。


「……似た報告は上がってる。現場から“同じ型なのに当たり外れがある”と」


若い技師がすぐに言い返す。


「それは使用環境の問題でしょう。無線機に理想環境などありえない」


「そうです」


榊はあっさり頷いた。


「理想環境じゃないからこそ、雑に扱われても、濡れても、揺れても、多少の当たり外れがあっても動くようにしないと兵器にならない」


一瞬、場が静まった。


若い技師は目を細める。


「兵器を愚弄するつもりですか」


「逆です。兵器だからこそです」


榊は机の上の工具の位置まで視線を落とした。


「研究室で一度も壊れない機械より、前線で壊れても直せる機械の方が兵器としては上です」


その言葉に反応したのは、軍属らしき男だった。

彼は腕を組んだまま、初めて口を開く。


「君は軍用機材の経験があるのか」


「ありません」


「ないのにそう言うのか」


「軍用じゃなくても、現場で使われる機械は同じです。壊れないことと、壊れても戻せること。少なくとも、その二つは別です」


軍属の男は無表情だったが、否定もしなかった。


主任格の男が小さく咳払いする。


「で、榊。お前ならどうする」


問いに、榊は少しだけ躊躇した。

今の自分は、この時代における何者でもない。

そんな人間が、いきなり改善案を並べ立てれば反発も強い。


だが、ここで黙れば何も始まらない。


「大きく変える必要はないです」


「ほう」


「まず、壊れやすい箇所を絞る。全部を完璧にするんじゃなくて、“どこが最初に死ぬか”を見つける。そこだけでも固定方法か配置を見直す。それと整備側向けに、故障時の確認順を単純にする。上から順番に見れば最低限の切り分けができるように」


若い技師が即座に口を挟む。


「そんな単純な話で改善できるなら苦労はしません」


「単純にしないから前線で困るんです」


「何だと」


「落ち着け」


森本が間に割って入る。

だが若い技師の目つきはきついままだった。


「あなたは現場を知らない。整備兵が多少迷ったところで、それは訓練で補うべきことです。設計をそれに合わせて落とすべきではない」


榊は、その言葉に妙な既視感を覚えた。

時代が違ってもいる。

“使う側が努力すべきだ”という設計者の発想は。


「訓練で補えることと、設計で潰せるミスは別です」


「だからそれは――」


「現場では、疲れてる人間が暗くて揺れる場所で触るんでしょう」


若い技師の言葉を、榊は初めて強めに切った。


「なら、迷わない方がいい。間違えない方がいい。学歴も専門知識も関係なく、誰が触ってもある程度戻せる方がいい。兵器ってそういうものでしょう」


完全に、場が止まった。


主任格の男は机を指先で叩きながら榊を見る。

森本は腕を組み、ただ様子を見ている。

軍属の男だけが、少しだけ口元を動かした。


やがて主任格の男が言った。


「名前をもう一度」


「榊恒一です」


「榊、お前の言い方は鼻につくが……」


そこまで言って、無線機を見下ろした。


「間違ってないところもあるらしい」


若い技師が不満げに息を吐く。


「主任」


「お前も黙れ。反論するなら、故障報告の山を消してからにしろ」


その一言で、若い技師は唇を引き結んだ。


主任格の男は榊へ向き直る。


「私は主任の久世だ。こっちは設計側の真田。そしてこちらは海軍監督班の黒川さん」


軍属の男――黒川は、軽く会釈だけした。


「榊、お前の言う“確認順を単純にする”というのは、具体的には何だ」


ようやく来た、と榊は思った。

ここでやりすぎれば警戒される。だが引きすぎても意味がない。


「故障時の切り分けです。現場に全部理解しろとは言わない。けど、最初に見る場所を固定するだけでも違う。接点か、真空管か、電源か、配線緩みか。よく死ぬ順番に見るだけで、直る数は増えます」


「現場がそんなに素直にやるか?」


「やらせるために簡単にするんです」


黒川がそこで口を挟んだ。


「つまり君は、機械そのものより整備手順を先に触るべきだと言いたいのか」


「両方です。でも、すぐ効くのは後者です」


「理由は」


「機械を根本から変えるには時間がかかる。でも切り分け手順なら紙一枚で変えられる。現場への浸透は別問題でも、少なくとも今ある機械にすぐ効かせられる」


黒川は数秒黙ってから、小さく頷いた。


「なるほど」


その反応に、一番驚いたのは真田だったかもしれない。


「黒川さん、本気ですか」


「本気も何も、聞いてみる価値はある」


「しかし正体不明の――」


「故障報告の内容と、いま彼が言った話に矛盾は少ない」


黒川は静かだったが、その声には押しの強さがあった。


「設計思想の是非はともかく、現場の整備性を先に見るというのは理屈として通る」


久世も腕を組んだ。


「……やってみるか」


「主任まで」


「大掛かりにはやらん。まずは一台だ。問題が出やすい個体を使って、榊の言う切り分け順を試す」


真田はなおも渋い顔だったが、久世に視線で押し切られ、ついに黙った。


榊はそこで初めて、肩に入っていた力が少し抜けるのを感じた。

まだ何も始まっていない。

だが、少なくとも話を聞かせるところまでは来た。


――《最初の接点としては良好です》――


頭の奥で、あの声が言う。


榊は心の中だけで返した。


(お前、偉そうだな)


――《事実の整理です》――


(腹立つ言い方だけは変わらないな)


久世が工具箱を引き寄せる。


「よし、榊。口だけでないなら付き合え」


「はい」


「どこから見る」


榊は机上の無線機を見つめた。


未来から来たからといって、魔法の答えがあるわけじゃない。

回路の原理も、故障しやすい箇所も、考え方の筋道も知っている。

だがここで勝負を分けるのは、そんな知識よりも、いま目の前のこの一台をどう見るかだ。


「まず、よく死ぬ順番からです」


「だから、それがどこだと聞いてる」


榊は真空管ソケットの一つを指した。


「ここ。次にこの接点。それから電源部。最後に配線の緩み」


真田が眉をひそめる。


「なぜそうなる」


「真空管の根元は振動で浮きやすい。接触不良が一番厄介だからです。完全に壊れるより、動いたり止まったりする方が現場では困る。それから接点。湿気と酸化で抵抗が増える。電源部は熱の影響が回りやすい。長時間使えば弱る箇所が先に出る」


――《概ね妥当です》――

――《ただし、電源部の固定不良が先行している可能性もあります》――


(分かってる。だから見る)


黒川が机へ一歩近づいた。


「仮に当たっていたとして、それで何が変わる」


榊は答える。


「届かない命令が、少し減ります」


黒川の目が細くなる。


「大きく出たな」


「出てません。通信が死ねば、命令も連絡も情報も死ぬ。それは兵器以前の話です」


現代から見れば当たり前すぎる話だった。

だが当たり前であることと、現場で本当に優先されることは別だ。


久世は無言で頷き、工具を取った。


「いい。やってみろ」


榊は机へ歩み寄り、無線機に手を掛けた。


真空管しかない時代。

半導体も、デジタル補正も、自己診断機能もない。

だからこそ、壊れ方はもっと生々しく、直し方ももっと人間の手に近い。


その現実に、奇妙な手応えがあった。


未来の便利な道具はない。

だが、触れば分かるものはある。

見れば気づけるものもある。

この時代にだって、改善の余地はまだ山ほど残っている。


榊は深く息を吸い、最初の切り分けを始めた。


届かない命令は、最初の敗因になる。

ならばまず、その敗因から削っていけばいい。


それが、この時代で自分にできる最初の一手だった。

当時の日本は「精神論」が強かったイメージがありますが、現場にはきっと榊のように「理屈」を大事にしたい技術者もいたはず……そんな思いを込めて書いています。

もし「技術屋の意地、いいな」と思っていただけたら、感想や評価をいただけると執筆の励みになります!

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