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太平洋戦争の時代に戻った俺、真空管から日本を立て直します  作者: Diamond ruler


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第14話 正しさだけでは、通らない

吉岡少佐は、机の上の紙束を指先で揃えながら、それを一枚ずつ眺めていた。


誰も口を開かない。

試験場の空気は、さっきまでとは別の意味で張っていた。

真空管や配線の位置ならまだいい。

だがいま机の上にあるのは、手順であり、記録であり、組織の責任そのものに触れる紙だ。


榊は黙って吉岡の手元を見ていた。


紙の読み方で分かる人間がいる。

目を滑らせるだけの人間。

形式だけを探す人間。

内容を見ているようで、責任の所在だけを見ている人間。


吉岡少佐は、その三つを全部やるタイプに見えた。


「なるほど」


やがて少佐はそう言って、簡易確認表を机へ戻した。


「ずいぶんと分かりやすくなっている」


葛城が答える。


「現場向けですから」


「そのようだ」


吉岡の声は穏やかだった。

だが、穏やかだからこそ油断できない。


彼は次に、追加された記録欄へ目を落とした。


「補足観察欄、搬送後確認、再設置時確認……」


少しだけ間を置いてから、榊へ視線を向ける。


「君が考えたのか」


「はい」


「なぜ必要だと思った」


問い方が、試すようだった。

説明を求めているのではない。

どこまで自覚的に制度へ触っているかを見ている。


榊は少しだけ言葉を選んだ。


「試験場での良好な状態が、そのまま現場まで維持されるとは限らないからです」


「それは従来も承知している」


「承知していても、記録として分けられていないように見えました」


吉岡の目がわずかに細くなる。


「ほう」


「故障や不調の報告が、“通信不良”や“調子が悪い”のように広すぎる言葉でまとめられていた。なら、どこで崩れたのか見えません。試験場で良かったのか、搬送で崩れたのか、設置で戻ったのか、それが分からないままでは改善のしようがないと思いました」


吉岡は黙ったまま榊を見ている。

表情は変わらない。

だが、そこで言葉を足しすぎると危ない気がした。


黒川が横から口を開く。


「少佐、昨日と今日の試験では、実際に搬送後再設置で状態が揺れました」


「報告は読む」


吉岡は短く返す。


「しかし、それで既定手順の外に補助表や確認票を増やす理由になるかは別だ」


やはりそこだ、と榊は思う。


技術的に正しいかどうかではない。

正式手順の外で、誰が何を決めていいのか。

つまりここで争点になっているのは、技術ではなく権限だった。


――《論点は制度的正当性です》――

――《技術的有効性のみでは通りません》――


(分かってる)


榊は心の中で応じた。


吉岡は紙をもう一枚持ち上げる。


「この“参考表”とやらは、誰に回した」


葛城が答える。


「試験場内の確認用と、一部整備担当への限定配布です」


「正式承認前に、か」


「正式手順の置き換えではありません」


「それは君らの理屈だ」


静かな一言だった。

だが、その場の空気を一段冷やすには十分だった。


伊集院が口を開きかけたが、吉岡は視線だけで制した。

この場の主導権を誰にも渡す気はないらしい。


「少佐」


榊はそこで、初めて一歩だけ前へ出た。


「一つ、確認したいことがあります」


葛城がわずかに眉を動かす。

黒川は止めなかった。

なら、行っていい。


吉岡は榊を見た。


「何だ」


「今回問題にしているのは、“正式手順を変えたこと”ですか。それとも、“正式手順で拾えていなかった不具合の分類を始めたこと”ですか」


その場が、しんと静まった。


葛城が息を止める気配がした。

伊集院も目を見開いている。

露骨に踏み込んだ。自分でもそう思う。


だが、ここで曖昧にしても意味がない。

この少佐は、遠回しにしても結局そこを見抜くだろう。


吉岡はすぐには答えなかった。


やがて、紙を机へ置いて言う。


「両方だ」


「では順番があります」


榊は言った。


「正式手順を変える話なら、もちろんこちらにその権限はありません。そこは分かっています」


「なら問題はないはずだが」


「でも、不具合の分類を始めたことまで止めるなら、それは現場で起きていることを見ない選択になります」


吉岡の目が、はっきりと冷たくなった。


「言い方に気をつけろ」


「気をつけています」


榊は答えた。


「私は制度を否定したいわけじゃありません。ただ、分類されない不具合は改善されません。改善されないものは、前線で同じ形で繰り返します」


吉岡は一歩も引かなかった。


「それを判断するのは君ではない」


「そうですね」


榊は頷いた。


「でも、現場で起きていることを現場の言葉のまま積んでも、たぶん誰にも届かない。だから分けて見える形にしただけです」


黒川がそこで低く言った。


「少佐。今回の件は、既定手順を変える以前に、記録の粒度を上げているだけとも言える」


吉岡は黒川を見た。


「“だけ”では済まん。粒度が上がれば、これまで見えていなかった責任の線が見える」


その言葉に、榊は逆に少しだけ安心した。

この人は分かっている。

分かった上で止めに来ているのだ。


なら、話は通じる余地がある。


葛城が静かに言った。


「少佐、それはつまり、現場の不具合を現場のまま曖昧に積む方が都合がいいという話になります」


「葛城中尉」


「失礼。しかし、ここで見えているものを“正式でないから”の一言で切るなら、試験場の意味が薄れます」


吉岡はしばらく葛城を見ていた。

やがて榊へ視線を戻す。


「君は、正式手順を変えたいのか」


榊は少しだけ考えた。


「今は違います」


「では何がしたい」


「現場で困っている人間が、今より少しましに見られる形を作りたいだけです」


「少し、か」


「はい。いきなり全部は変えられません」


伊集院がそこでぼそりと言った。


「それは本当だ」


吉岡が視線だけを向けると、伊集院は続けた。


「昨日の調整でもそうでした。大改造ではない。数ミリ逃がしただけです。それでも変わった」


「だから何だ」


「だから、“今すぐやれる改善”と“制度として詰める改善”を分けて考えるべきだと言っているんです」


伊集院の声は少し硬かったが、はっきりしていた。


「榊の紙はたしかに粗い。だが、現場に持ち出せる形になっている。少なくとも、ここで何もせず従来通りに積むよりは情報が増える」


吉岡は伊集院をじっと見た。

反論はしない。

だが簡単にも認めない。

その沈黙が長く感じられた。


やがて吉岡は、机の上の参考表を指先で整えながら言った。


「正式手順の変更は認めない」


誰も口を開かない。


「だが」


その一語で、空気がわずかに動く。


「試験場内部の補足資料として保持することまでは止めん。外へ回すな。記録を積め。結果を出せ。その上で必要性を示せ」


葛城がすぐに言う。


「現場向けは」


「正式配布は駄目だ」


「非公式の参考としても?」


吉岡は一度だけ目を細めた。


「私は今、“正式配布は駄目だ”と言った」


その言い方に、黒川が小さく鼻で息を抜いた。

止めるつもりなら、もっと強く止める言い方はいくらでもできる。

これは、表向きは認めないが、結果を見せろという折衷だった。


榊は心の中で息を吐いた。


勝ったわけではない。

だが、完全に潰されたわけでもない。


――《限定的容認です》――

――《前進と評価できます》――


(報告書のまとめみたいに言うな)


――《事実です》――


吉岡は最後に榊を見た。


「君」


「はい」


「技術の正しさと、組織の正しさは同じではない」


「分かっています」


「本当に分かっているなら、次は結果で示せ」


それだけ言うと、吉岡少佐は踵を返した。

試験棟の入口が開き、閉じる。

足音が遠ざかるまで、誰も喋らなかった。


やがて伊集院が、小さく息を吐いた。


「……胃が痛くなる相手だ」


葛城が笑う。


「お前にもそういう顔があるんだな」


「ある。君も似た顔をしていた」


黒川は短く言った。


「だが道は残った」


榊は頷く。


「はい」


葛城が机の紙束を軽く叩く。


「ならやることは同じだ。補足資料の精度を上げる。記録を積む。改善が偶然でないと示す」


伊集院も続けた。


「そして、いずれ正式手順に食い込ませる」


榊は紙束を見下ろした。


配線。

真空管。

熱。

搬送。

記録。

確認票。

全部が少しずつ繋がり始めている。


だが同時に、改善は広がるほど敵を作る。

それもよく分かった。


正しさだけでは、通らない。

だからと言って、正しさを捨てるわけにもいかない。


なら必要なのは、

通る形へ翻訳すること

なのだろう。


榊はふと、工場の整備兵たちの顔を思い出した。

難しい理屈ではなく、

「どこから見ればいいか」

が書かれた紙を真剣に読んでいたあの顔だ。


あれを守るためなら、少し姑息でも構わない。

そう思えた。


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