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太平洋戦争の時代に戻った俺、真空管から日本を立て直します  作者: Diamond ruler


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第13話 改善は、広がるほど敵を作る

搬送後確認の試験が終わった頃には、榊の周囲に流れる空気は明らかに変わっていた。


最初は、正体不明の民間人。

次は、工場の無線機に口を出す厄介者。

そして今は、試験場の記録様式や確認手順にまで踏み込んでくる異物だ。


歓迎されるはずがない。


それでも、変化は数字より先に人の顔へ出る。

記録係は新しい確認欄を自分から使い始め、設置担当の兵は配線位置に印を付けることへもう文句を言わなくなっていた。

葛城は言葉数こそ少ないが、最初から榊を議論の輪に含めるようになった。

伊集院でさえ、反論のためではなく、詰めるために質問を投げてくる。


だが、広がるということは、見える範囲が広がるということでもある。


そして見える範囲が広がれば、必ず別の誰かの縄張りに触れる。


その日の夕刻、試験棟の空気が再び変わったのは、葛城が一通の書類を手に戻ってきた時だった。


「面倒なことになった」


黒川が顔を上げる。


「何だ」


葛城は書類を机へ置いた。

厚手の紙に、整った筆跡で書かれた回覧文書。

内容は短いが、言い回しが硬い。


伊集院が先に目を通し、露骨に顔をしかめた。


「……兵器局からか」


榊は横から覗き込み、要旨だけを拾った。


試験場内における独自手順の増設について、既定手順との整合性を欠く恐れあり。

現場向け補助票の配布、確認項目の追加、記録様式の改変については、正式承認前に拡大適用すべからず。


榊は思わず息を吐いた。


「早いですね」


葛城が苦笑する。


「早いというより、誰かが嫌がったんだろう」


伊集院は紙を机へ戻した。


「“独自手順”か。言い方がうまい」


「否定はしないが、勝手なことをされると困る、という意味だな」


黒川の言葉は淡々としていたが、そこには明確な苛立ちがあった。


榊は紙を見つめながら、すぐに理解した。


改善が当たり始めたからだ。

そして当たり始めた改善は、既存の誰かの責任範囲を侵す。


記録様式を変える。

確認手順を増やす。

設置後確認を入れる。

それは理屈の上では現場のためでも、別の部署から見れば「勝手に制度をいじっている」に見える。


――《組織反応として自然です》――

――《改善は、既存責任系統の不備を可視化します》――


(だろうな)


榊は心の中で返す。


技術的に正しいことと、組織的に通ることは別だ。

それは2026年でも嫌というほど見てきた。


葛城が榊を見る。


「どう思う」


「二つあります」


「言ってみろ」


「一つは、こちらのやり方が間違っているわけじゃない。ただ、広げ方が早かった」


伊集院が頷く。


「たしかに、記録欄の追加も確認票の配布も、こちらでは自然に始まっていたが……正式には何も通していない」


「もう一つは」


榊は紙を軽く叩いた。


「これは手順の話に見えて、たぶん手順の話じゃない」


黒川が目を細める。


「どういう意味だ」


「責任の話です」


その場の空気が少しだけ固くなる。


「今まで曖昧だった不具合が、もしこちらの追加確認で整理され始めたら、逆に“なぜそれを今までやっていなかったのか”が見えてしまう。誰かが嫌がる理由はそこです」


伊集院が低く唸る。


「……兵器局の記録担当か、整備規定の側か」


「あるいは両方かもしれません」


葛城はしばらく黙っていたが、やがて短く笑った。


「君は本当に軍人向きではないな」


「前にも言われました」


「だが、こういう時に役立つ」


黒川が机へ指を置いた。


「ならどうする」


榊は少し考えた。

技術だけなら答えは早い。

だがこれは違う。

組織の壁を正面から殴っても、たぶん潰されるだけだ。


「“変更”として出さない方がいいです」


伊集院が眉をひそめる。


「何だと」


「こちらは改善したい。でも向こうは“勝手に変えるな”と言っている。なら、変えたと言わなければいい」


葛城が興味深そうに問う。


「続けろ」


「補助票や追加欄を、“正式手順の代替”ではなく“試験記録の補足資料”として扱うんです。現場へ回すのも、“新手順”ではなく“参考資料”として出す」


黒川が腕を組む。


「名前を変えるだけではないか」


「名前は大事です」


榊ははっきり答えた。


「制度を勝手に変えられた、と思えば止めに来る。でも既定手順の不足を補う参考資料なら、いきなり正面から潰しにくい」


伊集院は少し不満そうだった。


「姑息だな」


「そうですね」


榊は認めた。


「でも、通らない正論より通る姑息の方が現場は助かります」


葛城がそこで声を出して笑った。


「言い切るなあ」


「事実ですから」


そのやり取りに、黒川も口元だけ少し動かした。

この人は本当に分かりやすくは笑わない。


だが伊集院はまだ渋い顔のままだった。


「それで兵器局が納得するか?」


「納得はしないでしょう」


榊は答える。


「でも、“正式手順を書き換えたわけではない”なら、少なくとも止める理由は弱くなる」


葛城が頷く。


「正面突破ではなく、横から通すか」


「現場が困っている以上、まず流すことが先です」


伊集院はようやく息を吐いた。


「……嫌いじゃない」


榊は少し意外に思って伊集院を見た。


「本当ですか」


「好きではないが、嫌いでもない。兵器局の連中に真正面から理屈をぶつけても、たぶん書類の山で返されるだけだ」


「でしょうね」


「なら、先に結果を積むしかない」


その言葉に、榊は少しだけ救われた気がした。

伊集院は頑固だが、理屈が腹に落ちれば現実的に動く。


葛城がすぐに動いた。


「よし。記録様式の追加欄は“補足観察欄”とする。確認票は“現場向け参考表”だ。正式手順の変更ではない」


黒川も続ける。


「搬送後確認も“推奨確認”として扱う。義務ではないが、重要機材では実施を勧める形にしろ」


榊は心の中で小さく唸った。


うまい。

そこまで言い換えれば、たしかに正面からは叩きにくい。


だが、そのとき試験棟の入口で別の足音が止まった。


全員がそちらを見る。


入ってきたのは、軍服の襟元までぴしりと整えた男だった。

四十代半ば。痩せているが姿勢に無駄がなく、目元だけが冷たい。

試験場の空気に慣れた人間というより、管理と統制を職分とする者の顔だった。


葛城の表情がわずかに固くなる。


「……兵器局の吉岡少佐」


少佐は室内を一巡り見回し、最後に机上の書類へ視線を落とした。


「話が早くて助かる」


その声は静かだったが、よく通った。


黒川が前へ出る。


「ずいぶん早い来訪だな」


「問題が起きる前に見ておくのも仕事です」


吉岡少佐はそう言ってから、榊へ視線を向けた。


「君が、最近ここで色々と新しいことを始めている民間人か」


榊は軽く一礼した。


「榊恒一です」


「そうか。では、君の“参考資料”とやらを拝見しよう」


空気が張る。


おそらく、ここから先は技術だけでは済まない。

紙の名前を変えただけで通るほど甘くもないだろう。


だが、逃げるわけにもいかない。


改善は、広がるほど敵を作る。

それはたぶん、正しい方向へ進んでいる証拠でもある。


榊は机上の紙束へ手を伸ばした。


次の戦いは、配線でも真空管でもない。

書類と責任と、面子の上で始まる。


そしてそれもまた、兵器を兵器にするために避けられない工程なのだと、彼はもう理解していた。

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