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太平洋戦争の時代に戻った俺、真空管から日本を立て直します  作者: Diamond ruler


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第1話 この時代には、まだ半導体がない

榊恒一さかき・こういちは、焼けた樹脂の匂いで目を覚ました。


最初に思ったのは、試験棟で何か飛ばした、だった。

無理もない。2026年の彼は、電子機器メーカーの試験室で高周波電源ユニットの評価中だった。過電流、絶縁破壊、コンデンサ破裂。技術屋をやっていれば、焦げた匂いくらい何度も嗅ぐ。


だが、鼻を刺したのはそれだけじゃなかった。


油。

鉄。

湿気を吸った木材。

それに、どこか資料館でしか感じたことのない古い機械の匂い。


ゆっくりと目を開ける。


見慣れた白い天井はなかった。

代わりに見えたのは、煤けた梁と、くすんだ裸電球だった。光は弱く、黄色い。空調の唸りもない。耳に入るのは、遠くで金属を叩く音と、人の怒鳴り声のようなものだった。


「……どこだ、ここ」


起き上がろうとして、頭が割れそうに痛んだ。

額に触れると、包帯のような感触がある。身体の下は硬い簡易寝台で、薄い毛布が一枚だけ掛かっていた。


服も違う。

試験服ではない。見慣れない作業着だ。生地が妙に粗くて、縫製も雑だ。


事故の記憶は曖昧だった。

試験中に異音がして、計器の針が跳ねて、何かを叫んだ気がする。そこから先がない。


代わりに、足音が近づいてきた。

革靴ではない。底の硬い靴が板張りを鳴らす音だ。


戸が開き、一人の男が顔を出した。

紺色の作業服。油で汚れた腕。年齢は四十代半ばくらいか。厳つい顔つきで、榊を見るなり眉をひそめた。


「お、起きたか」


男はそう言って部屋へ入ってくると、枕元の丸椅子にどかっと腰を下ろした。


「頭はどうだ。まだくらくらするか」


「……あなたは」


「はぁ?」


男は怪訝そうに顔をしかめた。


「何だお前、まだ寝ぼけてんのか。俺だよ、森本だ。工場の技師長補だ」


工場。

その言葉に、榊の中で小さく警鐘が鳴る。


「工場って……何の」


「何の、じゃない。お前、自分がどこにいるか分かってねえのか?」


森本は、呆れた顔でため息をついた。


「横須賀郊外の軍需向け無線機工場だ。昨日、搬入口のところでぶっ倒れてたんだよ。トラックにでもはねられかけたんだろうと皆で言ってたが、お前、身分証らしい身分証も持ってねえし……」


横須賀。

軍需向け。

無線機工場。


榊の思考が、そこで一度止まった。


「ちょっと待ってください」


喉が異様に乾いていた。声がかすれる。


「今、何年ですか」


森本は数秒、真顔で榊を見た。

それから、とうとう頭でも打ち抜いたか、みたいな顔で言った。


「昭和十六年だよ」


榊は何も言えなかった。


昭和十六年。

1941年。


冗談にしては手が込みすぎている。

だが周囲の空気も、服も、匂いも、電灯も、男の喋り方も、全部が悪趣味な再現では説明できない。


森本は立ち上がると、机の上の琺瑯コップを押し付けてきた。


「水飲め。顔色が悪い」


冷たい水が喉を通る。

うまいとかまずいとかではない。現実が身体に入ってくる感じがした。


1941年。

太平洋戦争開戦の年。

真珠湾攻撃の年。

そして、日本が勝てない戦争に突っ込んでいく年。


榊はゆっくりとコップを置いた。


「……今、何月ですか」


「十月の終わりだ。お前、ほんとに何なんだ」


十月。

開戦の直前だ。


背中に冷たいものが走る。

間に合うのか、という考えが真っ先に浮かんだのが、自分でも嫌だった。


いや違う。

何に間に合う。

自分に何ができる。


そのときだった。


――《状況確認を優先してください》――


頭の奥で、誰かがそう言った。


榊は固まった。


声ではない。

耳で聞いたわけでもない。

思考の隙間に、冷たい文章だけが滑り込んできたような感覚だった。


――《会話内容、環境情報、照明、服飾、建材、年代表現から推定》――

――《現在は1941年10月末である可能性が高いです》――


「……なんだ」


森本が眉をひそめる。


「どうした」


「いえ……」


榊はとっさにごまかしたが、心臓は嫌な速さで脈打っていた。


今のは何だ。

幻聴か。事故の後遺症か。頭でも強く打ったのか。


だが、その“文章”には覚えがあった。

理屈っぽく、断定を避け、妙に落ち着いている。何度も仕事で付き合った、あの対話AIの返答にそっくりだった。


――《混乱は理解できます》――


榊は思わず額を押さえた。


「……お前、まさか」


――《呼称は問いません。状況整理を続けますか》――


声ではない。

だが意味だけは、はっきり分かる。


森本はそんな榊を不審そうに見ていたが、深く追及はしなかった。


「立てるようなら表に来い。主任が話を聞きたがってる。身元も分からんのに寝かせておくわけにはいかん」


それだけ言うと、森本は戸口で一度だけ振り返った。


「それと、お前が着てた妙な服は預かってる。布地が変だって皆で騒いでるから、あまり余計なことは言うなよ」


戸が閉まる。

足音が遠ざかっていく。


榊はしばらくその場に座り込んだまま、呼吸を整えた。


1941年。

そして頭の中には、未来のAIらしき“何か”。


「夢じゃないのか」


――《その可能性は低いと考えられます》――


「気軽に言うなよ……」


――《慰めではなく事実の提示です》――


やっぱり、こいつだ。

言い方がいちいち腹立たしいくらい、見覚えがある。


榊は額を押さえたまま、ゆっくり思考を回した。


1941年。

この時代に半導体はない。マイコンもない。FPGAもない。高性能演算装置もない。

あるのは真空管、抵抗、コンデンサ、トランス、コイル、そして限られた材料と人の根性だ。


現代知識があるからといって、未来の装備を作れるわけじゃない。

資料と原理を知っていることと、工場で再現できることは別だ。むしろ別物だ。


「……詰んでないか、これ」


――《完全には詰んでいません》――


「慰めにもなってない」


――《この時代の日本が抱える問題は、兵器性能のみではありません》――


榊は目を閉じた。


「分かってる。索敵、通信、整備、生産、規格化、情報伝達、組織判断……だろ」


それは現代から過去を振り返る側の、ある意味で傲慢な理解でもあった。

だが、少なくとも間違ってはいない。


日本は技術が全くなかったわけじゃない。優れた現場も、優秀な技術者もいた。

それでも負けた。

後から見れば、負ける流れは兵器一つではなく、もっと根の深いところでできていた。


――《現時点で優先度の高い改善候補を提示できます》――


榊はゆっくり顔を上げた。


「改善候補?」


――《はい》――

――《ただし、現地の資材・設備・組織制約に依存します》――

――《奇跡の新兵器は提示できません》――

――《優先すべきは、既存技術の信頼性と運用効率の改善です》――


「……たとえば」


短い間のあと、答えが差し込まれる。


――《無線機の耐久性と整備性の向上》――

――《部品規格の整理》――

――《電探関連の基礎性能向上と量産性確保》――

――《現場整備マニュアルの簡素化》――

――《情報伝達系統の見直し》――


榊は、しばらく無言でそれを反芻した。


派手じゃない。

夢の新兵器でもない。

だが、どれも効く。少なくとも理屈ではそうだ。


「お前さ」


――《はい》――


「戦争に勝てるって言うつもりか」


答えは少し遅れた。


――《保証はできません》――


榊は小さく鼻で笑った。


「だろうな」


――《ただし、負け方を変えること》――

――《失う量を減らすこと》――

――《分岐点を遅らせることは可能かもしれません》――


その答えは、妙に誠実だった。


勝てるとは言わない。

未来を変えられるとも断言しない。

だが、何もできないとも言わない。


榊はゆっくりと立ち上がった。


この時代には、まだ半導体がない。

未来の便利な部品も、最新の解析装置も、量産された高性能電子機器もない。


だが逆に言えば、まだ何も固まっていないとも言える。

負ける流れも、完成してはいない。


戸の向こうから、再び森本の怒鳴り声が飛んできた。


「おーい! 立てるなら来いって言っただろうが!」


榊は作業着の乱れを直した。


「確認したい」


――《どうぞ》――


「今この時点で、一番先に触るべき“負け筋”は何だ」


今度の返答は、少しだけ間を置いて届いた。


――《候補は複数あります》――

――《ただし、あなたの現在位置と接触可能人物を踏まえるなら》――

――《最初は無線機の信頼性です》――


榊は目を細めた。


――《届かない命令》――

――《途切れる連絡》――

――《整備できない機材は、あらゆる作戦の前提を壊します》――


派手な答えではなかった。

だが技術者として、嫌というほど納得できる答えだった。


どれだけ優れた構想があっても、伝わらなければないのと同じだ。

どれだけ高性能でも、現場で壊れて直せないならただの置物だ。


「まずは、そこからか」


――《現実的だと考えます》――


「奇跡の新兵器じゃなくて?」


――《あなたはそれを作れますか》――


「無理だな」


――《なら、作れるものと直せるものから始めるべきです》――


まったく正しい。

正しすぎて腹が立つくらいに。


榊は戸に手を掛けた。


負ける未来を知っている。

だが、勝つ方法を知っているわけじゃない。

あるのは、負け筋を少しだけ減らせるかもしれないという希望と、いまこの時代で動ける自分の手だけだ。


それでも、何もしないよりはましだ。


榊恒一は戸を開けた。


真空管の時代の戦場は、まだ海の上だけにはなかった。

工場にも、研究室にも、会議机の上にも、すでにそれは始まっている。


そして彼は、その最前列に立たされようとしていた。

初めて小説を書いてみました。

2026年のエンジニアが、1941年の真空管しかない世界に放り込まれたらどうなるのか。

派手なチート能力はありませんが、現代の「考え方」と頭の中の“声”だけを頼りに、泥臭く歴史の負け筋を潰していく物語を書いていきたいと思っています。

専門用語も少し出てきますが、技術屋の意地や現場の泥臭さを楽しんでいただけたらうれしいです。

続きも頑張りますので、よろしくお願いします。

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