第9節 押し寄せる「生の苦しみ」と、再来するおつまみ 尊との距離が近づくたびに感じる戸惑い。結衣の不安を、再びおつまみが優しく吸収する。
第9節 押し寄せる「生の苦しみ」と、再来するおつまみ 尊との距離が近づくたびに感じる戸惑い。結衣の不安を、再びおつまみが優しく吸収する。
しかし、そんな順風満帆な状況の中でも、結衣の心には小さな波紋が広がっていた。
尊が自分に向ける視線が、単なる「契約相手」へのそれから、熱を帯びたものに変わってきている。
不意に手が触れた時の、心臓の跳ね。
優しく名前を呼ばれた時の、喉の奥の熱さ。
(……これは、困ります。私は、ただの図書委員でいたいのに)
恋愛。それは、他人と深く関わることで生じる「存在の苦しみ」の最たるものだ。
期待し、不安になり、一喜一憂する。
結衣は、自分の心が「今ここ」から離れて、未来や過去の不安に振り回されることに、強いストレスを感じていた。
一人になった図書室。
結衣が胸を押さえて座り込んでいると、ふわり、と空気が揺れた。
「あ……おつまみさん」
目の前に、例の毛むくじゃらが現れた。
おつまみは、結衣の心から漏れ出している「恋の煩わしさ」を、綿あめを食べるようにパクパクと吸い込んでいく。
『……生老病死、そして愛別離苦。愛する者と別れることも、愛したくない者と関わることも、すべては命という流れの一部だ』
おつまみのイメージが脳内に響く。
『老いることも病むことも、変化という再生の過程に過ぎない。抗うな。今この瞬間の、戸惑っている自分さえも愛せ。お前の魂はどこへも行かないが、命の流れは常に新しく生まれ変わっているのだ』
その言葉とともに、結衣のパニックが鎮まっていく。
(……そうです。このドキドキも、不安も、ただの「現象」なんですね)
エネルギーの循環。
今の自分という形が崩れても、それは新しい何かに繋がっていく。
そう考えれば、尊への想いに怯える必要も、無理に否定する必要もない。
結衣は深く息を吐いた。
おつまみは満足げに、結衣の膝の上で丸くなった。
その温かさは、まるで実体のない「現世の救い」のように結衣を包み込む。
「ありがとうございます。私、もう少し、頑張らないで頑張ってみます」
結衣の佇まいは、再び凛とした、聖女のような静謐さを取り戻した。




