表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/25

第5節 偽りの契約と、保留された答え  「一番安全な女」として契約結婚ならぬ契約恋人を申し込む尊。結衣は「答えを決めない」ままそれを受諾する。

第5節 偽りの契約と、保留された答え  「一番安全な女」として契約結婚ならぬ契約恋人を申し込む尊。結衣は「答えを決めない」ままそれを受諾する。


「私と、契約を結ばないか」


 尊の言葉に、結衣はパチリと瞬きをした。

 契約。

 その響きは、この平穏な図書室には似つかわしくない。


「具体的には、どのようなことでしょうか?」

「私の『恋人』のフリをしてほしい」


 尊は淡々と続けた。

 麗華をはじめとする有力者の令嬢たちからの執拗なアプローチ。

 親たちが勝手に進めようとする政略結婚の打診。

 それらをすべて遮断するための「盾」が欲しいのだという。


「君なら、私に何も求めてこないだろう。権力も、金も、愛さえも。君はこの学園で最も権力欲がなく、私にとって最も『安全な女』だ」


 普通なら、屈辱的だと怒るかもしれない。

 あるいは、玉の輿のチャンスだと狂喜乱舞するかもしれない。

 だが、結衣の胸に現れたのは、小さな戸惑いだけだった。


(……恋人。それは「生」の営みの中でも、特に煩わしいものの一つじゃないのかな)


 すると、結衣の足元に、再び「おつまみ」が姿を現した。

 おつまみは、結衣のふくらはぎにスリスリと体を寄せ、イメージを送る。


『良いではないか。物事の善悪、損得など「答えを決めない」まま保留しておくのも、一つの知恵だ。流れるままに、その波に乗ってみるがいい』


「……無記むき、ですね」


 結衣は小さく呟いた。

 物事の結果を今すぐ出そうとせず、ただ状況を受け入れる。


「分かりました、御影様。私であなたの平穏が守られるのであれば、お引き受けします」

「……いいのか? 私と関われば、君の日常は激変するぞ。非難も浴びるだろう」

「他の方の評価は、私の心の持ちようには関係ありませんから」


 結衣は微笑んだ。

 それは、聖女のような慈愛に満ちた、だが同時にすべてを悟りきったような不思議な微笑みだった。


「ただ、条件が一つあります」

「……なんだ? 金か?」

「いいえ。……放課後のこの時間は、今まで通り図書室で、本を直させてください。私のこの『雑用』を、邪魔しないと約束していただけるなら」


 尊は目を見開いた。

 自分の価値よりも、古い本を直す時間を優先する女。


「……ああ。約束しよう」


 こうして、学園の絶対王者と、最底辺の特待生による、前代未聞の「契約」が成立した。

 

 結衣は気づいていなかった。

 彼女が手に入れた「自分軸の確立」が、これから学園のガチガチに固まった階級制度を、根底から崩壊させていくことになることを。

 そして、冷徹な王者の心が、彼女の「透明な優しさ」によって、修復不可能なほどに奪われていくことを。


 おつまみは、結衣の足元で満足げに一回転すると、また空気の中に溶けて消えていった。


「……さて、続きを始めましょう」


 結衣は再び、和紙と糊を手に取った。

 新しい運命の歯車が回り始めた音は、ページをめくる音の中に、静かに紛れていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ