第九十一話 残響の風
翌朝。
切ノ札学園の空は、どこか沈んで見えた。
つい昨日まで文化祭の熱気で溢れていた校舎が、今はまるで誰かの息を潜めているかのように静まり返っている。
B組の棟は白い結界膜で覆われ、封印局の立入禁止標識が並んでいた。
生徒たちは「実験機材の暴走による事故」と説明を受け、詳細は伏せられている。
けれど、誰も信じていなかった。
あの夜、確かに何かが“消えた”ことを、誰もが知っていたからだ。
A組の教室は一時的に移動され、今は特別対策部室がそのまま教室代わりとなっていた。
壁の端末が点滅し、警告ランプがわずかに明滅を続けている。
風悪は登校途中、ふと立ち止まった。
頬をかすめる風の流れが――どこか歪んでいた。
耳を澄ませば、風の中に声が混じっている。
『……たのしかった……ね……』
それは確かに、ユイの声だった。
あの夜、封印の光に飲まれて消えたはずの少女の。
風悪は空を見上げる。
風が笑っているように、かすかに揺れた。
その横で、黒八が心配そうに彼を見つめていた。
「風悪君……」
風悪は我に返り、小さく息を吐いた。
「……平気」
そう言いながらも、その声には少しの震えがあった。
同じ頃。
ⅩⅢ監視棟では、宮中潤が監視端末の前に立っていた。
画面には、封印結界の波形データが映し出されている。
「……“-02y”反応、完全沈黙。」
宮中は低く呟き、手元の端末を切り替える。
代わりに、別のグラフが跳ね上がる。
「これは……“-02”?」
画面上の波形が、微かに震えていた。
沈黙していた“魔”――本体因子が、動きを見せている。
「“魔”が少しずつ動き出している……のか?」
宮中は眉を寄せ、マスクの奥で息をつく。
彼の視線の先、光の粒が揺れていた。
封印されたのは“模造”だけ――本物は、まだ沈黙の底で蠢いている。
一方その頃、A組(特別対策部室)
机の上には、未だに文化祭の残骸――使いかけの装飾、割れたガラス細工、焼けたコード。
昨日までの笑い声が幻のように遠い。
「東風たち……悪い子じゃなかったのに……」
妃の悲痛な声が、静まり返った室内に響いた。
その肩を、三井野がそっと抱いた。
「大丈夫……きっと、また」
言葉を探して、彼女はそこで口をつぐむ。
四月は壁際で腕を組んだまま、淡々と呟いた。
「封印指定第七級。その場しのぎにしかならん。」
感情を交えない声音。
それでも、どこか悔しさのようなものが滲んでいた。
五戸は机を拳で叩いた。
「……消えてないってわけね。ユイ。」
誰も何も言い返せなかった。
B組――。
ほんの少し前まで、笑って競い合っていた隣のクラス。
文化祭での売り上げ勝負も、くだらない言い合いも。
そのすべてが、もう手の届かない場所にある。
沈黙が訪れた。
風の音さえ、どこか遠くで泣いているように感じられた。
重い沈黙の中、夜騎士がぽつりと呟いた。
「ユイは“魔”の模造品……。
ユイでこれなら、“魔”そのものを相手にしたら、どうしたら良いんだろうな」
その言葉は、誰の胸にも沈んだ現実を突きつける。
机の上の蛍光灯の光がわずかに揺れる。
王位が静かに口を開いた。
「ⅩⅢが何もしてこなかったわけがない。
つまり……」
彼の言葉を受けて、四月が淡々と続けた。
「ああ、打つ手がないんだ」
短いが、決定的な一言だった。
封印も制裁も行える世界最大の異能組織――それがⅩⅢ。
だが、そのⅩⅢですら、“魔”には届かない。
教室の空気が沈み、誰もが言葉を失う。
二階堂は思いつめたように俯き、その手を震わせた。
その手を、七乃がそっと握る。
「大丈夫ですわ……」
七乃の優しい声が、少しだけ空気を和らげた。
辻も静かに下を向き、風悪はただ考えを巡らせていた。
どうすれば届くのか。
どうすれば、平和な日常を取り戻せるのか。
ただひとり、六澄だけが変わらぬ無表情で静観していた。
まるで、すべてを見通しているように。
その時、教室のドアが開く音がした。
黒いコートを羽織り、マスクをつけた宮中潤が入ってくる。
「B組のことはⅩⅢに任せておけ」
低く、しかし穏やかな声だった。
その眼差しには、教師としての苦悩と、生徒を思う優しさが同居していた。
「お前たちはお前たちの生活がある。
……それを、忘れるな」
黒いマスクの下から紡がれるその言葉には、重みがあった。
宮中にも思うところはある。
だが今、彼が願うのは――生徒たちが前を向いてくれること。
誰もすぐには返事をできなかった。
けれど、その沈黙を破ったのは黒八だった。
「皆さん! 直ぐにとは言いません!
でも……B組の分も、私たちは生きましょう!」
その声はまっすぐで、教室の隅々まで響いた。
夜騎士が苦笑しながら立ち上がる。
「……そうだな。体育祭、学校対決だもんな。
B組の分も、活躍してやろうぜ」
その言葉に、空気が少しだけ軽くなった。
鳩絵が勢いよく手を挙げる。
「かじかは、応援旗描きます!」
その明るい声に、教室の隅から笑いがこぼれた。
誰もがまだ心に傷を抱えていた。
けれど、ほんの少しだけ――前に進もうとしていた。
風悪は窓の外を見上げる。
結界の向こうで、風がゆるやかに揺れていた。
――風は、止まらない。
消えてしまったものの想いを運びながら、今日もまた、どこかで笑っている。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




