第九十話 封印指令
――夜。
切ノ札学園の空は、月を覆う雲に沈んでいた。
風も鳴らず、街灯の光だけが冷たく地面を照らしている。
その静寂を破るように、一台の黒い車両がⅩⅢ監視棟の前で止まった。
ドアが開き、長い裾を引く黒衣の女性が現れる。
封印局長――コードネーム《封獄の番人》。
全身を黒の封印装束に包み、目元まで覆う深いヴェール。
その存在だけで、空気が数度下がったように感じられる。
彼女はⅩⅢ内でも数少ない、“空間固定”の異能保持者だった。
音もなく足を進め、監視棟の自動扉が開く。
中では、宮中潤と四月レンが待機していた。
封印局長は一言の挨拶もなく、机上の端末に手を置く。
彼女の指先から、淡い封印光が広がり、複数のホログラムが立ち上がった。
「――作戦を開始する」
その声は、氷のように冷たく、静かだった。
「対象“-02y”および感染範囲内生体――
封印指定第七級。
切ノ札学園・一年B組。封鎖、制圧、消去を実施する。」
その言葉に、宮中が一瞬だけ眉を動かした。
彼の手に握られた資料が、かすかに震える。
「B組を……“もろとも”にするのか。」
その呟きには、教師としての迷いが滲んでいた。
だが、封印局長は表情ひとつ変えずに言い放つ。
「命令は絶対。十三部の情も、教師としての情も不要。」
無慈悲な宣告。
その場にいた誰もが、息を呑んだ。
四月は黙ってデータを確認し、やがて短く言った。
「……了解。封印局の作戦に合わせて、A組へ連絡を入れる。」
淡々とした口調の裏で、その瞳にはわずかな迷いが光った。
その連絡は、すぐに特別対策部室へ届いた。
――『B組封印指令、発令。』
短い通信が届いた瞬間、空気が一変する。
怒りと驚愕が混ざり合い、教室はざわめきに包まれた。
夜。
特別対策部室には、一年A組が勢ぞろいしていた。
蛍光灯の光が机に反射し、誰もが険しい表情をしている。
「封印局が動いた以上、オレたちは従うしかない」
夜騎士が低い声で言った。
その言葉に、妃が椅子を蹴って立ち上がる。
「冗談じゃない! B組ごと消されるなんて、納得できるわけない!」
その怒りは真っ直ぐだった。
だが、誰も反論できなかった。
「……確かに命令は絶対だが、今は時間を稼ぐしかない。」
王位の言葉は穏やかだったが、どこか寂しげでもあった。
彼もまた、命令の重さを知っている。
辻が壁にもたれ、苦笑まじりに言う。
「“封印”ってことは、一時的な措置ってことだよね?
殺すわけじゃない……よな?」
その問いに、誰も答えられなかった。
一ノ瀬が席を立ち、静かに手を広げる。
白い菌糸が床を這い、遠くの精神波を探っていく。
数秒後、彼女はスマホに文字を打ち込んだ。
『……心が、泣いている?』
その一文に、五戸が息を荒げる。
「泣いてる? そんなわけないでしょ……あいつが?」
声が震えていた。
黒八が五戸の肩に手を置く。
「五戸さん、落ち着いてください。」
しかし、その優しい声も、教室の緊張をほぐすことはできなかった。
沈黙の中、風悪がゆっくりと立ち上がる。
翅が微かに光を帯びる。
「ユイは“模造”された存在だ。
それなら、きっと造られた理由がある。
……話を、聞かせてほしい。」
その瞳には迷いがなかった。
「風悪君……!」
三井野の声が届く前に、風悪はドアを開けていた。
誰も止められなかった。
誰も、彼を止める言葉を見つけられなかった。
風悪はただひとり、夜の学園へと歩き出す。
封鎖が始まろうとしているB組の校舎へ。
その先に――“願い”の模造品、ユイが待っている。
――B組の教室はすでに、“空間固定結界”で覆われていた。
時計の針は止まり、風だけがわずかに流れている。
まるで時間が呼吸を止めたような静寂。
B組の生徒たちは机に座ったまま、動かない。
瞳には光がなく、まるでガラスの奥に閉じ込められた人形のようだった。
教壇の中央に、一人の少女が立っている。
白い髪、薄紅の瞳。
その笑顔は、どこまでも穏やかで――どこまでも痛々しかった。
「来てくれると思っていました。
だって、あなたは“同じ”ですもの」
ユイの声は柔らかく、けれどその響きは冷たい水面のように静かだった。
風悪は、足音を立てずに前へ進む。
その瞳に宿るのは怒りでも恐れでもない――理解しようとする意志。
結界の外から声をかけた。
「……お前を作ったのは、誰だ?」
その問いに、ユイは一度まばたきをし、ゆっくりと微笑む。
「私を作ったのは、人間。
あなたもそうでしょう? ――人工妖精さん。」
その瞬間、教室の壁に淡い光が走る。
まるでそれに呼応するように、周囲の空間が揺らいだ。
光が像を結び、記憶が投影される。
白い研究室。
試験管に並ぶ液体、沈む影。
無機質な音が続く中、一人の少女が立っていた。
白衣の群れが“失敗作”と呼ぶ声。
機械の冷たい音。
少女の手が震え、瞳の奥に「願い」が灯る。
――“消えたくない”
その一念だけが、彼女をこの世界につなぎ止めた。
映像が途切れ、ユイの声が響く。
「私は、“誰かに選ばれたかった”。
ただ、それだけ。
誰かの願いを叶えれば、誰かの世界にいられると思ったの」
その声は震えていた。
強がりでも皮肉でもなく、幼い祈りのような響きだった。
風悪は拳を握りしめ、低く問う。
「……だから、他人の魂を奪ってまで?」
ユイはゆっくりと首を振る。
笑顔のまま、涙だけが頬を伝った。
「そうしなければ、私は消えてしまう。
“願い”が途切れたら、存在も途切れるから」
風悪の翅がふっと光を帯び、風が教室を通り抜けた。
紙が舞い上がり、机の上の埃が光の粒となって漂う。
その風に触れたユイが、驚いたように目を細めた。
そして、ほんの少しだけ――優しい笑みを見せた。
「ああ……これが“風”……。
やっぱり、あなたは優しい。
だから、わたしも“風”になりたかったの」
静かに、ユイの瞳が閉じる。
その瞬間、外の空間で封印局の通信が入る。
「――封印作戦開始」
監視棟からの指令が発動され、空が裂けるように白光が走った。
結界が振動し、校舎全体を包み込む。
風悪は思わず手を伸ばした。
ユイの姿が崩れ、光の粒となって消えていく。
彼女は最後まで、穏やかな笑みを保っていた。
「体育祭、出てみたかった……な」
その小さな呟きが、風に乗って消える。
次の瞬間、校舎全体が閃光に呑まれた。
――封印、完了。
音も、風も、すべてが消えた。
残されたのは、白い静寂と、ひとり立ち尽くす風悪だけ。
風は、もう吹いていない。
それでも彼の翅は、かすかに震え続けていた。
まるで、まだ“誰か”がそこにいるように――。
解決編はその後描きますのでしばしお待ちください。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




