第八十六話 願いの残響
五戸このしろが、それを見つけたのは――まだ小学生の頃だった。
夕暮れ、通学路の途中にある、さびれた神社。
参道には落ち葉が積もり、鳥居の朱はすでに色あせていた。
人の気配など、もう何年も絶えているような場所。
その石段の上に、男が一人、倒れていた。
「……え」
五戸は思わず駆け寄り、水筒を取り出した。
冷たい水を口元に運ぶと、男はゆっくりと目を開ける。
「……ここは?」
かすれた声。
五戸は眉をひそめた。
「何、あんた。不審者?」
冗談まじりに言いながらも、彼女の手は警戒していた。
だが男は、まるで記憶を失っているように、茫然と辺りを見回すばかりだった。
「名前は?」
五戸の問いに、男はしばらく黙り込み――やがて、困ったように首を振った。
「思い出せない」
五戸はため息をつき、ふと男の手元に目をやる。
そこには古びた金属のプレートが握られていた。
――“六澄”と刻まれている。
「ろく……すみ? 違うか、むすみ……?」
五戸は文字を読み上げる。
男はしばしそれを見つめ、薄く笑った。
「……どうせなら、君が付けてくれ」
「え?」
「名前を。どう呼ばれても、構わない」
その声音には、奇妙な静けさがあった。
五戸は少し考えてから、口を開く。
「私が、このしろだから――じゃあ、“六澄わかし”で!」
思いつきのように言った言葉だった。
けれど男はその名を一度繰り返し、穏やかに頷いた。
「……六澄、わかし。いい名だ」
それが、二人の最初の出会いだった。
それから、五戸はよくその神社へ通うようになった。
六澄はいつも同じ場所に座っていた。
人を寄せつけない静けさの中に、不思議な安心感があった。
中学に上がっても、それは変わらなかった。
ある日の放課後。
五戸はいつものように神社に立ち寄り、石段に腰を下ろす。
「最近さー……友達の様子が変なんだよね」
ぽつりとこぼすように話し出す。
「……変?」
六澄が首を傾げる。
「なんか、避けてるっていうか……」
五戸は俯いた。
友達と喧嘩をしたこと、そのあと仲直りしたのに、
なぜか次の日から目を合わせてくれなくなったこと――
そのすべてを、ぽつぽつと語った。
「仲直りしたあの日、お祭りに行ってさ。
“願いの札屋”ってのがあったんだけど……」
五戸は空を見上げる。
淡い夕陽が鳥居の向こうに沈みかけていた。
「私はうさんくさいなーって思って、遠くから見てた。
でも、その子は嬉しそうにしてたっけ……。
次の日から避けるようになったんだよね。なんでだろ」
「……人というのは、予想がつかないものだ。
だからこそ、面白い」
六澄がぽつりと呟いた。
どこか現実味のない声だった。
「なにそれ」
五戸はため息をつき、膝を抱えた。
それでも、なぜか彼と話していると落ち着いた。
沈みゆく陽の中、六澄は小さく笑う。
「このしろと居れば、楽しいものが見られる気がする」
「ん?」
五戸が顔を上げたとき、
六澄はもう視線を遠くに向けていた。
その呟きは、風にかき消され、
誰の耳にも届かなかった。
そんなある日。
放課後の校舎裏で、五戸は信じられない光景を見た。
友達が――武器を構えていた。
向かい合うのは、同じクラスの別の生徒。
互いに異能を発動しながら、まるで戦場のように火花を散らしていた。
「勝って、魂を集めれば、願いが叶うの!」
「わたしだって……願いを叶える!」
ふたりの叫びが、鋭い音と共に響く。
五戸は慌てて手を伸ばした。
伸びた縄のような異能が、ふたりの身体を縛りつける。
絡みつく黒い縄が動きを封じ、武器が床に落ちた。
「このしろちゃん! 離して!」
「どうしたのよ、あんた……!」
五戸はただ呆然と、友の瞳を見つめた。
その瞳は、もう彼女の知る友達のものではなかった。
「あの札屋の店主の声がしたの!
この武器に魂を集めたら、願いを叶えるって!」
「願いを……?」
五戸の心臓が、冷たく跳ねた。
それがどんな“願い”なのか、確かめるのが怖かった。
「もう、喧嘩なんてしたくない! 一人は嫌!」
友の叫びは、あまりにも人間らしかった。
誰かと繋がっていたい――ただ、それだけの想い。
それが“願い札屋”に利用されたのだ。
そこへ、ゆっくりと六澄が現れた。
風も音も止まる。
「……魔に似た因子を感じるな」
低い声で彼は言う。
「魂狩りをし過ぎた。もう、そいつの魂は濁り切っている」
「え……」
五戸の友は、すでに人を殺し過ぎていた。
その魂は黒く染まり、もう戻ることはない――そう六澄は淡々と告げた。
「そんな……助からないの?」
五戸は懇願するように見上げる。
しかし六澄は、ただ静かに答えた。
「ここまで来たら、もうただの殺人鬼と化し、狂気をばらまくだけだ」
その言葉が、心に突き刺さった。
どうして彼がそんなことを知っているのか――
そんな疑問を抱く余裕は、今の五戸にはなかった。
ただ、目の前の友を止めなければならなかった。
五戸は考え、迷い、そして――決断した。
「……ごめん」
その一言だけを呟き、
自らの異能の縄を強く握りしめた。
締め付ける光が走り友を吊るしあげた。
友の身体から力が抜けていく。
静寂。
涙は出なかった。
ただ、冷たい風が頬を撫でた。
「……五戸」
六澄の表情は変わらなかった。
その声も、いつも通りの無機質さを保っていた。
五戸は俯いたまま、小さく言った。
「私が背負う。
そして、こんなふうにした犯人を――許さない」
その決意の言葉が、闇に溶けて消えていった。
それからの五戸は、友の形見のリボンを身につけ、札屋を探し続けた。
だが手がかりは掴めないまま、時間だけが過ぎていった。
心の隙間を埋めるように、彼女はスマホのゲームにのめりこんだ。
最初は無料分で遊んでいた。
だが少しずつ、それでは足りなくなった。
気づけば課金が日常になっていた。
「……こんなことをしても、過去は取り消せない」
夜の部屋で、独りごとのように呟く声。
誰も返事をしない。
画面の中で輝く数字だけが、彼女を慰めていた。
そんなある時、隣のクラスから一人の少女が現れた。
髪を揺らし、言葉の代わりにスマホを差し出す。
画面には、一文だけ。
――『私と一緒に、魔を追わない?』
一ノ瀬さわら。
その名を、五戸はこの時初めて知った。
彼女は迷わなかった。
頷き、その提案を受け入れた。
あの日の後悔を、ようやく形にできる気がした。
高校進学の春。
五戸は再び、あの神社を訪れた。
そこには今も、六澄が座っていた。
「ねえ、あんたも高校、来なよ」
退屈そうに空を見ていた六澄が、五戸を一瞥する。
「高校……か
このしろの周りは、楽しいものが見られそうだ」
そう言って、彼は立ち上がった。
その顔には、相変わらず感情の色がない。
それでも――五戸はどこか、嬉しそうに微笑んだ。
春風が、ふたりの間を通り抜けていった。
桜の花びらが散り、
新しい時間が、また動き出していく。
鰆・鮗・鰍
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




