第七十八話 背負う者たち
「四月の……過去……」
風悪は夢を見ていた。
群集熱が形を変え、世界を包むその中で、彼はただ立ち尽くしていた。
見渡す限りの闇。
その奥で、子供たちの声がこだまする。
「生きたい……」
「生きたい、生きたい、生きたい、生きたい――!」
無数の声が重なり、渦となって吹き荒れる。
風悪は耳を塞がなかった。
痛みも、恐怖も、そのすべてを受け止めようとした。
(これが……四月の、過去……)
胸の奥に何か熱いものが込み上げた。
あの冷静な彼女が、なぜあそこまで強くなれたのか。
なぜ“悪”を選んででも人を守ろうとしたのか。
その理由が、今なら分かる気がした。
風悪はゆっくりと目を閉じ、呟く。
「……生きたかったよな」
風が揺れた。
彼の頭の透明な翅が光り、柔らかな風が夢の中に広がる。
群集熱が生む黒い靄を、優しく包み込むように。
「オレも、背負うよ――四月」
その声は祈りのように静かで、
夢の底を流れる“痛み”さえも穏やかにした。
* * *
現実――。
四月レンは動きを止めていた。
群集熱によって生まれた夢の中に囚われ、
過去の記憶を繰り返し見せられていた。
苦しみ、怒り、絶望。
それでも彼女は立ち上がろうとしていた。
そこへ歩み寄る白衣の女――久遠礼巳。
「これが、お前の限界だよ。
群集熱の夢は、心を焼く。理性も意志も奪う。
……邪魔者は消す。私たちは還る」
久遠の声が冷たく響いた、その瞬間だった。
――風が吹いた。
優しい風。
夢を撫で、靄を散らすような、穏やかな風だった。
どこからか、声が届く。
「オレも、背負うよ――四月」
その声に、四月の瞳が開く。
「……風悪」
一言、名を呼び、顔を上げる。
雷光が走った。
次の瞬間、四月の姿が閃光と共に消え、久遠の懐に飛び込んでいた。
蹴撃。
久遠の身体が宙を舞い、壁を砕いて吹き飛ぶ。
血飛沫が散る。
「馬鹿な……!」
久遠が血を吐く。
背後の研究員たちが慌てて端末を操作した。
装置が唸りを上げ、風と群集熱が再び流れ込む。
久遠の身体が紅い靄に包まれ、形を変えていく。
肌が裂け、指先が枝のように伸び、骨が蠢く。
「外の風……制御可能……!
これで、我々は“完全な理”へ還る!」
その歓喜を、雷が貫いた。
だが、弾かれた。
靄が雷を散らし、久遠の身体はさらに膨張していく。
「ったく……お前に“背負える”わけねぇだろ」
四月は小さく悪態をつくと、袖の中から一本のペンを取り出す。
静かに、自分の左腕アームカバー越しに突き立てた。
血が滲む。
流れ出た赤に電気を通す。
滲む血が電流を帯び、白い光を紅く染め上げる。
流れた血が、刃の形を取る。
夜騎士の“影装の大鎌”を思わせる、紅と雷の融合。
「――終わりだ」
一閃。
光が走る。
久遠の無数の腕が四月を包もうとした瞬間、紅い刃がそれを断ち切った。
鎌が風を裂き、雷鳴が響く。
斬撃が久遠の身体を貫いた。
「無駄なことを……!」
彼女は形を変えながら再生した。
その瞬間、四月は鎌の形状を解除し、
自らの血を久遠の体内に溶かし込む。
「な……何を――」
「毒だよ」
その声には冷たさも怒りもなく、
ただ、静かな哀しみがあった。
身体が膨張し、内側から崩壊していく。
靄がちぎれ、目が濁り、再生が止まる。
毒。
彼女の血は、毒耐性の特異体質を昇華させ、毒を生成するほどに至っている。
当然、彼女血は毒の塊。
「……取り込んだ風は、言うことを聞いたか?」
群集熱、風悪の風。
久遠には制御できるはずもなかった。
「お……のれ……」
最後に吐き捨てるような言葉を残し、
久遠礼巳の身体は音もなく消えた。
魔にも堕ちず、神にも還らず。
ただ――空気に溶けるように。
四月は大きく息を吐いた。
風が吹く。
優しい風。
その風の中で、
彼女は小さく呟いた。
「……ありがとう」
その声は微笑のようで、
祈りのようでもあった。
風悪が目を開けたとき、そこは現実だった。
夢の群集熱は消え、紅の靄も跡形もない。
ただ、焦げたような匂いと、冷たい風だけが残っていた。
「……戻ってきたのか」
息を整える間もなく、前方に人影が動く。
流影。
模唱異能者であり、一条会の信者のひとり。
「……しまっ――」
反応が遅れた。
流影の掌が伸びる。
その刹那、風悪の身体が咄嗟に硬直した。
影の槍が眼前に迫る。
だが――届かなかった。
黒。
世界が、一瞬で黒に染まった。
空気が沈み込み、光が吸い取られる。
「……っ!?」
風悪が息を呑む。
目の前で、流影の身体が闇に呑まれていく。
叫び声が、まるで遠くの井戸の底から聞こえるように微かだった。
「た、たすけ……!」
その声も、やがて掻き消える。
闇の奥へ、完全に引きずり込まれた。
「この先は、真っ暗な闇だけだ」
低く、冷ややかな声。
振り向いた風悪の視線の先に、六澄わかしが立っていた。
黒い闇の中心に、彼の姿は異様なほど静かだった。
その瞳には光がなく、感情の欠片さえ見えない。
「六澄……」
風悪は言葉を失った。
その声の冷たさ、その佇まい。
人間らしさが、まるで感じられない。
六澄は淡々と、地面に手を下ろす。
闇が波のように広がり、残っていた影たちを飲み込んでいく。
「今回は、近くで見られてよかった」
ぽつりと零れた言葉。
風悪の胸がざわついた。
“見られてよかった”――
それはまるで、あいつのような言い方だった。
黒い妖精――ラウロス。
その姿が、風悪の脳裏を過った。
「……どうした?」
六澄が振り返る。
感情のない声。
ただ、淡々と観測者のように問う。
「お前……まさか……」
風悪が言いかけた瞬間、六澄が再び口を開く。
「残党が残っている。片付けよう」
それだけを言い、闇を走らせる。
地面を這う黒が、影のように残敵を飲み込み、跡形もなく消していった。
沈黙。
そして静寂。
風悪はその背中を見つめ続けた。
六澄の放つ闇は、敵を消し去るためのものではない。
もっと深く、もっと異質な“何か”のために存在している――
そんな気がしてならなかった。
(六澄……お前はいったい、何なんだ……)
風悪は息を詰めたまま、彼の姿を見つめる。
六澄は振り向かず、闇の奥へと歩いていった。
その足跡は音もなく、風だけが吹き抜けた。
こうして、ひとつの戦いは終わった。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




