第七十六話 地獄の訓練
「みんな、静かにー!」
体育館に五百人の子供たちが整列していた。
緊張と期待が入り混じった空気の中、
壇上に立った若い男が、満面の笑みで語り始める。
「今日から君たちは、ⅩⅢに入るための訓練と学習を積んでもらいます。
三年間、共に頑張りましょう」
校長先生の挨拶のような柔らかい声だった。
それでも、男の瞳の奥には冷たい光が宿っていた。
子供たちは胸を弾ませ、歓声を上げる。
「ⅩⅢになれる!」
「ヒーローになるんだ!」
夢と希望に満ちた声が体育館を包み込んでいった。
四月レンだけが、静かにその光景を見ていた。
笑う子供たちを、まるで別の世界の出来事のように。
(訓練、か……実験の間違いだろう)
心の中でそう呟く。
午前は移動と説明会、昼は部屋割り。
慌ただしく過ぎた初日。
夕方には、全員がそれぞれのクラスに振り分けられていた。
廃校を改修したとはいえ、建物は古く、
どこか湿った匂いがした。
「今日は初日ですから、訓練は明日からにしましょう」
昼の男が笑顔でそう告げる。
その夜、子供たちの夕食はカレーだった。
食堂にスパイスの匂いが立ちこめ、皆が歓声を上げた。
「いただきます!」
スプーンを手に取った四月レンは、
ひと口目を口に運んだ瞬間――眉をひそめた。
(……味が違う。これは……)
舌の奥に、金属のような苦み。
喉の奥が焼けるような違和感。
「何入れた!」
思わず立ち上がって叫ぶ。
周りの子供たちはきょとんとした顔をしていた。
男は一瞬だけ目を細め、笑った。
「何も。いいから、残さず食べなさい」
その声音には、微かな“圧”があった。
四月は反論できなかった。
まだ十歳にも満たない。
力の差を、嫌というほど感じていた。
(……やはり、味が変だ……過去視も……不安定……)
過去視を持っているとはいえ、まだ子供時代。
上手く発動するとは限らなかった。
カレーの中、かすかに揺れる“黒い影”――
それが何を意味するのか、まだ分からなかった。
夕食後、四月は職員室に呼び出された。
待っていたのは、先ほどのⅩⅢの男だった。
机の上には、三つの透明なコップ。
「飲み比べてみてほしい」
男は穏やかに微笑んだ。
「入っているのは少量の砂糖や塩だけだから」
四月は警戒しつつも、それぞれを口に含んだ。
微妙な舌触り、わずかな渋み。
そして最後の一口――鼻を刺すような刺激。
「……これ、何を混ぜた?」
「毒、だよ」
「なっ……」
四月の喉が凍りつく。
男は笑いながら続けた。
「死にはしない。君たちを“鍛える”んだ。
異能の制御には、限界を超える経験が必要だからね」
「何が鍛えるだ! これはただの――」
「いいかい、これは私と君の秘密だ」
男の目が、鋭く光った。
その圧に、四月は声を失った。
教室へ戻ると、数人の子供が机に突っ伏していた。
「うう……気分悪い……」
「食べすぎたのかな……」
「違う!」
四月が叫んだ瞬間、男の冷たい視線が突き刺さる。
“言うな”――そう言っていた。
翌日。
再び四月は職員室に呼ばれた。
「君にはこれを飲んでもらう」
小さな錠剤。
「飲んでくれれば、他の子たちへの毒の投与はやめてあげよう」
四月は迷いながらも、頷いた。
「……わかった」
彼女の中に“罪悪感”が生まれた瞬間だった。
それからの日々。
毎朝、彼女だけが小さな錠剤を手渡された。
他の子供たちは不思議そうに見ていた。
「四月さん、顔色悪いよ?」
「大丈夫」
そう答える声に力はなかった。
「いいなー、いつも特別扱いで」
「それ、なに飲んでんの?」
ある日、ひとりの男子が手を伸ばした。
「やめて、それは――!」
四月が止める間もなく、
男の子は錠剤を口に放り込んだ。
数分後、彼は苦しみ始めた。
訓練中――ナイフ術の授業中。
「うわっ!? 倒れた!」
「先生っ!」
四月は直感した。
あの薬だ。
自分の代わりに、彼が飲んだ毒だ。
保健室に運ばれた少年は、
そのまま息を引き取った。
「……いけませんね。人のものを勝手に取るなんて」
ⅩⅢの男は、笑いながら言った。
四月は拳を握り締めた。
(こんなの……英雄じゃない)
その日、彼女の中で何かが確かに壊れた。
翌週から、“訓練”はさらに苛烈になった。
毒に耐える訓練、異能の発動限界を測る負荷実験。
感情を抑え、命令だけで動けるよう矯正される日々。
泣く子、叫ぶ子、静かに壊れていく子。
「異能の制御には、痛みが必要だ」
そう言って、男たちは笑っていた。
誰も助けに来ない。
誰も止めない。
四月は、その地獄の中でただひとり、
生きることを選んだ。
――こうして、地獄の訓練が始まった。
* * *
雨が降っていた。
灰色の雲が山を覆い、施設の屋根を無慈悲に叩く。
子供たちは次々と体調を崩していた。
腹を押さえ、吐き気をこらえ、床に倒れ込む。
だが、誰も助けに来ない。
「自力で立てない者は不要だ」
それが教官の答えだった。
ある時は、電極を腕に刺され、電流を流された。
悲鳴が響いた。
それでも、誰も止めない。
ある時は、魔物と戦わされた。
未熟な子供たちは為す術もなく倒れ、
何人もがその場に崩れ落ちた。
またある時は、本物の刃物を持たされた。
仲間同士で斬り合う“模擬戦”。
泣き叫ぶ声、金属のぶつかる音。
血の匂いが、教室を満たした。
――それでも、誰も助けない。
怪我をしても、泣いても、
再起不能なら「処分」された。
「必要な子しか、要りません」
淡々と告げる男の声が、
今も四月の耳に残っている。
子供たちは一人、また一人と消えていった。
初日の笑顔など、もう誰も覚えていない。
今はただ泣き叫び、家に帰りたいと願う声だけが響く。
けれど――帰る家など、もうどこにもなかった。
四月レンも苦しんだ。
だがそれは、自分の痛みのためではなかった。
他人の痛みを、
まるで自分のことのように感じてしまう――それが彼女の業だった。
毒で苦しむ子がいれば、自分も腹を押さえ、吐いた。
怪我をした子がいれば、同じ場所に鈍い痛みを覚えた。
電気に耐えられない子がいれば、一緒に涙を流した。
彼女の異能〈過去視〉は、
他者の“記憶”さえも覗き込んでしまう。
痛み、恐怖、死の予感――それらすべてが四月の心を焼いた。
(私が、守れなかった……)
自分を責め続けた。
責めて、責めて、責め抜いた。
一年が経つ頃には、
五百人いた子供たちのうち、ほとんどが消えていた。
脱走を試みた者は、例外なく“処分”された。
「どうして……あの子たちが、何をしたっていうんだ……」
四月の言葉は、ただの子供の叫びだった。
けれど、その問いはあまりにも正しかった。
罪などない。
ただ、英雄に憧れただけの子供たち。
夢を奪われ、家を売られ、利用されただけの命。
ある日、四月はⅩⅢの男に申し出た。
「ナイフを使った模擬戦を……私にやらせてください。
勝ったら、残りの子を解放してほしい」
男は笑った。
「いいでしょう」
このとき、生き残っていた子供はもう数名しかいなかった。
その日、視察に訪れていたのが――宮中潤だった。
彼は、目の前で行われた“戦い”を見て、
初めて知ったのだ。
自分の所属する組織が、
どれほど非人道的なことをしているのかを。
(……腐ってやがる)
心の中でそう呟くも、
彼にも生活があり、背負うものがあった。
ⅩⅢで生きるしかなかった。
模擬戦の開始。
四月は相手の動きを読み切り、
一瞬で制圧した。
刃が止まった瞬間、周囲が静まり返る。
見守る子供たちの中に、希望の光が宿った。
(これで……みんな、助かる)
四月は、そう信じた。
だが――それは、残酷な幻想だった。
その夜。
四月は呼び出された。
廊下を抜け、案内された先。
ガラス張りの小部屋。
向こう側には、生き残った数名の子供たち。
「……何をする気?」
「解放ですよ」
男がスイッチを押した。
プシィィィ――。
鈍い音と共に、ガスが噴き出した。
子供たちの叫びが響く。
泣き声、叩く音、爪の音。
それでも、四月は動けなかった。
ただ、膝をつき、崩れ落ちた。
「私が……殺したようなものだ……」
「君以外、全員“失敗”ですから。
どのみち、こうなっていましたよ」
冷たく言い放たれたその言葉に、
四月の心が切れた。
「……ッ!」
叫びと同時に飛びかかるも、
いとも容易く押さえつけられた。
「君は特別です。
残りを生き延びて――私たちの仲間になってくださいね」
その笑顔が、四月の中に深い傷を刻んだ。
ガラス越しの亡骸たちを見つめながら、
彼女はただ――
唇を噛み、何も言えなかった。
それから、四月レンは“生き残った唯一の子”と呼ばれる。
だが、その称号は栄誉ではなく、呪いだった。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




