第七十一話 囁く願い、静かな感染
今日はいつになく騒がしかった。
生徒たちはそれぞれ手に奇妙な“道具”を持ち、廊下や中庭でざわめき合っている。
鏡、櫛、短冊、紙刀――昨日まで無かったものばかりだ。
誰もが願いを叶えんとする熱に浮かされていた。
風悪は辻と並んで歩き、まっすぐ六澄のもとへ向かった。
視線の先、教室の最前列。
六澄わかしはいつものように無表情で席に座り、ノートを閉じたところだった。
その隣、同じく前の席で四月レンが単語帳をめくりながら、何かを見透かすように静かに二人の様子を見ている。
風悪は立ち止まり、短く息を吸った。
「六澄……話がある」
「なんだ」
淡々とした返事。
その声に抑揚はなく、まるで感情が抜け落ちていた。
一瞬の沈黙。
教室の中に、妙な緊張が走った。
「お前、何かしたろ」
単刀直入な一言だった。
辻が思わず目を瞬かせる。
(直球すぎるだろ……)と心の中で焦りながらも、何も言えない。
風悪の声には、怒りよりも“確信”に近いものがあった。
「なにも」
「なにもなわけ──」
風悪が続けようとした瞬間、六澄がその言葉を遮った。
「ただ、教えてやっただけだ」
「教えた?」
風悪の眉が動く。
六澄は前を向いたまま、視線を交わさずに続ける。
「困っていたから、教えてあげたんだ。ただ、それだけ」
淡々と、無表情に。
そこに罪悪感も正義もなかった。
「……だから、何を」
風悪の声に苛立ちが滲む。
この要領を得ない受け答え――どこかで感じた感覚だった。
そう、黒い妖精。
夢で見た、あの得体の知れない存在と同じ気配。
六澄はわずかに唇を動かす。
「一条会」
「一条会!?」
その名を聞いた瞬間、風悪と辻の表情が強張る。
思わず声を上げた。
「願いの叶う道具、魔を信仰する集団。面白いだろ」
六澄は、初めて薄く笑った。
その笑みは冷ややかで、どこか人間離れしていた。
「“魔堕ち”を狙ってる集団が! 面白いわけないだろ!」
怒鳴ったのは辻だった。
机を叩く音が響く。
彼の顔には怒りと恐怖が入り混じっていた。
辻自身、かつて魔に呑まれ暴走した過去を持つ。
その“危うさ”を誰よりも知っているからこそ、堕ちることを肯定する言葉に我慢がならなかった。
「辻……」
風悪はそっと辻の肩に手を置いた。
これ以上は追及しない方がいい。
そう判断して、静かに言う。
「行こう」
辻は強く唇を噛み、無言で頷いた。
二人は教室をあとにする。
情報は得られなかった。
いや――“確信”だけが残った。
六澄が、この混乱に関わっていることは間違いない。
* * *
昼、十三部の特別対策部室。
夜騎士たちがBクラスの調査から戻ってきた。
「……休みだとよ」
夜騎士が短く報告する。
「北乃ムラサキが?」
王位が確認するように問う。
「ああ。信者の中核だったはずだが、今日は学校に来ていない」
夜騎士の声には、わずかに苛立ちが混じっていた。
「噂が一気に広がったのに、発信源は休み……妙だな」
王位は冷静に状況を整理する。
「蔓延した道具、一条会、そして六澄……混乱してきたな」
「こっちもダメだ。六澄からはほとんど情報が取れなかった」
風悪が報告し、辻が続けた。
「でも……あいつが“そそのかした”のは分かった」
重く沈んだ空気の中で、誰もが同じことを考えていた。
――これは、偶然ではない。
誰かが、確実に“仕掛けている”。
* * *
「……見ろ」
王位が呟く。
窓の外――校庭の方角で、生徒たちがざわめいていた。
何かを中心に円を描くように人が集まり、その真ん中で、光が揺れている。
「まさか」
夜騎士が立ち上がった。
「北乃ムラサキ」
四月レンが低く名を呼ぶ。
警報が鳴り、赤いランプが回転する。
ⅩⅢ本部の監視棟が動いた合図だった。
「外に出る」
夜騎士が窓を蹴って飛び降りた。
風悪と辻もすぐに続く。
* * *
校庭。
そこはもはや“集会場”ではなく、“儀式場”だった。
無数の短冊が空に舞い、櫛が、鏡が、紙刀が――まるで意思を持つように空中を漂っている。
光の粒が円を描き、中心に少女が立っていた。
北乃ムラサキ。
白いワンピース姿のその少女の周囲を、黒い靄がまとっていた。
その手には割れた鏡。
破片の一つひとつが浮遊し、彼女の瞳に映っては消える。
「“願い”が……叶う……」
彼女は呟く。
その声は静かで、それでいてどこか恍惚としていた。
「北乃、やめろ!」
夜騎士が叫ぶ。
だが彼女は耳を貸さない。
黒い靄が脈打ち、鏡の破片が一斉に弾けた。
「──ああ、熱が……くる。祈りは熱、熱は魔、魔は力」
その呟きが合図のように、空気が歪む。
風悪の翅が震えた。
空気の流れが狂い、風が逆方向に吹き始める。
「暴走してる……“魔”の波形だ!」
辻が叫ぶ。
夜騎士は即座に符を展開し、空間の封鎖を試みる。
だが、北乃ムラサキの周囲の空間そのものが“反転”していた。
「効かない……!? 結界が逆流してる!」
風悪が踏み込み、風を渦に変える。
黒い靄を包み込むようにして押し上げ、地面へ叩きつけた。
その一瞬、風の中に“声”が混じる。
『共鳴を恐れるな。深淵を覗け』
ラウロスの声――。
風悪の目が見開かれる。
風の渦が一瞬緩む。
「風悪、集中しろ!」
夜騎士の怒声で我に返る。
「うるせぇ……分かってる!」
風悪は翅を震わせ、風の流れを逆転させた。
その風は靄を押し返し、鏡の破片を空へと吹き飛ばす。
黒い光が弾け、校庭全体を包み込んだ。
一瞬の閃光。
そして――静寂。
風悪は膝をついた。
風が止み、靄も消えていた。
北乃ムラサキは地面に倒れ込み、鏡の欠片だけが散らばっている。
辻が駆け寄り、脈を確かめた。
「……生きてる」
夜騎士がため息を吐き、頭を押さえる。
「完全に“暴走”が始まってた。あと一分遅れてたら……危なかったな」
四月レンが現れ、現場を見渡す。
「群衆熱の再燃……いや、感染だ。願いの波が、今も残ってる」
彼女は北乃の手元に残った鏡を拾い上げた。
そこには、かすかに赤い線が浮かび上がっている。
まるで誰かの“眼”のような紋。
「これは……一条会の“紋”か」
「まだ終わってない」
風悪が低く言った。
風が翅を撫でる音が、かすかに響く。
夕陽が沈み、校庭に長い影を落とす。
その影の奥で、誰かが見ていた。
六澄わかし。
屋上の手すりに寄りかかり、無表情に呟く。
「いいね。これで次は、群れが動く」
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




