第六十五話 夢の路地、群集の底で
夜の露地は、祭りの喧噪が消えたあとのように静かだった。
けれど、灯籠はまだ灯っている。
人の気配がないのに、風鈴だけが鳴っていた。
「ここ……通った覚え、ある?」
鳩絵が小声で訊く。
六澄が首を横に振った。
「地図にはない。封鎖区域でもないのに、位置情報が“空白”になる」
一ノ瀬がスマホを掲げる。
通信圏外。画面の時刻が止まっていた。
『夢の中……かも』
短い文字。
鳩絵が息をのむ。
「じゃあ、ここは……誰かの“夢の続き”?」
「夢と現実の境界、群集熱の“底”だな」
六澄が淡々と応じる。
「祭りで願った声が、抜け切らずに溜まってる。音と記憶の層が混ざって、路地の形を保ってる」
奥から鈴の音が一つ。
やけに長く響いた。
露地を抜けると、小さな祭壇があった。
紙灯籠が半ば崩れ、短冊がいくつも積もっている。
その真ん中に、“誰か”がいた。
少女――に見えた。
白い浴衣、肩までの髪。
輪郭はぼやけている。
まるで光そのものが人の形を取っているようだった。
「……来てくれたんだ」
声は、祭りの夜に聞いた“あの声”。
五戸が前に出る。
「お前、あの時――あの子を……!」
言葉が震える。
少女の口元が微笑みに変わる。
「願いを叶えただけだよ」
白い指がひとつ動く。
短冊の束がふわりと浮かんだ。
そこには名前も日付もなく、ただ“願い”だけが書かれている。
「もう一度」「会いたい」「戻して」――そればかり。
鳩絵の手がスケッチブックを震わせる。
「……これ、誰かの夢の断片だよ」
少女は楽しそうに笑う。
「“夢”は、人の心の一番やわらかいところ。
だから、道具を渡せば――形になるの」
五戸が叫んだ。
「願いを叶えるなんて嘘だ! お前は奪ってるだけだ!」
「奪う? 違うよ。
“差し出した”のは、あなたたち自身」
少女が首を傾げる。
鈴が一斉に鳴った。
光が路地の床から噴き出す。
六澄が叫ぶ。
「一ノ瀬、下がれ! 夢の層が崩れる!」
一ノ瀬が腕を伸ばす。
その瞬間、視界が白く弾けた。
光が弾け、世界が裏返った。
屋台の灯りも、夜空の色も、すべてが“風”に溶けて消えていく。
――チリン。
音だけが残った。
風鈴の音が、まるで心臓の鼓動みたいに響く。
鳩絵が倒れこみ、一ノ瀬がその体を支えた。
五戸と六澄も近くで膝をついている。
空気が揺らぎ、地面が波打った。
「……夢の底が、崩れていく」
六澄の声が遠くで聞こえる。
白い少女の姿が霞み、まるで霧に溶けるように薄れていった。
それでも、その“声”だけは残っていた。
――「また、見にきてね」
そして、風が止んだ。
*
静寂。
次に聞こえたのは、木々のざわめきと、夜の虫の声。
分室の裏手、山の祠近く――地面に、四人が倒れていた。
誰かの足音が近づく。
灯りが揺れ、影が伸びる。
「……見つけた!」
妃の声が響いた。
そのすぐ後ろから、夜騎士と王位が駆け寄ってくる。
二階堂と七乃も後方で光を掲げ、周囲を警戒していた。
風悪は一ノ瀬たちの傍に膝をつき、翅を震わせる。
冷たい夜気の中で、風が生き物のように集まってくる。
「……大丈夫。息はある」
王位が脈を取りながら言った。
一ノ瀬の瞼がゆっくりと動く。
唇がわずかに震えた。
鳩絵が薄く目を開ける。
手の中にはスケッチブック。
最後のページに、見覚えのない絵があった。
――“風鈴の少女”。
白い浴衣、笑う顔。
その輪郭は、現実の光の中でも、かすかに揺れていた。
「絵……勝手に、動いてる」
鳩絵の声が震える。
その瞬間、ページの中の風鈴が“逆鳴り”した。
チリン。
音が現実へと跳ね返る。
風悪の翅が共鳴するように光を放った。
「風悪君!」黒八が叫ぶ。
風悪は翅を震わせた。
空気の流れを巻き戻すように、一度、深く息を吸う。
そして――息を吐いた。
風が一瞬、反転する。
夢の名残の“熱”が空に抜けていく。
鳩絵のスケッチブックの絵が淡く光り、やがて消えた。
静寂が戻る。
夜の風が、ただ優しく頬を撫でた。
*
風悪は空を見上げた。
遠くの空に、まだ煙のような花火の名残が漂っている。
風鈴の音は、もう聞こえなかった。
「……夢の底、って言ってたよ」
二階堂が小さく呟く。
「群集熱の残りかすだ。」辻が答える。
「でも、誰かが“見たい”って願い続ければ、また形になる」
夜騎士が短く息を吐く。
「つまり、終わっちゃいないってことだな」
王位が顔を上げる。
「風悪、感じるか?」
風悪は目を閉じた。
風が静かに彼の髪を揺らす。
「……今は、ただの風だ」
その言葉に、みんなの肩が少しだけ緩む。
夜空には、最後の花火の光。
煙が消えるその瞬間、どこか遠くで――
“ひとつだけ”風鈴が、逆さに鳴った。
ⅩⅢ分室。
突風が窓を揺らす中、一ノ瀬さわらがゆっくりと目を開けた。
同時に、五戸このしろ、六澄わかし、鳩絵かじかも次々と意識を取り戻す。
頬に冷たい汗。
夢から抜け出したような――いや、まだ夢の端を掴んでいるような感覚だった。
その瞬間、勢いよく扉が開く。
風悪たちが駆け込んでくる。
「一ノ瀬! どこ行ってたんだよ!」
風悪の声に、一ノ瀬は何も言わず、首を横に振った。
代わりに、五戸が大きく息を吐いて叫ぶ。
「あーもう! うるっさい! こっちだって追ってたつーの!」
「追ってた?」
辻が眉をひそめる。
「音の正体?」
王位が核心を突いた。
「で、何掴めたんだよ」
夜騎士が腕を組みながら問う。
鳩絵がスケッチブックを見つめ、眉をひそめる。
最後のページ――そこに描かれていたはずの“風鈴の少女”が、消えていた。
「分かったんだよ……たしかに“誰か”がいた。けど……」
言葉がそこで止まった。
夢の路地で見た“少女”の顔が、思い出そうとするたびに霞んでいく。
誰かを確かに見た。
けれど――その「誰か」が、どうしても思い出せない。
「なにこれ……なんで……?」
五戸の声が震える。
黒八がそっと前に出る。
「大丈夫ですか?」
一ノ瀬はぼんやりと天井を見上げ、小さく頷いた。
そして、スマホを掲げた。
『“夢”の向こうに、まだ“願い”が残ってる』
その瞬間、窓の外で――チリン、と風鈴が鳴った。
音は一度だけ、そして逆さに響いた。
宮中潤が入ってくる。
腕には報告用の端末。
その顔は険しく、けれどどこか安堵の色を見せていた。
「……全員、無事か」
短く確認を終え、端末を閉じる。
「夢層の干渉は鎮静した。
ただし、群集熱の痕跡は完全には消えていない。
お前たちは、ほんの一部を覗いただけだ」
室内が静まる。
その中で、風悪の頭の翅がかすかに光を放っていた。
まるで、まだ“何か”を感じ取っているように――けれど確かに生きている。
王位が低く呟く。
「……夢の底には、まだ“声”がある」
宮中は頷き、短く告げた。
「この件は一時保留とする」
風悪は窓辺に立ち、外を見た。
夜が明けかけていた。
淡い風が流れ、翅が光を受けて静かに震える。
「……風が、止んだ」
それは安堵でもあり、
嵐の前の静けさにも似ていた。
夏が終わり、風は次の季節へ――。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




