第六十二話 山の分室、肝試しは結界試験
翌朝。
まだ蝉の声が残る青空の下、学園の前には大型バスが二台並んでいた。
荷物を積み込む音と、浮き足立った笑い声が入り混じる。
A組は全員、〈山の分室〉での特別合宿へ向かう。
宮中潤も同乗していた。
黒いマスクをし、珍しく窓の外を眺めている。
生徒たちが騒ぐ中、どこか穏やかな表情を浮かべていた。
「先生、寝ないでくださいよ?」
「寝てない」
夜騎士の茶化しに、宮中が淡々と返す。
そのやり取りに笑いが起き、バスは山道を登っていった。
*
標高の高い道を抜け、昼前には分室に到着した。
澄んだ空気が肌を撫で、風悪の翅がかすかに鳴る。
木立の向こうには、古い修練場のような建物が静かに佇んでいた。
「ここが……山の分室?」
「思ったより、ボロい」
「虫いないよね!?」妃の声が一際大きく響く。
「夜は出ると思うぞ」夜騎士が肩をすくめた。
荷物を下ろした生徒たちの前に、宮中が一歩進み出た。
黒い外套を軽く払い、声を張る。
「これより、特別合宿を開始する。
ここでは“異能出力訓練”と“封印結界の運用”を学ぶ。
夜は“肝試し形式”の実技試験を行う」
ざわめく生徒たち。
宮中は続けて黒板代わりの携帯端末を掲げ、ホログラムを展開した。
そこには“群集熱”の文字が浮かんでいる。
「今回の目的は、この“群集熱”という現象を実地で観測し、
封印結界を使って安定化させることだ」
夜騎士が眉をひそめる。
「肝試しって、要するに夜間訓練か」
「ああ。ただし相手は“幽霊”ではない」
宮中は短く笑い、淡々と続ける。
「“群集熱”とは――人々の感情が溜まり、熱として場に残る現象だ。
祭り、災害、戦、祈り……強い思いが集まった場所では、
空気そのものが記憶のように震える。
時に、それは“音”や“夢”として再生する」
四月レンが端末を起動し、波形を示す。
「言い換えれば、感情の残響。
人の“願い”が多いほど、空間の温度や音波に乱れが生じる。
今夜の試験場――この山の祠は、その再燃地点」
「なるほど……」王位が頷いた。
「封印結界は、その残響を閉じ込める“枠”ってことか」
「その通り」宮中は頷く。
「封印とは、何かを消すことではなく“形を与える”ことだ。
溢れた熱を、枠の中に戻す。
それが今回、君たちが体験する“封じの術”だ」
風悪は胸の奥で翅が震えるのを感じた。
昨日、風鈴の下で聞いた音――
あれも、願いの形を取った“熱”だったのかもしれない。
宮中が端末を閉じる。
「それじゃあ、各班に分かれて準備に入れ。
夜の試験は日没後――風が止む時刻に始める」
その瞬間、山の風がひとつ鳴った。
外の風鈴がひとつだけ鳴る。
その音は、どこか不吉で、そして懐かしい響きを持っていた。
午後:試験開始
日が落ち、分室の灯りがぽつぽつと灯る。
夜の冷気を孕んだ山風が吹き抜け、木々の影が長く伸びた。
肝試し班が順に出発していく。
先行は――王位富、夜騎士凶&三井野燦、風悪&辻、妃愛主&五戸このしろ、
二階堂秋枷&七乃朝夏、黒八空&六澄わかし、殿に一ノ瀬さわら&鳩絵かじか。
宮中は分室の観測台で術式を起動し、四月レンが無線を肩に固定する。
端末の波形が静かに脈を打ち、青白い結界路が山へと延びていった。
*
山道は細く、苔むした石段がところどころ途切れている。
宮中が遠隔で灯した結界路は、地表すれすれに薄く光り、
枝や岩の隙間を“安全な導線”として照らしていた。
触れればひやりとした抵抗が返る、学校標準の護り。
一ノ瀬はその縁に細い菌糸を這わせ、崩れたときにすぐ気付けるよう“補助糊”を走らせた。
鳩絵は腰のポーチから小札を抜き、筆で文様を一線。
札を杭に貼ると、絵が鍵の形に変わり、結界の“目”を縫い留めた。
先行の夜騎士と燦は、歌と影で反響定位を使い、暗闇の奥行きを測っていた。
「左三、浅い沢。水の匂い」
「うん、聞こえる」
三井野の低い旋律が、夜の空気を震わせる。
声は波紋のように広がり、岩の影で反射して戻ってくる。
三番手――風悪と辻。
梢のあいだから風が降り、枝葉の影が地面に網目を描く。
「結界杭、次は北だ」
風悪が風を読む。
微弱だが、明らかに“導くような流れ”があった。
「……風が案内してる?」
「いや、誘導かもな」辻が苦笑した。
「悪いほうのやつ」
王位は、その少し前方で光の縁を確認しながら、短く通信を入れる。
「風の偏差、感知。誘導反応は微量。進路維持」
声は静かだが、班の緊張を軽く引き締めた。
まるで全体の“鞘”として、暴走を許さぬリズムを刻んでいるようだった。
*
妃と五戸は相変わらず騒がしい。
「ちょっと寒い……」
「夏の夜なめてると痛い目みるよ。あとで絶対文句言うやつ」
「今言ってる!」
軽口の途中、五戸がふと顔を上げた。
――耳の奥で、鈴の舌が裏返るような音がした。
その頃、殿の二人――一ノ瀬と鳩絵は最初の結界杭を封じ終えていた。
『一本完了。抵抗安定』
一ノ瀬が土を馴染ませ、菌糸を杭の根元へ固定する。
菌糸は防御ではなく、結び目の補強。見えない糸が空気を縫う。
*
――「……もっと、見て」
風の裏側から、声が届いた。
少女の声。年は彼らと変わらない。
記名のない“願い札”の文体で、甘く、掠れた囁き。
二階堂の前を歩いていた七乃が、はっとして振り返る。
「今、誰か……」
「七乃さん?」
七乃は一歩、路から外れかけた。
結界の縁がふるふると震える。
それは恐怖ではなかった。
まるで覗き窓の向こうから、誰かに“呼ばれている”ような感覚。
――「もっと、見て」
風悪が風の層に爪先を立て、空気の歪みを捕らえた。
「今の、聞こえた?」
「……女の声。幻聴じゃない」辻が低く答える。
囁きがもう一度跳ねた。
鳩絵が駆け寄り、木の幹へ札を当て、一筆。
鈴と鏡の合わさった絵が走る。
「“見せたがる”やつは、鏡で自分に返す――えい」
札が木肌に吸い込まれ、木目が一瞬だけ逆立つ。
囁きは砕け、葉ずれの音に変わった。
一ノ瀬は膝をつき、結界の縁を指でなぞる。
光は触れられないが、境界の存在は確かに感じられた。
視線を上げると、みんなの表情が一つに固まっていた。
その瞳にあるのは、明確な意思――「戻る」。
四方の闇から覗き窓が引っ込み、「もっと見て」は消えた。
宮中の端末が低く鳴る。
「ログ取得。個別呼び水(声)、微弱。文体は“願い札型”。発信源、特定不能」
「続行」四月の短い声が返る。
*
二本目、三本目の杭も順調に封じた。
最後の杭は沢の手前。
王位が先行し、夜騎士と三井野が続く。
風悪と辻は中間で風の流れを見張り、妃と五戸は冗談を交わしながらも手を抜かない。
二階堂は七乃に手を引かれ、黒八と六澄が殿を守る。
鳩絵が札を打ち込み、結界の目がひとつ締まった。
一ノ瀬が杭の根元を菌糸で固定し、揺れを止める。
山がひと呼吸ぶんだけ静まった。
風は止まない。けれど、その音の抜け方が違う。
谷から上がる冷たい気配は、もう道までは届かない。
「……合格だ」宮中の声が無線越しに落ちた。
「戻ろう」四月が続ける。
帰り道、誰も大声を出さなかった。
結界の光がほどけ、踏み跡だけを残して消える。
風悪は一度だけ立ち止まり、耳を澄ませた。
――さっきの“声”は、もう聞こえない。
風はただ、梢を撫でて通り過ぎた。
それでも、どこかで誰かが見ている気配は、完全には消えなかった。
(今の“呼び水”、誰だ……?)
分室の庇の風鈴が、帰還した彼らを迎えるように鳴った。
澄んだ音が夜の空気を払い、余韻が静寂へと溶けていく。
――そして、その静けさの底に、微かに何かが“息づいて”いた。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




