第五十七話 灯と影、二人の街
夏休みの夜。
港の空気は、潮と油の匂いが混ざっていた。
遠くで波が砕け、倉庫群の鉄扉を鈍く叩く。
その合間に、風鈴の音だけが妙に澄んで響いている。
学園の警備補助として、十三部に声がかかる。
夜騎士と王位は街の“異能反応の調査任務”を任されることになった。
「富。例の反応、ここで間違いないのか?」
夜騎士凶が歩を止め、闇の奥を見据えた。
青黒い髪が風に流れ、薄闇の中で青い眼光が光る。
港の夜は深い。
昼間の喧騒が嘘のように、どの倉庫も影を潜ませていた。
「ああ。観測班からの報告通りだ。
残留波形――-02系列とは違う。だが“異能の痕”ではある」
王位富は端末を操作し、指先の光で倉庫の壁を照らした。
液晶の中央、赤い点がひとつ、微かに脈動している。
それは、空気中の“記憶粒子”が再燃を始めた座標を示していた。
「……灯が、戻ってる」
王位の声が低く震えた。
通路の奥、古びたガソリン灯が逆流するように点滅している。
炎が燃え上がるのではなく、消えた炎が“戻る”。
燃え尽きた灰から火種が再び形を取り、
ゆっくりと時間を逆行するように揺れていた。
「どういう現象だ……?」
夜騎士が眉を寄せる。
その手から青黒い影が伸び、やがて鎌の形を取った。
彼は迷わず闇を斬る。
刃が空気を裂いた瞬間、
空間がわずかに歪み、音がひとつ、ひしゃげた。
低く短い、破裂のような音。
それだけで、港の風が一瞬、止まる。
「行くぞ。」
二人は影を踏み、通路の奥へ進む。
逆さに揺れる灯火が、彼らの輪郭を歪ませていた。
過去と現在、その境界が曖昧になる。
――そして、
最奥の壁際に、“それ”は立っていた。
人の形。
けれど、熱はなかった。
炎を纏いながら、氷のように静まり返っている。
願いを燃やしきれず、燃えることを忘れた“残響”。
「……人だったのか?」
「“だった”だな」
夜騎士が低く呟く。
王位は腰の鞘を持ち上げた。
剣を抜くことはない。鞘そのものが刃。
彼は鞘で空気を一閃する。
カン、と乾いた音。
その瞬間、炎の人影が割れた。
中から漏れた光が、潮風の中で形を失っていく。
「……終わりか?」
「いや、まだ“灯り”が残ってる」
夜騎士が影を広げ、風の流れを変える。
炎の粒がふっと揺らぎ、
王位の足元に流れていく。
音と炎が、同時に弾けた。
夜の港に、白い閃光が一瞬だけ走る。
沈黙のあと――
残響は完全に消えていた。
灯火が逆流する現象も止まり、港にはただ潮の匂いが残る。
王位が息を吐いた。
「まったく、こういう非論理的な現象は苦手だ」
夜騎士は肩をすくめる。
「理屈より先に手が出る奴よりはマシだろ」
二人はしばし見つめ合い、
そして、ほんの少し笑った。
潮風が吹く。
東の空が、かすかに白み始めていた。
波の間から差し込む光はまだ弱く、夜と朝の境がどちらにも傾いている。
王位が歩き出しながら、ぽつりと呟く。
「……灯が戻るなんて、変な話だよね」
「いったい、何が起きている……」
夜騎士の声は低く、どこか警戒を含んでいた。
王位は小さく頷く。
二人の足音が、夜明けの波音に混じって消えていった。
港の奥――誰もいないはずの場所で、
風鈴がひとつだけ鳴った。
音の余韻は逆流し、
灯は消え、風だけが残った。
*
――ⅩⅢ本部・報告室。
白い蛍光灯の下で、宮中潤が書類を閉じた。
壁には無数の監視波形と、記録映像のモニターが並んでいる。
「ご苦労」
その声に、夜騎士と王位は同時に頭を下げた。
「先生、逆流するなんて聞いたことがない」
「いったい、何が起きているんですか?」
当然の質問だった。
だが宮中は短く答える。
「……まだ、わからん」
王位が眉を寄せる。
夜騎士は腕を組み、わずかに前のめりになった。
沈黙のあと、宮中は一息だけついてから言葉を継いだ。
「それより、早く帰って休め。
現場の風にあたるのは、一晩でも体力を削ぐ」
「えー、来たばっかじゃん!」
夜騎士が不満を口にする。
その瞳には好奇心の光。
彼にとってⅩⅢは憧れの象徴だった。
「ってか、さ……少しでいいから中、見せてくれよ。
“本部”の中、ちゃんと見てみたいんだ」
羨望を混ぜた声。
それを、宮中も王位も即座に否定した。
「……ダメだ」
「流石に、無理だよ」
王位が静かに言い、宮中は資料を机に戻す。
その指が一瞬だけ止まった。
「――子供が、居ていい場所じゃない」
低く落とされたその言葉に、夜騎士は首をかしげた。
聞こえてはいた。
けれど、その真意までは読み取れなかった。
宮中は視線を逸らし、窓の外を見やる。
街の上では、朝の光がゆっくりと流れていた。
(……師のような子を、これ以上増やすわけにはいかない)
その胸中を、誰も知らない。
彼にとって“任務”と“教育”の境界は、いつだって苦いものだった。
命を危険に晒すことを、まだ子どもに背負わせたくはない。
ただそれだけの、静かな願い。
沈黙が落ちる。
壁際の風鈴が、不意に鳴った。
チリン――。
音は一度だけ逆に響き、
誰もいない通路の奥へと吸い込まれていった。
宮中は顔を上げる。
朝の光が差し込み、机上の書類を照らした。
「……次は、何が戻る?」
呟きは誰の耳にも届かない。
ただ、外の風だけがそれに応えるように吹いた。
――灯は消え、風が残る。
夏の夜明けは、静かに終わった。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




