第五十三話 風、融けて
* * *
――それは、ひときわ強い風の渦から始まった。
「なにこれ!」
「いったい……!」
東風心地の悲鳴に重なるように、妃と五戸の声が響いた。
少女の周囲で風がねじれ、黒く濁った渦を巻き上げていく。
それは風というより、“影の嵐”だった。
空間そのものが悲鳴をあげる。
地面が削れ、木々が倒れ、砂粒が光を帯びて舞い上がる。
「風が……暴れてる!?」
三井野が歌を放ち、鎮めの旋律を空気に流す。
しかし、黒い風はまるで意思を持つようにその歌を拒絶した。
「全員、下がれ!」
夜騎士が叫び、影を展開して女子たちを守る。
その身体が風圧で軋むほどの暴力的な風だった。
そこへ、駆けつける影がひとつ。
「どうした!?」
辻の声が風を裂く。
続いて風悪が地を蹴り、渦の中心を見据えた。
「この風……何とかしてみる!」
風悪は腕を前に突き出し、翅を震わせる。
透明な風が彼の周囲で螺旋を描き、黒い嵐へとぶつかった。
* * *
一方その頃――。
別のエリアでは、七乃と六澄が、二階堂と四月に合流していた。
「秋枷君っ!」
七乃が泣きそうな声で駆け寄る。
「大丈夫だよ、七乃さん」
二階堂は少し照れたように微笑む。
「それより……すごい風だな」
六澄が遠くを見ながら呟く。
その表情には焦りも恐れもなかった。
「ああ」
四月が目を細める。
その瞳には、遠くの空で暴れる“黒い竜巻”が映っていた。
* * *
場所を戻して、暴風の中心。
風悪は風の制御を試みる。
しかし、東風の風は暴力的で、意思を持つように跳ね返してくる。
「くっ……これじゃ、止まらない!」
風悪は一瞬だけ迷い、そして決意した。
制御を諦め、自分の“風”をぶつける。
「なら、上書きしてやる!」
翅が光を放ち、風悪の周囲に白い風が展開する。
純粋な風と、黒い風がぶつかり合う。
衝突の瞬間、空が鳴った。
轟音とともに、空気が弾ける。
黒と白の風が押し合い、世界を二つに割るように広がった。
風悪の頭の翅が、眩く光る。
「え……なんで……!」
その声が震える。
次の瞬間、風悪の風も暴走を始めた。
空間が歪み、世界の線が崩れていく。
* * *
〈監察棟〉
「ダメです、生徒たちを転送できません!」
「異常事態発生、空間制御が効かない!」
監察官たちの声が飛び交う。
モニターには複数のコードが点滅していた。
「これは……まさか……」
担任の宮中潤が眉をひそめる。
スクリーンに浮かぶコードがひとつ、
明滅していた。
〈因子コード:-02y〉
-02でも、L-13でもない。
しかし、確かに“それらに近い波形”だった。
「風悪……何が起きている……」
宮中が呟いた。
* * *
「このままじゃ……みんなが……!」
風悪は叫び、歯を食いしばる。
風の奔流の中で、意識が霞みそうになる。
その時――
仲間たちの声が、風の中で響いた。
「風悪! 負けるな!」
「お前の風、信じてるからな!」
「大丈夫、風は“優しい”ものだよ!」
夜騎士、辻、三井野の声。
その声が、確かに届いていた。
風悪の胸の奥で何かが灯る。
暴風の中心に、柔らかな光が生まれた。
「オレは……ひとりじゃない」
翅が淡く輝き、風が凪いでいく。
黒い風が白に溶け、東風の暴走を包み込むように消していった。
暴風はやがて、穏やかな“そよ風”へと変わった。
東風の身体が、ふわりと宙を舞い、ゆっくりと地面へ降りていく。
風悪もまた、風を止めた。
東風は意識を失い、静かに眠るように倒れ込んだ。
風悪は彼女の傍に膝をつき、そっと空を見上げる。
空は――澄み渡っていた。
* * *
その瞬間、アナウンスが流れる。
『――試験、終了。A組の勝利です』
どっと歓声が上がった。
仲間たちは互いに顔を見合わせ、安堵の息を吐く。
妃が胸を押さえ、三井野は微笑む。
夜騎士は風悪の背中を軽く叩いた。
「……よくやったな」
風悪は照れたように笑い、頷いた。
風が、静かに吹き抜ける。
その風は優しく、どこか懐かしい匂いがした。
B組のリーダー――東風心地。
気を失った彼女の身体が静かに転送されていく。
試験システムがようやく安定し、崩壊しかけた仮想空間は再構築を始めていた。
生徒たちは一人、また一人と元の教室へと戻されていく。
風悪は東風の方を一瞥した。
あの風も、もう穏やかだ。
勝敗は決した。A組の勝利だった。
* * *
「……すみませんでした」
妃愛主が唇を尖らせ、所在なげに夜騎士へ頭を下げる。
その声には、いつもの強気さよりもわずかに湿った響きがあった。
「別に」
夜騎士は短く返す。
だが隣では、三井野が代わりにと言わんばかりに必死で頭を下げていた。
「てか、あたし、そんなに信用ない?」
妃が冗談めかして笑う。
しかしその笑みにはどこか寂しさが混じっていた。
「信じていたからこそ、異能を悪用すると思った」
そう言ったのは王位富だった。
瞼を閉じたまま、淡々と事実を述べる。
「……どういうこと?」
妃が眉をひそめる。
「お前が東風と話しているのを見た。
妃愛主なら、欲のために異能を使う女だと」
その言葉に妃は一瞬固まった。
隣で五戸が噴き出す。
「ははっ、どんな信頼のされ方してんの、あんた」
妃はむっとして頬を膨らませたが、
その表情はどこか――子供のように素直だった。
* * *
妃愛主は、自分の異能が嫌いだった。
小さいころ、制御ができず、無意識のうちに男子を惹きつけてしまった。
彼女の周りには、いつも男たちが群がった。
「妃さん、かわいいね」
そんな言葉は、ただの呪いのように聞こえた。
――だから、男が嫌いだった。
だが小学校のある日。
一人の少年と出会う。
王位富。
彼だけは、妃の異能がまったく効かなかった。
「なんで、あんたには効かないの?」
妃の問いに、王位は平然と答えた。
「家の事情でね。呪い耐性がなきゃ生きていけない」
要領を得ない答えだった。
けれど、その次に言われた言葉が、
今でも心に焼きついている。
「そんなに嫌なら、ちゃんと制御しろよ」
単純で、でも真っすぐな言葉。
妃は悔しくて、泣きながら制御訓練を続けた。
それ以来、二人は幼なじみになった。
――彼だけには、いつも“本音”で話せる。
* * *
時は、現在。
校舎へ戻った生徒たちはそれぞれに疲れ切った表情をしていた。
その中で、一ノ瀬さわらは少し離れた場所からその光景を見つめていた。
彼女の手に握られたスマホが微かに震えている。
東風心地の暴走。
その“異能の乱れ”が、一ノ瀬の胸に何かを刺した。
(……魔、なの? あれも……)
彼女の瞳が細く揺れる。
風悪の暴走の記憶。
そして、魔に蝕まれた世界の断片。
(……魔を、滅ぼさなきゃ)
静かな決意がその胸に宿る。
けれど、彼女の知らぬところで、別の影も動いていた。
「……変だな」
六澄わかしがぽつりと呟いた。
声のトーンはいつも通り淡々としていたが、その眼差しはどこか遠くを見ていた。
「何がよ」
五戸が眉をひそめる。
「魔の暴走にしては変だったろ?
“人間の意志”が消えてたわけじゃない。
異能だけが、暴走した」
その分析に、五戸は目を丸くした。
「……あんた、それ、見てたの?」
六澄は視線を逸らした。
何も答えない。
一ノ瀬の背筋がぞくりと震える。
(まさか……)
彼女が息を呑むその背後で――
誰もいないはずの影が、
小さく笑った。
それは確かに、“誰か”の声だった。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




