第五十二話 裏風(リバースウィンド)
* * *
海沿いの丘。
風が、奇妙な旋律を奏でていた。
「よし、“音”でみんなを探すぞ」
夜騎士が耳に手を当てる。
風の音を拾い、三井野の歌声を媒介にして反響定位を行う。
「うん、任せて!」
三井野が澄んだ声で歌い出す。
その旋律が空気を震わせ、波の反射を伝って、島全体の生命反応を浮かび上がらせていく。
「やっぱ、すごいな。お前の声、ちゃんと“見える”」
「えへへ……それは夜騎士君が音を読んでるからだよ」
互いに息を合わせ、索敵を進める二人。
A組の中でも連携力では随一のペアだ。
だが、その風の流れの中に、別の“気配”が混ざった。
「……誰か、来る」
夜騎士が呟く。
木陰の奥から、二人の人影が現れた。
一人は――妃愛主。
もう一人は――隣のクラスの東風心地。
「あっ、愛主!」
三井野が驚き、駆け寄る。
妃は少しだけ視線を伏せて、唇を震わせた。
そして、ただ一言。
「……ごめん」
その瞬間、夜騎士の身体がピタリと止まった。
瞳が虚ろに濁り、動きを失う。
「凶君!?」
三井野の声が響く。
だが彼は微動だにしない。
妃の異能――“異性限定の洗脳”。
味方に使うなど、想像していなかった。
「素敵ですわ、妃さん」
隣で東風が満足げに笑った。
髪を揺らし、挑発的に目を細める。
「東風さん……どうしてここに……?」
三井野の疑問に、妃は答えなかった。
ただ、俯いたまま唇を噛む。
* * *
――その日の朝。
学園の校門前。
「妃さん――取引をしませんこと?」
振り返った瞬間、妃は目を瞬かせた。
そこに立っていたのは、金色の髪を揺らす少女――B組の東風心地だった。
いつも整った笑みを浮かべている彼女の、その目だけが妙に冷たかった。
「……取引?」
「ええ。あなた、“殿方を洗脳できる”異能をお持ちですわよね?」
妃は息をのんだ。
自分の異能をそんな風に言われることが、昔から好きではなかった。
その能力が、自分を傷つけもしてきたから。
「……使ってほしい相手が、いるのね?」
妃は苦笑のような微笑みを浮かべた。
東風が求めているのが誰なのか――想像はついていた。
「夜騎士君、ですわ」
東風はまるで天気の話でもするかのように、さらりと言った。
淡い風が二人の髪を撫でる。
その中で、彼女の瞳だけが獲物を狙うように光った。
「彼を――あなたの“異能”で、わたくしのものにしてほしいの。
その代わり、二日目の“第二試合”ではA組が有利になるよう、こちらで動いて差し上げますわ」
妃は一瞬、返す言葉を失った。
取引の内容はあまりにも露骨で、そして――あまりにも甘い誘惑だった。
ほんの一瞬、三井野燦の笑顔が脳裏をよぎる。
その直後、胸の奥に黒い衝動が渦を巻いた。
(……もし、この女が凶を取ったら――燦はきっと傷つく。
でも、その時、あの子は……わたしを見てくれるかもしれない)
唇が、自然と開いた。
「……わかった。乗るわ」
即答。
妃自身も、その言葉が出た瞬間に自分の心がどす黒く染まるのを感じていた。
三井野の想いを踏みにじってでも、
この胸の痛みを終わらせたかった。
東風は満足げに微笑む。
「賢明なご判断ですわ。きっと、良い結果になります」
風が二人の間をすり抜けていく。
妃の心の奥では――小さな罪の音が、確かに軋んでいた。
* * *
「……ごめん、燦」
「愛主……」
妃と三井野の間に、何とも言えない沈黙が流れた。
夜騎士は未だ動かず、虚ろな目で立ち尽くしている。
その横で、東風心地だけが楽しげに笑っていた。
「あら?これって、わたくしたちの勝ちですわね。
ルールは“リーダーを倒すこと”。簡単な話ですわ」
高らかに宣言する東風。
妃は俯いたまま、唇を噛みしめていた。
――その時。
「ねぇ、私のこと、忘れてない?」
柔らかな声が背後から届いた。
全員が振り返る。
木陰から現れたのは、五戸このしろだった。
妃とペアを組んでいた、あの少女。
「……五戸」
「つか、裏切りとかマジありえないんですけど!」
五戸は怒りを隠さず、妃をまっすぐ睨んだ。
その視線に、妃の肩がびくりと震える。
「……好きな人のために動くことが、そんなに悪い?」
妃は目を合わせられず、俯いたまま絞り出すように言った。
その声は、かすかに震えていた。
「友達を傷つけてまで、やること?」
五戸の問いが、まるで刃のように胸に突き刺さる。
妃は耐えるように唇を噛み、ちらりと三井野を見た。
三井野は、心配そうに妃と夜騎士の両方を見つめていた。
「……燦」
妃が、ぽつりとその名を呼んだ。
その刹那――
「まぁまぁ、そんなに怒鳴らないでくださいませ。
はしたないですわよ?」
東風が涼しげな笑みを浮かべ、場を嘲るように言った。
五戸の目が細まり、低く唸る。
「あ゛?」
空気が張り詰める。
「不本意ですが、勝利条件はを満たしましたわ。
私が彼を手に入れた、それだけで勝ちは確定ですもの」
東風は勝ち誇ったように微笑む。
だが、次の瞬間――。
――試験終了の合図は、鳴らなかった。
沈黙。
「……おかしいですわね?」
東風が眉をひそめる。
妃も困惑した表情で夜騎士を見た。
「どうして……?」
そのとき、場違いなほど明るい笑い声が響いた。
「あははははっ……!」
五戸だった。
肩を震わせ、笑いをこらえきれずにいた。
「五戸さん……?」
三井野が戸惑いながら声をかける。
「何がおかしいんですの?」
東風が苛立ちを隠さず問い詰めた。
五戸は涙を拭いながら、にやりと笑った。
「信頼されてないんだね、あんた」
その一言が、すべてを終わらせた。
妃の顔から、血の気が引いた。
胸の奥で、何かが崩れ落ちていく音がした。
――夜騎士はリーダーではない。
唯一、妃の異能が効かない異性の相手。
リーダーは王位富。
すべては、最初から“見抜かれていた”のだ。
* * *
――転送開数分前。
試験開始直前、ざわめく準備会場の片隅で、
王位富は夜騎士の肩に手を置き、低く耳打ちした。
「リーダーはボクがやる」
夜騎士は目を細めた。
「理由は?」
「妃が怪しい。昨日の朝、隣の東風って女子と話してた。
……取引か何か、してる顔だった」
その言葉に夜騎士の表情がわずかに変わる。
王位は淡々と続けた。
「四月以外で、戦える女子も考えたけど……」
夜騎士はしばらく沈黙し、それから小さく笑った。
「なるほど。……オレは富を信頼してる。頼んだ」
王位は軽く頷く。
そしてリーダー登録は密かに完了した。
――誰がリーダーかは、クラスの一部しか知らない。
あえて、そうした。
妃愛主の裏切りを見越して。
* * *
「――まぁ、私も知らなかったけどね」
五戸このしろが、口元に笑みを浮かべた。
その声音に、東風と妃が同時に身を強張らせる。
黒い影が地面を走り、東風の腕へと絡みついた。
瞬間、細い悲鳴が上がる。
「なに――っ!」
黒縄が蠢き、彼女の身体を宙に引き上げた。
足が地を離れ、金髪が宙に散る。
「離しなさい!今すぐ!」
「誰が離すか、バーカ!」
五戸は怒りを隠さず叫んだ。
その瞳は、燃えるように鋭かった。
「他人のチカラで得た勝利なんて、
最初から“勝ち”じゃないんだよ!」
東風は睨み返すが、その瞳の奥にはわずかな動揺があった。
プライドと恐怖、そして焦り。
心の奥で、何か黒いものが蠢く。
「……やめなさい。わたくしは……こんなところで……!」
東風は苦しげに呻きながら、もがいた。
しかし、黒縄はその抵抗を飲み込むように締め上げていく。
五戸は小さく舌打ちした。
「ほんと、面倒くさいタイプ……」
だが、完全に倒すことはしなかった。
風が止まり、時間がわずかに静止したような錯覚が広がる。
その沈黙を破ったのは、三井野だった。
「愛主……もうやめよう。凶君の洗脳を解いて」
妃は唇を噛み、肩を震わせる。
迷いと罪悪感が交錯し、視線を落としたまま動けない。
「……燦、あたしは……」
三井野は静かに微笑んだ。
そして手を差し出す。
「一緒に謝ろう? それでいいよ」
妃はしばらく何も言わず――
やがて、ゆっくりとその手を取った。
「……ありがと、燦」
その声は小さく震えていたが、確かに温かかった。
洗脳が解け、夜騎士が意識を取り戻す。
彼の瞳がふと開き、息を整える。
「……ったく、やってくれたな」
場に安堵の笑いが漏れた。
* * *
一方その頃――
鳩絵と王位のペアは、岩場の高地にいた。
鳩絵が空に筆を走らせる。
描かれた線が光に変わり、無数の剣を生み出していく。
「何本目だっけ……まだいける?」
「十分だ。」
王位は剣を掴み、静かに頷く。
空に走る刃の群れが、嵐のようにきらめく。
――その時。
地面が低く唸りを上げた。
風が逆流する。
「……え?」
鳩絵が空を仰ぐ。
雲が反転していた。
空のコードが軋むように揺らぎ、世界の縁がノイズを帯びる。
遠く――拘束されたままの東風の周囲にも、異変が起きていた。
彼女の体から、黒い風のようなものが滲み出ていく。
「……これは……」
妃が息を呑む。
黒風は東風の髪を揺らし、皮膚の下を這うように走る。
それは、明確な“悪意”を帯びた風だった。
「やめて……何、これ……!」
東風が叫ぶ。
だが、その声は次第に掠れ、風の音に飲み込まれていく。
彼女の瞳に、黒い光が宿った。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




