第四十九話 期末の予兆
文月。
夏の光が、教室の窓を白く照らしていた。
外では蝉が鳴き、うだるような熱気が漂っている。
その中で、黒いマスクを着けた担任――宮中潤は、いつも通りの冷静な声で告げた。
「期末テストも近づいてきた。対策を怠らないように」
「えー……」
教室中が一斉にざわめきだす。
夏の風よりも重い空気が流れた。
「うわ、来たよ……期末ってやつ」
風悪は頭を抱える。
中間テストのとき、黒八空が言っていた言葉を思い出していた。
――期末は、教科が増える。
「ただでさえ、できないのに……」
机に突っ伏す風悪。
隣の黒八は苦笑しながら下敷きで風を送っていた。
「あたし、もう、無理ぃ!」
妃愛主が机の上で叫び、王位富が即座に突っ込む。
「勉強しないからだろ」
「ああん゛!?」
空気がピリつく。
王位は目を閉じたまま、嵐が過ぎるのを待った。
「せんせー! また補習あるんですかー!? いやなんですけどー!」
五戸このしろが、だるそうに手を挙げて聞いた。
「そうだな。今回は――下手をすれば、実技でも不合格になるかもな」
宮中の声は淡々としていた。
脅すような色はなく、ただ事実を告げる声。
だからこそ、教室の空気が少しだけ引き締まった。
「実技も……やばいの?」
二階堂秋枷が不安そうに呟く。
異能を持たない彼にとって、戦闘試験は天敵のようなものだ。
「秋枷君には、わたくしがいますわ!」
七乃朝夏が即座に胸を張って宣言する。
その明るさに、空気が少しだけ和らいだ。
教室の隅では、四月レンと六澄わかしが静かに様子を見ていた。
四月はノートに何かを書き込み、六澄はいつも通り表情を動かさない。
――休み時間。
辻颭が風悪の机に近づいた。
「また、一緒に勉強しよう。前みたいに」
その言葉に、風悪は小さく笑った。
中間テストのときとは違う。
今はもう、互いに信頼を寄せ合う“仲間”としての空気があった。
そんな二人を、黒八は優しく見つめていた。
その横で、一ノ瀬さわらがノートを閉じ、静かに立ち上がる。
だが、その仕草にはどこか焦りがあった。
風悪はそれに気づいた。
「……一ノ瀬?」
一ノ瀬はしばらく黙ったまま、スマホを取り出す。
指が小刻みに動き、画面に文字が打ち込まれていく。
『この前から、夢に入れないの』
「……え?」
風悪は息をのんだ。
一ノ瀬は風悪との“夢のリンク”が途切れていることに気づき、
何度も干渉を試みていた。
だが、夢の扉は閉ざされたままだった。
それが、彼女を焦らせていたのだ。
風悪は唇を噛んだ。
この世界に来るとき――彼は一ノ瀬に“呼ばれた”のだ。
そのつながりが、いま途切れかけている。
「……もしかしたら、あの黒い妖精が何かしたのかも」
風悪の呟きに、一ノ瀬の目が大きく見開かれる。
ラウロス。
あの“黒い妖精”の名が、風悪の脳裏に浮かんだ。
一ノ瀬は震える手でスマホを机に叩きつけた。
小さな音が教室に響く。
「一ノ瀬……」
風悪が声をかけるも、彼女は何も言わなかった。
「なんかあったのか?」
夜騎士凶が心配そうに近づく。
一ノ瀬は短く、画面を見せた。
『ごめん』
その文字だけが、彼女の心を語っていた。
六澄は窓際で腕を組み、無表情のままそのやり取りを見つめていた。
――風が、少しだけ揺れた。
夏の午後の教室の中で、それは何かが動き出す前触れのように感じられた。
その日の放課後。
再び「勉強会をしよう」という流れになり、教室には多くの生徒が残っていた。
机を寄せ合い、参考書を広げ、あちこちからため息と笑い声が交じる。
一ノ瀬と四月の姿だけは、そこにはなかった。
風悪は窓際の席でノートを開きながら、ふと考え込む。
休み時間の一ノ瀬の様子――あの不安げな目と、スマホの文字。
(夢のリンクが……切れてる)
心の中でそう呟いた瞬間、夜騎士が前から顔を出す。
「どうした?」
風悪は小さく首を振った。
「オレにも分からん!」
思わずそう答えると、夜騎士は「そうか」とだけ呟いて、ノートを閉じた。
「……数学も分からん!」
風悪が教科書に突っ伏す。
「オレも」と辻が続く。
「そもそもどこで使うんだ、この関数!」
五戸が怒気を込めて叫んだ。
六澄が無表情で呟く。
「確率なんて、ガチャじゃん」
「はっ! そっか!」
その一言に、五戸は妙に納得したように拳を握る。
「でも確率知ってても結果は変わらなくない?」
鳩絵かじかが、ふと素朴な疑問を口にした。
「やめろ! 現実を見せつけるな!」
五戸が叫び、机に突っ伏した。
結局スマホを取り出して、現実逃避のスクロールを始める。
「無理無理〜燦〜どうしよう〜」
「愛主、頑張ろ!」
妃が机に突っ伏し、三井野が必死に励ます。
「秋枷君、ここ分からないですわ〜」
七乃がにじり寄る。
二階堂がペンを止め、困ったように笑った。
「え? 七乃さん、オレよりできるよね?」
七乃はハッとして目をそらした。
中間テストでは、うっかり二階堂より上の点を取ってしまっている。
その時、ガラリと扉が開いた。
「ちょっとA組! うるさいですわよ!」
隣のB組から、金髪の少女――東風心地が現れた。
リボンの先を揺らしながら、眉をひそめて言う。
「勉強会なら静かになさい!」
ピシャリとした声。
だがその視線が、ふと夜騎士の方へ向いた瞬間。
「はうっ!」
東風は両手で頬を押さえ、目をそらした。
夜騎士の整った顔立ちに、またも射抜かれてしまったのだ。
「凶ぉぉぉぉ! お前がいるから、あたしに女の子が回ってこない!!」
妃が叫び、夜騎士が苦笑する。
「お前は勉強しろよ」
王位が即座に突っ込み、妃を押さえつける。
取っ組み合いになる二人を、三井野が焦って止めようとする。
そんな様子を見ながら、風悪が小さく呟いた。
「……凶、人気だもんな」
「わ、私は決してそんな!!!」
三井野は顔を真っ赤にして否定するが、声が裏返っていた。
教室は笑いに包まれ、いつもの騒がしいA組が戻っていた。
――その一方で。
一ノ瀬さわらの部屋。
小さなデスクの上に、ノートとペンが並べられている。
彼女は一人、黙々と問題を解いていた。
だが、文字を追っても心は落ち着かなかった。
(……どうして、夢に入れないの?)
ペンを握る指が震える。
風悪との繋がりが、確かに“切られている”感覚。
何度も試しても、夢の扉は開かない。
(黒い妖精……あなた、何をしたの……?)
ペンを置く音が静かに響く。
窓の外では、街の灯がゆらゆらと瞬いていた。
(分からない。魔のことも……風悪のことも……何も分からない……)
一ノ瀬は両手で顔を覆った。
夜の静けさが、心の中に深く沈んでいく。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




