第四十二話 魔因子の調律
──夜が、静かに沈む。
空は厚い雲に覆われ、学園の塔の先端だけを月光が淡く照らしていた。
その光は、まるで世界を二つに分ける境界線のように細く、冷たかった。
その頃、校舎の地下深く。
かつて封鎖されていた〈ⅩⅢ実験棟〉に、再び灯がともっていた。
拘束されていたのは――海豚悪天。
決闘で敗れ、“魔”へと堕ちた少年だった。
魔によって一時的に暴走した者ならば、
王位の角から生成された特効薬によって治療は可能だ。
だが、自ら“魔”と契約した者――いわゆる〈魔堕ち〉となれば話は別。
その治療法は、いまだ確立されていない。
決闘システムの項目、六・決闘後の処理にはこう記されている。
・勝者側には「正当防衛認定」として報告書が出される。
・敗者側は一時的に異能制限を受け、ⅩⅢによる監査が入る。
つまり、敗者――海皇高校の生徒たちは、今まさにその監査を受けていた。
海豚悪天は悟っていた。
これから自分の身に起こることを。
――ⅩⅢによる「実験」
それは、もはや“拷問”と言い換えてもよかった。
拘束台の上、冷たい金属音が響く。
透明なチューブが彼の腕を走り、液体が流れ込むたび、皮膚の下を光が走った。
息をするたびに、肺の奥から焼けるような痛みが走る。
それでも彼は叫ばない。
ただ、静かに唇を噛み締めていた。
――その様子を、別室からモニター越しに見つめる者がいた。
宮中潤である。
彼はモニターの光を映した瞳で、じっと映像を見つめていた。
冷静であるはずの彼の口から、ぽつりと小さな声が漏れる。
「相変わらず腐ってるな、この組織……」
モニターの向こうに映る少年の姿が、過去の幻影と重なる。
脳裏に浮かぶのは――幼い子どもたち。
泣き叫び、傷つき、泣き止むこともできなかった小さな命たち。
その中に、確かに四月レンの姿もあった。
かつて、選ばれし“子供たち”のひとりとして。
あの頃の記憶が、今も彼の胸の奥を焦がしていた。
「師よ……どの世界でも、人は愚かなものです……」
宮中は、そこに居ない“彼女”――四月に語りかけるように呟いた。
その声には怒りよりも、深い諦めと祈りが滲んでいた。
重苦しい沈黙を破るように、端末が低い電子音を鳴らす。
通信回線が接続され、画面に新たな通達が表示された。
〈特別対策部・十三部 再編成通知〉
その一文を見た瞬間、宮中は眉をひそめた。
何かが、また動き始める――そんな予感がした。
* * *
水無月も後半。
梅雨の切れ間の朝、教室にはまだ湿った空気が漂っていた。
朝のホームルーム――。
担任である宮中が前に立ち、静かに言葉を告げた。
「“魔”による被害がさらに拡大してきているからな。
メンバーを増やせってことだ」
その口調はいつも通り淡々としていた。
だが、彼の眼差しにはどこか影があった。
生徒たちをまた危険に巻き込みたくはない――
そんな本音が、言葉の端に微かに滲んでいた。
宮中の視線がふと動く。
教室の一番前の席、俯いて単語帳をめくる少女――四月レン。
彼女は何事もなかったようにページをめくり続けていた。
他人の視線にも動じず、ただ静かに、成り行きを見守っている。
その姿はまるで、過去の痛みを知る者の静寂だった。
やがて、前列から二人の生徒が名乗りを上げた。
「オレが行く」
「私も……!」
辻と三井野。
ふたりは迷いながらも、前へ一歩を踏み出した。
辻は攻撃担当、三井野は歌によるサポート。
その役割を自分たちで決めるように、互いに目を合わせてうなずいた。
「正直、オレはまた暴走するかもだけど……」
辻の声はわずかに震えていた。
黒八を襲ってしまった過去。
そして、夜騎士が暴走したあの夜。
それらの記憶が、彼の胸を重く縛っていた。
「その時は止める」
「ああ……」
風悪と夜騎士がほぼ同時に答えた。
その声には、揺るぎない信頼があった。
「何度でも」
王位も、静かにその輪に加わる。
短い一言が、空気を震わせるように響いた。
その瞬間、教室の中に“仲間”という言葉が確かに生まれた。
「うん、ありがとう」
辻は小さく息を吐き、決意の色を瞳に宿した。
三井野もまた、胸の奥で不安を押し殺していた。
自分の力は戦闘向きではない――。
それでも、彼女は迷わず口を開く。
「少しでも役に立ちたい!」
その声は震えていたが、真っ直ぐだった。
風悪たちは、その思いを否定することなく受け止める。
「無理はするなよ」
夜騎士が穏やかな声で言った。
その柔らかな眼差しに、三井野の頬がわずかに染まる。
「凶君……」
彼女の微笑みは、決闘の夜以来初めて見せたものだった。
静かで、温かく、そして強い。
一方で、一ノ瀬は手を上げなかった。
五戸たちと共に、別ルートで“魔”の調査を続けるつもりだった。
だが、彼女なりの責任感がある。
もし今回のように異能同士の衝突が起これば、
その時は必ず駆けつける――そう心に決めていた。
黒八もまた、参加を申し出たが、すぐに却下された。
“太陽”の代償があるためだ。
太陽は戦いの中では沈黙を守り、
黒八が本当の危機に陥った時だけ力を貸す。
だがその代償は、黒八の身体に深刻な負担を与える。
だからこそ、彼女は“支える側”に回ることを選んだ。
「黒八の太陽は強力だけど、身を守れる分だけにしておいた方が良い」
風悪の静かな忠告に、黒八はうなずく。
「分かりました。影で支えることを探します!」
その声には、戦いとは違う強さがあった。
支える者としての覚悟――。
それもまた、彼女の“異能”だった。
そして、六澄わかしは無表情のまま、窓の方へ視線をやった。
けれどその唇の端が、わずかに動く。
(……次が、楽しみだ)
彼の心の中で、誰にも見えない小さな笑みが灯る。
その瞳の奥には、何かを待ちわびるような輝きがあった。
こうして――
〈特別対策部・十三部〉は、再び新たな形で動き出した。
“再編”ではなく、“再生”。
誰もがその言葉を胸に刻みながら、それぞれの席に戻っていった。
窓の外では、梅雨の晴れ間を縫うように風が吹いた。
静かな予感を運びながら、次なる嵐の訪れを告げるように――。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




