第四十話 雷鳴、そして静寂
──雷鳴が止んだ。
アリーナを包んでいた“音の鎧”が、砕ける音を立てて消えていく。
眩い閃光の中で、海豚悪天の身体が弾き飛ばされた。
床を転がり、動かなくなる。
その身体から、紫黒の光がゆっくりと抜け落ちていった。
まるで“魔”そのものが、形を失っていくように。
「……終わった?」
風悪の呟きが響く。
その声には、安堵と緊張が入り混じっていた。
四月レンは無言のまま歩み寄る。
焦げた床を踏みしめながら、倒れた海豚を見下ろした。
「贔屓……」
海豚の掠れた声が漏れる。
その瞳の奥には、微かな哀しみがあった。
「贔屓? 私は監視官として職務を全うしただけ」
四月の返しは冷静だった。
海豚悪天は血の混じった息を吐きながら、唇の端をわずかに上げる。
「……ボクはね、仲間なんて信じていないんだよ」
「そうか」
短くそう告げると、四月は指先を鳴らした。
青白い電流が海豚の周囲に展開される。
封印結界――ⅩⅢ所属監視官が使用を許された抑制術式。
「決闘の範囲内であっても、“殺し”は許されない。
よってここで、君の戦闘権限を停止する」
言葉と同時に、海豚の身体を包む光が鎖のように絡みつく。
抵抗するように音が鳴ったが、それもすぐに掻き消えた。
「……もう、終わりだ」
四月の声は静かで、どこか祈るようでもあった。
海豚悪天は視線だけで風悪たちを見た。
その瞳には、怒りとも安堵ともつかない色が宿っている。
「凶君……やっぱり、キミはずるいよ」
それが、最後の言葉だった。
海豚の意識が途切れ、完全に沈黙する。
結界の光が収まり、再びアリーナに静寂が降りた。
*
「……終わった、のか」
王位が小さく息を吐く。
その隣で、一ノ瀬がスマホを掲げた。
画面には、たった一言だけ。
『みんな、生きてる』
その文字を見て、風悪が微笑む。
傷だらけの顔に、わずかな安堵の色が差した。
「ありがとう、みんな」
四月は彼らの方を振り返り、静かに頷いた。
「よくやった」
風悪は、短く言ったその言葉を噛みしめる。
それは、彼らがただの生徒ではないことを示す言葉。
“異能学園”の名に恥じぬ者として、戦った証でもあった。
四月が端末に報告を入力しながら言う。
「決闘は終了。勝者、切ノ札学園。
・勝者側には『正当防衛認定』として報告書を提出。
・敗者側は一時的に異能制限を受け、ⅩⅢによる監査を実施。
ただし、被験者一名は拘束・引き渡し処理を要す」
冷たい文言が、端末の光に浮かぶ。
風悪たちは何も言わなかった。
勝利の実感も、歓声もなかった。
ただ、終わりを受け入れるしかなかった。
*
──医療棟。
画面に映るアリーナが静まり返った瞬間、
三井野燦はそっと胸に手を当てた。
「……よかった……」
涙が頬を伝う。
隣で妃愛主が小さく息をついた。
「まったく……もっとスムーズにやりなさいよね」
辻颭は無言で画面を見つめていた。
風悪たちの姿、そして倒れた海豚悪天の影。
その奥に、自分が暴走したあの日を重ねていた。
「“魔”が、また人を飲み込んだのか」
低く呟く辻に、三井野が目を向ける。
「でも……誰も死ななかった。それだけで、今は十分」
そう言って微笑んだ。
その笑顔はどこか痛々しく、それでも確かな希望があった。
*
アリーナの中央。
風悪は膝をついたまま、空を見上げた。
結界の天井越しに、光が差している。
その光は、雨上がりの空のように優しかった。
「四月……」
風悪が声を上げる。
四月は歩みを止めず、振り返らずに言った。
「次に備えろ、風悪。
“魔”は、まだ終わっちゃいない」
その背中が、静かに闇へと溶けていった。
──翌朝。
決闘のあったアリーナは、すでに閉鎖されていた。
割れた床、焦げた鉄の匂い、風圧で歪んだ柵。
その全てが、昨日の戦いの激しさを物語っていた。
ⅩⅢの回収班が現場に入り、淡々と作業を進めている。
結界の破片を検出し、異能痕を記録し、
そして最後に、封印された海豚悪天を運び出していった。
「被験者アクテン、異能活動停止を確認。
精神汚染値、上限突破。……やはり“魔”との接続だな」
調査員の声が淡々と響く。
抑制結晶の中で、海豚の身体がわずかに脈打つ。
それは生きている証――しかし、もう“人”ではなかった。
監視記録はすべてⅩⅢ本部へ送られ、
彼の処遇は後日、協議にかけられることになった。
“魔に堕ちた者”として。
*
切ノ札学園・医療棟。
窓から射す朝日が白いカーテンを透かし、
柔らかな光が並んだベッドを照らしていた。
三井野燦はベッドに身を起こしていた。
頬の色も戻り、表情にも少しだけ元気が見える。
その隣のベッドには、辻颭の姿もあった。
「……おはよう」
三井野が小さく声をかけると、
辻は頷きながら窓の外を見た。
「みんな……無事だったみたいだね」
「みんな、頑張ったから」
カーテンを少し開け、外を見つめる三井野。
青く澄んだ空の向こうに、昨日の戦いの煙はもうない。
「“魔”は、また近づいている気がするけど……
それでも、希望を失っちゃいけないよね」
その言葉に、辻は静かに笑った。
「三井野は強いな。……オレとは違う」
「違うわけないよ。……だって、同じ仲間でしょ?」
小さな声で交わされる会話。
その背後で、モニターの心拍音が規則正しく鳴っていた。
*
一方、夜騎士凶は校舎裏のベンチにいた。
朝の冷たい風が吹き抜ける中、
彼は膝の上で握り拳を作っていた。
誰もいない。
戦いの夜から、一睡もしていなかった。
「……オレ、また暴れたんだな」
その呟きは、風にかき消されそうなほど弱々しかった。
風悪が後ろから現れ、黙って隣に座る。
「止められたのはオレたちだけど、守りたかったのはお前だろ」
「守れなかったよ」
夜騎士は拳を握る。
「オレが止まれなきゃ、また誰かを殺すかもしれない。
海豚は……それを見越して、オレを怒らせた」
その声に、風悪は首を横に振った。
「怒りも、悲しみも、全部“人”だからあるもんだ。
それを“魔”に使わせないようにするのが、オレたちだろ」
短い沈黙。
夜騎士の顔に、少しだけ影が和らぐ。
「……相変わらず、風くさいこと言うよな」
「風の名前だからな」
二人の笑い声が、淡く風に流れた。
*
その頃、ⅩⅢ本部。
黒い防音ガラスの奥、長机の前に複数の監査官が座っていた。
中央のスクリーンには、海豚悪天の記録映像。
そして、その横に映る四月レンの名。
「監視官・四月レン。
君の報告によると、被験者アクテンは“自発的融合”を行ったとある」
「はい。彼は“魔”と意識的に同調し、自我を保ったまま変質した」
四月の声は落ち着いていた。
彼女は立ったまま、視線を一点に据えている。
「……では、再発の可能性は?」
「高い。だが――」
四月はわずかに間を置き、言葉を続けた。
「今回は“誰も死ななかった”。
それが、唯一の救いだ」
会議室が静まり返る。
誰も、その言葉を否定しなかった。
報告は受理され、次の指令が下される。
【被験者アクテン 監視継続】
【切ノ札学園 特別警戒指定】
四月は静かに頭を下げ、退出する。
*
昼頃、医療棟の屋上では、
風悪が一人、風に当たっていた。
遠く、結界の外に沈む街を見つめながら、
彼は思う。
(“魔”は、終わらない。……でも、今度は負けない)
その瞳には、
夜明けを告げる光が確かに映っていた。
──決闘編、了。
次回四章から週二更新予定でしたが毎日に変更します。
五章まで毎日。六章から週二(火、金)になります。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




