第三十四話 決闘前夜
──特別対策室。
夜の帳が下り、窓の外には雨の残り香と街の灯がぼんやり滲んでいた。
机の上には、作戦図と端末が並んでいる。
五人の影が、その淡い光に照らされていた。
「……決闘の申請、正式に通ったぞ」
四月レンが短く言った。
いつもと変わらない冷静な声。
その瞳にはわずかに、彼らへの信頼の色が宿っていた。
「対戦相手は──海豚悪天、魚ノ目憂、鯨連座、海豹疎。
四人チーム。全員、もちろん海皇高校所属だ」
「なるほど。音波、茨、爆発、氷か」
夜騎士凶が腕を組み、険しい顔で画面を見つめる。
「爆発と氷が同時に来たら……かなり厄介だね」
王位富が低くつぶやく。
四月は頷きつつも静観していた。
彼女は監督官として立ち会う立場であり、
作戦の中身にまでは干渉しない──それが彼女の責務だった。
夜騎士が指先で端末をスライドさせ、敵の情報を拡大する。
「注意すべきは“氷”だな。
海豹疎──異能《氷結》。
空気中の水分を媒介にして、触れたものを瞬時に凍結させる」
その言葉に、一ノ瀬さわらが小さく反応した。
彼女は無言でスマホを取り出し、素早く文字を打ち込み、画面を四人に向ける。
『菌糸……冷気に弱い。凍ると動けなくなる』
風悪がその文字を見て、息をのんだ。
「……ってことは、一ノ瀬が一番危ない」
一ノ瀬は短く頷く。
怯えはなく、状況を分析する目だった。
「防ぐ手段を考えないとね」
王位の言葉に、風悪が考え込む。
「オレの風で、冷気の流れを断つ。
空気を循環させて、凍気が滞らないようにする」
「風圧で温度を分散……なるほどな」
夜騎士が頷いた。
「ただし、その間はお前が攻撃に回れない。守り専任か」
「それでいい」
風悪はきっぱりと答える。
「守れなきゃ、攻撃も意味ない」
一ノ瀬がスマホを操作し、短く表示させた。
『……ありがとう』
そのわずかな言葉に、風悪の顔が少しだけ和らぐ。
「おっと、青春か?」
夜騎士が笑い混じりに茶化す。
「黙ろうか、凶。今は会議中だ」
王位が冷静に返す。
四月はわずかに笑みを浮かべたが、すぐに真顔へ戻り端末を操作した。
「決闘フィールドは、ⅩⅢ監査局の仮想異能結界──〈A.R.E.N.A.(アリーナ)〉。
音響が響きやすい構造……つまり、悪天の音波に最適な地形だ。
仮想空間とはいえ、痛覚や疲労は現実と同様。
殺害は禁止、制圧をもって勝敗を決する」
「完全に向こうの土俵じゃん」
風悪が小さくつぶやく。
「でも、音が響くなら――菌糸の伝達も早くなる」
夜騎士の言葉に、一ノ瀬が再び文字を打ち込む。
『音で菌糸を振動させれば、広げられる。やってみる』
それを見た王位が静かに微笑む。
「……面白い発想だ。理に適ってる」
「凶、王位が前衛。オレは後衛で援護」
風悪が手を叩いて配置を整理する。
「一ノ瀬はサポート中心。
菌糸が凍る前に、オレが風で冷気を遮る」
一ノ瀬は軽く頷き、スマホを掲げた。
『信じてる。みんなを守る』
その短い一文に、四人の表情が引き締まる。
夜騎士が机を軽く叩き、締めの声を出した。
「──決闘開始は明日、午前十時。
目的は“殺す”ことじゃない。
相手を制して、止める。それだけだ」
四月が一歩下がり、静かに言葉を添える。
「……忘れるな。正義は力じゃなく、選択の結果だ」
部屋の灯が落とされ、非常灯だけが淡く残った。
窓の外には月が昇り、薄雲を照らしている。
風悪は静かに呟いた。
「……勝とう。
三井野のためにも」
その言葉に、誰も何も言わなかった。
ただ、全員が心の中で誓った。
*
四月は皆のやり取りを、終始見守っていた。
風悪の真っ直ぐな言葉も、夜騎士の軽口も、王位の分析も──すべてを。
正直、自分が介入すれば、もっと効率よく、そして安全に事を運べる。
それは確信に近いものだった。
だが、言わない。
それは監督官として中立を保つためでもあり、
なにより“結果”を他人の手で作らせることが、彼らの成長を止めると思っていたからだ。
(……彼らが選んだ答えを、見届けるだけでいい)
そう自分に言い聞かせ、四月は静かに息を吐いた。
過去視の異能を通して、四月はすでに夜騎士凶と海豚悪天の因縁を知っていた。
中学時代から続く確執、その中で芽生えた嫉妬と劣等感。
そして、海豚悪天が“魔”の影響を受けた今、
それらがどう結末を迎えるのか、四月はある程度予測していた。
(海豚の性格を考えれば……狙いは──)
四月は静かに目を閉じた。
冷静な判断の奥で、心のどこかがわずかに軋む。
彼女の立場が“戦わない者”であることを、改めて痛感した。
決闘において、彼女はただの観測者。
干渉も助力も許されない。
それでも、彼女は彼らの無事を願っていた。
決闘システムの三原則――
「殺傷を目的としない」「第三者被害を出さない」「時間制限内に決着をつける」。
この誓約が守られる限り、四月は静観するつもりだった。
しかしもし、その枠を逸脱することがあれば――
そのときは、自らの雷で全てを止める覚悟もしている。
「……勝てよ」
ぽつりと呟かれたその声は、
風の音にかき消され、誰の耳にも届かなかった。
四月は再び机の端末に視線を落とし、
彼らの名前が刻まれた申請データを見つめる。
指先が、画面の端をそっとなぞった。
──明日、“切札”を切る時が来る。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




