第三話 闇が囁く日
翌朝、学園内はざわめいていた。
教室に入るなり耳に飛び込んできたのは、昨日の出来事を噂する声だった。
──“昨日、教師がⅩⅢの者と一緒に暴走生徒を処理していたらしい。”
「聞いたか? 教師って……」
「落ち着け凶、分かってる」
夜騎士凶と王位富は、朝から落ち着きがない。
いつものように軽口を交わしながらも、その目は妙に輝いていた。
「もしかして宮中先生?」
風悪は何気なく口にする。
昨夜、公園で見た宮中の姿が脳裏をよぎった。
「そうだよ、絶対そう。黒いマスクなんかしてさ、教師っぽくないんだよな」
夜騎士は笑いながら言い、風悪もつられて小さく笑う。
けれどその笑いは、どこか乾いていた。
「秋枷君……」
七乃朝夏が不安そうに隣の席を見つめる。
視線の先には、二階堂秋枷。
「大丈夫だよ、七乃さん」
秋枷は心配をかけまいと、優しく笑ってみせる。
その笑顔の奥に、ほんの少しの怯えが見えたのは気のせいだっただろうか。
「ⅩⅢといえば……」
王位が腕を組み、独り言のように呟く。
「もう同じ高校生だよね、あの“選ばれし子どもたち”」
「ああ! そうか!」
夜騎士が興奮気味に声を上げた。
風悪は首を傾げる。
「選ばれし……子どもたち?」
彼にとって、初めて聞く言葉だった。
「オレ達が小四の頃さ、全国から“特別な適性”を持つ子どもが選ばれたんだよ」
夜騎士は説明を続ける。
「訓練を受けて、いずれⅩⅢに入れるって噂だった。しかも──選ばれた子の家には、多額の報酬金が支払われたってさ」
「……」
風悪の表情が固まる。
胸の奥に、何か重たいものが沈んだ。
「それって……金で子どもを買ったみたいじゃないか?」
ぽつりと落ちた言葉に、夜騎士と王位が一瞬だけ黙る。
だがすぐに、夜騎士は朗らかに笑った。
「ははは、面白い発想するな、風悪は!」
その笑顔は純粋で、悪気など微塵もなかった。
だが風悪は、その無邪気さに言いようのない違和感を覚えた。
まるで自分の考え方のほうが異端であるかのような、そんな孤独感。
教室の一番前の席で、四月レンは静かに単語帳をめくっていた。
その手の動きがふと止まり、三人の会話を聞く耳がかすかに震えた。
顔は上げない。だが、その瞳の奥には深い影が宿っていた。
チャイムが鳴る。
ざわめきが消えぬまま、教室の扉が開いた。
黒いマスクの男──担任の宮中潤が姿を現す。
いつもの落ち着いた口調で、淡々と告げた。
「異能保持者の中から、“特別対策部”候補を選抜する」
教室がどよめいた。
“特別対策部”――聞き慣れない言葉だったが、その響きはどこか物々しい。
最近、校内でも“魔”による暴走事件が頻発している。
ⅩⅢが出動することもあるが、彼らはあくまで国家規模での治安維持機関。
学校のような小さな領域までは手が回らない。
そこで、学園は自衛のために“生徒たち自身の組織”を作ることを決めた。
その名は〈特別対策部〉。通称──十三部。
言わば、学園版のⅩⅢである。
「はい! 先生!」
真っ先に手を挙げたのは夜騎士だった。
当然だ。ⅩⅢに入るのが彼の夢なのだから。
「まあ、お前ほどのやつなら大丈夫だろう」
宮中が軽く言葉を返す。
その声音の裏に、どこか試すような響きがあった。
「はーい、せんせー。風悪君も入れてくださーい」
やる気のない声が響いた。
四月レンだった。
「オレ!?」
風悪は思わず立ち上がった。
予想もしなかった名前の出され方に、頭が真っ白になる。
「お、いいじゃん。一緒にやろうぜ!」
夜騎士が明るく笑う。
「もちろん富も」
「……まあ、凶が居るなら。ボクも立候補するしかないね」
王位が小さく肩をすくめて応じる。
まるで最初から決まっていたかのような流れ。
「ちょ、待てよ。言いだしっぺの法則あるだろ? 四月は? オレにだけ入れって言うのか?」
風悪は慌てて矛先を向ける。
しかし、レンは面倒そうに単語帳を閉じただけだった。
「私か? 忙しいんだが?」
それだけ。
まるで一切の感情を排除したような声。
風悪は肩を落とす。
何も分からないまま、ただ流されるようにこの学園に来て、
そしてまた流されるように“特別対策部”の名に巻き込まれていく。
自分は一体、何のためにここにいるのだろう。
“魔”を滅ぼすため? それとも……守るため?
答えはまだ霧の中にあった。
教室の片隅で、一ノ瀬さわらが静かにその様子を見ていた。
手の中のスマホが震える。
送るかどうか迷い、結局メッセージは打たれなかった。
窓の外では、白い雲がゆっくりと形を変えていく。
その下で、確かに何かが“動き始めていた”。
夕方。
授業も終わり、校舎を出た風悪は、黒八空に案内されながら町を歩いていた。
薄橙の光がビルの影を伸ばし、道の端では子どもたちが帰りを急いでいる。
「ここのパン屋、すごくおいしいんですよ」
黒八は風に髪をなびかせ、明るく微笑んだ。
白い息を弾ませながら、通りの角を指さす。
「でもすぐに売り切れるんですよね~」
「そうなんだ……」
風悪は曖昧に返す。
目の前の景色が霞んで見えるほど、頭の中は別のことでいっぱいだった。
「風悪君、もしかして──今日のこと、考えていますか?」
黒八が歩調を合わせ、横顔を覗き込む。
「え? あ、ああ……まあ」
「それはそうですよね」
突如、宮中から告げられた“特別対策部”の選抜。
四月に推薦され、夜騎士と王位に誘われた。
何も分からないまま、流されるように進んでいる自分。
その現実が、じわじわと胸の奥に広がっていた。
「オレ、夢で“魔”を滅ぼしてって言われてて……でも、なんでオレなのかとか、色々考えてて──」
「夢……ですか?」
黒八が目を丸くする。
その反応に、風悪は思わず慌てた。
「なんか変なこと言った?」
「いえ、そういう異能もあると思いますし……」
「そう、だよね。」
少しだけ安堵の笑みを見せる。
黒八はほっとしたように微笑んだが、すぐに真剣な顔になる。
「でも、私だったら直接お願いするかなって。あ、別にその人を否定するわけじゃないんですけど」
「直接……?」
「“魔”で暴走した人って、すごく危ないじゃないですか。
だから“魔”に関わらせることは、風悪君を危険にさらすことだと思うんです。
私だったら、正面からお願いしに行って、一緒に戦います!」
「黒八、戦えるのか?」
「戦えません!」
「ええ?」
思わず気の抜けた声が出た。
黒八は胸を張って続ける。
「戦えませんが、私には“太陽”がついていますから!」
「太陽……?」
「はい。それに、サポートできる範囲で、私にできることってあると思うんです!」
“太陽”──それが何を意味するのかは分からなかった。
けれど、黒八のまっすぐな言葉に、風悪の胸の霧が少し晴れたような気がした。
「……ありがとう。」
その一言を口にした瞬間だった。
――ヒュ、と。
耳をかすめる冷たい風。
その流れに、風悪は即座に異変を感じ取った。
街灯の明かりが一瞬だけ揺らぐ。
電線が震え、影が歪んだ。
「黒八、下がれ」
「えっ?」
そのとき、路地の奥から低い声が響いた。
『黒八は……オレの、獲物、だ……!』
男のような声。
帽子を深くかぶり、声を変えている。顔は見えない。
だが、その全身から放たれる“異能の気配”だけで、普通ではないと分かった。
黒八の肩が震える。
風悪は一歩前に出た。
「誰だ、お前……!」
『聞かなくていい。すぐ終わる』
その声と同時に、空気が一変した。
足元のアスファルトがひび割れ、黒い靄が地面から立ち上る。
“魔”の気配。
「黒八、逃げろ!」
「で、でも!」
「いいから!」
風悪が叫んだ瞬間、男の腕が振り上げられる。
黒い靄が弾け、鋭い爪のように伸びて襲いかかった。
風悪は即座に風を呼ぶ。
足元から上昇気流が立ち上り、渦が彼の体を包む。
「風よ、応えろ!」
轟音。
風が壁のように押し寄せ、黒い爪を弾き飛ばした。
衝撃で地面の砂が舞い上がり、街灯がチカチカと明滅する。
『ほう……妖精の風か。面白い』
帽子の男が低く笑う。
風悪の左側の翅が淡く光り、風が強まる。
「オレの友達を、傷つけさせない!」
次の瞬間、風の刃が放たれた。
風圧が走り、男の体が後方へと吹き飛ぶ。
だが、靄がその身を包み込み、影のように形を保った。
『……今日は、退く。けど覚えとけ。黒八は“オレの獲物”だ』
「……? どういう──!」
問いかける間もなく、男の体は靄に溶け、夜気に消えた。
残ったのは焦げたアスファルトと、冷たい風の音だけ。
風悪は呼吸を整えながら、黒八に振り向く。
「……大丈夫か?」
「は、はい。ありがとうございます。……風悪君が、守ってくれたんですね」
黒八は小さく笑い、震える手で胸を押さえた。
だが、風悪の視線はその笑顔を見つめながらも、別の場所に向いていた。
黒い靄が消えた場所。そこに残る、奇妙な“影”の跡。
「……“魔”が、また……」
風が吹き抜ける。
夕焼けはすでに沈み、街は夜に飲み込まれていた。
風悪の赤い瞳が、静かに光を宿した。
夜。
アパートの一室。
窓の外では街灯の明かりが揺れ、風がカーテンをわずかに揺らしている。
風悪はベッドに腰を下ろし、スマホを耳に当てていた。
画面の向こうから、いつもの明るい声が響く。
『──何ぃ!? 黒八が襲われた?』
夜騎士の声は、予想通り驚きと焦りに満ちていた。
風悪は苦笑しながら肩をすくめる。
「何とか追い払えたんだけど……正直、ギリギリだった」
『無茶すんなよ。頼れるとこは頼れ! オレたちは仲間なんだからな!』
真っ直ぐな声。
軽口ばかり叩く彼にしては珍しく、言葉の奥に“本気”が宿っていた。
風悪は少しの間、黙っていた。
胸の奥に、何かが灯るのを感じる。
この世界に来てからずっと感じていた“孤独”が、わずかに和らいでいく。
「……ありがと、凶」
『ははは、当然だろ。オレたちはチームだ!』
通信の向こうで笑う声が聞こえる。
その明るさに、風悪も小さく笑みを返した。
通話が切れ、部屋に静けさが戻る。
窓の外では、夜の風が優しく吹き抜けていた。
風悪は深く息を吐き、赤い瞳を閉じる。
「……仲間、か」
その言葉が、ゆっくりと胸の奥に沁みていった。
──同じころ。
アパートの屋上。
月の光が雲の切れ間から差し込み、冷たい風が吹き抜ける。
そこに、一つの影が立っていた。
その顔は闇に溶けて見えない。
『……もっと見せてくれ』
男の声は、風のように低く、ざらついていた。
口元が歪む。楽しげに。
『さあ──行け、“魔”よ』
その人影は、夜空へと溶けていった。
音もなく、匂いもなく。
ただ、世界のどこかが“軋む”ような感覚だけが残る。
風が唸る。
月が雲に隠れ、夜は再び闇に沈んでいった。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




