第二十六話 風、再び吹く日
──皐月も終わりかけの頃。
空には淡い雲が流れ、雨の匂いがまだどこかに残っていた。
白髪の少年・風悪は、左側の頭から伸びる透明な翅を揺らしながら、ゆるやかな風を受けて登校していた。
風が髪を撫で、羽音が微かに鳴る。
切ノ札学園。
門扉の上には鋭い意匠の校章が輝き、風を切るように光を反射している。
異能保有者特別育成校――通称〈異能学園〉
風悪は校門をくぐりながら、深く息を吸った。
胸の奥で、まだ消えない焦げた風の匂いを感じていた。
「おはよう。」
「おはようございます!」
明るい声が返ってくる。
声の主は黒八空。
長い黒髪を風に揺らし、変わらぬ笑顔を見せていた。
「黒八、もういいんだ?」
「はい!」
彼女はあの日、“太陽”の力の代償で倒れ、しばらく療養していた。
だが今、その姿はすっかり元気を取り戻しているようだった。
「辻君の方も、もうすぐだそうです」
黒八が穏やかに言う。
その声には、安心と少しの寂しさが混ざっていた。
辻颭――魔物の血を引くがゆえに、"魔"に心の隙を突かれ暴走した少年。
黒八が自らの命を懸けて止め、王位の特効薬で鎮静化させた。
今は医療棟で休んでいるが、快方に向かっているという。
「そっか……」
風悪は胸をなでおろし、ほっと息をついた。
──一年A組の教室。
辻を除いた全員が集まっていた。
久々にそろった教室の空気には、どこか安心感が満ちている。
「黒八、大変だったな」
左眼を前髪で隠した整った顔立ちの少年――夜騎士凶が穏やかに声をかける。
「はい、でも大丈夫です!」
黒八はいつもの明るさで笑った。
「皆さんも大変だったと聞きました」
少し心配そうに尋ねる黒八。
彼女が休んでいる間も、学園では“魔”による暴走事件が起きていた。
四月レンが本体を制圧し、十三部が校内の暴徒を鎮圧した。
それぞれが己の異能を使い、仲間を守った一日だった。
ふと、風悪がぽつりと呟く。
「そういや……なんで“13”なんだろうな?」
それは、以前から気になっていた疑問だった。
治安維持組織〈ⅩⅢ〉。
そして、その学園版である〈特別対策部〉――通称“十三部”。
なぜ“13”という数字が選ばれたのか。
夜騎士が腕を組み、軽く笑った。
「十三って不吉な数字だと思うかもしれないけど……もう一つあるだろ、“アレ”には」
「アレ?」
風悪が首をかしげる。
「もう分かんねぇのかよ。トランプだよ」
夜騎士が呆れたように笑いながら言う。
「トランプ……?」
「そう。ジャック、クイーン、キング――十一、十二、十三。
数字は十三まで。ジョーカー抜いたら、十三が一番上なんだ」
「あ、そっか……」
風悪は目を丸くし、次の瞬間には再び首をかしげた。
「で、トランプが何?」
教室が少し笑いに包まれる。
夜騎士は肩をすくめ、隣の王位に視線を送った。
王位富が静かに口を開く。
「トランプって、“切り札”って意味なんだよ」
「……ジョーカーが切り札だと思ってた」
風悪が呟く。
「“トランプ”そのものが、切り札だ」
王位の声は鋭くも落ち着いていた。
夜騎士はそのやり取りを見ながら、微かに笑う。
「治安維持組織ⅩⅢは、文字通り――この国の切り札ってわけだ」
その声には、どこか憧れのような響きがあった。
「それの学園版だから、特別対策部は十三部なんですよー!」
黒八が明るく補足する。
「なるほどな……」
風悪はようやく納得したように頷き、軽く笑った。
「このクラス、十四人いるじゃん。誰がジョーカーなんだろうな?」
単語帳を片手に、四月レンが何気なく言い放つ。
視線はページに落としたまま。
その左腕はいつものように、黒いアームカバーで覆われていた。
“外”からやって来た風悪。
まるで、彼こそがジョーカーだと示唆するような一言だった。
教室の空気が、一瞬静まる。
全員の視線が、自然と風悪へと向かう。
「え?」
あっけに取られた風悪が、きょとんと首を傾げる。
その沈黙を、五戸このしろがさらりと破った。
「仲間はずれじゃん」
軽く笑うように言ったその一言で、教室の緊張がふっと溶けた。
風悪はどこからともなく冷や汗をかき、教室中に笑いが広がる。
その笑い声を聞きながら、風悪は胸の奥でそっと思った。
──こんな日々が、ずっと続けばいい。
穏やかな午後。
外の風がカーテンを揺らし、光が机の上を淡く照らしていた。
……放課後。
「補習も今日で終わりかー」
「ですねー」
風悪と黒八は、並んで校舎の廊下を歩いていた。
補習を終え、いつもの帰り道。
窓の外には沈みかけた夕陽が滲んでいる。
その時――遠くからざわめきが聞こえた。
生徒たちの声だ。
何かを取り囲むような、落ち着かないざわめき。
「何かあったのでしょうか?」
黒八が不安げに眉を寄せる。
風悪は頷き、人の波の方へと歩を進めた。
集まった生徒たちの間をすり抜け、風悪が前へ出る。
次の瞬間、彼の目に飛び込んできたのは――
校舎の白い壁に書かれた、血のように赤い文字だった。
『きょうくんへ、ぼくも、かんかされちゃったよ!』
赤黒く滲む文字。
乾きかけたその表面が、光に鈍く反射していた。
「これは……いったい……」
風悪は言葉を失う。
背筋を撫でるような冷たい風が、廊下を抜けた。
雨上がりの空に、再び曇りが戻り始める。
その風は、確かに――不穏な何かの匂いを運んでいた。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




