第二十五話 それぞれの戦場
生徒たちの悲鳴が、狭い廊下を満たしていた。
押し寄せる人の波。逃げようとする者、立ち止まる者、泣き出す者。
混乱はまるで津波のように校舎を呑み込んでいた。
妃愛主と三井野燦は、避難誘導のために走り出していた。
だが、押し合う生徒たちの波が壁のように立ちはだかり、近づくことすら難しい。
そのとき、妃のポケットのスマホが震えた。
画面には一ノ瀬さわらからの短いメッセージ。
――『異能で』
たった三文字。
けれど、それだけで二人はハッとした。
「……そうか!」
妃が息をのむ。
彼女の“魅了”――異性に限られるが、心を静め、命令を通すことができる。
そして三井野の“歌”は、心を安定させるバフ効果を持つ。
「燦、歌って!」
「うん!」
三井野が大きく息を吸い込み、柔らかな旋律を響かせる。
その声が雨音と混ざり、校舎全体を包み込むように広がった。
妃の目が淡く光り、動揺していた男子生徒たちの動きが止まる。
「落ち着いて。先生たちの指示に従って避難して」
妃の声が廊下に届く。
その瞬間、生徒たちは整列し始め、次第に秩序を取り戻していった。
「……よし」
安堵の息が漏れる。
しかし、次の瞬間――
爆音。
壁の一部が破壊され、破片がこちらへ飛んできた。
「きゃっ!」
三井野が思わず目を閉じた瞬間、光が走った。
透明な壁――結界。
「防御は任せてください」
七乃朝夏が両手を掲げ、精霊の力で防御結界を張っていた。
彼女の背後に光の精霊が浮かび、風を弾く。
「ありがとう、七乃さん!」
「お役目ですわ」
その外側、破壊の元凶――
風悪と夜騎士、王位の三人が、暴徒化した生徒たちと交戦していた。
“魔”に取り憑かれた彼らの瞳は赤く濁り、叫びながら突進してくる。
王位の光の剣が閃き、風悪の風がそれを加速させ、夜騎士の黒い鱗が攻撃を弾く。
三人の動きは正確で無駄がなく、まるで訓練された部隊のようだった。
──だが、戦いはまだ終わらない。
「この程度でパニクって暴走って……」
廊下の後方、スマホを操作しながら五戸このしろがぼそりと呟いた。
画面の中では、ゲームのキャラガチャを無限に回している。
「だから人間を見るのは面白いんだよ」
隣で六澄わかしが、無表情のまま言った。
その口調はいつも通り冷たい。
「何楽しんでんの。お前も働け」
「このしろこそ」
小さな言い争いが生まれる。
だが、それも恐怖を紛らわせるための“いつも通り”だった。
その少し離れた場所で、一ノ瀬さわらはスマホを強く握り締めていた。
魔の存在に怒りを覚えながらも、冷静に周囲を観察している。
「かじかは! 応急セットの絵を描きます!」
鳩絵かじかが叫び、スケッチブックを広げた。
描かれていくのは包帯、消毒液、医療箱。
ペン先から生まれた絵が淡い光を放ち、次の瞬間、実体を持って現れる。
「すご……」
周囲が息を呑む中、かじかは次々と描き出す。
『私が配る』
一ノ瀬が短く呟き、指先を動かした。
菌糸が床を走り、応急セットを生徒たちのもとへ運んでいく。
二階堂もまた、その流れに加わった。
「怪我人は!? こっちに!」
彼は走りながら、負傷した生徒を支え、搬送経路を確保していた。
誰もがそれぞれの持ち場で動いていた。
戦う者、守る者、助ける者。
十三部の“戦場”は、教室の中にも確かにあった。
雨が校舎の外壁を叩く音が、やけに遠く聞こえる。
風悪たちの戦闘音と混じり合い、まるで世界がひとつの鼓動になったようだった。
──戦いは、まだ続いている。
一方その頃。
避難経路とは反対側の廊下では、風悪・夜騎士・王位の三人が数名の暴走者と交戦し続けていた。
咆哮。
暴徒の一人が腕を振り上げ、衝撃波を放つ。
空気が裂け、壁が爆ぜた。
「くっ……!」
風悪が即座に風を操り、目の前に“壁”を作る。
風圧が衝撃を相殺し、巻き上がる砂埃を押し返した。
「背中は任せた!」
夜騎士が短く叫ぶ。
その身体から青黒い影が噴き上がる――鯱の尾のような形状へと変化し、
彼はその尾を使い、床を蹴って一気に間合いを詰めた。
尾が振るわれる。
唸りを上げ、暴徒の身体を弾き飛ばす。
だが、夜騎士の背後にもう一人。
暴走した生徒が咆哮を上げ、爪を伸ばして襲いかかる。
「後ろ!」
その叫びと同時に、光が走った。
王位の手に顕現した光の剣が、一直線にその暴徒を切り裂く。
残滓の光が空気を裂き、雨粒を照らす。
「制圧完了?」
風悪が息を吐く。
「ああ!」
夜騎士が短く答え、尾を消した。
瓦礫が崩れ落ちるが、風悪の風が即座に二人を包み込み、衝撃を和らげる。
ほんの一瞬、戦場に静寂が戻った。
「宿泊研修の時といい、すまんな」
聞き慣れた低い声。
窓の外から黒い影が舞い降りた。
「先生!」
「宮中……!」
宮中潤が割れた窓枠を跨いで入ってくる。
黒い瞳だけが鋭く光った。
「そっち、終わったのかよ?」
夜騎士が問う。
「オレの方は……な」
宮中の返しに、王位が顔を上げる。
「ってことは、四月はまだ──」
宮中は黙って頷いた。
──四月レンは、騒動の“核”がある第二地区へと向かっていた。
“魔”によって暴走した者たちが、まるで軍勢のように列をなし、
暗い空の下で不気味な統制を見せていた。
「まとまってくれるなら、やりやすい」
四月は冷静に呟き、右手を掲げる。
雷鳴が轟き、光が走る。
次の瞬間、空から無数の電撃が降り注いだ。
爆音が鳴り響く。
雷の閃光が群れを貫き、地を焼く。
人影が次々に崩れ落ち、焦げた匂いが立ちこめた。
「……これで、終わりか」
四月は冷静に辺りを見渡す。
倒れた者たちの中に、ひとりだけ立ちすくむ男がいた。
目は赤く濁り、皮膚には黒い紋様が走っている。
犯人の男は、魔物の血を引く一族の末裔だった。
“魔”にその血が反応し、抑え込んでいた獣性が解き放たれた。
理性を失った彼は、周囲を巻き込みながら暴走していた。
四月は〈過去視〉の異能で、その経緯をすべて見た。
だが――躊躇いは一片もなかった。
彼女はⅩⅢ。
制圧こそが使命であり、救済は義務ではない。
相手が“人間”であろうと、“魔”に堕ちた時点で、討つべき対象となる。
そして今回の相手は、クラスメイトではなかった。
だから、迷う理由も――なかった。
「私は、仲間のためなら――」
小さく呟き、指先に雷光を集める。
雷が唸りを上げ、地面を焼く音が響く。
次の瞬間、彼女の掌から閃光が放たれた。
咆哮も、叫びも、すべてが一瞬で掻き消える。
視界を埋めるのは、白く塗りつぶされた光の奔流。
静寂。
雷鳴が止み、煙の中にただ一人、四月だけが立っていた。
焦げた匂いと雨の音が交わり、夜の空が沈黙する。
「……私は、味方のためなら悪にもなる」
その呟きは、降り出した雨に溶けていった。
誰もいない戦場で、ただ一人の少女が立ち尽くす。
雷に照らされたその背中には――ほんの僅かな、悲しみの影があった。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




