第二十二話 風の止む場所
風が止んだ。
黒い靄は焼かれ、夜の空へと溶けていく。
ただ、その中心に残ったのは――二つの影だけだった。
「……辻!」
風悪が駆け寄る。
地に伏した辻は目を閉じ、胸だけがかすかに上下していた。
先ほどまでの狂気は跡形もない。
ただ静かに、眠るように。
「もう……暴れてない、よな……」
震える手を伸ばし、彼の頬に触れる。
熱い。
けれど、その熱は――生きている証だった。
そのすぐ傍に、黒八空が膝をついていた。
太陽の紋様がまだ淡く光り、肌から微かな熱を放っている。
呼吸は浅く、意識は遠のいていた。
「黒八!」
風悪がその肩を揺する。
しかし返事はなかった。
「ッ……太陽の、反動……!」
宿した神の力を限界まで使った代償。
暴走した“風”を鎮める代わりに、
“光”の器である黒八の身体は、燃え尽きる寸前だった。
風悪は歯を食いしばる。
どうすれば――誰か、誰か来てくれ。
その時。
「なるほど、派手にやってくれたな」
低い声が、静まり返った夜気を裂いた。
振り向くと、黒いコートの男が立っていた。
顔の下半分を覆う黒マスク――宮中潤。
「せ、先生……!」
風悪の声に続いて、もう一人の足音が近づく。
「……毎度毎度、後始末が大変だ」
黒髪をかき上げながら、四月レンが姿を現す。
左腕はアームカバーに覆われ、右手の端末が淡い光を放っていた。
「これはもう、ⅩⅢの現場レベルだな」
「生徒同士の喧嘩で済む規模じゃないね」
二人の視線が、倒れた黒八と辻を交差する。
四月が素早く膝をつき、辻の状態を確認した。
「鎌鼬の血が暴走した形跡あり。……今は眠ってる」
「黒八のほうは?」
宮中が問うと、四月は眉をひそめた。
「太陽の力の使いすぎだ。熱量が異常値……体力の限界だ」
「……つまり、命の火が尽きかけてる、か」
短い沈黙が落ちる。
風悪の喉がひゅっと鳴った。
「先生、黒八は……!」
風悪の叫びに、宮中はゆっくりと歩み寄る。
「落ち着け。死なせはしない」
静かな声でそう言うと、黒八の額に手をかざした。
指先が微かに光り、空気が震える。
命の炎を安定させる、微弱な魔力制御。
「師──四月」
「了解」
四月は右手の端末を操作し、熱制御のプログラムを起動させた。
光の粒が黒八の身体に散り、過剰な熱を奪っていく。
呼吸がわずかに落ち着き、肌の色に血の気が戻る。
「よし……四月、そのまま。オレが転送を使う」
宮中はマスクを外した。
露わになった舌には、逆五芒星の魔方陣が刻まれている。
彼は舌先を噛み、血を一滴地面へ落とした。
瞬間――青い光が地を走る。
逆五芒星を起点に、空間転送の陣が展開された。
風が止まり、夜の音さえ凍りつく。
淡い光が辻と黒八の身体を優しく包み込む。
まるで抱擁のように、静かで確かな力だった。
風悪はその光景を見つめながら、拳を握りしめた。
「オレが……もっと、止められていれば……」
自責の言葉が漏れる。
それを遮ったのは、四月の短い一言だった。
「後悔はするな。学べ」
冷たく聞こえる声の奥に、確かな優しさがあった。
「お前は“風”だろ。
流れを止めることはできなくても、形を変えることはできる」
その言葉に、風悪は唇を噛み、そして――ゆっくりと頷いた。
「……うん」
結界の光が強まり、辻と黒八の身体が淡く光を引きながら消えていく。
空間が閉じ、風が再び静寂を取り戻す。
「戻るぞ」
宮中の一言で、戦場だった街角に静けさが戻った。
風悪が見上げた夜空には、まだ薄い雲が残っている。
けれど――その切れ間から、確かに一筋の光が射していた。
翌日。
雨が降っていた。
しとしとと窓を叩く音が、教室の中に淡く響く。
いつもの朝――のはずだった。
けれど、どこか空気が違う。
理由は明白だった。
辻と黒八の席が、空いている。
いつもは誰かの笑い声が聞こえる教室が、
今日はやけに静かだった。
「昨日、大変だったって?」
机に突っ伏していた風悪に、夜騎士凶が声をかける。
その声は軽く見えて、どこか気遣いを含んでいた。
「……うん」
風悪は短く答えた。
顔を上げないまま、雨音を聞いていた。
――十三部の一員として。
――そして、友として。
あの夜、二人を助けられなかったことが胸に重くのしかかっていた。
何度も頭をよぎるのは、四月の言葉。
> 「後悔はするな。学べ」
その一言が、まだ心の奥で熱を残している。
風悪は拳を握り、ぽつりと呟いた。
「……オレ、頑張るよ」
それは誰に向けた言葉でもなかった。
ただ、自分自身に――誓うように。
夜騎士はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐き、
「……ああ」とだけ答えた。
それ以上、言葉はなかった。
けれどその一言で、教室の静けさが少しだけやわらいだ気がした。
窓の外では、雨がまだ静かに降り続いている。
その音は、まるで風の代わりに“彼らの想い”を運んでいるかのようだった。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




