第十四話 ふたりの距離
午前の授業中。
教室の時計の針が、やけに遅く感じられた。
黒板の文字も、先生の声も、風悪の頭には入ってこない。
心の奥でずっと、辻颭の言葉が渦巻いていた。
「オレに関わらない方がいいよ」
(……なんだよ、それ)
思わず小さくつぶやく。
その瞬間、教壇の前から声が飛ぶ。
「そこ! 静かに!」
「す、すみません……」
教室に笑いが起き、風悪は慌てて縮こまった。
夜騎士凶が苦笑いしながら視線を送る。
チャイムが鳴り、短い休憩時間。
夜騎士が机に腕を乗せ、向かいの席から風悪に声をかける。
「なに、どうした?」
風悪はぼんやり窓の外を眺めていた。
「……なんかさ、拒絶されて、壁作られて、関わるなって言われたらさ。凶ならどうする?」
言葉が、風のようにゆっくりと漏れた。
「お前次第じゃね?」
夜騎士は簡潔に言う。
その声音に、妙な説得力があった。
「あ、もしかして辻のことか?」
夜騎士はすぐに察した。
今朝、風悪と辻の間に起きたあのぎこちない空気を思い出したからだ。
「オレはお前のお節介、嫌いじゃないぜ」
「今は凶の好き嫌いを聞いてるわけじゃ……」
風悪が呆れる。
「私も好きですよ。お節介」
隣の席から黒八空がにこやかに割り込む。
その笑顔が眩しくて、風悪は思わず視線をそらした。
「で? お前はどうしたいんだよ」
夜騎士が、真っすぐな瞳で問う。
「……辻と、もう少し仲良くなりたい」
照れくさそうに、けれどどこか真剣に。
その一言を聞いて、夜騎士は立ち上がった。
「よし」
決意を宿した声と共に、風悪の前を通り抜け、辻の席へと歩いていく。
「なあ辻、風悪に勉強を教えてやってくれないか?」
「凶オオオオオッツ!!!」
風悪の絶叫が教室に響く。
振り返ったクラス全員の視線が痛い。
「なんでオレ?」
辻が目を瞬かせる。
「そうだよ、凶! 辻、困ってんじゃん!」
「お前、勉強の仕方分からないって言ってたじゃん!」
「言ったけどもおおおおお!」
風悪は夜騎士の肩を掴み、揺さぶった。
しかし、夜騎士は微動だにしない。
「オレは思ったね。お前が勉強したことないって言った時、誰かが付きっきりで教えるしかないと!」
「だからって、なんでオレ? オレ、勉強得意じゃないよ?」
「オレは部活で忙しい!」
夜騎士の言葉に、教室中が「嘘だろ」と心の声を共有した。
テスト期間に部活があるはずもない。
「良いだろ、二人で高みを目指せ! な?」
「ええ……」
「頼む頼む、一緒に勉強してやってくれ」
風悪はもう止める気力もなく、ただただ唖然と見守るしかなかった。
「夜騎士の方が勉強できるよね?」
「デキナイヨ!」
棒読みだった。
「辻! 断って良いから!」
風悪の叫びも虚しく、辻は少しだけ沈黙した後、ぽつりと呟く。
「……分かった。今回だけ」
その言葉に、風悪は思わず目を輝かせる。
「え? いいの? ありがとう辻!」
「別に……」
辻は視線を逸らしたまま、窓の外を見た。
その横顔に、ほんの僅かなやわらかさが見えた気がした。
「悪かったな、強引なお節介。でも良かったな!」
夜騎士が風悪の背を軽く叩く。
「今謝るの!?」
あれだけ強引に動いておいて、今更すぎる。
風悪は苦笑いを浮かべながらため息をついた。
そのやり取りを、黒八が微笑ましく見つめていた。
彼女の瞳には、穏やかな光が宿っていた。
それから数日。
風悪と辻は放課後、居残りをして一緒に勉強をするようになった。
机を寄せ、ノートを広げ、静かな時間を過ごす。
日が沈みかけた教室。
窓から差す夕陽が二人を染めていた。
「はー……古典は何とかなりそうだけど、数学が無理」
風悪がため息をつく。
「まあ、オレも……数学は怪しい」
辻が淡々と返す。
その声は、どこか穏やかだった。
しばらくの沈黙。
そして、不意に辻が言った。
「……オレと居て、不快じゃない?」
「え? 何で?」
風悪がきょとんとする。
「オレ、人と関わるの……極力避けてきたから。分からないんだ」
辻の声が少しだけ震えていた。
目を伏せ、指先がかすかに揺れる。
「正直……人と関わるのが少し怖いんだ」
その告白に、風悪は何も言えなかった。
ただ、机の上に広げられたノートを見つめ、静かに息を吸う。
その時、窓の外の風がカーテンを揺らした。
まるで“誰か”が、そっと見守っているかのように。
──中間テスト当日。
午前の筆記試験が終わった教室には、どこか沈んだ空気が漂っていた。
鉛筆を握りすぎた手を振る者、机に突っ伏す者、魂の抜けたように窓を眺める者。
その誰もが口をそろえてこう思っていた――「もう勉強はしたくない」と。
だが、休む間もなく午後の試験が始まる。
今度は異能実技試験。
「戦闘向きじゃない生徒もいるからな。ペアで挑んでもらう」
黒いマスク越しに、担任の宮中潤が静かに言い放った。
その一言で、再び教室がざわつく。
「えぇ〜……」
「ペア?」
「私、誰と組むの……?」
不安と期待が入り混じった声が飛び交う中、宮中は淡々と続けた。
「と言っても、中間は“異能測定”とでも思ってくれればいい。本番は期末だ」
つまり――これは前哨戦。
それぞれの異能の出力や制御を見極めるための「観察試験」だった。
ペア発表の瞬間、教室中がざわめく。
それぞれの名前が呼ばれ、そして――
「風悪と、辻」
その一言で、風悪は小さく息を呑んだ。
隣を見やると、辻は静かに目を伏せていた。
「……よろしく、な」
ぎこちなく笑う風悪に、辻は短く「うん」とだけ答える。
試験会場は、学園裏の広い訓練場。
砂地のフィールドを囲むように結界が張られ、上空には監視ドローンが浮かんでいる。
他のペアがそれぞれの教師に挑む中、風悪と辻の前に立つのは――
担任の宮中潤。
黒いマスクをし、手には黒光りする大口径の銃を構えていた。
「先生か……十三部の試練以来だな」
風悪が小さく呟く。
隣の辻は顔をこわばらせていた。
「辻、頑張ろうな!」
いつものように笑って声をかける。
けれど返事はなかった。
辻の表情には、焦りと――恐れがあった。
「辻?」
問いかけたその瞬間。
宮中が淡々と手を上げ、銃を肩に担ぐ。
「魔物を呼び出しては数が有利になりすぎる。今回は、これだけで行く」
そう言うと、銃身が低く唸りを上げる。
魔力を圧縮した黒いエネルギーが、空気を震わせた。
宮中の胸には、金属製のバッジが光る。
それを奪う――ただ、それだけが合格条件。
けれど、相手は現役の治安維持組織“ⅩⅢ”の一員。
戦闘経験も力量も、次元が違う。
風悪が息を呑む間もなく、銃口がこちらを向く。
──パァンッ!
炸裂音と同時に、砂煙が舞う。
風悪は咄嗟に風を纏い、攻撃を避けた。
「くっ……! 速い!」
風圧で砂が渦巻く。
風悪は前方に手を伸ばし、風を刃へと変える。
「辻、右から回り込め!」
叫ぶ。
けれど、その声に返事はなかった。
振り返ると――辻が、膝をついていた。
「辻!?」
砂地に手をつき、肩で息をしている。
顔色は蒼白。
額から冷たい汗が流れていた。
「おい、大丈夫か!」
風悪が駆け寄ろうとした瞬間、宮中の声が響く。
「風悪、気を抜くな」
銃口が再びこちらを向く。
しかし風悪の目は、倒れかける辻から離せなかった。
「なんで……!」
辻の周囲の空気が、ゆらりと歪む。
黒い靄のようなものが、彼の身体から立ち上がり始めていた。
それはまるで、意思を持つ“影”のようだった。
風悪はハッとした。
目の前の黒い靄が、まるであの“魔”の気配と同じものに見えた。
風がざわめく。
辻の影が、音もなく蠢いた。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




