第百二十二話 雷と虚無
「わっかし~! 手抜いたら許さないんだからー!」
観客席から、五戸このしろの張り上げた声がこだました。
彼女の手にはスマホ。いつもの調子で叫びながらも、どこか楽しそうだった。
「無理だろ、相性が悪い」
六澄わかしは、眼鏡の縁を指で軽く押し上げながら呟く。
冷静な声音。その言葉に、五戸は「なんだとお!?」と噛みついた。
だが、六澄の返答はなかった。
そのまま、無表情のままゆっくりと中央へと歩いていく。
訓練場の中心――
そこに並び立つは、四月レンと六澄わかし。
緊張が、まるで冷たい風のように場を包み込む。
「正直、自分の相手は七乃かと思った」
六澄が淡々と口を開いた。
感情の起伏のない声。まるで機械のように、言葉を発する。
「それだと私の相手がいないだろう?」
四月は雷の光を宿した瞳で答えた。
その声には一切の揺らぎがない。
六澄のような“存在”を前にしても、平然とした態度を崩さない。
「自分も無理なんだが」
六澄は、わずかに視線を下げながら言った。
それは弱音でも、冗談でもない。
彼にとって“無理”とは、理屈としての限界を意味していた。
会場の空気が、張り詰める。
誰もが息を呑み、ただ二人の姿を見つめていた。
「第七回戦──四月レン対、六澄わかし! 始め!」
宮中の声が訓練場に響いた。
異能実技試験、最後の戦い。
十四人の集大成にして、異能実技試験の最終局面。
開始の瞬間、六澄の足元に闇が広がる。
黒い靄のような影が静かに地を這い、四月へと伸びていく――はずだった。
しかし、その影は一歩も進まない。
「……っ」
六澄がわずかに目を細める。
四月は右手を前に掲げていた。
その掌から、稲妻の光が迸る。
白雷が空気を裂き、砂塵を焦がす。
影は光に従属する。
強すぎる光の前では、闇は形を保てない。
六澄の足元から伸びようとした闇は、
ただ光に押されて後方へと逃げるように伸びていった。
「流石に、知っているんだな。闇の弱点」
六澄は小さく言う。
その声音には動揺も、悔しさもない。
まるで事実を読み上げるように淡々としていた。
「さて、どうする? 六澄」
四月はわずかに首を傾け、挑発めいた笑みを浮かべる。
雷光が彼女の髪を照らし、白い肌の上に冷たい影を落とした。
六澄はその光景を見ても表情を変えない。
ただ静かに、目の奥に何かを宿す。
風が止まる。
次の瞬間、空気が――張り裂けた。
異能同士の“理の衝突”。
四月と六澄、光と闇の戦いが、今始まろうとしていた。
六澄は静かに足を踏み出した。
闇を自らの背に展開したまま、わずかに重心を下げる。
その動作には、一切の無駄も感情もない。
「……っ」
足元の砂が、かすかに鳴る。
次の瞬間、六澄は一気に間合いを詰めた。
黒い気流が彼の周囲を纏い、影が四方に滲む。
狙うは一撃――四月への蹴り。
しかし。
「甘い」
四月は右手に宿した雷光をそのままに、左手だけで受け流した。
手首のわずかな角度で衝撃を逸らし、身体を回転させながら避ける。
軽い一拍の静寂が、訓練場を支配した。
それでも六澄は攻撃を止めなかった。
闇が光を避け、逆流する。
その逆行する黒を背に、六澄は無表情のまま踏み込みを繰り返す。
蹴り、拳、体重を乗せた打撃――
そのたびに、四月の動きが滑らかに回避と受け流しを繰り返した。
雷と影。
光と虚。
触れ合うたび、火花が散り、音が空気を震わせる。
「意外だわ……もっと派手な勝負になるかと思ったけど」
五戸の声が観客席から漏れた。
彼女の声を皮切りに、誰もが息を呑む。
轟音も閃光もない。
ただ、静かで――恐ろしく精密な攻防。
四月が軽く蹴り上げ、六澄が後方へ飛ぶ。
制服の裾が宙を舞い、華麗な着地。
そして、即座に背の闇を踏みつけるようにして再加速。
「早い──」
黒八が呟いた。
その速度は、先程よりも明らかに上がっていた。
「六澄、速度上がってね?」
風悪が目を見開き、隣の辻を見る。
「なんか、だんだんと早くなってるような……」
辻も同意するように頷いた。
事実、六澄の動きは確実に速くなっていた。
最初の静かな攻防から、次第に異能の密度が変わっていく。
「……病み使いだったな」
四月が小さく呟いた。
雷の光が彼女の横顔を照らす。
闇使いは、病み使いでもある。
他者を病ませる力を持つ代わりに、己が“病む”ほどに強くなる。
精神の歪み、肉体の疲弊、痛みや憎しみ――
それらすべてが、六澄を強化する燃料となる。
長期戦になるほど、有利。
つまり、今この瞬間も六澄は強くなっていく。
四月の目がわずかに細められる。
六澄は無言のまま、影の刃を繰り出す。
それは風を切り裂き、四月の肩をかすめた――しかし、光に触れた瞬間、黒は蒸発した。
「やはり届かないか」
六澄は静かに息を吐く。
その口調は、諦めではなく確認。
まるで研究者が実験結果を見届けるようだった。
(影と影が交差できれば……)
六澄は思考する。
しかし、目の前に立つ四月――彼女の精神は群衆熱でも乱せなかった。
“理性の化身”とも言えるその心に、影を差すことは容易ではない。
それでも六澄は止まらない。
何度も踏み込み、蹴り、拳を放つ。
四月は一歩も退かず、全てを受け流し続ける。
雷の光が淡くきらめき、そのたびに闇が後退していく。
やがて、六澄は一度後方に退き、呼吸を整えた。
額に汗ひとつない。
しかし、その瞳の奥に、かすかな揺らぎが生まれていた。
「……無理だよ、このしろ」
六澄はぽつりと呟く。
観客席の五戸に向けて、表情を変えずに言った。
「無理言うな! 行け!」
五戸が思わず立ち上がる。
「でも事実、光源がある以上届かないのでは」
黒八が冷静に分析した。
その言葉に、風悪が苦笑する。
「……まあ、確かにな」
誰もが、四月の“光”の前に闇が届かないことを理解していた。
六澄は眼鏡の位置を直した。
その動作は、静かで、儀式めいている。
そして――闇を再び展開した。
だが今度は、彼自身の足元ではなく、背後の深淵。
光の届かない、完全な“死の領域”。
「……っ」
空気が重くなる。
四月の雷光がわずかに揺らぐ。
闇の中から、音がした。
ずるり、と何かが這い出る音。
「なっ……!」
観客席がどよめいた。
黒い闇の中から、無数の影――いや、“屍”が這い出てくる。
白濁した瞳、失われた表情。
それは六澄がこれまでに“闇に飲み込んだ”者たちだった。
その中には、一条会の残党や信者、流影と呼ばれた者の姿もあった。
あまりの光景に、生徒たちは息を呑む。
「うそ……だろ」と、誰かが呟いた。
四月はただ、黙って見つめていた。
六澄も同じく、何も言わず、目を逸らさない。
光と闇。
創造者と制裁者。
世界の理そのものが、いま、静かに対峙していた。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




