第百十話 霜月、中間テスト
中間テスト前
霜月の空は、どこか乾いていた。
低く流れる雲の下、風悪は屋上に一ノ瀬を呼び出していた。
「この前、分かったんだけど……黒い妖精――“ラウロス”あれ、六澄だった」
その言葉を口にするまでに、少しのためらいがあった。
六澄わかしがラウロスだと知ったところで、何か変わるわけでもない。
それでも、伝えなければいけない気がした。
一ノ瀬は目を丸くし、俯いたまま動かない。
「あいつ、多分……何されても口を閉ざす」
風悪の声は、冷えた風に紛れて小さく消える。
一ノ瀬はスマホを取り出し、短く文字を打った。
『翅がないのは?』
「妖精の力を使い果たしたらしい。その力で……この世界を作った、って」
ふたりの間に沈黙が落ちた。
屋上の柵を越えて、風が通り抜ける音だけが響く。
言葉が、どちらからも出てこなかった。
「ごめん。これ以上は……話してくれそうになくて」
風悪が先に沈黙を破る。
一ノ瀬は唇をかすかに噛みしめ、画面を見つめたままだった。
(あんなに……近くにいたのに)
彼女はスマホを強く握りしめる。
その小さな手の震えに、風悪は気づかないふりをした。
「ごめん。中間テスト前で忙しいのに、こんな話して」
視線をそらしながら言う風悪に、彼女は画面を見せた。
『大丈夫』
たったそれだけの文字。
けれど、それ以上の言葉は必要なかった。
ふたりの間を、冷たい風がやさしく通り抜けていった。
――その様子を、屋上の入口付近から夜騎士と黒八が見ていた。
「やっと告白成功か?」
「風悪君、ファイトです!」
能天気な声に、隣の王位がため息をついた。
「……なんでいつも男女の仲だと思ってるの、君たち」
そのぼやきは、ふたりの耳には届かない。
霜月始め・中間テスト当日
筆記試験が終わった教室は、もはや戦場の後だった。
全員が机に突っ伏し、「もう勉強したくない」と呻く声がそこかしこから聞こえる。
だが、真の地獄はここからだった。
午後――異能実技試験。
「今回は精神耐性テストを行う。いかに“魔”に呑まれずにいられるかの試験だ」
低く響く声。
黒いマスクを付けた担任、宮中潤が壇上に立っていた。
今回の試験は、“魔”に対する耐性を測る特別試験。
外の世界との繋がりを持つ者ほど耐性は強い。
だが逆に、“魔物の血”や“魔因子”を持つ者ほど、暴走の危険が高くなる。
その説明を聞きながら、風悪は静かに息を吐いた。
自分には“外”の記憶がわずかにある。
耐性は高い。だが、それが優位なのかどうかは分からない。
一方で、夜騎士は珍しく不安げな顔をしていた。
辻もまた、腕を強く握りしめ、俯いている。
「凶君……」
三井野が小さく呼ぶ。
けれど夜騎士は応えなかった。
風悪は、そんなふたりの様子をただ見つめていた。
試験会場
呼び出しの声が響くたび、ひとりずつ、無機質な部屋へと消えていく。
そこで生徒たちは“幻影装置”に接続され、自らの心と向き合うことになる。
「A組一番――一ノ瀬さわら」
名を呼ばれ、一ノ瀬は小さく頷いた。
瞳には、怯えではなく、覚悟の光。
装置が起動し、光が満ちる。
――幻が生まれる。
彼女の前に現れたのは、かつて暴走した“友人の声”だった。
それでも彼女は、耳を塞がず、ただ前を見た。
「安定」
監督官の声が響く。
「二番――二階堂秋枷」
部屋に入った二階堂の表情は、どこか虚ろだった。
額に汗が滲む。
それでも二階堂は、歯を食いしばって意識をつなぎ止めた。
「やや安定」
「三番――三井野燦」
彼女の目の前に現れたのは、“弱い自分”だった。
何も出来ず、誰かに守られてばかりの自分。
――でも、それも“自分”だ。
三井野は静かに目を閉じ、両手を胸の前で重ねた。
弱さを、受け入れる。
その瞬間、幻は音もなく消えていった。
「安定」
「四番――四月レン」
装置が光り、無数の影が浮かぶ。
亡霊のような子どもたちの声。
――かつて、“選ばれた子どもたち”が死にゆく記憶。
だが四月の表情は、わずかも揺れなかった。
「……背負う覚悟は、もうしてる」
その一言と共に、幻影が消える。
「異常に安定」
試験官の声が響いた。
「五番──五戸このしろ」
装置が起動すると同時に、五戸の目の前に“かつての友”が現れた。
その笑顔は、もうこの世にいないはずのもの。
だが五戸は、一歩も退かない。
あの日の涙も、後悔も、すでに終わらせた。
敵は討った。想いは果たした。
「……もう、振り返らないよ」
その言葉に幻が崩れる。
装置が静かに光を消した。
「安定」
淡々とした試験官の声が響いた。
「六番──六澄わかし」
六澄は席を立ち、何の迷いもなく装置に手をかけた。
彼の表情は、いつもの通り――無。
装置が起動しても、その瞳の奥に一片の揺らぎもない。
幻は現れなかった。
“心の闇”すら、反応しない。
まるで最初から“人間”としての揺らぎが存在していないようだった。
「異常に安定」
淡々と告げられる評価。
教室の空気が一瞬、冷たく張り詰めた。
「七番──七乃朝夏」
七乃は深呼吸を一つして、装置に入る。
幻の中で彼女は、仲間たちの背中を見ていた。
どれも、自分より強く、自分より速く――
けれど七乃は、下を向かなかった。
ただ、まっすぐ前を見据えていた。
精霊の声が彼女の周囲に響く。
「おまえの歩幅でいい」と。
七乃は微笑んだ。
「安定」
「八番──黒八空」
黒八の幻影には、沈みゆく太陽が映っていた。
いつか、光は消える。
人も、鳥も、空も――いずれは。
けれど黒八は、その闇の中で拳を握りしめた。
「太陽がいなくても、私は笑ってる」
その声は、涙のように透きとおっていた。
「安定」
「九番──鳩絵かじか」
幻の中で、鳩絵は怯えていた。
暗闇の中、誰もいない。
筆も、絵も、消えていく。
けれど、胸の奥に浮かぶ。
――五戸の声。一ノ瀬の顔。みんなの笑い声。
鳩絵は小さく頷き、震える手で“何か”を描いた。
白い光が、その絵から広がっていく。
「やや安定」
「十番──辻颭」
幻が動き出す。
目の前に広がるのは――血塗られた過去。
辻の爪が、何度も何度も赤を刻んでいた。
悪人の悲鳴。仲間の声。
そして、黒八と風悪を斬りつけた“あの瞬間”。
辻は頭を抱え、膝をついた。
“斬りたい”という衝動と、
“もう斬りたくない”という倫理が、心の中で激しくぶつかり合う。
(俺は……何をしてきたんだ)
罪の重さに、息が詰まる。
けれどその時、脳裏に浮かんだのは十三部の仲間たちの姿だった。
(罪は消えない。……だったら、背負って前に進む)
辻はゆっくりと立ち上がる。
拳を握る手が、震えていた。だが、もう怖くはなかった。
宮中が腕を組み、穏やかに呟く。
「安定してきているな」
試験官の判定が告げられる。
「やや安定」
「十一番──夜騎士凶」
――静寂。
装置が光り、夜騎士の視界が白く染まる。
次の瞬間、広がったのは“血の海”だった。
幼い日の記憶。
魔物の血が暴走し、何もかもを壊したあの夜。
仲間も、家族も、街も――すべてが黒い波に呑まれていく光景。
叫び声が響く。
少年の自分が、手を伸ばす。
その手には、鋭い影の刃。
(違う……もう、終わったはずだ)
必死に否定する。
けれど、幻は終わらない。
“罪”と“力”が溶け合い、心を蝕んでいく。
額に汗が滲む。歯が軋む。
青黒く光る影が、彼の身体から滲み始めた。
――装置の警報が鳴る。
「出力上昇、制御値超過!」
監督官の声が響くが、夜騎士はもう聞こえていなかった。
瞳が、青から黒へと濁っていく。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




