第百五話 封印解錠
北乃ムラサキは校門を出ると、まっすぐに帰路へと歩いた。
夕暮れの風が頬を撫で、どこか焦げたような匂いが鼻を掠める。
その匂いに、彼女はほんのわずか胸を痛めた。
家の扉を開けると、部屋の奥――
薄暗いカーテンの隙間から、一本の銀色が微かに光った。
それは、彼女がずっと隠していたもの。
――一本のレイピア。
柄には古びた刻印が彫られ、刃は淡く青白く輝いている。
まるで息をしているかのように。
彼女は静かにその武器を手に取った。
指先が触れた瞬間、微かな“声”が頭の奥に響く。
――《これに魂を集めれば、願いは叶う》
それは、あの日。
夢と現の狭間で聞こえた、誰かの囁き。
「……これと同じものを、集めればいい」
ムラサキは、自分に言い聞かせるように呟いた。
その瞳には、決意とも焦燥ともつかない光が宿っていた。
* * *
彼女は動き出した。
夜の校舎へ、誰にも気づかれないように。
月の光が差し込む廊下を歩き、影のように音も立てず進む。
レイピアの刃が光を反射し、壁に淡い線を描いた。
北乃は、群集熱の配っていた“武器”を探していた。
それらは魂を喰らい、願いを叶えるための媒介。
その存在が、再び封印を開く鍵になると信じていた。
――奪えば、きっと助けられる。
そう信じて。
そして、ひとつの噂を耳にした。
“一年A組が、武器を絵に換えてファイルにして保管している。”
そのファイルは、美術室にある――と。
* * *
ある時、
北乃は静まり返った廊下を歩き、美術室の前で足を止めた。
ドアの鍵は開いている。
中には、光を浴びたキャンバスと、整然と並ぶ画材たち。
その奥の棚に、ファイルがあった。
まるで何かを封じ込めるための“書物”のように。
ムラサキは迷いなく、レイピアを構えた。
――シュッ。
刃が走り、ファイルが裂ける。
その瞬間、室内の空気が弾けた。
中から、黒い霧と共に、無数の道具や武器が形を取り戻す。
剣、槍、鎖、鈴、鎌――それぞれが異能の痕跡を帯び、床に散らばった。
風が逆流し、カーテンが大きくはためく。
「こんなにも……A組……」
ムラサキは呆然と立ち尽くした。
目の前の光景が信じられない。
封印された教室。
眠る友たち。
そして、何も知らぬまま日常を取り戻したA組。
胸の奥に、黒い感情が生まれる。
それは怒りか、悲しみか――自分でも分からなかった。
「どうして……」
ムラサキの声が震える。
その時だった。
――“ね、いい子ね、北乃ムラサキ。”
不意に、柔らかな声が響いた。
その声は、風に乗って部屋を満たしていく。
『そう、それでいいの。』
まるで母親が子に語りかけるような、優しい声音。
けれど、その奥には冷たい喜悦が潜んでいた。
ムラサキは息を呑む。
「……ユイ?」
名前を呼んだ瞬間、風が一層強く吹き抜けた。
* * *
同じころ、A組仮教室――特別対策部室。
風悪がふと顔を上げる。
風の流れが変わった。
外の窓が、かすかに鳴っている。
「……ユイ?」
その名を、思わず口にしていた。
隣の五戸が眉をひそめる。
「はぁ? 何であれの名前出すんだよ?」
五戸はスマホをいじりながらも、わずかに身を乗り出す。
「まさか、幻聴とか言うなよ?」
「いや……声が聞こえた気がしただけだ」
風悪の言葉は曖昧に揺れた。
しかし、その時すでに――
遠く、B組封印エリアの空で。
結界の膜に、細い裂け目が走った。
そこから、冷たい風が逆流する。
チリン──。
季節外れの風鈴の音が、静かに響いた。
ⅩⅢ監視棟。
無数のモニターが赤く染まり、警報の電子音が響いていた。
宮中潤は端末を操作しながら、低く呟く。
「……風が、逆流している」
視線の先、波形が暴れるように跳ね上がっていた。
その中央に、見覚えのある名が浮かび上がる。
――“-02y<ユイ>”。
四月が息を詰める。
光の反射で揺れる彼女の瞳に、波形の赤が映り込んでいた。
ただ、その名を見つめる。
封印は、もう誰の手にも止められない。
* * *
その時――空気が、音もなく凍った。
監視室の扉が開く。
重い金属の音とともに、ひとつの影が現れた。
黒の封印装束。
全身を覆う深いヴェール。
その存在だけで、室内の温度が数度下がる。
ⅩⅢ封印局長――コードネーム《封獄の番人》。
彼女は、組織内でも数少ない“空間固定”の異能保持者。
その一歩で、周囲の空気が張り詰めた。
「特級許可は下りた。命令は絶対。――再封印を施す」
冷たく、静かな声。
それは命令というより、宣告だった。
「待ってください!」
宮中が思わず前に出る。
「中にいる一般生徒の命はどうでも良いんですか!?」
封印局長は振り向きもせず、淡々と答えた。
「前にも言いましたよね。情は不要と」
その声音には、わずかな揺らぎすらなかった。
「B組への連結支配さえなければ……」
宮中は唇を噛む。
四月は無言のまま、モニターを見つめ続けていた。
揺れる光の中で、B組の封印波がさらに上昇していく。
その波形の裏で、彼女の中に確かに芽生えるものがあった。
――“守りたい”という感情。
けれど、今の彼女には届く力がない。
「私に……力があれば」
四月は組んでいた腕を強く握りしめた。
指先が白くなるほどに。
その姿を見つめながら、宮中は小さく息を吐く。
* * *
その頃、切ノ札学園――一年A組。
騒ぎを聞きつけた生徒たちが、封印されたB組の前で、A組の仲間たちが立ち尽くす。
「なんで……!?」
三井野が叫ぶ。
結界の光が、目の前でゆっくりと“開こうとしていた”。
「封印が……解かれようとしている」
王位が低く分析する。
その声は震えていた。
「誰が……こんなことを」
夜騎士の声に、誰も答えられない。
ただ、廊下の向こうから――ゆっくりと“足音”が近づいてくる。
その音を聞いた瞬間、風悪の胸が締めつけられた。
――まさか。
白い光を背に、一人の少女が歩み出る。
黒い髪に紫の光を宿し、手には一本のレイピア。
「北乃……ムラサキ……?」
鳩絵が息を呑む。
北乃は、誰にも視線を向けない。
ただ結界を見つめ、冷たく言い放った。
「私のB組を、返してもらう」
その声は、凪のように静かで――けれど確かに燃えていた。
次の瞬間、彼女は手を掲げた。
背後に浮かぶ無数の“武器”が、ゆっくりと宙に舞う。
レイピア、鎌、鈴、槍、銃――どれも異能の残滓を宿した魂の器。
「願いを叶えるために、みんなの魂を取り戻す」
北乃が一歩前に出ると、武器たちは光の粒に変わり、
封印の裂け目へと吸い込まれていく。
風が逆巻き、白い結界が悲鳴のように鳴いた。
B組の封印膜が波打ち、裂け目の向こうで“ユイ”の声が響く。
――「よくできましたね、ムラサキ」
甘く、優しい声。
それは、母が子に褒め言葉を与えるように。
しかし、その優しさの奥には、確かに“狂気”があった。
北乃の髪が風に舞う。
瞳はまっすぐ結界を見つめ、静かに微笑んだ。
「……みんな、待っててね」
風が唸りを上げ、封印が再び光を放つ。
――その時、世界の“風”が変わった。
ⅩⅢ監視棟のモニターが一斉に点滅する。
封印値、限界突破。
誰もが息を呑む中、
画面の中心で、ひとつの文字列が滲む。
――“-02y<ユイ>:解放”
解放の風が、世界を包み込もうとしていた。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




