第百三話 風、静まる夜
体育祭一日目の夜。
切ノ札学園の校庭は、眩い光と笑い声に包まれていた。
屋台の灯が連なり、夜空に打ち上がる花火が瞬く。
勝利に沸く生徒たちは、紙皿を手に屋台の残り物を分け合い、楽しげな喧噪が夜風に混ざっていた。
「明日は上級生対決も見たいね!」
「うん、楽しみ!」
三井野が笑顔で妃に声をかける。
妃は焼きそばのパックを片手に「先輩が勝つ方に賭けよっと」と冗談を飛ばし、笑いを誘った。
少し離れた壇上では、王位と夜騎士が閉会の挨拶を任されていた。
昼間の激戦が嘘のように、二人の表情は穏やかだ。
「流石に緊張するな」
「だね」
夜騎士がぼそりと呟き、王位が苦笑する。
観客席からはA組の仲間たちの声援が飛び、笑いがこだまする。
その喧騒の中で、風悪はふと立ち止まっていた。
手に持った紙コップのラムネが、風に揺れて細かく波打つ。
見上げた空には、金色の花火が咲いては消えていく。
「……風が、笑っていない気がする」
小さな呟きは、誰にも届かない。
吹き抜ける風が髪を揺らし、遠くで花火が破裂する。
その一瞬の閃光の裏で、彼の胸に小さなざらつきが残った。
* * *
同時刻――ⅩⅢ監視棟。
夜のアリーナを見下ろすその部屋は、外の喧噪とは正反対に静まり返っていた。
壁一面のモニターには、封印監視用の波形データが淡く光を放っている。
宮中潤が腕を組み、ディスプレイを覗き込む。
隣で四月レンが無表情に端末を操作していた。
「“B組封印エリア”の波形……上昇傾向だな」
宮中の声が低く響く。
通常では考えられない微細な“精神波干渉”が、ゆるやかに画面を走っていた。
それは鼓動のように、一定の間隔で明滅を繰り返している。
「あの闇が封印波に共鳴した……? まさか、媒介に」
宮中が言う。
「波形は一度止まったが……次第に“願い”のパターンに近づいている」
四月の声は冷ややかで、どこか興味深げだった。
その目は、波形の揺らぎの奥に“生きている”何かを見ていた。
モニターの隅で、微細な残留データが浮かび上がる。
白いノイズの中に、文字列が滲む。
――“-02y<ユイ>”。
宮中の目が細まる。
「……封印は、静かに呼吸を始めたか。」
四月が無言で頷いたあと、ぽつりと呟く。
「そうか……一人いたな。」
「一人……?」
宮中が眉を寄せる。
四月はモニターから視線を外さず、淡々と告げた。
「一年B組を休学中で、今日も来ていなかった生徒が。」
「それって──」
宮中が呟いた。
その瞬間、室内の照明が一瞬だけ明滅した。
モニターの波形が不規則に揺れ、ノイズの奥で“誰かの声”が微かに響いた気がした。
四月と宮中は同時に顔を上げた。
静寂が、再び監視室を満たしていく。
外ではまだ、花火の音が響いていた。
だが、それがどこか遠い世界の出来事のように感じられた。
夜。
祭りの喧噪が遠ざかり、建物の灯も一つ、また一つと消えていく。
寄宿舎の一室、風悪はベッドの上で目を閉じた。
外では秋の虫の声が響き、窓の隙間から微かな風が流れ込む。
疲れと共に意識がゆっくりと沈み、夢の底へと落ちていった。
──ガタン、ゴトン。
車輪の音。
視界が開くと、そこは“いつもの電車”だった。
どこまでも続くトンネル、光の差さない窓。
けれど今日も、何も変わらない。
景色は一枚の絵のように止まり、時間の流れさえ感じない。
車両の奥。
白い光が揺れていた。
封印の光。
その中心に、少女が座っていた。
ユイ。
「おめでとうございます。勝ったんですね」
いつもと同じ微笑み。
だが、その声は少しだけ震えていた。
風悪は静かに息を吐く。
「……お前は、封印されたはずだ」
「封印は、終わりではありません」
ユイは膝の上で手を重ね、穏やかに言葉を続けた。
「願いは、形を変えて続くものです。たとえ、それが誰かを苦しめるものであっても」
「願い……」
「はい。風は、いつも誰かの願いを運びます」
その声が遠ざかっていく。
ユイの身体が白いノイズに包まれ、輪郭が崩れていった。
ノイズの向こうから、最後の一言だけが届く。
「……一人、お忘れですか?」
「一人……?」
風悪が顔を上げた瞬間、
電車の窓が砕け、外から冷たい風が吹き込んだ。
視界が一瞬、暗転する。
風の音と共に、夢が崩れた。
──目を覚ます。
カーテンが揺れていた。
朝の光が差し込み、鳥の声が遠くで聞こえる。
風悪はゆっくりと上体を起こした。
胸の奥に、まだ夢の残滓が残っている。
“誰かを忘れている”――その言葉だけが、心にひっかかっていた。
窓を開けると、秋の朝の風が頬を撫でる。
しかし、その風はどこか冷たく、寂しげだった。
「……また、風が泣いてる」
呟きは小さく、風に溶けた。
「風悪君、顔が少し青いですよ?」
背後から黒八が声をかける。
朝焼けを背に、彼女の笑顔は柔らかい。
「大丈夫。ちょっと寝不足なだけ」
風悪は笑ってごまかした。
けれど胸の奥には、冷たいざらつきが残っている。
アリーナでは、生徒たちが体育祭二日目――決勝戦の準備に追われていた。
昨日の勝利の余韻がまだ続いているはずなのに、
風悪の耳には、その笑い声が遠くに聞こえた。
* * *
同じ頃。
ⅩⅢ監視棟。
宮中潤が端末を見つめ、低く呟く。
「“願い”の因子、再起動。封印値、0.07上昇……」
隣の四月がデータを解析する。
モニターの片隅に、淡い光の残像が揺れていた。
それは、笑う少女の影。
ノイズの中で、一瞬だけ“風のように”微笑む。
宮中が息を呑む。
「……始まるのか」
* * *
朝の廊下。
足音がひとつ、響く。
制服の裾を揺らしながら、
北乃ムラサキが静かに歩いていた。
群衆熱事件の中心――眠り続けた少女。
彼女の瞳がゆっくりと開く。
「……誰がB組を──」
窓の外で、風が吹いた。
淡い白光が彼女の瞳に映る。
まるで、運命の風が再び吹き始めたかのように。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




