第百話 波濤、越えて
体育祭、午後の部。
昼食休憩を終えた会場に、再び熱が戻ってくる。
ⅩⅢ異能結界アリーナ第三層――〈闘技の演壇〉。
陽光を反射する半透明の結界膜の内側、
六つの影が互いに向かい合っていた。
観客席前列から、切ノ札学園一年A組の声援が飛ぶ。
「凶、負けるなよ!」
「三井野さん、歌って!」
「妃、かっこつけはよしなさいよね!」
それぞれの声が結界の中にまで響き、緊張と熱気が交錯する。
――切ノ札学園 対 海皇高校。
宿命の再戦。
あの水無月の“決闘システム”で激突した両校が、
再びこの舞台で相まみえる。
切ノ札の代表は、夜騎士凶・三井野燦・妃愛主。
対する海皇高校は、魚ノ目憂・鯨連座・海豹疎。
「因縁の対決か……」
夜騎士が低く呟く。
その横で三井野が、小さく息を吸い込み微笑んだ。
「うん、でも今なら――歌える」
かつて怯えて声を出せなかった少女の瞳には、
今は確かな光が宿っていた。
「ふふん、あたしに任せて!」
妃は腰に手を当て、挑発するように言い放つ。
その強気な笑顔に、観客席から歓声が上がった。
ステージの向こう側から、海皇高校の三人が姿を現す。
青を基調とした制服、波の紋章が入った外套。
魚ノ目憂はその中心で、黒い茨を指先に絡ませながら笑った。
「鯱氷っち、お久しぶり! 今度は負けないから!」
その声に、隣の鯨連座が頭を掻きながら訂正する。
「鯱氷じゃない、今は夜騎士だ」
「わかってるっての!」
魚ノ目は軽口を返しつつも、
その瞳の奥に確かな闘志を燃やしていた。
審判役――教育庁異能管理局の職員が手を上げる。
結界内に静寂が訪れ、空気が一気に張りつめる。
「第一回戦、チーム戦――決闘、開始!」
その合図で、戦いの幕が切って落とされた。
妃が先陣を切る。
彼女の異能が、異性の神経に干渉して動きを止める――
はずだった。
しかし、対面に立つのは魚ノ目憂。
同性には効果がない。
妃が前に出た瞬間、黒い茨が地面を這い、
鞭のようにしなって彼女を弾き飛ばした。
「ぎゃっ!」
派手な悲鳴が響く。
「何やってんだよ、お前……」
夜騎士が呆れたように肩を落とす。
だが、即座に動いた。
青黒い影が夜騎士の身体から溢れ出し、
茨の攻撃を弾き返していく。
すぐに空気が冷たくなる。
海豹疎が氷結を展開。氷の礫が飛び交う。
妃はすぐに体勢を立て直し、
洗脳の波動で海豹疎の動きを一瞬止めた。
その間に、鯨が詠唱を始める。
低い声がアリーナ全体を震わせる。
「爆ぜろ、鯨の咆哮――」
次の瞬間、空気が歪んだ。
「爆発する鯨が厄介か……」
夜騎士が目を細め、冷静に状況を見極める。
「凶君、任せて。」
三井野が一歩前に出る。
凛とした声が結界内に響く。
『物は数多の矢となりて、哀れなそれを撃つだけ――』
その瞬間、音が形を持つ。
歌声が空気を震わせ、見えない“矢”となって放たれた。
爆鯨の衝撃波を相殺し、茨の影を押し戻す。
三井野の異能〈旋律〉。
歌を媒介にして、音波で空間を支配する。
(未熟な私じゃ、あまり力にはなれないかも……
だけど、それでも。今度こそ――届かせたい。)
彼女の心の中で、確かな決意が鳴った。
* * *
まだ中学生だったころ。
三井野が転校した先の学校で、夜騎士凶に出会った。
その頃の彼は、すでに“海豚悪天”との事件を終えており、
左目を髪で隠していた。
――教室のざわめき。
あの日の記憶が、三井野燦の中で静かに蘇る。
「えー今日からこのクラスの一員の三井野くんだ。みんな仲良くするように」
先生の声など耳に入っていなかった。
その瞬間、彼女の世界には“ひとり”しか存在していなかった。
窓際の席、外を見つめる少年。
前髪で左目を隠した、無愛想な横顔。
(え……!? 顔、超好み!!)
三井野は頬を真っ赤にして、必死に興奮を抑えようとした。
だが、夜騎士がふと振り向き、視線が交わる。
――次の瞬間、三井野は鼻血を吹いて倒れた。
「三井野さああああん?!」
「凶てめー!」
「またか! 許すまじ!」
教室に騒然とした声が飛び交う。
「なんでオレ?」
当の本人――夜騎士凶には、まったく自覚がなかった。
そう、あれが“三井野の一目惚れ”の始まりだった。
*
休み時間、声をかけてきたのは妃愛主だった。
「燦ってよんでいい?」
「うん、いいよ」
「あたしのことは、愛主って呼んで!」
「分かった!」
そんな他愛もない会話を交わしたあと、
三井野の視線はまた夜騎士へ向いていた。
それを見ていた妃が、ため息混じりに言う。
「凶はやめて、あたしにしない?」
「え?」
「女子という女子を盗られてるのもそうだけど、富のやろうと仲良いってのがもう無理!」
妃は拳を作り、憤慨していた。
「盗られてはないと思う……ってか、王位君と仲良いんだ」
三井野は少し頬を染め、そう呟いた。
それから妃に、海豚悪天と夜騎士の確執を聞かされた。
王位のために夜騎士が怒ったのだという。
――そんな友のために怒れる人。
三井野は話を聞きながらも、心のどこかでまた思っていた。
(優しい人なんだ……)
*
放課後、校舎裏に響く異能の音。
夜騎士が影を纏い、制御訓練をしていた。
「三井野か」
「夜騎士君、何していたの?」
夜騎士は影を納め、少し照れくさそうに言う。
「凶で良いよ。その苗字、慣れないし。
オレの異能、どこから説明したらいいか……
“魔物”由来だから暴走しやすくて、制御の練習をしてた。そんな感じ」
「特にオレは、引き継いだ“魔物の血”が濃いみたいでさ。
いつか友達を巻き込まないためにも、ってね。
幼少期は制御できなくて……色々あったんだ」
(凶君……)
三井野は頬を染めながら、その横顔を見つめていた。
「聞いたよ。凶君が王位君のために怒ったって」
「悪天のやり方は、許せなかったからな」
夜騎士は短く答えた。
「どうしてそこまで、友達のために出来るの?」
三井野の問いに、夜騎士は少し遠い目をして言う。
「姉がさ、言ってたんだ。
『どうせ力を振るうなら、味方のために』って。
……ただの受け売りだよ。」
どこか寂しげな声。
けれど、その背中はまっすぐだった。
* * *
――そして今、アリーナ。
三井野はその記憶を胸に、歌を紡ぐ。
(今は、私が力を振るう時──)
『滑稽な笑みはなく、恐怖を置いてきた――』
その一節が空気を震わせ、音の波が鯨連座を包み込む。
重い爆気が霧散し、身体の力が抜け落ちた。
「な、なんだ……身体が……!」
動揺する海皇側の隙を、夜騎士は見逃さない。
影が地を走る。
夜騎士の影が鯱の尾を形取り、しなるように伸びる。
「影装――穿衝!」
地を蹴った夜騎士が一気に間合いを詰め、
闇の尾を大鎌のように振り抜いた。
黒い軌跡が走り、三人の身体に直撃する。
次の瞬間、海皇高校の三人が同時に膝をついた。
観客席がどよめき、歓声が爆発する。
審判の声が響く。
「勝者――切ノ札学園チーム!!」
アリーナが歓喜の波に包まれる中、
夜騎士は振り返り、歌い終えた三井野に目をやった。
三井野は微笑んでいた。
その笑顔に、妃が大げさに手を振る。
「やったじゃん、燦!」
「うん……今度は、ちゃんと届いた気がする。」
風が吹き抜ける。
夜騎士の髪が揺れ、微かに笑みがこぼれた。
歌の歌詞の内容は外の世界のものだったりする。
主なキャラ
・風悪…主人公。頭の左側に妖精の翅が生えている少年。
・一ノ瀬さわら(いちのせ)…鼻と首に傷のあるおさげの少女。
・二階堂秋枷…黒いチョーカーをつけている少年。
・三井野燦…左側にサイドテールのある少女。
・四月レン(しづき)…左腕にアームカバーをしている少女。
・五戸このしろ(いつと)…大きなリボンが特徴の廃課金少女。
・六澄わかし(むすみ)…黒髪に黒い瞳、黒い額縁の眼鏡に黒い爪の少年。
・七乃朝夏…軽くウェーブのかかった黒髪の少女。
・黒八空…長い黒髪の少女。お人よし。
・鳩絵かじか(はとえ)…赤いベレー帽が特徴的な少女。
・辻颭…物静かにしている少年。
・夜騎士凶…左眼を前髪で隠している顔の整った少年。
・妃愛主…亜麻色の髪を束ねる少女。
・王位富…普段は目を閉じ生活している少年。
・宮中潤…黒いマスクで顔下半分を覆う男性。担任。




