テセウスの船に染まって
「さー君、脱退したそうですよ」
薄々分かってはいたが、ため息が漏れる。相次ぐ炎上によって、私の推しグループの初期メンバーは、遂に1人残らず脱退してしまった。今残っているのは後から入ってきた後輩達のみ。私は今のグループも嫌いじゃないけど、やはり初期のカリスマ性をビンビンに飛ばした、支配的な踊りを見るのが大好きだった。
「そっかー、残念だねぇ」
「あかり先輩、推し、続けるんですか?」
ファンとしての器を天秤にかけられているようで、少しムッとしてしまった。私はあの時、このグループに一生ついて行くと決めた。誰がメンバーであるかは些細な問題。本質を見失ってはいけないと思う。
「当然でしょー」
感情を隠すように、精一杯の笑顔で上書きする。
「でも、メンバー全員入れ替わっちゃったら、もはや別のグループじゃないですか?」
こいつ……人がわざと避けていたことを、ずかずかと指摘してきやがって~!反論に困る自分に悔しくなる。それでも自分はずっとこのグループを応援し続けてきたんだ。仮に、もし、いつのまにか別のグループに変わってしまったんだとしたら、いつ別のグループになったんだろう。さー君が抜けた時?それとも初期メンの人数が半分以下になった時?
「あはは…、確かに言い得て妙だね。それでも私は変わってないと思いたい。」
考えがまとまらないうちに、言葉が出てしまった。どうして?と聞き返されたら、私はしっかり答えられないかもしれない。
焦って思考をめぐらせる。
「テセウスの船って知ってますか?」
予想外の返答に面食らう。
「え、なにそれ?まきちゃんの推しグループ?」
我ながらマヌケな返答をしてしまった。得意げにニコッと笑う様子から、どうやら違うらしい。やはりこいつ、あざとい!!
「かつてテセウスが乗ったとされる船は、劣化したので補修作業が繰り返されていました。やがて船の全ての部品が交換され、元の部品はひとつも無くなってしまいました。ここで問題、この船は最初のテセウスの船と同じだと言えるでしょーか?」
ケラケラと楽しそうに説明を始める。
「……えっとー、つまり…?」
申し訳ないけど全く分からない。まきちゃんは少し不満そうな顔をした。クイズにおいて、なんでもいいから答えを出すというのは一種のマナーだ。
「つまり、初期のグループと今のグループが同じかどうかって話ですよ。」
やっと合点がいった。なるほど、確かに。テセウスの船というお話と、今のグループはすごく似ている。まきちゃん、可愛いだけじゃなくて、教養もしっかり備えているのは素直に感心する。
「まきちゃんはどう思う?」
まきちゃんの答えが気になった。彼女はどんな回答をするのだろう。
「先にあかり先輩が答えてください」
うーん、困った、どうしよう。
テセウスの船と今のグループが一緒なら、私は、今も昔もテセウスの船は同じという立場を取るべきなのだろうか。
「テセウスの船は今も変わらずテセウスの船のままだと思うな。」
「ふ〜ん。」
私はきのこ派だけど、なるほど、あなたはたけのこ派なのね、よし今から少し遊んであげましょう、といった表情をしている。
うがちすぎだろうか。
とにかくテセウスの船がテセウスの船であり続けている理由を考えなければならない。論客まき対たけのこ派あかりの火蓋は既に切られた。
「あかり先輩は、どうしてテセウスの船は変わっていないと思うんですか?」
まきが最初にしかける。
「だってテセウスの船は世界に一つしかないでしょ。だから、パーツが全部変わってしまっても、テセウスの船という言葉が指すのはあの船のこと以外ないと思う。」
我ながら即興にしてはいい回答が出来たと思ったのも束の間、まきは不敵な笑みを浮かべる。
「確かにおっしゃる通りですね!それではこう考えてみましょう。もし取り替えた古いパーツを集めて、もう一度組み直したら、この船は一体何でしょうか?」
テセウスの船が2隻出来ちゃった!!これでたくさんの人が乗れるね!という能天気な返答は許されない。これは厳粛な討論なのだから。たけのこ派の威信は私が守る。
「古いパーツを組み立てても、それは船としては使えないから、船とはみなせないんじゃないかな。」
まきは私の返答に少し驚いたようで、さっき飲んだばかりのペットボトルにまた口をつけた。どうやらまきはこのターンで決着がつく想定だったらしい。
「あかり先輩は機能を基準にして考えるんですね。それなら、もしやめてしまったメンバーが、もう1度集まって活動を再開したら、どっちを応援しますか?」
はぅーーん。もう私の負けでいいから、しんどかった当時の記憶をいじくり回さないでくれ~…!。いや、今までずっと防戦一方だったけど、今度は私がしかけてやる。
「ちゃんと聞いてなかったけどさ、まきちゃんは、テセウスの船、どっち派なの?」
「私はどっち派でもないですね」
え?!何その、斜め上の回答!ありなの?
「というと…?」
「突貫工事で一気にパーツが取り替えられたなら、私はテセウスの船はなくなってしまったと思うし、逆に時間をかけてゆっくりパーツが取り替えられたなら、例えパーツが全部入れ替わってもテセウスの船のままだと思います。」
「うーんと…つまり?グループの話に置き換えるなら、大炎上してグループのメンバーが一度に入れ替わってしまったら、それは別のグループになっちゃうけど、1人ずつ変わっていったなら、それは同じグループのままってことかな?」
「そういうことになります。」
なるほど。テセウスの船に時間という概念を導入したのか。おぬし、なかなかやりおるな。確かに、急にたくさんのメンバーが入れ替わったら、流石の私でも違うグループになったと思ってしまうかもしれない。
「私は、全ての物質は周りに影響を与えてると思うんです。例えるなら、水が染みていくみたいに。」
うん、全然分からない。まきちゃん、急にポエマーみたいになっちゃった。
「水が染みるって具体的にはどういうこと?」
「例えばテセウスの船に1つ新しい部品が交換されたとします。その部品は、周りにある古いパーツから影響を受けて、どんどんテセウスの船に染まっていくと思うんです。そうしていつか、立派なテセウスの船のパーツになる。」
分かるようで、分からない。
私、放送部でずっと予鈴を呼び鈴って読んでたぐらいにはポンコツなんだかんね!
「全ての物質ってことは、例えば私たちが今いるこのオフィスでも、その影響は起こっているの?」
「はい、私はあかり先輩に染められてます。」
はい、、、、はい?!
良くもまぁそんな恥ずかしいことを直接伝えられる。なんだかこっちが恥ずかしくなって、ソワソワしてしまう。
「あかり先輩、前髪直さなくても綺麗ですよ。」
あかりKO!!!!!まきWIN!!!!!!